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ノート:育児

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育児についてのかなり個人的な所感が語られていて、育児についての基本的なタームを網羅する方向にあるとはいえないようです。Mishika 2006年7月22日 (土) 07:32 (UTC)[返信]

>小中学生以上になると、もはや育児とはいわず、むしろ子育てという言い方をする。
これ以降の文章は子育てで記述することにして、育児では削除したほうがいいと思います。--経済準学士 2006年7月22日 (土) 07:35 (UTC)[返信]

まったく皆さんの言われるとおりです。 タームの定義の流れに、どなたかの個人所感がそのまま続いていましたので「議論」としてレイアウト上、私が切り離しました。けしてベストの形だとは思いません。育児には「トイレトレーニング」や「断乳」など、具体的なトピックスがあるはずですので、より細目化されるべきだと思います。 また、見解の相違がある場合は、一緒くたにせず、併記すべきだと考えます。そこが一般の百科事典と違う良いところではないでしょうか?以上の署名の無いコメントは、125.14.197.92(会話履歴)氏が[2006-07-22 11:37:46]に投稿したものです

英語版にスタブで、en:Parentingというのがあるが、せめてこれくらい列挙してから始めて欲しい。思いつきのエッセイは良くないし、役に立たない。Mishika 2006年7月23日 (日) 00:04 (UTC)[返信]

英語版、素晴らしいですね。日本語版でも、項目の立て方を参考に出来ると良いですね。英語版へのリンクがあっても良いかもしれません。以上の署名の無いコメントは、125.14.197.92(会話履歴)氏が[2006-07-23 00:57:23]に投稿したものです

何度読んでも、この記載は非道い。『電波のような求める信号を脳から送っているともいえる。早期教育をビデオやテレビで行いすぎるとそういった 電波を発するのではないか。』まったく、百科事典にはふさわしくない表現と言える。 ただし、削除する前に、定義や解説の充実を考えるべき。以上の署名の無いコメントは、61.23.234.18(会話履歴)氏が[2006-07-24 18:05:17]に投稿したものです

以下の記述を削除させていただきました。理由は特に必要ないと思いますが・・・。 ⇒ 『電波のような求める信号を脳から送っているともいえる。早期教育をビデオやテレビで行いすぎるとそういった 電波を発するのではないか。親とのコミュニケーションよりも習い事の先生と一対多のコミュニケーションをしすぎてそれを親がほめるととんでもない価値観が生まれるのではないか。広いところでいるとのびのびと走り回ることはいいのであるが、雑踏にはやくからつれていくとざわざわしているほうが落ち着くということも学校現場で発見できる。これは 刻印付けではないかといえる。』--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 13:28 (UTC)[返信]

エッセイを削除。--Album 2006年8月22日 (火) 22:15 (UTC)[返信]

医学的見地とフェミニズム的見地の峻別を

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予想されたことではあるが、出典を示して、医学的な育児の記述なのか、フェミニズムという思想の話なのかは、出典によって明確になるので、明記されたい。当方、準備あり。Album 2007年1月29日 (月) 16:12 (UTC)[返信]

該当部分記述者です。何でそこでフェミニズム論が飛び出すんだか悩みどころ。どちらかというと、児童虐待や教育の範疇なんですが。出典は…ちと示しにくい。というのも、児童虐待問題に絡んで来て、ネグレクトの関係では結構彼方此方に出る言説なんで、常識の範疇から推し量れるだろうと思って書いたのですが、小生手持ちの資料で、それに言及していた資料がどれだったか今すぐは思い出せないので、即答致しかねます。ぼちぼち探しますが、明確にお答えできるのは暫く先になりそうです。--夜飛 2007年1月29日 (月) 16:23 (UTC)[返信]
医学的にも責任あるテーマなので、お互いに出典なき作文はやめましょう。Wikipedia:検証可能性によれば、出典があることが記述のスタートです。書いておいて出典を探そう、では順序が逆です。悪いけれど、出典が出るまで該当部をコメントアウトします。私の出典は私が関連リンクにすでに置いてあります。Album 2007年1月29日 (月) 16:36 (UTC)[返信]
え、概要部分丸ごと???すみませんが、要出典はそういう意味だったんですか?小生はてっきり「古くは、育児は母性が持つ本能的~(中略)~叱責されるケースも見られた」の一節のことだと思いましたが。全体となると複数の資料を当たらねばならず、中には手元には既に無い資料にも言及しなければならないし…「スポック博士の育児書」辺りがその「手元に既に無い資料」の筆頭なんですが、どうしたもんかな。常識でも十分に計れる範疇も多分に含んでいるだが、それらにまで要出典されては「資料当たるのも面倒くさくなって」きてしまいました。当面はあのままですね…--夜飛 2007年1月29日 (月) 16:50 (UTC)[返信]
追伸:今日はもう寝ます。続きはまたいずれ。--夜飛 2007年1月29日 (月) 16:53 (UTC)[返信]

なにやらノートではなくコメントアウト部にAlbumさんからご意見を頂いていたようなので、こちらに抜粋・返信します。

  • ここの定義は、広辞苑などで確認して下さい。「育児」は乳幼児の世話・養育です

小生も手元で確認しましたが、「育児」と「乳幼児」の関係自体が非常にアバウトです。社会で認識される乳幼児は新生児から就学前となっていますが、同時に法の上からは育児休業が生後一年程度と乳児に対してしか適用されていない(→広辞苑「育児」の項より)所を見ると、余り厳密な定義や区分ではないのでしょう。

丁寧なご回答ありがとうございます。児童福祉法第4条には明確に定義があります。かならずしも児童福祉法を適用する必要も感じませんが、他に明確な基準が無いならば準用した方が良いと考えます。他に出典ある対論があればご教示下さい。--Album 2007年1月31日 (水) 08:05 (UTC)[返信]
以前の記述に於ける乳児期云々は小生の編集前から存在していたもので、子育ての項と内容的にダブらないないようにするためのもののようです。その点は以前の編集者さんの意図を優先させました。育児-子育ては人間であれば16年や18~22年(日本の場合)以上にわたる長期間の活動であるため、情報も多岐にわたり家庭教育といった教育論も含めると膨大な量になるため、乳児幼児児童青少年で段階を別けて記述したほうがいいかもしれません。--夜飛 2007年1月31日 (水) 09:09 (UTC)[返信]
  • 今でも本能です。母親は自分の母乳の噴出を意志では止められません

おや…育児は授乳のみを指す言葉でしたっけ?また、乳が出ることとそれを与えることはイコールではありません。授乳は勿論、下の世話やら着替え・入浴などで清潔に保つこと、或いはあやしたり甘えさせたりといったスキンシップも育児の範疇であると小生は認識しております。中公新書(だったか)の『児童虐待』や過去の児童虐待事例には、そういった乳児の世話やスキンシップが上手に出来ないことからストレスを溜めてしまうケースも示されております。この部分が児童虐待に対する非難に絡んで「古くは、育児は母性が持つ本能的~(中略)~叱責されるケースも見られた」という結びの文に掛かる次第です。またそれら育児手法の多くは学習によって出来るようになる・手際がよくなるため、育児と言う行為は本能の発露ではないといえましょう。でなければ父親や叔父がおしめを替えることなんて出来ないと思います。

将来的には機械でもオムツ替えが出来るようになるかもしれません。男の私にも出来たのですから(笑)。単にやれば出来る、ということと、ホルモン等に基づく本能行動は違うと思います。(寝るのは本能ですが、徹夜は可能ですよね?徹夜が可能だからといって本能は否定出来ない。)私はあくまでも育児を母性行動として説明する、出典リンクのサイトに基づいて記述したいと考えます。もちろん「女がやって当然」という押し付けには気をつけたいと思います。--Album 2007年1月31日 (水) 08:05 (UTC)[返信]
「育児」は、本能にのみ基づくだけではない行動様式(その行動を起こそうという欲求は本能かもしれないが)とその概念の集大成に付けられた名称であると思います。本能の定義をご確認ください。またその点で睡眠の例は後天的な訓練ないし理由付けによる欲求の抑制であり、育児が本能であるとする説明にはならないかと。学習によって各々の行動様式が成されているのであれば、それは本能ではありません。なお誤解があるようですが、小生はフェニズム論や性差による役割分担に関する議論を論じたいのではなく、ネグレクトなどの問題に絡んで、育児と言う行為全般が先天的に決定された行動ではない・文化や教育によって受け継がれ行われている行動だということを定義として示したいだけです。--夜飛 2007年1月31日 (水) 09:09 (UTC)[返信]
  • 現在でも、「うつぶせ寝」は欧米では普通です

「生後6ヶ月以上の首の座った乳児であれば」という注釈が必要ですが(→読売新聞の記事)。乳幼児突然死症候群の関係で、欧米でも生後間もない乳児のうつ伏せ寝が危険であるという情報が示されているとの報道を、2000年頃に見た覚えがあります(いつだったかはスクラップしていた訳ではないので示せませんが)。なお余禄ではありますが、トイレットトレーニングという既存記事があります。ご参考までに。--夜飛 2007年1月31日 (水) 03:37 (UTC)[返信]

トイレットトレーニングの件、誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。私の不躾な編集にも丁寧にご対応いただき、ありがとうございました。--Album 2007年1月31日 (水) 08:05 (UTC)[返信]
どういたしまして、記事が百科事典として成長することは、小生としても大変喜ばしいことと存じます。--夜飛 2007年1月31日 (水) 09:09 (UTC)[返信]

記事分割に際して

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2007年2月1日 (木) 00:30の版にて利用者:Album会話 / 投稿記録さんが育児(ヒト以外)へと動物関連の記述を移動されました…が、Wikipedia:履歴Wikipedia:記事名の付け方の観点から、問題が見られます。記事名は育児 (ヒト以外)(全角・半角およびカッコの前の半角空白に注意)などとなっていないことが問題ですし、分割するにしても履歴の継承が著作権の観点から重要視され、特に他人の記述を移す場合は、どの記事のどの版からの分割かを要約欄などに明記する必要があります。今回の編集は履歴不継承ということでAlbumさんのフライングミスということで、削除依頼に出した上で、改めてWikipedia:記事の分割と統合と記事の名前の付け方に則った作業を行われることをお勧めします。--夜飛 2007年1月31日 (水) 15:56 (UTC)[返信]

いつも丁寧にご教示いただきありがとうございます。真面目に検討します。ただし、Wikipedia:履歴は草案であり、Wikipedia:記事名の付け方は考慮すべきガイドラインです。「これらはあくまで指針であり、絶対守らなければならないルールではありません」と記載してあるとおりです。ただし、検討はいたします。それにしても、管理者miyaさんはソックパペットを使ってまで、またノート上の議論を無視してまで、どうしてカテゴリー外の生物学マターである爬虫類等の記述を投げ込んできたのか、動機が分かりません。投稿履歴を見ながら、私は対応を悩んでいます。Album 2007年1月31日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
こんにちは。妊娠・出産・子育てというこちらの分野を別アカウントで書き分けているだけで、他意はありません。このアカウントでは議論もしづらいのですが少しだけ。ヒト以外の生物についての記述を分割することについては異論はありませんし、大胆な分割も結構ですが、それだけに履歴は継承していただきたかったですね。
さて、ヒト以外の育児について「ノート上の議論」であったとは気づきませず失礼しました。ただ、育児とは、生き物がとる繁殖戦略の一つで、子の保護と世話をして繁殖の成功率を高めるための行動です。そうしてこれはヒトも例外ではありません。ですから、育児の持つ動物行動学的な意味までを「ヒト以外」にくくりだすのは百科事典的とは言えないのではないでしょうか。お疑いでしたら、平凡社の世界大百科事典などご覧になってみてください。
それでもここに書きたくないということでしたら、「育児 (ヒト以外)」を{{db|履歴不継承}}で即時削除してもらい、あらためて「育児 (生物)」として分割して「生物全般の育児は育児(生物)を参照のこと。」と書いていただくのが良いのではないかと思います。Albumさまがどうしてもイヤだとおっしゃるなら固執はしませんが。--Lapislazuli 2007年1月31日 (水) 23:24 (UTC)[返信]
「人間以外」というよりか、動物の子育て、育児に関する記事を作成してみてはいかが。Mishika 2007年2月1日 (木) 02:05 (UTC)[返信]
お世話になっております。編集競合になりまして(笑)、ここに貼ります。
①まずLapislazuliさんには、「育児のカテゴリー[1]」をご高覧いただいて、ここに「爬虫類を含めた動物の育児」の記事が適当かどうか、ということをお考えいただきたいです。
Lapislazuliさんが記載した記事は『育児の目的は、繁殖である。卵を産みっぱなしにするよりは、幼い子を保護し養い育てるほうが子孫を確実に残すことが期待できる。どの段階まで養育するかは、それぞれの種により異なる。一般に、鳥類や哺乳類は比較的長期間の育児を行う。昆虫、魚類、両生類、爬虫類の中にも、ミツバチ、テラピア、タツノオトシゴ、ワニ、コモリガエルなど、育児を行う種は存在する。』というものでしたが、例えば、爬虫類がその幼生を育てることを「育」「児」と呼ぶことは生物学の観点から正確でしょうか?Wikipedia:検証可能性により出典を求めます。個人ブログには散見される文学的表現ですが、生物学としていかがなものでしょうか?
③「育児(生物)」と分割しても良いかもしれませんが、その場合、近い将来にまた、「統合だ」という果てしない議論が起きるのではないでしょうか。②とも関連しますが、意外に「育児(ヒト以外)」という項目名は良いかもしれません。>Lapislazuliさんが編集している強姦の項目も、その項目に人間以外の生物を含めるのか、あるいは強姦(生物)という項目を別に立ち上げるべきなのか、人間だけに絞るべきなのか、この点はまだ考えがまとまりません。
【追記】Mishikaさんの意見に賛成します。 --Album 2007年2月1日 (木) 02:29 (UTC)[返信]
失礼、こちらで議論がされていたのですね。生物関連の育児を別立てにするのは良いと思うんですが、「育児」と「ヒト以外」はどちらも疑問です。「ヒト以外」については、生物学の立場から記述する際に、その例としてヒトを、その面からだけ記述するのは大事なことだと思います。それに、育児もどうかと思うんですよ。「育児」は、親による子の保護の一つですから、生物学の用語としてはどうでしょう?先に挙げてあった例でも、コモリガエルやタツノオトシゴは保育しません。卵を孵化させるだけで、子供になったら放り出します。そういうものを含めるなら、育児は無理です。もっとも、ではどんな名が良いかは判断しかねるのですが。--Ks 2007年2月1日 (木) 05:15 (UTC)[返信]
ですから(笑)。ここは生物学カテゴリーではなく、育児家事カテゴリーです。上の①をご覧下さい。ところで、コモリガエルやタツノオトシゴは保育しないのですね?ではどうして「育児」の項目に「気味悪い系」が投入されたのでしょうね・・・。・・・よくあるんですよ、投稿履歴を見ると独身者だと判断できるIDが、ファミリー関連項目に、ゴキブリだのヘビだの、昆虫や爬虫類と人間のファミリーを同列で書きたがる例が。以前、授乳の項目のトップには、自称負け犬さんによって、猫の拡大写真が来ていましたしね。今回の例がそうだとは断言しませんが・・・。こんなのは語るだけ寂しくなります。ウィキブレイクを取るべき時期かもしれません。私が。ここまでつっぱしってきて、疲れました。--Album 2007年2月1日 (木) 05:41 (UTC)[返信]
項目には、カテゴリーの範囲など存在しません。動物だって育児はしますもの。私は育児(ヒト以外)のノートから、こちらの議論に参加したのですから、別に見当違いではないと思います。もちろん、ここを荒らす気はありませんので、それでしたら向こうのノートでその議論を続けます。
しかし、そのように動物を気味悪いでくくる表現は心外ですね。あれだってそれなりに一生懸命子守してるのに…。子守しないのが書き込まれたのは、そういう印象があったからでしょう。私のせいでもないですし。それでは。--Ks 2007年2月1日 (木) 06:03 (UTC)[返信]
まったく貴方のことを指していません。お詫びします。--Album 2007年2月1日 (木) 06:22 (UTC)[返信]

(インデント、いったん戻し)カテゴライズと内容に関してなんですが、記事のカテゴリ付けは記事の内容に対して付けられる性質のものであり、記事の内容を制限する性質のものではないと思います。例えば停電の項には、片方であればもう片方ではなくなると言う相反する性質の「人為災害」と「自然災害」の両方のカテゴリーが付与されています。ゆえにカテゴリーを盾に追加する文章を否定するのではなく、追加する文章に相応しいカテゴリーを付与すべきかと(→Wikipedia:カテゴリの方針)。もっとも、如何様に言っても人間主観で記述されるWikipediaにあっては、人間に関する記述だけでも相当量に達することが予測され、本項に関してのみ言えば、概要部分から分岐させて予め細部となる野生動物における育児に関する記述は子記事に振り分けるのも妥当ではありますが…ただ、そのためにも記事の導入部となり総論を簡潔に述べる概要は必要になりますが。その点で育児を行う生物は、その性質が種族の繁栄に有利に働くモノだと言う記述はこちらに残したほうが良いかもしれません。--夜飛 2007年2月1日 (木) 11:55 (UTC)[返信]

であれば、例えば「育児(生物)」で総論をやり、「育児(人間)」「育児(動物)」・・・と続けますか?いずれにせよ、広辞苑によれば「育児」は「乳幼児を育てること」であり、爬虫類も含めた生物に関して「育児」にしたいならば、生物学的に爬虫類の子育てを「育」「児」とする強固な出典を示してください。もう意見は結構です。出典を。--Album 2007年2月1日 (木) 12:02 (UTC)[返信]
たとえばですね、カンガルーなど有袋類の袋のことを育児嚢というんです。これは育児という語が生物学の分野で使われてる証拠ですね。私としては育児には主として人間関連をおくことにして、ただどこかに動物との関連を記述して、そこから生物学分野の項目へジャンプさせるのが良いと思いますよ。とにかく、人間だけを別扱いする根拠はあまりないんじゃないですか?--Ks 2007年2月1日 (木) 12:15 (UTC)[返信]
うん、それは広辞苑にも出ていますから、カンガルーはOKですね。「育児(ヒト以外)」に育児として書けます。カンガルーは。--Album 2007年2月1日 (木) 12:17 (UTC)[返信]
Wikioediaは百科事典なので、語義にのみ忠実でそれ以外を認めない国語辞典ではなかったはずですが?いわんや「児」を漢字辞典からの原義(漢字辞典で漢字の成り立ちの辺りを参照してください)に照らして人の子のみを指すとして、子を育てはぐくむ性質を持つ生物が、その性質を持って繁栄の面で優位性を獲得していると言うことを否定する材料にはなりえないかと。それはヒトを含む哺乳類や哺乳類以外でも一部の動物(魚類や昆虫においても)見られる性質であり、逆に人間の育児を語る上でそれら動物の本能的で機械的な行動(特に昆虫など)とを比較することは百科事典の性質から言えば意義深いことと考えられます。百科事典の定義や性質の再確認を願います。--夜飛 2007年2月1日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

インデント戻します。出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側です。(言葉が強くてすみません)--Album 2007年2月1日 (木) 12:29 (UTC) Wikipedia:検証可能性(公式な方針)[返信]

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
育児嚢はOKですね?では、生物学分野で育児という用語が存在することも認めていただけたと考えて良いですね?実際のところ、この項目はまだまだ書き足りないことが多いと思うんですよ。たとえば人間は育児の際必ずだっこかおんぶをしますし、そのための補助具も様々に発達してます。それは書くべきでしょうし、そしたら、サルではそれが必要ないこと、人間の乳幼児はサルとしては握力が例外的に弱いことなども解説としては面白いと思うんですが。--Ks 2007年2月1日 (木) 12:25 (UTC)[返信]
カンガルーにつきましては、「育児(ヒト以外)」に私が追記しました。サルについても、その項目にお願いします。--Album 2007年2月1日 (木) 12:29 (UTC)[返信]

この問題は、検証可能性とかいう問題以前でしょう。Wikipediaは百科事典なのかそうじゃないのか。残念ながらAlbumさんは、自分好みではない記述を排除したいがためだけに、記述の存在を論っているに過ぎません。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説」(→Wikipedia:独自の調査より:翻訳作業中に付き非公式版だが、英語版では主要ガイドラインの一つ)を記述することに関して、その出典が無くても示せるとしてあり、「子を育てはぐくむ性質を持つ動物が存在すること」はまさにこれに合致します。また件の記述は「そのような性質を持つ動物がいるが、特に人間の場合は」といった具合で話の枕に持ってきているに過ぎない。これを不当だと言うのであれば、それは百科事典というものの性質を否定することでもあると考えます。--夜飛 2007年2月1日 (木) 12:45 (UTC)[返信]

夜飛さんがどう考えるかは、まったく自由です。ただし行動は、公式な方針であるWikipedia:検証可能性にのっとって、出典を傍らに置きつつ記述する、ということです。出典があれば書く、無ければ書かない。出典無しで書いて取り除かれても文句は言えない。非常にシンプルです。--Album 2007年2月1日 (木) 13:26 (UTC)[返信]
ただね、余りに自明な事象はいちいち参考文献をあげるのも難しいこともあるんですよ。書いてある事象全てに参考文献をつけるわけにも行きません。私としては、たとえばタツノオトシゴがお腹の袋で卵をかえすとか、子供を育てる動物が居るとかはそう言うレベルの問題だと思います。それをどう解釈するかとか、進化論的な意味付けとかになると、参考文献やっぱりあったほうが良いと思いますけど。--Ks 2007年2月1日 (木) 14:25 (UTC)[返信]
しかし同時に、出展があれば何書いても良いのか(ある特定方向でのみ記述するなど)もという問題も在ります(Wikipedia:中立的な観点)。例えばAlbumさんの記述された母乳による授乳関連ですが、それは育児そのものという部分では細部であり、またむしろ授乳のほうが相応しい記述ともなっていますが、Albumさんは要約欄で「出典ある追記」と度々書いて、出典があるから許される的に母乳に関して集中的に記述されましたが、それが育児のどれほどを占める情報かという事にはひどく無関心であると言うべきか母乳教信者的(非中立的)だというべきかという状況にまでなってしまう有様。母乳は乳児にとって優れた食品であることは小生にしても否定する所ではありませんが「生後の育児」という項目内で母乳のことしか記述しないのは、同時に母乳以外による育児を否定することにすらなりかねず…ああ、いや脱線。
ともあれ、偏った記述でも出典さえあればいいのかと言う問題に関しては、Albumさんはひどく無頓着なのか或いはそういう考えを拒絶でもしているのか、自身の関心事や方向性ばかりを優先させ、記事全体の質を損なう性質のものであると思います。ルールを踏まえた上で、その範疇で記事を発展させるのか、ルールを盾に他の記述を否定して記事の発展を損なうのか、その点は注意をすべき点であると考えます。実際問題として、Albumさんは自身の出展に関しては広辞苑を示されておりますが、これは「分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる」という程度のものであり、また小生の記述した内容(うつ伏せ寝問題など)においては「新聞をちゃんと読んでいれば常識の範疇」であると言う視点に基づいています。流石に新聞も読まない人だと判断付かない恐れはありますが。--夜飛 2007年2月1日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
(補足)出典が示されていないからといって、サーターアンダーギーが油で揚げられたお菓子であることを記述してある記事を否定したり削ったりすることはできんとです。--夜飛 2007年2月1日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
その新聞記事が、どの新聞であって、いつのものかが示せると良いのですが・・。せっかくですから、私が本を取り寄せて調べてみましょう。生物学上「育児」と呼べる種は明確だと思います。って、九州の方ですか(笑)。--Album 2007年2月1日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
図書館に行って調べまして、ひととおりコピーも取りまして、育児 (ヒト以外)の方を修正しました。ご興味のあるかたは、そちらを(ノートも)ご覧下さい。--Album 2007年2月5日 (月) 03:29 (UTC)[返信]

広辞苑の著作権侵害に抵触する可能性

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概要にある[幼児とは広辞苑によれば「学齢前の子供の総称」である]の一文は広辞苑の著作権侵害の恐れがあります。 こちらで一度削除した後、Albumさんによって戻されましたが著作権をクリアしているという根拠をお示しください。法的にクリアしているという根拠がない場合は残念ながら削除させていただきます、Wikipedia著作権の方針--マナー向上委員会 2006年2月6日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

ウィキペディア内の「引用」の項目に従って書いたのですが、必ずしも必要不可欠な記述方法ではありませんでしたので、記載を変更しました。乳幼児が「学齢前の子供を指す」ことは「児童福祉法第4条」「広辞苑」「大辞林」などで明確ですので、出典の明記すら必要ないかもしれませんけれども、一応、「出典を明記する」方針に従って記載しました。--Album 2007年2月7日 (水) 00:32 (UTC)[返信]

ご協力に感謝します--マナー向上委員会 2007年2月7日 (水) 01:13 (UTC)[返信]

全面書き換えに関して

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Wikipediaには、それ以前の記述を尊重する、という方針があるはず。よほど特殊な分野でなければ、勝手な判断での全面書き換えは勘弁。ここでの議論の上、また書き足しの形でお願いします。また、私自身としては育児にはヒト以外があり得ると思う。そういった観点も忘れないで欲しい。--Ks 2011年5月20日 (金) 00:02 (UTC)[返信]

ウィキペディアのルールを守りなさい

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ルール通りに進めるべき。出典がある記述を優先し、出典が無い記述は非表示にしたり、やがて消去する。これがウィキペディアのルール。私はまっとうなことをしている。

それと、私は全面書き換えなどしていない。以前の記述で出典が明示してあるものや、ちょっと調べてみると出典らしきものが存在していて、それと情報内容が一致していあるものは尊重して活かしてある。

それとも何か? 育児の記事の中の文章で、出典も無くて、通常の情報とは異質な、独特の語り口の文章が実はKsさんによる投稿で、それを言い出せないでいるが、だが自分の文章を残したい、というウィキペディアのルールに違反したKsさんの願望からそういう無茶な行為を繰り返しているのか? もし仮にそうならば、それは悪質なのでKsさんの行為についてコメント依頼に出すことになる。--220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 03:50 (UTC)[返信]

論点が違うかな、と言うところですね。多分、私もここに加筆したことがあると思いますが、私は「自分の加筆にはこだわらない」と再三表明しているものです。これだけ大規模な配置換えと加筆は、十分に全面書き換えと言っていいでしょう。それに、そちらの加筆をご覧ください。「…するとよい」や「…するのが大切である」が何と多いことか。これは、内容がすべてハウツーになっているからです。百科事典にハウツーを求めるのは間違いです。これもWikipediaの大方針だったですよね。大まかに言いますと、今回の加筆全体に、百科事典とは何かがあまりわかっていない、そういう感じが強いのですよ。もちろん、それは私の感じ方ですから、正しくないかもしれません。でも、だからこそ、多くの方の意見を聞きながら、調整しつつ加筆するのが大事ではないかと思います。たとえば定義は(出典に沿っているとはいえ)有無を言わさずの書き換えですね。私としては、定義に愛情などと言う曖昧な用語が入るのはまずいと思うんですよ。出典がそうなっているのは、辞書だからではないかとおもいます。そんなところも気になる。いずれにしても、他の方の意見を伺いたいですが。あと、コメント依頼はずっと前に出ています。--Ks 2011年5月20日 (金) 04:20 (UTC)[返信]
ちょっと訂正しました。--Ks 2011年5月20日 (金) 04:21 (UTC)[返信]
>「…するとよい」や「…するのが大切である」が多い
出典として用いている百科事典の記事でも、そういう言い回しをしばしば用いている。百科事典では「~はよい」とか「~は大切」といった、価値判断の記述は頻繁に用いられている。当たり前のことだ。記事の読み手は、しばしば母親やこれから母親になる人で、ただの統計的な情報や平板な記事を求めているのではなく、何かしら判断の方向性を与えてくれるような記述を求めているからだ。そういう記述があることは当たり前のこと。それに違和感を感じて(つまりKsさんのように、特定の領域のパラダイムに染まりきった視点ばかりで世界を見て、中立的な視点を欠いて、その視点ばかりをウィキペディアに書きこもうとし)、ウィキペディアのルールにないような主張をするようなことをしてはいけない。--220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 04:47 (UTC)[返信]

>私自身としては

厳として言っておくが、ウィキペディアは「私自身としては」とか言ってあなた自身の考え方を書く場ではない。それをやると禁止されている独自の研究に該当し、ルール違反だ。ウィキペディアは、他の執筆者や研究者がその主題に関して書いていることを、出典を明示しつつ紹介する場である。この記事では「育児」を主題に掲げた記事や書籍や論文を出典に用いるべき。

それと、Ks人間以外の動物の育児にこだわっているようだが(そういうように特定の視点ばかりでウィキペディアに関わること自体がすでに中立性を欠いておりかなり問題だが、とりあえずそれについては不問にしても)、人間以外の動物に関する情報は「動物の子育て」という記事を、出典を用いて立てれば良い。--220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 04:30 (UTC)[返信]

出来れば時系列に沿ってお書きくださいな。で、「記事の読み手は、しばしば母親やこれから母親になる人」というのは、完全に間違いでしょう。そういう人が求めるなら、まさにハウツー本です。百科事典として必要なのは、育児とは何か、その歴史、人間生活における意義、そういったものではないですか?私が動物にこだわるのは、人間がヒトという動物である以上、そういった観点から、他の動物と比較するのは十分に大事なものだと思うからです。育児という記事を読むのは、育児をする人だ、と言った理解で望むのであれば、それこそWikipediaにとって望ましくない、のですよ。
それから、私は特定の立場からしか書きません。当然のことで、誰であれ、独特の立場を持っているものですから。それはこの場にのぞまくないものではないのです。なぜなら、別の立場から、別の人が書けばいいから。それを邪魔しない限り、悪いものではないはずです。そういう点でも、対話しながら、少しずつ手を入れてほしいですね。--Ks 2011年5月20日 (金) 05:05 (UTC)[返信]

>愛情などと言う曖昧な用語が…
>私は特定の立場からしか書きません

いいかげんにしなさい。「愛情は曖昧だから(書きたくない)」となどと変な主張すること自体が、Ksさん独特のパラダイムを主張していて、中立性を欠いていて、かなり問題。(近代生物学には、それ独特の機械論というパラダイムや教義があるが)Ksさんはそれに染まりきっていて、そうした独特のパラダイムばかりを狂信して他の視点を忘れてしまい、そればかりをウィキペディアのあらゆる分野の記事に書きこんで汚染しようとしているが、そういう行為はウィキペディアではルール違反でやってはいけないことだ。領域ごとに適切な視点がある。他の学問領域には他の視点がある。Ksさんに忠告するが、もういい加減に生物学オタクのような投稿ばかりするのは止めて、テーマごとに視点やパラダイムを変えるようにしなさい。育児について書く時は、「育児」を主題とした書籍・論文・記事を出典に用いて書いたり考えたりするように自分自身の思考スタイルや執筆スタイルを変えなさい。育児には、育児の専門家や育児を扱う学問分野がある。

ちなみに、出典として提示されている百科事典に「愛情の交流が第一条件」としてはっきりと書かれているし、それもその執筆者の個人的な主張ではなくて、百年ほど前からの近年に至るまで数々の研究者の実地調査なども含んで指摘されるようになっていることなのである。refの中にもいくつか研究者の名前が挙げてある。--220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 05:13 (UTC) --220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 05:20 (UTC)[返信]

とりあえず、まず「いいかげんにしなさい」などと、他者を罵倒し、決めつけるのをやめてくださいな。少し頭を冷やしてください。しばらく待ってあげます。--Ks 2011年5月20日 (金) 05:47 (UTC)[返信]


やれやれ、「しばらく待ってあげます」じゃないだろう。ルールを守らないで悪質な加筆ばかりをしているのはKsさんなのだから。こちらがあなたの執筆方法や執筆姿勢を注意しているのです。

さて、そちらが出典も示した加筆もできず、モタモタモタモタしている間に、私のほうは「動物の子育て」という記事を立ち上げたぞ。Ksさんは、「動物の子育て」をよく読んで、自分でも情報を書き足したいことがあったら、必ず出典を明記して中立的に加筆してよい。もし出典を示さない加筆を行ったら、ルール通りに、すぐに非表示にしたり消去する措置をとるので注意してください。できるだけ主題を示すタイトルに「育児」や「子育て」というキーワードが含まれている書籍や論文や記事を出典に用いるように。そうでないと、投稿者による恣意的な情報の合成と見なされて、独自の研究と判断される可能性があります。--220.96.23.48 2011年5月20日 (金) 06:49 (UTC)[返信]

あーあ、ひどいの作ったなあ。直すの大変だわ、これ。内容が無茶苦茶。「育児」と「親による子の保護」の概念がまぜくちゃにしてある。こういうの、一応専門書に当たらなきゃ。しかも、百科事典を参考に百科事典書くなんて、何を考えているやら。やっぱり百科事典がわかっていない、というしかないな。これ以上無茶するなと言いたいけど、止まらないんだろうなあ。あとは、他の人に任せる。--Ks 2011年5月20日 (金) 07:17 (UTC)[返信]
だったら、言ってやってくださいな。私が言うと、無条件で叩いて良いと思い込んでる方みたいなんですよね。--Ks 2011年5月20日 (金) 11:38 (UTC)[返信]
うーん、小生もことによると「叩き屋」に見られがちなこともありますからねえ…ザックリ表現して無駄な反発を招いても責任取れませんが。
ともあれ動物の子育ての項に関しても、かなり百科事典の記事としては異質な感があります。まず百科事典の記事としては、総論から入って全般的な説明をしたうえで、各々の(種による違いによる)ケースを例示して説明するんだろうに、基本構造が各々の種のケースを並べ立てただけであるなど、どうにもやっつけ仕事で整理不十分な感があります。記事表題も思い付きを即興で付けちゃった感があり、そういう品質で一々反発的に記事を興されると、後始末が…コミュニティを混乱させたいなら兎も角、読者そっちのけの対抗意識や反発で雑な記事を興すのはWP:POL冒頭のウィキペディアの理念を無視した問題行動だと思います。
少なくとも「記事の読み手は、しばしば母親やこれから母親になる人で、ただの統計的な情報や平板な記事を求めているのではなく、何かしら判断の方向性を与えてくれるような記述を求めているからだ。」という想定は全くお門違いと考えざるを得ません。百科事典の読者は、百科事典の読者以上ではなく、育児書やハウツー本の読者とも違うのです。百科事典はその項の表題に示された事物の性質を説明することが重要なのであって、ある価値観に基づいた論説(これはコラムといっていいでしょう)は例示として持ち出すなら兎も角、記事としてその全体としてある一定方向の価値観を読者に求めるようなものではありません。ある価値観に立った論説は、いわんやそれ以外を否定することは中立的な視点とも相容れませんが故に、ウィキペディア外で追求されたほうがいいと考えます。--夜飛/ 2011年5月20日 (金) 12:43 (UTC)[返信]

2011年8月26日 (金) 01:54‎ のKsによる編集は荒らし

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過去の編集の履歴を精査してみたところ、 2011年8月26日 (金) 01:54‎ の利用者:Ks会話 / 投稿記録による編集[2]は、出典が提示されている記述をごっそり削除した、ルール違反の編集だと判明しました。 利用者:Ks会話 / 投稿記録は、出典がある記述をごっそりと削った上に、『新生児の育児の主なものは、「食物(乳)をあたえる」「排泄物の処理、衛生的な環境管理」「安全な環境を作る」である』と、出典の無い、独自の研究を書きくわえています。かなり悪質です。

2011年8月26日 (金) 01:29‎ 210.175.253.97 の版のほうが出典が豊富に緻密につけられており、より好ましい状態です。--124.85.122.181 2011年10月30日 (日) 10:31 (UTC)[返信]