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ノート:近衛上奏文

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三田村武夫の見解の比重

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三田村武夫が近衛上奏文の内容を真実視ないし重要視したというのは事実だと思いますが、一方で事実無根の内容として切り捨てるような評価をする専門家も後世には少なくありません。三田村説は少数派と見るべきではないかと思います。また、人数差がある他、何十年も後の後世の人の方が新しく得られたものを含め多角的な史料をも見ていると考えられます。三田村の意見を一意見として紹介するのはいいとしても、あまり大きく紙面を割き過ぎないよう(WP:WEIGHT)にすべきではないかと思います。各観点の比重に応じて公平に描写するという中立的観点の方針に従うとそうなるのではないかと思います。 --2001:240:2477:31F1:25A8:74ED:7191:47F2 2024年6月1日 (土) 09:05 (UTC)[返信]

反応が頂けていないためコメント依頼しました。--2001:240:2470:AA42:9DCE:5B89:AF81:D825 2024年9月27日 (金) 12:43 (UTC)[返信]
補足として、関連して三田村の見解は当事者の発言として一次資料的に見るべきとも考えられます。その場合、研究者が一次資料をどう見ているかを紹介する、という形が基本になります。--2001:240:2470:AA42:9DCE:5B89:AF81:D825 2024年9月27日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
コメント依頼から参りました。個人的には発表当時の著名な知識人、南原繁小泉信三らがこの本を評価しているということですので、そこまで無視してよいかどうかは疑問だと思います。また、近著としては立教大学非常勤講師の新谷卓氏が2016年に『終戦と近衛上奏文』という本を出されており、内容を見ると三田村の説を必ずしも否定できないとしているようです。また「事実無根の内容として切り捨てるような評価をする専門家も後世には少なくありません」と言われるのであれば、この三田村説を批判している人の意見を付け加えればよいかと思います。学説史として過去に否定された内容でも「上記のような見解は否定されている」ということで記載すればよいかと思います。騎馬民族征服王朝説のように学問的に否定されている説でも、批判を付け加えて立項されているケースもございます。--常陸のクマさん会話2024年10月20日 (日) 10:42 (UTC)[返信]
お忙しいところありがとうございます。他の論者それぞれを1としたとき、三田村の比重はどれくらいにすべきですか?現状では、「解説」が三田村に依拠していて長いため、10倍と行かないまでも他の論者の数倍にはなっているように思われます。他の論者とは猪木正道等で、既に掲載済みです。長々とある説を書き、最後に短く「しかし○○によってこれは否定された」等と書くのでは、WP:WEIGHTの精神にそぐわないように思われます。--2001:240:2477:A855:4CE3:95EC:47F:48C1 2024年10月26日 (土) 09:33 (UTC)[返信]