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ノート:近代以前の日本の都市人口統計

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平泉の人口について

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チャンドラーの推定する平泉の人口はあくまでも5万人ですので、前の版に差し替えました。

現在の推定(鬼頭や社工研などによる)では、平安時代末の陸奥の人口が30~40万人、岩手全域でも農村部の人口が10万人にすら達しないとみられるので、とても10万~15万人の人口が平泉に集中したとは思えまん。また斉藤利男の『平泉―よみがえる中世都市』では、10万人以上の人口を有する古代都市像は間違いであると指摘しています

とはいえ平泉に関する多くの書で、何ら根拠も書かずに「10万人以上」という記述があるのも事実です。現在最初に「10万人以上」と提唱した学者の名前を探しておりますが、分かり次第推定の根拠の項目に出典を含め、提唱した研究者の名前と推定の根拠をまとめようと思っています。

なお実のところチャンドラーの"Four thousand years of urban growth"も、推定の根拠がすべて示されいるわけではありません。平泉の項目で推定の根拠として引用されている本の該当頁(George Sanson, "A History of Japan", 328頁)には吾妻鏡が記載する軍勢が引用され(奥州方17万騎など)、鎌倉方の実数はせいぜい10万人だろうと書かれているだけです。おそらく10万人 x 17/28.4ということで約5万人と推定したのだろうと思われます。

なお軍隊の実数ですが、源頼朝が島津忠久に送った手紙には、2万騎とあるので、吾妻鏡の記述は10倍以上の誇張があると思われます。Orichalcum 2010年2月8日 (月) 13:47 (UTC)[返信]

全ての近世以前の日本の歴代都市を詳記するべきでは?

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まだまだあるので、ちゃんと詳記すべきであると私は思いました。 銭湯112会話2022年6月12日 (日) 06:31 (UTC)[返信]