ノート:舜天王統
舜天王統について
[編集]喜舎場一隆琉球大学教授は、舜天王統は実在したと言っている。
- 編集森克己・田中健夫『海外交渉史の視点1』日本書籍、1975年、293頁。--133.137.212.51 2017年11月29日 (水) 17:18 (UTC)
- 上記コメントから書籍からの転載を削除しました。--はいかぐら(会話) 2025年1月27日 (月) 11:48 (UTC)
与並岳生『新 琉球王統史』のシリーズ
[編集]与並岳生『新 琉球王統史』のシリーズは小説です。出典・参考文献に用いないで下さい。--Krkrkrme(会話) 2018年6月27日 (水) 13:30 (UTC)
- 「小説」という根拠は何ですか?そういった書評があるのですか?--Caeshi209(会話) 2018年6月29日 (金) 05:57 (UTC)
- 「あたかも歴史研究上確定した評価とその出典であるかのように記載」とのこと、それは記載の末尾などに推測的な語尾を久留米氏自身が追加すればよい。全文削除は誤り。新琉球王統史を一概に否定するのでなく、内容を以て是非を決すべし。兩論各論併記がwikipediaの作法でせう。なほ私個人は新琉球王統史の内容の九割五分は根據無き臆説と考へる。殘る五部がどこにあるのか、内容を吟味せずしてwikipediaは成立しない。琉球史學の大家とされる研究者の言説も、六割七割は臆説に過ぎない。逐一檢證乃至併記すべきである。--218.216.2.153 2025年1月30日 (木) 08:18 (UTC)
(長文のためインデント戻します)
分かりやすく『・・・は小説』と言う表現を使ったのですが、貴氏には適当ではなかったようですので、それでは以下のように逆に申しましょう。
- 2018年6月30日 (土) 02:51 UTCの版において参考文献に列挙されている文献の執筆者は、安里進、井上秀雄、森克己、田中健夫、岩生成一の各氏(敬称略)や各方面団体で、いずれも南島歴史分野で一定の評価を受けている人々、団体だと推定されます。
- いっぽう与並岳生 氏と言う方はどのようなお方ですか?多少調べると、南島歴史に関して様々な歴史小説を執筆されたり、また、琉球新報でもコラム的小説を連載なされていますが、推測するに著述業のかたではありませんか?
- 正当な(Wikipedia的に言えば「信頼の置ける《情報源として》)」)歴史研究文献等であれば、当然の如く、当該研究文献等にとっての参考文献としての一次資料が当該文献等に列挙されているはずです。2018年6月30日 (土) 02:51 UTCの版に挙げられた与並氏の文献はそのようになっているでしょうか?
これらの点に関し、いささかでも不利となる疑問符が付くようであれば、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史に基づいて判断すると、いささか疑問符が付く情報源であると言わざるを得ません(そのように判断する論拠は、Wikipedia:検証可能性の『とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です』と言う記述にも求める事ができます)。
いっぽう翻って考えるに、琉球の王統でも特に舜天とそれ以前はほぼ伝説時代とすら言えるので(大和で言えば継体皇よりも前)、与並氏の解釈が例え独自の解釈と評価されるものであったとしても、Wikipedia:検証可能性を持ち出して一方的に排除するものではありません。しかし、2018年6月30日 (土) 02:51 UTCの記載のように、あたかも歴史研究上確定した評価とその出典であるかのように記載されてしまうようでは、「{{精度]}}」のテンプレートを貼らざるを得ません。
-Krkrkrme(会話) 2018年7月1日 (日) 15:13 (UTC)
- なるほどわかりました。どういう意図で「小説」と断言したのか、お伺いしたまでです。文献について、今後は気をつけたいと思います。ご指摘ありがとうございました。--Caeshi209(会話) 2018年7月3日 (火) 04:40 (UTC)
新王統史も一概に排除すべきではない。半小説半歴史として受容すべきだ。琉球史學は臆説が學界の主流であり、新王統史と大差ない。いしゐのぞむより。 --以上の署名のないコメントは、202.228.246.219(会話)さんが 2025年1月27日 (月) 06:43 (UTC) に投稿したものです(はいかぐら(会話)による付記)。