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ノート:雲台二十八将

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項目名について

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項目名は「雲台二十八将」の方が適切と思われますが、いかがでしょうか。確かに「雲台二十八将」という呼称は、知る限り史料には見られない一種の俗称ではあるかと思われます。しかし、宇都宮清吉氏『漢代社會經濟史研究』、狩野直禎氏『後漢政治史の研究』、東晋次氏『後漢時代の政治と社会』、渡辺義浩氏『後漢国家の支配と儒教』といった東洋史研究者の著作では「雲台二十八将」の呼称が用いられています。山川出版社の世界歴史大系『中国史1』も同様です。「建武二十八将」でも意味は十分に通じるとは思いますが、「雲台二十八将」の方がより一般に通用するのではないでしょうか。--219.126.201.1 2007年11月8日 (木) 02:58 (UTC)[返信]

改名提案の手続きに基づき、異論が無かったので「建武二十八将」から「雲台二十八将」にページ移動を行いました。 --火扇 2007年12月19日 (水) 09:16 (UTC)[返信]

削除依頼提出のお知らせ/改稿の必要性について

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Wikipedia:削除依頼/雲台二十八将の通り、GFDL違反を理由とする削除依頼を提出させて頂きました。仮に依頼が通らずとも、光武帝の項目とほとんど同じ文章を掲載することには意義が認められず、改稿する必要があることには変わりないと考えられます。さらには「二十八将軍で、(中略)志を最後まで違えることはなかったのである」のくだりなどは知る限り史書や研究者の著作などには見られない文言であり、「光武帝と二十八将が好きでたまらない人が思いの丈を綴った」という印象しか受けず、中立性に問題があるように思われます。同じ光武帝と二十八将とをたたえる文章を掲載するなら范曄の二十八将伝論に差し替えるほうがよろしいかと思います(拙いながら訳文を用意しています)。--Fish40 2011年7月6日 (水) 17:20 (UTC)[返信]

前の項目が削除されたため、改訂を行いました。削除された項目の問題点について付言しておきます。まず「雲台三十二将」という呼称はいかなる文献からも確認できませんでした。『後漢書』に「永平中,顯宗追感前世功臣,乃圖畫二十八將於南宮雲臺,其外又有王常、李通、竇融、卓茂,合三十二人」とあります。後の4人を「将」とは呼ばず、あえて「三十二人」と表記しています。そもそも軍事にまったく関与しなかった卓茂が「将」に含まれることはないはずです。また雲台二十八将と徳川二十八将との関連を指摘した信頼できる文献も見つかりません。よって「雲台三十二将」の呼称や徳川二十八将との関連は本項目には不要であると考えます。--Fish40 2011年7月31日 (日) 10:00 (UTC)[返信]
「雲台三十二将」の呼称が存在することを確認しました。訂正させて頂きます。--Fish40 2011年8月1日 (月) 03:31 (UTC)[返信]