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ノート:織田長次 (長兵衛尉)

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記述について

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難儀なことになりましたけど…

  • 長次に関する記述のある書籍には『武徳安民記』以外に『織田家雑録』があり、この書名は記入して問題ない。同書は討ち死にした事実を記している。
  • 『武徳安民記』においては、長次の討ち死にを『平塚隊が小早川隊に肉薄した際』と記しており、戦死した局面まである程度特定されている。『能兵百騎ハカリ』の語も同書に記述がある。以上二点は『歴史読本 特集 信長と26人の子供たち』にて確認することができる。
  • 凡例の主君の欄に豊臣秀次の名前、母親の欄に興雲院の名前を残している以上、その推測の根拠となる記述を残しておかないと凡例が意味をなさない。

まあ、このくらいは書いといてもらわんと。正直ばっさり削りすぎですわ。--氏名不詳者 2008年2月12日 (火) 15:18 (UTC)[返信]

こんにちは。投稿する際に、どの記述がどの情報源に書かれているか、というのを、できるだけ細かく対応させて書いていくことで、その記述がどれくらい信頼できるか(できないか)ということがわかります。もし、情報源の記述と、ウィキペディアでの記述が食い違っていたとしても、その情報源を参照することで、誰でも修正ができますし、意見や解釈の違いについての議論も容易になります。ウィキペディアの方針として、Wikipedia:検証可能性というのがありますので、ご一読ください。出典の書き方は、分野が違うので恐縮ですが、たとえばチンドン屋を見てみてください。では、他の筆者と対話の上、ウィキペディアの記事をよりよいものにしてください。--Ks aka 98 2008年2月12日 (火) 16:00 (UTC)[返信]