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ノート:観光史学

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「(会津)観光史学」という言葉

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個人的に知るところではありますが「(会津)観光史学」という言葉がネット上に見られるのは画像掲示板ハリコの虎歴板 歴史における嘘②スレ27 名も無き虎 (08/11/14(金)04:34 ID:X1Nunb4nM)あたりから散見されるようになりました。同名スレ①はスレ数超えで消えていますが、同名スレ①のころからも同様の展開がなされていたことを記憶しています。同掲示板の推移から見ても誹謗中傷の私怨色の濃い内容に見受けられ、眉をひそめざるを得ない展開されています。以上、参考まで--wd10ears

全般的に見て問題の多い記述であると感じます。最初の定義付けで「ネットスラングの一種」と書きながら、その後の記述では「会津において、会津戦争に関する事績が観光客を呼ぶために会津にとって都合の--珍巣項 2011年1月15日 (土) 14:22 (UTC)いい形にいかにして歪められたか」という部分の記載しかありません。「ネットスラング」として定義づけた以上は、どのような経緯でいつ頃から「ネットスラング」として現れたのかという(可能な限りの出典を示した上での)記載が必要なはずです。[返信]

しかも、「会津による歴史の利用、歪曲(とされるもの)」の内容に関する出典が非常に乏しく、現状では印象もしくは独自研究の範疇を超えていません。本来必要なことは、

  • 会津の関係者の記載する「会津戦争史」の具体的な記述と、それが現在の歴史学による通説といかに乖離しているのか。
  • そうした言論が生じた背景についての、具体的な出典を伴った考察。

の記載であると考えます。ドラマや司馬遼太郎の講演との因果関係も不明確で、唯一明示されている会津若松関係者の著作についても、それが会津若松の観光政策に具体的に影響を与えたのか(たとえば、市の観光協会が作るパンフレットの記述がこの著作の出版前後で明確に変わったなど)の検証に欠けていると言わざるを得ません。

私自身は会津戦争にも会津在住者の抱く戦争観にも詳しくないので、これらに詳しい方による具体的出典のある記述への変更を強く望みます。--Unamu 2009年11月11日 (水) 14:31 (UTC)[返信]

出典の無い独自研究であり、立項者の「会津地域への悪意」しか感じられません。削除が妥当だと私は考えます。--秋田城之介 2009年11月18日 (水) 01:42 (UTC)[返信]

独自研究でもないのでは?歴史哲学系などの学術研究で「観光史学」と「怨恨史観」はありますよ。それと、削除は妥当とは思えません。他のウィキ幕末系を見ると、ここで言われている独自研究や創作が入り乱れているようです。逆にウィキから「会津地域よりの悪意」を感じる文章も散見できます。そういったものを含め「観光史学」と揶揄されているのでしょう。--珍巣項 2009年11月20日 (金) 14:02 (UTC)[返信]

「会津地域よりの悪意」とは何でしょうか?「観光史学」と揶揄されているというのもあまり聞いたことがありません。--秋田城之介 2009年12月15日 (火) 16:46 (UTC)[返信]
「会津地域よりの悪意」については、宮崎十三八の書いた「会津人の書く戊辰戦争」をお勧めします。私が読んでも歴史哲学が感じ取られず、山口に対する呪詛しか感じられませんでした。--珍巣項 2010年1月1日 (金) 00:08 (UTC)[返信]

とりあえず、記事の正確さのみが問題と思いますので、それ以外は削除しました。あと、気が付いたのが「観光史学問題」が会津自身から発信されている部分ではないでしょうか?--珍巣項 2010年1月9日 (土) 23:52 (UTC)[返信]

削除提案にむけて

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会津観光史学」は削除の方針:ケースEに該当すると思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?--鑓持 2009年12月29日 (火) 15:49 (UTC)[返信]

削除は不要と考えます。観光史学の問題点は、実は既存の本や論説などで検証の段階に入っています。削除をすれば、会津から発信される歴史観の問題を誤魔化していると問われる事となるでしょう。 以下、会津観光史学についての問題論文を上げますが、『会津人が書けなかった戊辰戦争 牧野登著 歴史春秋社』『戊辰怨念の深層 畑敬之助 歴史春秋社』『戊辰怨念の深層執筆の背景 畑敬之助 会津史談77号』

会津観光史学の学位論文のとして 『死者の政治学 : 近代会津の戦死者とアイデンティティ 田中悟 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_D1004158』 以上を上げておきます。これだけの論説がありながら、ウィキでは削除というのはご都合主義をまぬがれないと考えます。--右辺 2009年12月31日 (木) 00:43 (UTC)[返信]

おっしゃっることは分からないでもないですが、現状の記事として偏向した内容でしたので提案させていただきました。--鑓持 2010年1月6日 (水) 14:58 (UTC)[返信]
「これだけの実証的な論説がある」とおっしゃるのであれば、ぜひそれを踏まえた形で本文記事を改善してください。「根拠があれば書き方にかかわらず削除しなくてよい」のではなく、Wikipediaが求めるガイドラインを満たした形の記事になっていることが必要です。そうでなければ、どんなに外部で実証的な論説があっても削除対象となり得ます。--Unamu 2010年1月6日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
私もUnamu氏の言われるように、この記事がガイドラインを満たした形の記事であるかは疑問です。--秋田城之介 2010年1月24日 (日) 15:39 (UTC)[返信]
この記事をいじった本人っす。まず、参考として足りませんでしたが「死者の政治学 田中悟」を追加しておきます。正直、会津研究家であった宮崎十三八氏が、市長の指示で作られた歴史家というのは驚きの事実です。ここを削除したがっている方々は、それを隠したかったのでしょうか。それと、「どんなに外部で実証的な論説があっても削除対象となり得」ると述べる前に、私が参考にしてアップした本を一読してから述べて欲しかったですな。--218.45.229.22 2010年1月11日 (月) 08:26 (UTC)[返信]
。--秋田城之介 氏より、ガイドラインを満たしているかどうかという疑問が投げかけられていましたので、田中悟の「死者の政治学」リンク先で読んで見たところ、「観光史学」としっかりと書かれていた事。それと、宮崎十三八の「会津人の書いた戊辰戦争」に対する反論として書かれている牧野登氏が書いた「会津人が書けなかった会津戦争(歴史春秋社)」に、宮崎十三八が「私の立場は観光史学であること」と述べられていました。つまり、ネットスラングというのではなく、会津観光史学は宮崎自身の発言であったという事になります。これにより、会津観光史学は、削除の方針:のケースEより基準が外される事となったと私は解釈します。--珍巣項 2010年2月11日 (木) 03:03 (UTC)[返信]
かの方は記事を紹介したのみで、改善を要求するのはどうかなと考えます。只、私も概説本を読んでいますし、ノートに参加していますので該当論文を熟読して少し内容を改善したいと思います。暫し時間を下さい。--珍巣項 2010年1月9日 (土) 23:52 (UTC)[返信]

最初にこの記事にいろいろと指摘していたCrafordです。 忙しく全く手がつけられていなかったのですが、「戦後から現在に掛けて」についての文章のまとめ方が論文のようになっているので、「いる。」という文末にならないように精査したいと考えています。 --Craford 2010年5月5日 (水) 02:56 (UTC)[返信]

会津内でも観光史学と会津史学の二つに分かれていることや、現市長の観光都市宣言からしても削除はしない方が良いと思います。--富岡志郎 2010年11月10日 (水) 16:55 (UTC)

コメント 未だに出典状態は自己公表された情報源(→宮崎十三八「私の立場は観光史学であること」)や、信頼性の乏しい情報源による乏しいものであると私は考えています。--秋田城之介 2010年11月16日 (火) 10:54 (UTC)[返信]

コメント そうは思いません。田中悟の論文と書籍が発売されている以上、既に論証から実証の段階であると考えます。ネットの検索に引っ掛からない等で「信頼性に乏しい」というのは理由にはなりません。--珍巣項 2010年11月16日 (火) 15:40 (UTC)[返信]

コメント (→宮崎十三八「私の立場は観光史学であること」)、これ、活字化されてますよ。また意味ですが。会津若松市が観光都市だけだからではないのです。宮崎十三八が会津若松市役所の観光課長(部長かな?)を務めておりました。信頼性ですか、会津図書館と外部リンクを貼れば良いのではないでしょうか?--富岡志郎 2010年11月18日 (木) 19:44 (UTC)

  • 活字化されていても、自身の立場表明では自己公表された情報源の域をでないでしょう。「死者の政治学」で「観光史学」と記載されていても、それがどういった定義のものなのか、あるいは他の事典類で確認できるのか、非常に信頼性の点で疑問です。--秋田城之介 2010年11月20日 (土) 07:30 (UTC)[返信]
  • ウィキペディアンに言える事ですが、地方史関連や新しい造語に関して「独自研究」という言葉で抹殺する事に残念としか言えません。「観光史学」が匿名掲示板からのスラングであっても、それが「研究史」の俎上の上がり、それがCiNiiやNDL-OPACにて検索結果として出ただけではなく、ミネルヴァ書房より書籍として出版されていても「あくまでも独自研究」としてしか取り扱われない事に苦虫を噛んでいます。切っ掛けがどうであれ、その内容を精査することを行わないのはどうでしょうか?さらに、歴史的事象についても「投票」で決める事に常日頃呆れています。ウィキローカルルールであっても、あくまでもウィキ上でしかなく、投票の結果が史実と乖離して歴史関係者の嘲笑の対象となっても、ウィキペディアンの自己満足下の当にウィキ上での「独自研究」の顚末でしかないという滑稽な状況を生み出しているのに溜息をつくのみです。--珍巣項 2010年11月20日 (土) 23:15 (UTC)[返信]
    • 「独自研究」の疑惑を撤廃する簡単な方法があります。それは、個々の記述に対して「信頼できる情報源」に適合した出典を付与すればいいのです。それだけで、該当記事に対して「独自研究」であるという疑惑は完全に晴れます。まあ、分野によっては「信頼できる情報源」がないものもありますが、そういうものはそもそもウィキペディア日本語版に単独の記事が必要か否かということから検討せねばならないわけで。--iwaim 2010年11月20日 (土) 23:21 (UTC)[返信]
      • 活字化されていても画像化されていても。秋田城之介さんは信頼性を欠くと述べられました。では、ネットだったかな?市長の方針で観光都市のことが書かれていること、会津史学会だと観光史学でなく史実を追及していく団体ということが書かれていても信頼性に欠くものでしょうか?斗南藩の項目で従来からの誤りの塊を訂正したら元に戻されていました。つまり、史実を知らない人が多い、それを専門に行った人だけで書き込みをするようにとは言いませんが。wikipediaが完全に信用できるものではないと書かれるわけです。 観光史学は市の方針ですから誤りでも何もない。誤りだという根拠、証拠がないという根拠を出してください。最近のwikipedianというのは、同じような理由で色々と記事を削除したがているのが多いね。一般の人が知っているのが観光史学の内容、史実を追及していく人たちは史学(史実)を把握していっている。iwaimさんは、日本史を学び始めてからどれくらいたちますか?珍巣項さん、他の人は詳細なことは知らないとみえますから説明の書きことをしたらいかがでしょうか。田中悟という人物が書いた本だと『会津という神話』が手許にあります。でも、少し誤りがあるのは仕方ない。--富岡志郎 2010年11月22日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
        • 「市長の方針で観光都市のことが書かれていること、会津史学会だと観光史学でなく史実を追及していく団体ということ」・・・これが当項目の信頼性と特筆性の担保に、果たしてなりうるのでしょうか?--秋田城之介 2010年11月29日 (月) 05:20 (UTC)[返信]
          • 本文を読みました。実在しなかった埋葬禁止令のことが書かれているでしょう。でも、会津若松市にしてみれば伝わっている白虎隊のことを史実としたりとか。史実とは異なります。これのどちらかが史実なのかを追及するのみでも当項目の信頼性と特筆性の担保になるでしょう。そして、宮崎十三八個人の考え方のみではないですよ。ソースが出せないと取り除かれてしまいますのでこれを参考にすれば良いかと思います。http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/ja/syokai/rekishi/shishi/index_2.htm/ 会津若松市史8</references--富岡志郎 2010年12月3日 (金) 19:43 (UTC)[返信]
  • 「会津観光史学」が百科事典として適切なのかどうか、依然わかりません。自己公表された情報源の域だけでは独自研究かと思います。--秋田城之介 2010年12月8日 (水) 08:05 (UTC)[返信]
    • 「宮崎氏の発言が田中氏の論文で紹介されていること」がどう「自己公表された情報源」なのですか? おっしゃっていることの筋をまず通していただけませんか? --彩華1226 2011年1月22日 (土) 07:50 (UTC)[返信]
      • 「私の立場は観光史学であること」という文言について富岡志郎氏が活字化されているとコメントしていましたが、それは自身の立場を表明したことにすぎません。--秋田城之介 2011年1月30日 (日) 03:50 (UTC)[返信]

削除依頼提出

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コメント 削除依頼を提出しました。--秋田城之介 2011年1月13日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

コメント 勝手に削除申請するのは貴方の勝手ですが、私は削除の方針で議論を停止した覚えは在りません。又、削除に至る理由を私は見出しません。強引に話を進めないようにしてください。又、削除依頼のリンクも貼らないのも問題と考えます。あしからず。--珍巣項 2011年1月15日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

コメント この場合問題なのは"会津観光史学"の"会津"なのだと思います。単に"観光史学"としての項目であればよいのではないのでしょうか? まず、"観光史学"のページを設けその中での数例の中の一事例としての会津があれば事足りることだと思います。 「ケース E: 百科事典的でない記事」として提起されてる点は。観光史学としての会津が顕著な例としてある意味希有な例なのでしょうが、都合の良い様に誘引することは特に会津限ったことではなく観光地全般に見受けられることと思いますし。複数の事例の論述に及ばず、会津のみで記述することは観光史学という学術研究対象が会津一地方のみにあり、まさに"会津観光史学"としてのみの独自研究であり、その領域を脱していないと受け取られかねないでしょう。また、一地方への攻撃とも誤解されがちに書かれている点にも問題があると思います。観光史学という学術研究が、特に会津という一地方に固執する理由があるとは思われません。 現在、Wikiの"観光史学"のページは「観光史学」で検索したところ"会津"がらみでしかヒットしませんでした。このことからも百科事典を標榜する以上こういった誤解招きかねない記述は避けるべきだと思います。既に掲示板等では観光史学という言葉は会津を中傷する言葉として一人歩きしているようにみられます。--穀潰し 2011年1月17日 (月) 23:38 (UTC)[返信]

コメント そもそも「観光史学」という現象は、田中悟氏が“会津における「観光史学」”[1]として研究・論述対象としたものであり、会津以外で「観光史学」と呼ばれる現象があるのかどうかは問題にされていません。会津以外で「観光史学」と呼ばれる現象があるという研究や論文があれば「観光史学」で立項して各地の「観光史学」を述べる形にすればいいでしょう。現状は“会津における「観光史学」”について言及されている項目なので、「会津観光史学」なのだと思いますが。--彩華1226 2011年1月22日 (土) 07:50 (UTC)[返信]

デマゴギーとしての会津観光史学

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削除議論とは別に、会津の持つデマゴーグとして観光史学を議論する事を提案します。先の牧野登氏が書いた「会津人が書けなかった戊辰戦争」で、宮崎十三八自身が「観光史学」を述べています。こういった事実を踏まえ、なぜ会津の地方史がデマゴギーと堕してしまったのか、考察する必要はあるでしょう。--珍巣項 2009年12月31日 (木) 14:08 (UTC)[返信]

正直、会津の歴史がデマゴギーだらけというのは田中悟氏の論説を読むまで知らなかった事です。と、同時に会津自身が「観光史学」の泥沼から脱却しようとしているのも事実でしょう。それを正面から捕らえずに「削除」を行おうとする意図が見えません。ナンセンスです。--218.45.229.22 2010年1月11日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

ここで「デマゴーグとして観光史学を議論する」意味があるのでしょうか?私は現在でも「会津観光史学」が中立性を持った言葉であるとは思えません。--秋田城之介 2010年6月20日 (日) 15:53 (UTC)[返信]
私自身はそうは思いません。既に研究論文ではなく、現実に一般書籍として「会津という神話―“二つの戦後”をめぐる“死者の政治学”」として出版されています。繰り返しますが、観光史学は既に史学の言葉として成立してしまいました。会津自信が“観光史学”というネガティブキャンペーンを克服できなければ問題の深刻化は避けられないでしょう。--珍巣項 2010年6月26日 (土) 00:37 (UTC)[返信]
それに意義があるかどうかはともかくとして、ここで議論することなのでしょうか?本文に独自研究的側面が指摘されている中で、さらにノート--珍巣項 2011年1月15日 (土) 14:22 (UTC)で独自研究を展開するおつもりでしょうか?--秋田城之介 201--珍巣項 2011年1月15日 (土) 14:22 (UTC)0年6月27日 (日) 11:39 (UTC)[返信]
会津観光史学は、観光都市・会津若松市のうりでもあります。存続させる意味合いで珍巣項 さんは、書かれたのではないでしょうか。会津観光史学は、史学とかと比較すると中間地点に位置しますから中立性ももっていると思いますよ。--富岡志郎 2010年12月3日 (金) 18:39 (UTC)[返信]

記事改定に向けて

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削除議論にもありましたが、

①冒頭の「ネットスラング」については削除を行なう。

②会津観光史学を観光史学に訂正する。

とありました。田中悟の論文を中心に再構成を掛ける事となりましたが、外に何か記事を改定すべきところは在るでしょうか?--珍巣項 2011年2月15日 (火) 13:11 (UTC)[返信]

大言壮語的な記述、とくに冒頭部に関しては、当然見直しが必要でしょう。--秋田城之介 2011年2月16日 (水) 08:13 (UTC)[返信]
改名候補とされている、「観光史学」なる用語はグーグル検索で98ヒット中、その殆どが「会津観光史学」関連であることを再確認しました(其の多くは、掲示板やブログ)。やはり、研究論文として取り扱っているのは田中悟氏が「会津観光史学」の形で採り上げたでものしか目に付かず、これ以外で、とりわけ「観光史学」を単独で定義付ける事例は見つけ出せません。この検索だけで全てが解るわけではないでしょうが、果たして「会津」ヌキの一般的定義で「観光史学」が立項できるのでしょうか?「観光史学」で立項すべきであるとされた方は、その根拠資料もしくはその手掛かりとなる情報をお持ちなら提供してほしいと思います。ちなみに、類似用語の「観光学」や「観光史」はどうも内容的には区別されるべきもののようですね。--故城一片之月 2011年2月16日 (水) 14:40 (UTC)[返信]
そもそも、出典通り考えれば『戦後会津における「観光史学」』なわけで、会津抜きで成立し得ないなどということはありえないはずです。--秋田城之介 2011年4月23日 (土) 16:45 (UTC)[返信]
観光史学の問題が杉村楚人冠が朝日新聞に投稿し、それに対し山川健次郎が起こした大正期の論争を読むと、当時から根深いッ問題を抱えていたようです。会津史談会の畑敬之助氏も、会津郷土史を愛する立場として会津史の硬直化を憂いて「会津の人達は怨念を商品化して、会津の名を売っているとしか思えない(会津史談七十七号 88頁)」否定的と書かれてします。「ネットスラング」削除について私は「是」としても問題ないと思いますが、田中氏の研究タイトルが当にネットスラングから付けたような形跡が見られるだけに、これに変わる良い表現があるのか考えてしまいます。--珍巣項 2011年2月19日 (土) 13:12 (UTC)[返信]

(コメント) 私は未だに、田中悟の論文のみで存在意義が確認できるとは思えないです。「会津史の硬直化に対する説明」=「会津の観光史学の説明」では無いと思います。--鑓持 2011年4月7日 (木) 03:27 (UTC)[返信]

本来、改訂に向けて議論を重ねるべきと存じますが、当の会津若松地方を含む福島県下のWikipedia 利用者は今回の東日本大震災の被災でアクセスもままならぬ状況と推察されますので、少し環境が落ち着くまで待機すべきかと私は思います。--故城一片之月 2011年4月7日 (木) 12:32 (UTC)[返信]

コメント 議論停止から1年7ヶ月以上経っていますが、現在も出典の追加は無く、出典のうち2点が田中悟 による自己公表された情報源であり、残りの一点の会津若松史については章名・ページともに記されていません。このまま進展なき場合は、削除依頼を再び行う可能性があることに言及しておきます。--秋田城之介会話2012年12月18日 (火) 16:12 (UTC)[返信]

  • 「田中悟による自己公表された情報源であり、独自研究なのでウィキペディア掲載可能性は無い」という考え方はおかしいんじゃないですか?「田中悟により信頼できる出版元から公表された情報源」をもとに編集されておれば、それはウィキペディアに掲載可能です。神戸大学の紀要あたりを「信頼できない出版元」と断定してしまうのはこれはムリ筋でしょう。それこそ逆に田中悟の論文が荒唐無稽で信頼できないことを、逆に同等レベルの「信頼できる情報源」で公表し、それをウィキペディアに紹介する形で批評するしかありません。さて、ところで。しかし私もインターネット上で調査したかぎり、田中悟氏のくだんの論文程度しか論説らしきものは発見できませんでしたので「会津観光史学とは田中悟による造語」的な紹介方法のほうが適切であるような印象があります。--大和屋敷会話2012年12月18日 (火) 23:50 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり「田中悟氏のくだんの論文程度しか論説らしきものが無い」ということもあって、削除を提案しています。たしかに客観的に見て独自研究と言い切ることに疑問を持たれるかもしれませんが、紀要に掲載されること自体はその論文の検証可能性を満たすことにはなっても、その論文自体の信頼性を担保したことにはなりません。神戸大学の紀要には修士論文も載るようですので。修士論文の中での造語が特筆性を満たすかどうかと言われたら、それは満たさないと言えます。この場合は博士論文ですが。--秋田城之介会話2013年2月2日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
コメント 「観光史学」なるものが、会津とは限らず一般的に存在しうる概念として一定の内容を持ったものであるならば、勿論その出典呈示を必須要件に記事名改訂は容認されることを可とします。しかし、左記要件を満足し得ないならば現行の内容では「会津観光史学」とする他は無いと思います。この場合の記事の信頼性に関しては大和屋敷さんの御意見に同じく、「田中悟により信頼できる出版元から公表された情報源」が呈示され、これに基づく記述ならば検証可能性も保証され掲載可能と考えます。なお、「ネットスラング」についての削除整理には異議ありません。--故城一片之月会話2012年12月19日 (水) 16:50 (UTC)[返信]
コメント 失礼しました、勘違いです。田中悟氏の論文『近代会津アイデンティティの系譜』(III.「観光史学」の形成)において、戦後会津の「観光史学」として記述されていますね。用語としても記事名としても使えるわけですね。前述は一部を訂正致します(取消線付加)。--故城一片之月会話2012年12月19日 (水) 18:11 (UTC)[返信]
コメント 大和屋敷さんの「観光史学というタイトルで立頁して、そのなかで会津の事例を紹介するという方式」であれば、まだ記事としてマトモにはなると思います。しかし、現行の形態では単独の記事足りうるものでは無いと思っております。平岡敏夫『明治文学史の周辺』(有精堂出版 1976 162P)の中の記載に見られるように、『観光史学』というのは「特定の地域名を冠してのみ成立するようなもの」ではありません。--秋田城之介会話2013年2月2日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
  • 田中悟氏については、論文だけではなく一般書籍で本が売られています。会津という神話―“二つの戦後”をめぐる“死者の政治学” (MINERVA人文・社会科学叢書)出版社: ミネルヴァ書房 (2010/03) ISBN-10: 4623056368 後ほど参考文献に列記しておきますが、最早一般書籍の俎上に載っているものを「独自研究」と述べるのは無理があります。独自研究の題目は撤去するのが適当と思われます。--珍巣項会話2012年12月24日 (月) 01:01 (UTC)[返信]
コメント 失礼しました。既に参考文献としてあげられていました。--珍巣項会話2012年12月24日 (月) 01:03 (UTC)[返信]
  • 観光史学というタイトルについての問題ですが、「いま東北の歴史を考える」高山宗東 ISBN-13: 978-4862860521 という書籍があります。この書籍は主観論的な視点で書かれているので参考とするには問題がありますが、作中で「今も続く会津批判と多くを語らない会津人」という項があります(作中108-109頁)。この中で会津観光史学についての文言を批判をされています。こういった一般書籍に会津観光史学という文言が現れているのは一考すべきと思われます。なお、独自研究は先にも申したとおり、田中悟氏の研究論文及び書籍と高山宗東氏の書籍に掲載がある事を鑑み、本日より撤去します。--珍巣項会話2013年1月1日 (火) 02:51 (UTC)[返信]
  • 提案 あらためて、本用語には独立した記事として特筆性がないと考えます。しかしながら、「観光史学」として立項して、その中で扱うという妥協案もあります。その際でも、本項目名がリダイレクトとして有用であるとは思えないので、一旦削除したうえで、「観光史学」を作成する方向での削除を提案します。--秋田城之介会話2013年2月2日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
  • 高山宗東の著書に会津観光史学の名前が記述されている事と、削除については既に却下となっていますので議論の必要を感じませんし、「観光史学」として立項する必要性も感じません。--珍巣項会話2013年2月3日 (日) 08:06 (UTC)[返信]
  • コメント 秋田城之介さんの主張は「観光史学」で立項するから「会津観光史学」を削除するとのことのようですが、ならば最低限「観光史学」で先に立項して「会津観光史学」は節記事として統合さるべきであって、まず削除ありきが先行する議論は筋が少し違うと思います。また、会津観光史学というタイトルの特筆性については、上で珍巣項さんが高山宗東氏の著書に実例があるとされていますが、これが事実ならば2次資料による第三者言及に該当するので特筆性を満たす要件になり得るでしょう。--故城一片之月会話2013年2月3日 (日) 15:37 (UTC)[返信]
  • コメント高山宗東氏の著書というのも2011年に刊行されたものですが、それと田中悟氏の著書だけで単独立項すべきものかというと、ちょっと違うと思います。以前の削除依頼でも確かkinoriさんだったと思いますが、新語が出たということと新語が定着したということはイコールではありませんから、削除は無理筋ではないと思います。--明銘会話2013年2月10日 (日) 07:46 (UTC)[返信]
  • コメント田中悟氏以外ですと、宮崎十三八の「手作り会津史」、牧野登氏の「会津人が書けなかった会津戦争―会津への手紙」、あとは畑敬之助の「会津史談七十七号」が存在します。又、これら一般書籍で販売されている田中悟氏や高山宗東氏の本を無視して「新語だから削除する」というのは理屈としては無理がありすぎるでしょう。--珍巣項会話2013年2月10日 (日) 13:54 (UTC)[返信]
    • コメント 「手作り会津史」「会津人が書けなかった会津戦争―会津への手紙」「会津史談七十七号」・・・どれも歴史春秋社の出版ですね。その会社は自主出版のようです。「いま東北の歴史を考える」(高山宗東)の版元の総和社も、自費出版を扱っているようです。牧野登、宮崎十三八、畑敬之助は会津史談会という同好団体の会員で、「会津史談会第七十七号」はそこで出しています。これらの事実から類推すると、本用語は一般書籍ではなく自費出版の中の多用されるもので、特定の会で用いられている言葉の域を出ないです。また、「新語だから削除する」という意見は誰からも出ていない(kinoriさんや明銘さんの意見はそういう趣旨ではないと考えます)と思いますが。前回の削除依頼は、miya氏の恣意的な存続判定になってしまいましたが、その頃から今までマトモな出典補強が無いという事実を直視してください。--秋田城之介会話2013年2月17日 (日) 10:52 (UTC)[返信]
    • コメント大変恐縮ながら、歴史春秋社は自費出版社ではなく、きちんとアマゾンでも一般書籍として扱われている出版社です。よって秋田城之介殿の自主出版という見方には一切組しませんし、著作も検討しない姿勢に問題を感じます。又、一般論文の俎上に上がっている田中悟氏の研究を無視した削除も組しません。そして、前回削除議論について質疑を恣意的と申していますが、きちんと議論がなされている中で「恣意的」という意見は乱暴すぎる表現ではないでしょうか?--珍巣項会話2013年2月19日 (火) 13:21 (UTC)[返信]
      • コメント純粋に質問なんですが、アマゾンとかで販売されている本で自主(自費)出版かそうでないかの区別ってどういう見分け方をすれば良いのでしょう?秋田城介さんのコメント中のリンクではたしかに「自主出版」と書かれてはいましたが・・・。あと「新語だから削除する」という件ですが、秋田城介さんがおっしゃる通り私はそんなことは思っておりません。新語は定着しない限り、独立項目として扱うべきでないという意見です。--明銘会話2013年2月23日 (土) 08:28 (UTC)[返信]
        • コメント横から恐縮ですが、歴史春秋社の場合は「歴春うぇぶ/誰にでも本はつくれます/自主出版」での説明本ができるまで実務編を見ると分かりますが、販路の違いでしょうね、自主出版本は依頼者のもとかまたは依頼者指定先に直接実費納品されるわけで、春秋社の販路扱いではない点だと思います。つまり編集・印刷・校正・製本等の手伝いはするが自社出版本としての手続きはされないことじゃないでしょうか。--故城一片之月会話2013年2月23日 (土) 15:38 (UTC)[返信]
        • コメント ISBNを取得して販路を一般と似たような形([2]を参照)にしている場合もありますので、アマゾンで売っていること=一般商業出版であること ではありません。この点においても珍巣項氏の主張は誤りです。--秋田城之介会話2013年2月27日 (水) 14:46 (UTC)[返信]
          • コメント 既に一般書店で販売もされている書籍を「自費出版」であるといって地方史関連の参考文献を全て認めないというのは暴論です。さらに述べると、地方史でしか入手できない基礎文献も認めないという事となり、それは地方史を認めないという暴論に発展しかねません。--[[利用者:|珍巣項]](会話2013年3月2日 (土) 13:51 (UTC)[返信]
            • コメント 私が言っていることは、自費出版を出典にすることは特筆性の面で出典の補強には成らないということです。関係ないところまで話しを広げないでください。--秋田城之介会話2013年3月2日 (土) 17:58 (UTC)[返信]
              • コメント 恐縮ながら、歴史春秋および会津史談会関連で「自費出版だから特筆性がない」とご自身が述べている件と矛盾されていると思います。そして、私は別に問題点を広げてはいません。むしろ、以前削除議論で問題解決した件を蒸し返した事を私は問題と考えています。--珍巣項会話2013年3月3日 (日) 16:06 (UTC)[返信]
                • コメント:歴史春秋社の出版物が全て自費出版であるなどの証拠は示された訳ではないし、自費出版本にISBNを取得できるPHP社の例をもって歴史春秋社と同一視するのもまた乱暴な議論ではないでしょうか?自費出版の取扱い方は出版社ごとに違っている可能性も考慮に入れた方が良いと思います。--故城一片之月会話2013年3月3日 (日) 16:41 (UTC)[返信]
                  • コメント 歴史春秋社のHP[3]によると、一般印刷業務を除くと「自分史、エッセイ、歌集、郷土史などの自主出版制作」が業務内容であって、出版物においては自費(自主)出版物のみで扱っていることがわかります。自費(自主)出版物以外も扱っているのであれば業務内容に書かれるはずでしょう、違いますか。--秋田城之介会話2013年3月6日 (水) 14:57 (UTC)[返信]
                  • コメント:違うと思います。自主出版物/本ができるまで実務編の解説にある「自社出版物の編集にもなれた編集者が丁寧に-字一句校正」するとの文言からも、歴史春秋社の場合は 自社出版物 自主出版物 は取扱いが区別されていることが判ります。「自社出版物」は取扱い書籍の一覧から選んで書籍購入方法に従い購入できるが、「自主出版物」は注文者の依頼品を「お客さまのもとに納品」することになっています。販路については「刊行後は県内主要新聞広告にて紹介。また自主出版ブックフェア等で販売できる機会を設ける…」となっており自社出版物とは一緒ではないようですね。だいたい、「取扱い書籍の一覧」を見ればこれがすべて自費出版物などとは到底思えないでしょう。--故城一片之月会話2013年3月7日 (木) 12:18 (UTC)[返信]
                    • コメント おっしゃるとおり全てが自主出版ではないのかもしれないですね。しかし、『「自社出版物」は取扱い書籍の一覧から選んで書籍購入方法に従い購入できるが、「自主出版物」は注文者の依頼品を「お客さまのもとに納品」することになっている』という整理は故城一片之月さんの中での整理であって、そのように区切っていると明言はどこにもされていません。「自主出版以外は取扱い書籍の一覧から選んで購入できるが、自主出版は取扱い書籍の一覧から選んで書籍購入できない」と読めるが、それは誤解を招く表現でしょう。--秋田城之介会話2013年3月25日 (月) 17:38 (UTC)[返信]
                      • コメントそれを言うなら秋田城之介さんは上で、「出版物においては自費(自主)出版物のみで扱っていることがわかります」と断言されており、まず先に誤解を招く表現をなさっていますが…。つまり、この出版社の業務内容はもっと詳しく調査しなければ確かなことはいずれにしても言えないということです。明確ではないことを根拠に一気に削除を進めることは適当とは思われません。ゆえにこの状況においての記事削除は明確に反対を表明しておきます。但し、繰り返しになりますが、まず「観光史学」で立項なさり、これへの節項目として統合を進められる先の貴方の御意見を進められるならば、それは支持いたします。--故城一片之月会話2013年3月29日 (金) 13:54 (UTC)[返信]
                        • コメント 「出版物においては自費(自主)出版物のみで扱っていることがわかります」というのは訂正いたします。故城一片之月さんの言うことにも一理はありますので。そういう意味で、全てが自主出版ではないのかもしれないとコメントしました。しかしながら、現状では該当書籍が信頼に足るかは未検証だといえます。会津史談会関連に傾斜した記事というのも問題があります。また、珍巣項さんからは全うな反論をいただけていないのですが、いつまでも時間を浪費するわけにはいかないでしょうね。--秋田城之介会話2013年4月3日 (水) 16:51 (UTC)[返信]
            • コメント 念の為根本的なことを確認しておきます。自費出版については「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源:二次資料としての使用」にあるように、ウィキペディア日本語版では「信頼できる情報源」であるとは位置づけていません。そのため、ウィキペディア日本語版への記載の情報源(二次資料)として用いることはできないということになっています。近年では自費出版にも様々な形態が存在していますので、「一般書店で販売されている」という理由(のみ)で「自費出版ではない」とは断言するのは難しいです。--iwaim会話2013年3月3日 (日) 23:24 (UTC)[返信]

記事改定に向けて(その2)

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報告:議論が大分長く、不便なので便宜上、「記事改訂にむけて(その2)」とさせていただきました。一応、項目(全体)削除議論・自費出版議論との境を区切りにしました。異論があれば言って下さい。それと、4月23日の私の編集で畑敬之助・牧野 登・田中 悟の各著作・論文を典拠に冒頭部の加筆を行いました。その際に、既存のネットスラング由来説に要出典タグを貼付しましたが、結局はその後も何ら信頼ある出典の提示はありませんでしたので、コメントアウトして置きました。今後も異論がなければこの部分は削除編集と致す所存です。議論も途切れがちですが、これまでの議論で少しでも固まったと思われる部分は逐次本文に反映していった方がよいと思います。--故城一片之月会話2013年5月12日 (日) 05:10 (UTC)[返信]

  • 前節における、改訂要旨(珍巣項さんまとめの2点を再掲)
  1. 冒頭の「ネットスラング」については削除を行なう。
  2. 会津観光史学を観光史学に訂正する。
    • コメント 故城一片之月殿のみのコメントとなりますが、私は特に異論はありませんので、このままで宜しいと思います。又、会津観光史学を観光史学の下に付けるのも異論はありません。あと、これは参考文献として追加しますが、宮崎十三八の「会津人の書く戊辰戦争ISBN-10: 4770407912」を参考にあげることを推奨します。但し、この本は先の牧野登・畑敬之助が厳しく断罪した本でもあり、会津では「触れたくない本」である事も明記しておきます。--珍巣項会話2013年5月13日 (月) 04:00 (UTC)[返信]
      • コメント珍巣項さんのコメントは了承いたしました。私も「観光史学」が記事名に相応しいと考えております。宮崎十三八氏の考え方は本人自身が「観光史学」と表現しているのですし、これに対しての批判的見解を畑敬之助・牧野 登両氏が書いたものが公刊本として出典となっているのですから記事名はその方が一貫するでしょう。畑・牧野両氏それらは宮崎氏の考え方に対する二次資料になる一方、田中 悟氏の論文は更に三次資料であるし、これへの書評はその第三者言及ですから記事の条件は整いつつありますが、一点不足なのが、宮崎氏自身の主張を書いた内容です。批判する側の資料だけでは記事の中立的観点(この場合、会津叩き・長州叩きの話ではない、Wikipediaの記述のためのもの)について弱いと思います。御紹介の「会津人の書く戊辰戦争」を含め、批判される側の宮崎氏自身の記述による出典資料は不可欠だろうと存じます。改名については提案を正式提出し、下記に合意を確認します。--故城一片之月会話2013年5月13日 (月) 13:16 (UTC)[返信]
  • コメント 個人的には、会津観光私学という新語が広汎に使用されているかどうかを争点にするべきだと思います。私は、現時点でそこの証明が不十分であると思いますし、自主出版かどうかはその判断を下す一指標です(全部ではありません)。--明銘会話2013年3月9日 (土) 08:33 (UTC)[返信]
  • コメント 秋田城之介殿より意見開陳をとの意見がありましたが、秋田城之介殿が「最初に削除ありき」の意見をおっしゃっている以上、私が開陳してもこのまま平行線のままで終始する事となり、これでは建設的な意見を述べても無理と思います。故に、秋田殿や私以外にも広く件を求めるのが良いかもしれません。なお、私は先の削除議論に於いての意見より見識は変わってはおりません。--珍巣項会話2013年4月6日 (土) 15:47 (UTC)[返信]
    • いいかげんにしてほしいのですが、私のスタンスは削除ありきではないですし、私の意見云々によってあなたが説明責任を負わなくなるわけでもありません。あなたは、「この用語が歴史学の中で定着しているかどうか」を全く立証していません。新語としてある一部の学者に使用されているだけ(宮崎十三八、畑敬之助、牧野登ら会津史談会メンバーと田中悟だけ)では、特筆性を満たさないのです。--秋田城之介会話2013年5月9日 (木) 16:24 (UTC)[返信]
  • コメント:情報提供として、先月、国会図書館東京本館にて冒頭の編集のために、出典の確認をして参りましたが、その際に、田中 悟氏の論文『会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉』について、以下の書評が既に出ておりました。田中論文も既に第三者言及がなされているということになります。
  1. 白川哲夫 書評:「会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉」『史林』、史学研究会、2011年7月、請求番号Z8-342。
  2. 須賀忠芳 書評:「会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉」『史境』、つくば歴史人類学会編・東京図書センター(発売)、2011年3月、国会図書館・請求番号Z8-1844。……--故城一片之月会話2013年5月12日 (日) 05:41 (UTC) [返信]

改名提案

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  • 現状の「会津観光史学」を「観光史学」と改名する件。

原提案者は穀潰しさんですが(「問題なのは"会津観光史学"の"会津"」) 、これまでのところ秋田城之介さん・珍巣項さん・大和屋敷さんほか議論参加各位(私・故城一片之月を含む)には特に強い異論はないものと思われますので、この改名提案を提出致し正式合意を本節においてあらためて確認いたしますので宜しくお願い致します。異論無い場合は所定7日間経過を目途に改名作業に移行いたします。--故城一片之月会話2013年5月13日 (月) 13:16 (UTC)[返信]

  • (条件付き賛成) 各地方における「観光史学またはそれに類するもの」を並列で記述することを目的の一つにするのであれば改名に賛成します。改名作業への移行はその点について確認して一週間後移行にお願いします(他の方の認識も確認する必要があるため)。--明銘会話2013年5月18日 (土) 08:42 (UTC)[返信]
    • コメントむろん、私の認識では、「会津」を取った「観光史学」への改名は、包括的記事名としての提案であり、現状は会津のものとしての内容しか出ていないのでこの様になっているのです。今後に「〜の観光史学」的内容が出現した場合の併記は拒まれないものと認識いたします。そうでなければ改名の意味がありません。--故城一片之月会話2013年5月19日 (日) 16:33 (UTC)[返信]
  • コメント もし故城氏の「包括的記事名としての提案」が文字通りであるとすると、改名後に会津の部分が独自研究であると認められた場合には、本記事の現在の文章がなくなることも考えられるがそれでもよろしいですか?まあ、それは最も極端な例ですが。--秋田城之介会話2013年5月26日 (日) 11:26 (UTC)[返信]
    • コメントまあ、あくまでも仮定の話として言えば、独自研究で削除になり内容のない項目になれば消滅が至当となるのはどの様なジャンルでも当然でしょうね。しかし、節項目名は「戦後会津の観光史学」あるいは「観光史学(会津地方)」とかにするかもしれませんね。それと一昨日わたしは、国会図書館新館に参り、先述の田中 悟氏の論文『会津という神話-二つの戦後をめぐる〈死者の政治学〉-』に対する書評2件を確認し写しも取って来ました。これらは公刊された雑誌(研究誌)に掲載され国会図書館で査読可能なものですから既に第三者言及になっていることは確実なのです。私は宮崎十三八氏の文献も高山宗東氏の文献も確認しました。改稿に向けての鋭意準備を進めております。それでもあなたはどうにでも、独自研究としてこの項目を葬り去るおつもりでしょうか?
私は改稿に当たっては、現在のものをそのままの内容にはしないかもしれません。なぜなら、田中 悟氏の論文の意図と整合性がとれていない可能性もあるからです。また、田中 悟氏の所論が全て絶対と言うわけでもない、くだんの書評は田中悟氏のこの論考への再批判も含んでいるからです。これから慎重に精査して決めます。むろん都度、皆様に相談することもあるでしょう。--故城一片之月会話2013年5月26日 (日) 13:51 (UTC)[返信]
コメント 一点指摘させていただきたいのですが、国会図書館で読めるかどうかはWikipediaの出典としてアドバンテージになる部分はないと思いますよ。国会図書館は自費出版も扱っているようですので。--明銘会話2013年6月1日 (土) 09:30 (UTC)[返信]
コメント 明銘さんの御指摘ですが、田中論文に対する書評が掲載されている2種類の研究誌ですが、上で既に書きましたが、あるいは意図が伝わらなかったようなので念のため繰り返しますと「公刊された雑誌(研究誌)に掲載され」(ここに力点があります)、しかも「国会図書館で査読可能」なのです。以下再掲…
  1. 白川哲夫 書評:「会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉」『史林』、史学研究会、2011年7月、請求番号Z8-342。
  2. 須賀忠芳 書評:「会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉」『史境』、つくば歴史人類学会編・東京図書センター(発売)、2011年3月、国会図書館・請求番号Z8-1844
なお、『史林』は京都大学の学術誌、『史境』は筑波大学の学術誌です--故城一片之月会話2013年6月2日 (日) 01:23 (UTC)[返信]


改名に関係するこれまでのコメントの再確認

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ここで、念のため「会津観光史学」を「観光史学」と改名し、節項目として「会津観光史学」を他の「観光史学」の記述に並列する形とすることについて、これまでに出された同趣旨の発言・否定的発言を集約してみました(あくまで、記事名としての発言)。

a.同趣旨のもの……7人。

  1. 穀潰しさん、 2011年1月17日 (月) 23:38 (UTC)
  2. 彩華1226さん、 2011年1月22日 (土) 07:50 (UTC)
  3. 大和屋敷さん、 2012年12月19日 (水) 17:23 (UTC)
  4. 故城一片之月、 2012年12月19日 (水) 18:11 (UTC)
  5. 秋田城之介さん、 2013年2月2日 (土) 04:20 (UTC)
  6. 珍巣項さん、 2013年5月13日 (月) 04:00 (UTC)
  7. 明銘さん、 2013年5月18日 (土) 08:42 (UTC)

b.「会津観光史学は、史学とかと比較すると中間地点に位置しますから中立性ももっている」……1人。

  1. 富岡志郎さん、 2010年12月3日 (金) 18:39 (UTC)

報告:「観光史学」への改名移動は作業終了しました。以後はこれに伴う内容の整備に移行します。--故城一片之月会話2013年6月4日 (火) 17:11 (UTC)[返信]

まずはお疲れ様です。さしあたって、関連項目を整理させていただきました。いずれも会津関連のもので、何を基準に関連項目としているか不明で、雑多であると判断したためです。--明銘会話2013年6月15日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
いえ、どうも。明銘さんの関連項目の編集に同意です。必要なものを精選すべきです。--故城一片之月会話2013年6月17日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
もう記事が改名されたようですね。あやしい文に関しては、当然移動もしくは削除をすべきでしょうね。--秋田城之介会話2013年7月7日 (日) 14:19 (UTC)[返信]