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記述「...がその人物の霊的人格に対する侵害だとする観念は中国などほど激しくはなかった」の改訂

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2006-05-19に主ページ「#日本」節の当該記述が改訂されました(特別:差分/5784656)。--Yumoriy会話

文の前後、関連項目の内容から”中国では(日本)ほど激しくなかった”の意味ととらえ、”(日本は)中国よりも激しかった”にしました。
どちらも同じ意味であり、改ざんではありません。
などほど”という表記は明らかに文章としてはおかしく誤解を招くと思いますので、どなたか記載した方の意に基づく改訂をお願いします。--219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 02:22 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 02:34 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 02:45 (UTC) (履歴より署名追加--Nekosuki600 2006年5月18日 (木) 05:32 (UTC)[返信]

情報 上記投稿は、主ページの2006年(平成18年)5月18日 01:46:13 (UTC)の版の編集での節「#日本」内の小見出し「#通称」節の記述修正差分/5770026を報告しています。修正以前の本文は2006-05-03 08:50:50 (UTC)の版を参照。--Yumoriy会話2024年10月2日 (水) 09:03 (UTC)[返信]
このあたり、私も執筆に参加していますが、中国のほうがずっと激しいんですよ。つまり、皇帝などの実名に使う漢字はその王朝では一切使えなくなるのに対し、日本ではそういうことはありません。また、中国では同世代では同じ共通の字を使っても、世代が異なると同じ字を使えなくなります。目下の後の世代が目上の祖先世代の字を使うことは大きなタブーだからです。そういうことは本文の中にも記述されていて、だからこそ、そういう大陸における漢字表記を通じた実名タブーは、日本では大陸ほど厳密ではないという記述なのですが、どのあたりで日本のほうが厳しいというふうに読解されたのでしょうか。そうとられる側面があるなら、そのあたりからの改筆が必要になりますので、ご教示願います。--ウミユスリカ 2006年5月18日 (木) 03:07 (UTC)[返信]
すみません、行き違いでまた改訂してしまいました。
中国のほうが激しいなら、「中国などほど」という表記を使わずそう書いてほしいのです。
執筆に参加されている方でしたら、この個所の修正をお願いします。--以上の署名のないコメントは、219.210.152.180会話/Whois)さんが 2006年5月18日 (木) 03:18 (UTC) に投稿したものです。[返信]
この節は、あくまでも日本での実名に対する観念をあつかっているので、視点は日本の状況にあるべきです。つまり、中国がどうかという記述をしている節ではなく、日本がどうであるのかということを記述している節なのです。日本では中国の漢字を介した実名タブーの習慣がそのままの形で持ち込まれてはいないということを表現したいわけですよね。それでも「中国などほど」「中国や朝鮮ほど」などといった表記はおかしいでしょうか。--ウミユスリカ 2006年5月18日 (木) 03:24 (UTC)[返信]
あと、どの文脈から中国のほうが激しいと判断されたのか、その判断基準を明示してください。--ウミユスリカ 2006年5月18日 (木) 03:28 (UTC)[返信]

「中国や朝鮮ほど」というのは意味として通りますが、「中国などほど」というのは後に続く言葉によって大きな誤解を招きやすいと思います。
全体的に中国より日本のほうがより多く記載されているのでこちらも錯覚してしまいました。その点申し訳なかったです。--以上の署名のないコメントは、219.210.152.180会話/Whois)さんが 2006年5月18日 (木) 03:37 (UTC) に投稿したものです。[返信]

中国などほど」という表現にしたのは、中国と朝鮮でそうであることは確認できていたのですが、もうひとつの漢字文化圏であるベトナムでの状況を私が把握していなかったため、ぼかした意味があったわけです。もしかすると、「中国などほど」の「など」を、「その他」の「など」ではなく軽蔑的な表現の「なんか」に近似した「など」とおとりになったのでしょうか。--ウミユスリカ 2006年5月18日 (木) 03:40 (UTC)[返信]

いえ軽蔑的な意味でなく、日本と比べた時に「中国等(では、)(それ=日本)ほど激しくなかった」という意味にも取れるからです。
曖昧表記は全く別の意味にとられる場合があるので注意が必要です。
中国以外について不明な場合は、「中国・朝鮮より盛んではなかった」「中国・朝鮮よりは激しくなかった」でいいのではないでしょうか?
おそらく「~など(等)」「~ほど(程)」と何々の後に続く曖昧語の連続なので混乱したんだと思います。--219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 03:57 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 04:07 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 04:08 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 04:39 (UTC)(履歴より署名追加--Nekosuki600 2006年5月18日 (木) 05:32 (UTC)[返信]

一般論なんだけど。
Wikipedia上のテキストには、こなれていないものが散見され、手を入れたくなることがあるのはしょうがないです。しかし手を入れる場合には、Wikipedia上にあるテキストを解釈して手を入れるのではなく、なんらかの裏づけを取ってから手を入れるようにすべきです。単に「(自分には)わかりづらいから、(自分が理解したように)書き換える」だけでは、間違いや誤解の拡大再生産につながってしまう可能性があるためです。
自分はよく知らないのだが本文からは意味が取れなかったという場合には、ノートに疑義を記すにとどめ、本文を編集するのは見合わせておいた方がいいのではないでしょうか。本文に手を入れるにせよ、裏づけを取らずに「意味を厳密にしてしまう表現」に書き換えることは、慎重でなければなりません。--Nekosuki600 2006年5月18日 (木) 05:37 (UTC)[返信]

書き換え文案

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こんにちは(横から失礼します)。以下のように書けば、曖昧さはましになりますか?

  • "ある人物の諱に用いられているものと同一の漢字を用いることそのものがその人物の霊的人格に対する侵害だ"とする観念は、日本では中国や朝鮮半島ほど激しくはなかった。

もしこれでも足りないようなら、いくつか例を挙げても良いかと。たとえば以下のような説明はいかがでしょうか?

  • 例えば、中国では皇帝などの諱に使われた漢字はその王朝では一切使えなくなる。それに対して日本では、天皇や将軍の諱の漢字をほかの人間が使っても取り立ててとがめられることはなかったし、祖先の諱の漢字を子孫が使うことも盛んだった。

--miya 2006年5月18日 (木) 05:42 (UTC)[返信]

miyaさんの言われる文例なら分かりやすくて意味が通ります。
私が言いたいのは「無理に意味を厳密にしてほしい」のではなく、あくまで「一般的で意味が通る文法表現であってほしい」ということです。 もちろん裏づけが必要なのは言うまでもありません。
wikipediaで記載修正が容易なのは「多角的に、多くの人に分かりやすく」という基本理念あっての事と思うので、 はじめ記載される方も如何様にでも解釈できるような文でなく、意図する事柄を適切な文章で、他人が見て理解できるのかよくよく考え見直して戴きたいと思います。--219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 07:22 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 07:24 (UTC) / --219.210.152.180 2006年5月18日 (木) 08:06 (UTC)(履歴より署名添付--Nekosuki600 2006年5月18日 (木) 08:29 (UTC)[返信]

意味が取れなかったという場合にノートにとどめるのは賛成なので以後気をつけます。(が、これも主観の判断で思い違いはあるものなので微妙なラインだと思いますね)--以上の署名のないコメントは、219.210.152.180会話/Whois)さんが 2006年5月18日 (木) 08:19 (UTC) に投稿したものです。[返信]

架空世界の話について

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先日来、「架空の世界における諱」という段落を書いている方がおられるのですが、一応差し戻させてもらいました。現状の記事からあまりに浮いている感があるのと、架空の話を始めるときりがないように思えるからです(もちろん私の主観も混じってますし、もし必要だと思う方が多いのであればあえて記述を復活してもいいとは思いますが…)。正直、諱を避けて通称を用いるというモチーフ自体は文学作品でもサブカルチャー作品でもかなりありふれたもので、具体的な作品名を挙げていくときりがない気がします。別の例で言うと例えば「素数」というテーマにしてもそれを取り上げた架空作品はそれこそ山のようにありますが、Wikipediaの「素数」の項目でそれを説明する必要はない(実際記事中でも取り上げられていない)のと同様です。触れるにしても「このような実名敬避の習慣がテーマとして利用されている創作作品も多い」などと軽く書く程度でもよいのではないでしょうか。他の方の意見も伺いたいです。--222.225.31.186 2008年2月5日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

情報 上記投稿は主ページ2008年(平成20年)2月5日 14:58:32 (UTC)の版での「#架空の世界における諱」節の除去編集差分/17816179を報告しています。当該節はその後、除去されたままとなったようです(2024年10月現在)。--Yumoriy会話2024年10月2日 (水) 09:03 (UTC)[返信]

「現在の法令では改名は厳しく制限されている」について

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例として「明仁」「角栄」を出されていますが、実際は圧倒的に多数のケースで改名には理由は必要とされず、おおむね5年(これまでのケースでは2~7年)の通称としての使用実績のみで判断されます。ですから、「厳しく制限」というのは、興味本位の通俗的な書物(新書など)が面白おかしく書いているものをそのまま引用されたのではないかと推察しています。「制限されている」あるいは「裁判所の許可が必要」程度の表現が適切と考えます。--以上の署名のないコメントは、Swordarts会話投稿記録)さんが 2008年2月19日 (火) 07:14 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。[返信]

疑問(管領からの偏諱授与)

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2009-05-16に主ページ「#偏諱授与の風習」節の当該記述が除去されました(特別:差分/25921594)。--Yumoriy会話

本記事の偏諱授与に関してあたかも室町幕府の管領からの偏諱授与が行われたかの記述がありますが、偏諱授与というのは主従関係を示す性格があり陪臣には授けられないものなので、将軍との主従関係を求める諸国の大名が管領から偏諱を授与されることはないのでは? あと、管領からの偏諱の例として細川晴元⇒長宗我部元親の事例を挙げたかと思われますが、土佐国は元々細川氏が守護を務める国であり、晴元は「室町幕府管領」としてではなく、「土佐守護もしくは国主」として偏諱を授けたのではないのでしょうか? --水野白楓 2009年5月2日 (土) 04:10 (UTC)[返信]

一旦当該部分を削除させていただきます。--水野白楓 2009年5月16日 (土) 15:55 (UTC)[返信]

カタカナ表記について

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学名のカタカナ表記についてはヒト属など一般に行われていることであって、避諱を理由とするものではないと思うのですが、文脈からすると和文論文において著者名表記を避諱の観点からカタカナとすることがある、ということでしょうか? そのような例を見たことがあるわけではないのですが。 -- ktns会話2016年11月19日 (土) 01:43 (UTC)[返信]