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ノート:獣拳戦隊ゲキレンジャー/過去ログ2

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最新のコメント:16 年前 | トピック:検証可能性が抜けていることについて | 投稿者:Giftlists

拳魔のネタバレについて

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臨獣殿の紹介で「拳魔が死んで事実上壊滅した」みたいな事がかかれてたり、ロンの紹介で「ラゲクを一撃で倒す実力を持つ(=ラゲクが死んだ)」と紹介されているのですから拳魔の死をテンプレで隠す必要が無いと思うのですが。--真紅の流星 2007年10月28日 (日) 06:57 (UTC)

その辺ネタバレ的記述の扱いについては私自身も苦慮しているのですが、個人的にはノート:仮面ライダー電王の各イマジンの項目の削除の議論の際にも述べたように「記載される情報が、その作品を見る意欲や楽しみを削ぐようなものであってはならない」という観点から記載については消極的な見方を持っております。極論、記載せずとも構わないかもしれません。今回ネタバレテンプレで当該箇所を隠したのもそういう観点からのものです。その辺を徹底するなら上で挙げられた箇所も書かなければよかったのですが、記載すべきというユーザも少なからずいますし、その辺の合意もなされていないことからある種妥協した形を取るべきではないかとの考えから、今回あえて記載した次第です。
今回の場合は三拳魔がレギュラー格のキャラクターであり、果たして以前議論されたゲストキャラクターでの方法論を当てはめるべきか微妙な点もあるのですが、それを抜きにしても、この件についてはまだまだ議論の余地があると私は考える次第です。--holic 629w(Talk)(Cont.) 2007年10月28日 (日) 07:35 (UTC)

上のコメントから数ヶ月が経過し、その間ネタバレ的な記述の扱いについて色々と思案しておりましたが、放映終了間近の今になってようやく私の中でこれに関する結論が出た事から、ここで新たに提案させていただきたいと考えます。

  1. あらすじで記載する範囲を今よりも広げ、序~中盤辺りにかけての流れも簡潔に記載する。
  2. 各登場人物の中~終盤にかけての動向、特に物語の核心に触れるような内容は思い切ってカットする。
  3. なお途中退場したキャラや、中~終盤より登場したキャラについては、退場までの動向をカットの対象にする。

サブカルフィクション系の項目に多く見られる傾向ですが、「登場人物」などの枝葉末節ともいえる部分ばかりが肥大化し、「作品概要」「あらすじ」といった根幹をなす部分が貧弱である項目が多いように見受けられます。個人的にはこうした傾向を改善し、比較的不要な箇所をカットし根幹を充実させる方向で行くべきではないかと考える次第です。

これについて、他のユーザ諸氏のご意見を伺えればと考えます。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月7日 (木) 07:58 (UTC)

出典の明記のお願い

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「特徴」と「シリーズ初」の節にいくつか「要出典」つけました。「誰がそのように評価しているのか」、「誰がシリーズ初と言っているのか」、といったことが、はっきりと分かる出典の明記をお願いします。--Pica 2008年2月3日 (日) 10:44 (UTC)

ベルトが無いことや変身アイテムがグローブであることが「シリーズ初」なのは、映像を見れば分かることであり、出典を挙げるまでもありません。強いて言えば、放送された映像自体が出典ですね。--Golza 2008年2月4日 (月) 02:46 (UTC)
  • テレビ番組を見て、「これが特徴だ」とか、「これはシリーズ初だ」と、あなたが思いついたとしても、それをそのまま書いてしまっては、「独自の研究」であったり、「主観的な記述」となってしまうでしょう。Golzaさんは「検証などするまでもない」とおっしゃいますが、出典を求められたときは、意見ではなく出典を教えていただけたらと思います。
  • 「スーパー戦隊超全集」は、シリーズのほかの作品と比較可能な出典として紹介してくださったのだと思います。その本には、他の作品と比して、「これが特徴だ」とか、「これはシリーズ初だ」というような記述がされているのでしょうか。それは何ページでしょうか。出典の正確な題名と、出版社、著者、発行年月日もお知らせください。--Pica 2008年2月4日 (月) 03:14 (UTC)
それなら「ジャッカー電撃隊はシリーズ唯一の"生身の人間ではない戦隊"である」というのも「超電子バイオマンはシリーズ初の"女性メンバーが二人いる戦隊"である」というのも独自の研究あるいは主観的な記述でしょうか?--Golza 2008年2月4日 (月) 05:49 (UTC)
「ジャッカー電撃隊はシリーズ唯一の"生身の人間ではない戦隊"」であるとか、「超電子バイオマンはシリーズ初の"女性メンバーが二人いる戦隊"」であるとか、はじめに言い出したのがGolzaさんや、あるいは他のウィキペディアンであるなら、それは独自の研究あるいは主観的な記述になるおそれがあります。もっとも、両作品は誕生から20年以上経っているので、そういった点を取り上げた研究者による論評も見つかるのではないでしょうか。そのような出典が見つからない、ということなら、その情報は、その番組やシリーズ全体を見渡した時に取り上げるに及ばない些末な情報、と考えていいのではないでしょうか。--Pica 2008年2月4日 (月) 06:51 (UTC)
人によって解釈が分かれるような記述ならともかく、「出演者が男か女か」といった解釈の余地も無い明白な事実まで要出典を貼られたのではテレビ番組の記事なんて書けないのでは?--SINOBU 2008年2月4日 (月) 09:41 (UTC)
まさかそんなことに出典を求める人もいないと思いますが、どなたか、「出演者が男か女か」といったことに出典を求めた方がいるのでしょうか。--Pica 2008年2月4日 (月) 10:49 (UTC)

バイオマンの女性が二人はケイブンシャあたりから放映当時出版された本には明記されていたと思います。議論の流れを全部読んではいませんが参考までに。--Tiyoringo 2008年2月4日 (月) 12:37 (UTC)

横から失礼します。今までに本節で挙がっている例を全て「独自研究」とするのには、私もファンの一人としては大いに疑問を覚えるところです。ただそれと同時に、「ファンにとっての共通認識」というものが「一般人にとっての共通認識」と同じであるかというと、決してそうでない場合が多いとも私は考えています。特撮系に限らず、サブカルフィクション系の項目では参考文献等の提示が少ない事が往々にしてありますが、「百科事典」として考える上では、本来は大変にまずい事ではないかと思われます。
それに加えて今回のような論争を回避する上でも、またより高い正確さを期す上でも、やはり出来る限りの出典の提示はあって然るべきでしょう。幸いにも本シリーズ、特に現行作品である本作品は関連書籍などの資料は比較的手に入りやすい方ですし、出典の提示は決して困難な事ではない筈です。現在保護期間中でありますし、この機会にそういった資料から出典を示す作業を進めていくのも一つの手と考えられます。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月4日 (月) 12:56 (UTC)
  • Tiyoringoさん、ケイブンシャからはいかにも出ていそうですね。それがどのような文脈で書かれていたのかが気になるところです。つまり、「シリーズ初の」というのは特筆すべきことなのか否か、という点です。Golzaさんが言及された、「スーパー戦隊超全集」も、ケイブンシャのミニ百科も、研究書とするよりはタイアップ本ですので、あまり批評的な観点で書かれた本とは思えませんが、「シリーズ初」云々についてどのように取り扱われていたのかが分かると良いと思います。テレビドラマのレギュラーに、女性が一人増えたことが、どのような意図に基づくものであったのか、興味深いところです。
  • HOLIC 629Wさん、「ファンにとっての共通認識」はファン同士の言説によって相互に補強されていきますので、当人では気づきにくいものだと思います。「改めて調べてみたらどこにも出典がなかった」という経験は私にもありますので、この件がそのように、実は無根拠な記述であっても驚きません。しかし幸いにも、と言っては変ですが、当記事は1ヶ月の編集保護が課されましたので、話し合う時間は十分にあるようです。--Pica 2008年2月4日 (月) 13:52 (UTC)
すでに述べられたことなのですが、スーツのデザインや紫の戦士などシリーズを振り返れば誰でも確認できる特徴に出典が必要なのでしょうか?「シリーズ初」などに限らず、作品から明らかに見て取れる特徴や情報にまで出典を求めるのは言いがかりに近いように感じます。作品中で明らかにそう描写されているのに、「出典がなければ記述してはならない」というのは疑問を抱かずにはいられません。作品で描かれた“事実”まで独自研究なのでしょうか。
また「研究者による論評」という言葉が出ていますが、それはPicaさんの言う独自研究に当てはまらないのでしょうか?
どうも作品の映像からやシリーズとの比較から分かることより、公式かどうかに限らず文字になって出版されてないと出典としては充分ではない・と主張しているように僕には思えるのですが。言葉がすぎていたらすいません。--203.160.31.212 2008年2月7日 (木) 00:15 (UTC)
  • 「スーツが何色だ」と述べることが問題なのではなくて、「他の作品と比べて、ここが特徴だ」という見解を述べることが問題だと思っています。
  • 専門家による論評を記述することは、独自の研究には当たらないと思います。我々が思いついたことを記述することが、独自の研究に当たると思います。
  • 書籍でなくても、ドキュメンタリー映像などで専門家の見解が得られることもあると思います。--Pica 2008年2月7日 (木) 01:34 (UTC)
専門家による論評が信頼に値するかどうか、それもまた個人の判断に依るのではないでしょうか。『ルパン三世カルトブック』(双葉社)などは、公式の出版物にもかかわらず幾つかの事実誤認があることがファンサイトで指摘されています。この場合、事実誤認の指摘は「ファンサイトの情報だから独自の研究だ」と言っていいのでしょうか。だとしたら、明らかに間違っている「公式情報」の方が信頼に値するということになってしまいます。
そうなると、結局は出典の選定も「個人の研究」ということになり、それでは何も書けなくなってしまいます。「特徴」はともかく、客観的な事実(だけ)に基づく「シリーズ初」の指摘は、それを否定する根拠など何も無いのですから、何の問題も無いと思いますが(強いて言えば「シリーズ初」の指摘それ自体の必要性であり、不要ということになるのであれば削除されることに対しては何の異論もありません)。--Golza 2008年2月7日 (木) 05:02 (UTC)
Golzaさん、出典の真偽は出典が出てから話し合えばよいことです。ないなら書かない、あるなら書く、間違っているなら指摘してください。--Pica 2008年2月7日 (木) 07:41 (UTC)
「他の作品と比べて、ここが特徴だ」という“見解”を述べることが問題と言っていますが、過去に例のないベルト無いスーツや紫の戦士などは“独自研究”でも“見解”でもなく主観の入り込む余地のない“事実”です。なぜ真偽に関わらず活字になってないと出典に値しないのか、なぜ映像で確認できる事実も活字になってないと記述することはできないのか、自分には理解ができません。納得できるように説明をお願いします。--203.160.31.212 2008年2月7日 (木) 08:17 (UTC)
「他の作品と比べて」という文脈を持ち込むことが、主観的なことですね。それを許してしまうと、仮に私が、「赤色の戦士としては10人目である」などと言いはじめた時に、これを「客観的な事実」として認めることになります。仮にこれが事実だとしても、赤色の戦士を、「1人目、2人目」と数えることの根拠や意味はどこから来るのでしょう。同じように、紫色の戦士を見つけたときに、「紫色の戦士である」と述べることは必要でも、それが「シリーズ初」であること述べるには根拠が必要なのです。--Pica 2008年2月7日 (木) 10:21 (UTC)
理解力が足らなくてすいません。言ってることがまるで分からないのですが、つまり「他の戦隊シリーズと比べる意味がないので記述するときは出典が必要である」ということですか?それなら出典を求めるのではなく、ノートに「シリーズ初や特徴の是非」という項目をたてて検討すべきなのではないのでしょうか。すでに発言しましたが、ゲキレンジャーに戦隊シリーズ初の試みがあるのは事実なのです。(活字になっていなくても、データベースやネット等で確認することができます)この議題は戦隊史の特徴をとりあげた公式本でも出ない限り「映像で確認できる」⇔「活字になってないから出展不足」という意見が平行線をたどります。これ以上は水掛け論になりそうなので僕は自重しますね。新しい項目をたてて論議されることをお勧めします。--203.160.31.212 2008年2月7日 (木) 12:07 (UTC)
概ねそういう理解でよいかと思います。--Pica 2008年2月7日 (木) 12:13 (UTC)
他作品と比較することに問題があるのなら、この記事に限らず、多くの記事が同様の問題を抱えていることになります。このような1作品の記事ではなく、もっと広い範囲に問題を提起するのが適切かと思いますが。--Golza 2008年2月8日 (金) 03:26 (UTC)
特撮関係のプロジェクトとしては、Wikipedia:ウィキプロジェクト 特撮がありますが、「比較することに問題がある」というより、「出典がない」ことが問題ですので、プロジェクトで話し合う以前の問題かと思います。--Pica 2008年2月8日 (金) 04:31 (UTC)
もっと言うならば、これは特撮系のみならずサブカルフィクション系全体が抱えている問題なので、仮に問題提起するとすればむしろWikipedia:ウィキプロジェクト フィクションの方が適切でしょう。まぁ少なくとも「出典が示されていない」という問題点は既に明確になっているわけですし、これからは「その問題点を解消する為にどうするか」という点に絞って議論を進めていくべきでしょう。見た限り、今のままでは堂々巡りでいつまでたっても決着が着きそうに無いと感じられます。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月8日 (金) 05:15 (UTC)
もう議論するつもりはありませんがひとつだけ。正直このゲキレンジャーの項目にだけ多くの「要出典」が付いてるのはどうかと思います。Picaさんの言うように出典のない記事が問題ならそれこそゲキレンジャーに限らず他にも数多あるので、ゲキレンジャーの「要出典」をはずしてもっと広義のところで訴えるべきだと思います。はっきり言ってこだわるべき舞台が違うように感じます。--203.160.31.212 2008年2月8日 (金) 12:46 (UTC)
203.160.31.212さん。私はゲキレンジャーについて出典を求めているのであって、他の作品について求めているのではありません。他の作品について出典を求めたいのであれば、あなたがそうしてくださったら良いかと思います。--Pica 2008年2月8日 (金) 13:03 (UTC)
他の多くの記事が同様の問題を抱えているのに、なぜこの記事だけにこだわるのか分かりません。203.160.31.212さんが仰るように、もっと広義のところで考えるべきでしょう。この記事だけで議論を続けた場合、どのような結論になったとしてもそれはこの記事だけのローカルルールにしかならず、他の多数の記事における同様の問題が放置されることになります。記事ごとに議論するより、広義のところで統一された共通ルールを作った方がはるかに効率的です。--Golza 2008年2月9日 (土) 07:50 (UTC)
Golzaさん、あなたがそうしたいなら、そうしてくださったらよいかと思います。ゲキレンジャーについては出典が示されない記述については修正して行きたいと思います。--Pica 2008年2月9日 (土) 10:12 (UTC)

(インデント戻し)明日(10日)で最終話なので保護解除依頼提出の打診をしようと思ったのですが、この件が解決しないと早期保護解除は無理かもしれませんね…。「シリーズ初」「○作ぶり」というくだりは世界名作劇場の各作品でもしばしば見られる表現ではあります。いささかトリビア的に過ぎるものも多々見られるので、載せる基準は必要でしょう。しかし、「二次資料がないからすべて独自研究要出典」という姿勢はどうかと思います。放送されたもの(一時資料)は信頼度ゼロということなのでしょうか。--Avanzare 2008年2月9日 (土) 13:18 (UTC)

作品自体の資料としての信頼度は100%ですが、その解釈を我々が話し合って、ウィキペディアを二次資料にしたい、というお話でしたら、賛成できません。しかし、私が要出典をつけた個々の記述について、作品自体を出典としても問題ない記述であるのか検討したい、ということでしたら、賛成です。--Pica 2008年2月9日 (土) 13:49 (UTC)
ゲキレンジャーだけにこだわる理由がまったく分かりません。同じ問題に対しては統一された対処法を考えるべき、というのは当たり前の発想なのに、なぜその点を人任せにするのでしょうか。--Golza 2008年2月10日 (日) 04:57 (UTC)
Golzaさん、あなたがそうしたいなら、人任せにせずに、そうしてくださったらよいかと思います。--Pica 2008年2月10日 (日) 05:07 (UTC)
人任せにしているのはあなたでしょう。他の記事にも同様の問題があるのに、「そっちはそっちで勝手にやれ」ということですか? それなら、なぜゲキレンジャーだけにはこだわるのでしょうか?--Golza 2008年2月10日 (日) 05:31 (UTC)
私はゲキレンジャーの記事に問題があると思いましたので、要出典をつけました。あなたが他の記事に問題があると思ったのなら、お好きなようになさってください。--Pica 2008年2月10日 (日) 05:39 (UTC)
それは、複数の記事に同様の問題があるのに「ゲキレンジャーにはこだわるが、それ以外は放置する」という意思表示と解釈してよろしいでしょうか?--Golza 2008年2月10日 (日) 05:54 (UTC)
私は「ゲキレンジャーにこだわる」とも、「それ以外は放置する」とも言っていませんので、そのように解釈して欲しくはありません。--Pica 2008年2月10日 (日) 06:04 (UTC)
記事に問題があると思ってるのはPica一人だけであって、他の人の同意を得ない限りこれ以上のクレームは通じないと思った方がよろしいかと。--Pikapikaman 2008年2月10日 (日) 12:32 (UTC)
Pikapikamanさん。出典の明記はウィキペディアに記事を書く際に必須のことです。まだ理解されてない方もいらっしゃるかもしれませんが、記事の保護期間が終るまでにはまだ時間がありますので、対話につとめたいと思います。--Pica 2008年2月10日 (日) 12:47 (UTC)
しかし、あなたのしている行動は単なるクレーマー状態ですから、もう少し場の空気を読んでから出直してきた方が宜しいかと思われます。多分あなたの意見に同意する編集者はいないでしょうね。少なくとも私は同意してませんし出来ません。何故なら今の内容の方が充実してますし、あの程度の内容なら本編そのものが出典になるからです。これ以上削るものならこの項目そのものが必要無くなると思ってます(もしかして、この項目そのものを消したいだけだとか?)。これ以上話す事はありませんのでこれにて失礼させてもらいます。保護が解除されたら「評価」に関する記載をする予定ですのでそれまではさようなら。ま、頑張ってください。--Pikapikaman 2008年2月10日 (日) 13:30 (UTC)
おはようございます。最近サブカル系のものを編集するようになって感じていますが、出典問題はとかくもめやすい分野のようですね。若い執筆者の方が多いので、出典明記をより厳格にという流れのようですが。ところで、一つ気になったのですが。出典は「文字」情報に限らないのではないでしょうか。公式の書籍や雑誌に掲載された「写真や図柄」といった情報も、出典になりえるのではないでしょうか。報道写真等が代表格ですが。A大統領とB首相が肩を組んでいる写真が著名な新聞の複数紙に掲載された。この場合、キャプションで「肩を組んでいる」という文字説明がついていなかったとしても、新聞を出典として「A大統領とB首相は○○会談の前に肩を組んで取材に応じた」という執筆するのは自然かと思います。で、今回の話題ですが。先に誰かが挙げていらっしゃる「大全集」は、私は見たことがありませんが、公式本で戦隊シリーズの全コスチューム写真が掲載されているのではないでしょうか。もしそうであれば、その書籍(写真)を出典として「紫色の戦士は○○が初めて」といった類の記述を行うのは可ではないかと思うのですが。あくまで文字情報でなければ出典にならないという解釈は、どの辺りからくるものでしょうか。(サブカル分野内でそういう取り決めがあるのかなと探してみたのですが、見つけ切れませんでしたので、ご存知でしたら教えてください)。それと、また翻訳中のようですが、Wikipedia:信頼できる情報源の中に「あなたが真実であり常識であると信じていている記述を、情報源がないという理由だけで削除しないでください」とあります。もしもPicaさんが、内心でそれは事実であると思っている、でも文字出典が無いから駄目だと頑なに認めない思考の流れであるならば、参考までに。--Giftlists 2008年2月11日 (月) 00:43 (UTC)
そもそも、Picaさんが何を以て出典がいる記述と出典がいらない記述を分けておられるのか、記事を見た限りではさっぱり理解できないのですが。例えば、私は「ゲキバイオレットが初めての紫である」や「変身アイテムがグローブである」ということは、文章にはなっていないにせよ、スーパー戦隊ネットや、数々の書籍に載ったスチール写真で一発で解ります。しかし、全作品を実際に見ている訳ではないし、それに関する文章も見たことがないので、本当に「頻繁に巨大戦に実況が入る初めての作品」であるかは解りません(多分そうだろうとは思っていますが)。同じ内容面に関する記述なのに、何故写真だけで簡単に証明できることに出典が必要で、作品内容全てを見ないと証明しきれないことには出典が要らないとお考えでしょうか。ここだけでなく、どうにも私には、それこそ主観で「気にいらない記述」にだけ要出典タグを貼っているように見えます。
前々から気になっていたんですが、どうもPicaさんは、手段と目的が逆転していませんか? 確かに主観やトリビア的記述による記事の肥大化はWikipedia全体の問題であり、特撮プロジェクトでも積極的に容量削減に取り組んできました。しかし、あくまでも「よりよい記事を作るために、過多な情報は削除し、容量を減らす」ことが最大の目的であり、「容量を減らす」こと自体が目的になっては本末転倒だと思います。トリビア的記述を減らすにしても、もう少し基準を緩くするのが妥当ではないでしょうか。--Ukyo 2008年2月11日 (月) 01:55 (UTC)
Giftlistsさんの挙げられた、報道写真の例なら、そのような記述はまっとうなものかと思います。ある戦隊物の写真をみて、「何々は紫色」と述べることもできます。
しかし2つの戦隊の写真を比べて、「紫色の戦士は○○が初めて」と述べる意味や根拠はどこから来るのでしょうか。「A大統領とB首相」が肩を組んだ写真を見たあとに、「A大統領とC大統領」が肩を組んだ写真を見たら、「A大統領とC大統領が肩を組んだのははじめて」と書くのでしょうか。それが初会合の写真であったとしても、そうは書かないと思います。はじめてであっても、最後であっても、肩を組んだことにはそれ以上の意味はないのですから。
「紫色がはじめて登場した」と述べなければならない、「作品における紫色の意味」とはなんなのでしょう。「紫色の」戦士を登場させた意図があるのなら、そのような特徴を述べる意味もあるでしょう。ここで出典が必要になります。紫色に作者がなんらかの意味を持たせた、とする出典がないのであれば、「紫色の戦士は○○が初めて」と述べる意味もないのです。
シリーズを見続けて、作品の比較に慣れている人は、それを真実であり常識であると、考えてしまうこともあると思います。複数の作品を関連付けて考え、その比較や解釈を自由に行うのもかまいません。しかしそれをウィキペディアで述べるのならば、その比較や解釈の出典が必要になります。あなたが複数の作品を見くらべてそう思った、というほかに根拠がないのであれば、それは独自の研究です。
Ukyoさん、グローブについては、そのひとつ前の文章に求めているものです。つける位置を間違えました。「従来のブーツタイプ」云々の、「従来の」という多作品との連続性を示唆する記述に対するものです。
「実況」云々についてですが、改めて指摘されると確かに気になる記述です。読み飛ばした、ということだと思います。
私の意図が分からない、ということですが、私が特に気にしているのは、他の作品との関連を示唆した記述です。比較を行った専門家の意見があるのなら別ですが、我々が比較を行って、見解を述べることは避けるべきです。--Pica 2008年2月11日 (月) 02:24 (UTC)
Picaさん、お返事ありがとうございます。論点が2つあるようですので、まずその点を分けませんか。
1つ目の論点。Picaさんが今回の編集で行ったのは「要出典」タグの添付です。つまり第一に求めていらっしゃるのは、出典明記ですね。そこで私が気になって質問させていただいた事ですが、公式の書籍に掲載された「写真」は出典になるのか否か。私はなると思っています。Picaさんの解釈はいかがでしょうか。他の執筆者の意見も知りたく思います。まず、ここの点について整理しましょう。
2つ目の論点。「紫色が初」という記述が必要か否か。Picaさんの後半の主張は、内容の問題であって、出典とは明記とは直接的に関係ありません。別問題として論じたほうが誤解が少ないでしょう。少なくとも、現在はPicaさんは「要出典」タグの貼り付けを行ったのですから、それを片付けるのが先決です。それが終わってから中身に入ったほうが建設的かと。ただ私見ですが、スーパー戦隊シリーズの多くは「色」をコードネームにしている作品が大多数です。○○レッド、△△レッド、□□レッドのように。であれば、これまでのシリーズに登場しなかった新たな「色」の登場は、特筆すべき項目として不自然な内容とは思いません。これについては多くの執筆者で意見交換をしたほうがいいかもしれませんね。私個人の意見は「紫」戦士初に限っていえば、書くべき内容に思います。--Giftlists 2008年2月11日 (月) 02:58 (UTC)
写真については、出典になると思います。というより、見た目の特徴についてどれほど詳しく書かれた記事でも、写真から得られる情報には及ばないでしょう。そうなれば、「紫色が初」というのは、スーパー戦隊ネットで全戦隊の写真をチェックすれば証明できることになります。「専門家でない者が比較することは、それ自体が独自の研究である」というのであれば、公式サイトすら資料として役に立たないということになってしまうでしょう。そもそも、専門家の「意見」とやらがその人の「独自の研究」でないと、誰が言えるでしょうか。--Golza 2008年2月11日 (月) 03:39 (UTC)
Giftlistsさん、作品や写真はもちろん出典になります。一次資料ですね。
ただし「紫色が初」のような比較を試みた記述については、複数の作品を結びつける意見が述べられた、二次資料の存在が必須と考えます。特筆すべきか否かも、そのような観点からの比較がある、という出典が必要と考えます。
Golzaさん、公式サイトを資料とすることはかまわないのですが、それを見て我々が思いついたことを書いてしまった場合、それは独自の研究といえるでしょう。
Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料にあるように、一次資料の比較から、解釈や評価をしないで欲しい、ということです。
専門家については、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料にあるように、特撮物を主題とした著作があれば、その著者は専門家と言って良いのではないでしょうか。--Pica 2008年2月11日 (月) 04:28 (UTC)
比較してはいけないのであれば、例えば『ヤッターマン』の主題歌が第1作と第2作でまったく違うアレンジになっていることも、それを比較した「専門家の意見」が無ければ書いてはいけないのでしょうか? 実際に音を聴けば必ず両者のアレンジの違いに気付きますし、そもそも編曲者が異なるという時点でアレンジが同じということはあり得ないのですが。それとも、「編曲者が異なる=アレンジが異なる」というのも、そう書いた「専門家の意見」が無ければ「独自の研究」ですか?--Golza 2008年2月11日 (月) 11:08 (UTC)
同じ楽曲で編曲者が異なるのであれば、書くまでもないこととは思いますが、アレンジが異なることは書いても良いのではないでしょうか。違う楽曲について比較を始めたら、それは踏み込んだ表現と言えるのではないでしょうか。--Pica 2008年2月11日 (月) 12:50 (UTC)

(インデント戻します)これまでの議論の流れを追っていった上で少々苦言を呈する形となるのですが、双方とももう少し譲歩されるべきではないでしょうか。

少なくとも、Pica氏が求めている出典の提示そのものについては正当なものであると考えられますし、項目の正確さを高める上でも、結果的には果たされるべきものであると私は考えます。そういう意味では、ここで反論ばかりされている方々については、このような事を続けていても到底建設的とは言えはしないでしょう。

一方のPica氏についても、議論の進め方や対話の仕方については大いに問題があると断言させていただきます。少なくともこのようなやり方では他のユーザ諸氏からの反発を受けるばかりであり、これではあなたの主張も聞き入れられず却って当初の目的を果たす事が困難となる一方です。先に述べたように目的自体は正しいだけに、やり方の拙さが足を引っ張っているのでは全く意味がありません。

少なくともPica氏についてはもう少し柔軟な姿勢をもって議論に臨むべきであると考えられますし、またそれに反論される方々も、少しずつでいいですから出典を提示されるべきでしょう。互いに譲ろうとしないままではいつまでたっても泥沼のままですし、ここはお互いにある程度の譲歩も必要であると考える次第です。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月11日 (月) 13:59 (UTC)

こんばんは。Picaさん、お返事ありがとうございます。「写真」は出典になるとのご意見で、ここは見解が同じで安心しました。そこで、私もGolzaさんが提示してくださったスーパー戦隊ネットで全シリーズ確認してきました。(不勉強で知らない戦隊が半数近くありました)。で、そうしたところ、やはり公式写真を確認する限り、過去のシリーズには紫色の戦士はいませんでした。写真が出典となるという見解はPicaさんも同じとのことですので、ここまでの確認作業は私と同様の結果になられただろうと思うのですが、いかがでしょうか。
併せて、Picaさんがご提示くださったWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料も拝読しました。そこには「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。」とありました。今回の紫戦士初は、まさしくこの事例そのものではないでしょうか。一次資料(公式映像、公式サイト)と、二次資料(大全集等の書籍)の情報を集めて整理し、その結果「紫戦士は初」と記述した事が独自研究には当たらない事例ではと思います。また同ページの記述に続けて「なお、(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説(中略)のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」とあります。これも、今回の事例そのものではないでしょうか。紫色の戦士が初というのは、出典写真を見れば、一般的な大人であれば専門知識を持たなくても判断が可能です。これが例えば「このように洗練されたデザインのフォルムは初」等のように解釈、評価が混じる比較記述であれば、私もPicaさん同様に出典を強く希望したと思いますが……。少なくとも今回のような色で判別がつくような事例は、私は写真出典で、出典明記の義務は充足すると考えます。
そして、Holic 629Wさんが仲裁してくださっているように、私も出典明記をなるべく丁寧にするという方向性は同意です。で、正直な話、私は今回話題になっている記述は、その手の専門雑誌や、製作者側の公式インタビューやらを丹念に見ていけば、半数近くはたぶん見つかるのではないかなあと思うのです。特撮には明るくないので、肌で感じた印象ですが。(東映に限らず、シリーズもののプレスリリースはシリーズ初の○○というフレーズが大好きですから)。で、そうした記事(特に新聞・雑誌掲載分)は、年月が経過するほどに入手が困難になります。なので現在、資料をお手持ちの方がいれば「わかりきった事」であっても後顧の憂いを絶つために、いまいちど各自で確認し、出典として記載しておいても損はないのではと思います。そして、もし今年一年分の雑誌出典を確認してみようゼ月間をやるのであれば、私はお手伝いしてもいいですよ。出典探しはわりと好きですし。(特撮には明るくないので、ある程度どの雑誌を探せばいいのか等の助言はほしいですが)。こうしたソース探しは、このページを見ている執筆者が多い今の時期に人海戦術で分担をきめて手分けして一気にやったほうが、たぶん作業効率はぐっとあがると思いますし。
ただ、そうした作業行程に入る前に、「写真」出典で充足するものや、「公式映像」で確認できるもの等は、あらかじめ合意のうえで整理して省略しておいたほうが、スムーズに進むと思うのです。いかがでしょうか。--Giftlists 2008年2月11日 (月) 15:06 (UTC)
(コメント)ここまでの議論を拝見させて頂いておりますが、理屈・理念・理想としてはPica様の主張の方が優勢に見えます。一方で、Wikipedia日本語版における全ジャンル、並びに各国語版におけるフィクション作品ジャンルに見られる現実を踏まえますと、Pica様は、現実よりも理念を重視される、かなりの急進改革志向(思考?)なのでしょう。
少なくともPikapikaman様が仰るような「あなたのしている行動は単なるクレーマー状態」・「もう少し場の空気を読んでから出直してきた方が宜しい」・「多分あなたの意見に同意する編集者はいないでしょうね」などの考え方は、まるで2ちゃんねると混同されているようで、Wikipediaには全くもって不適切な考え方でしょう。また、「何故なら今の内容の方が充実してます」というのも、まるで充実さえしていれば出典が明記されていなくても構わないと仰っているように読めますので、やはりWikipediaには不適切な考え方でしょう。
一方で、「あの程度の内容なら本編そのものが出典になる」というPikapikaman様・他の皆様の主張には、同意できます。初めての紫色の戦士だとかベルトが無い初の戦隊だとか変身アイテムがグローブなのは初めてだとかというのは、記事の冒頭(最上部)か末尾(最下部)にでも、一括して
「出典:放映された番組(シリーズの他作品を含む)それ自体」
という風に出典を明記すれば、それで充分なのではないでしょうか。--アヴォカ・ジェネラル 2008年2月11日 (月) 15:38 (UTC)
  • Holic 629Wさん、ご意見ありがとうございます。ノートにお返事しました。
  • Giftlistsさんのご意見とその根拠は理解できたように思います。ただ、これは繰り返しになってしまうのですが、「シリーズ初の紫」であるとか、「シリーズではじめての何々」といった、シリーズのほかの作品と比較した記述を行いたいのであれば、そのような比較を行った専門家による、そのような観点・記述がある、という出典が必要かと思います。Giftlistsさんにはお手数をお掛けした上で申し訳ないのですが、我々同士が話し合い、一次資料を検討しあって、「比較してみたらシリーズ初だったね」と言っているという現状が、独自の研究になっているのではないかと思うのです。ですから、「シリーズ初の紫」のような言い回しと、「美しいデザイン」のような言い回しとの境界線も、今後曖昧になっていくのではないかと心配しています。二次資料があれば済む話なのですが。
  • 「シリーズ初の紫」の件については、「二次資料がいる・いらない」という双方の主張は出尽くした感がありますので、いったん別のトピックに移ったほうが良いかと思います。他にも11箇所に「要出典」をつけていますので、ご意見がありましたらよろしくお願いします。
  • 次に出典を探す件ですが、今のところなにひとつ二次資料が出てこないのには少し驚いています。しかし保護解除までに何か出てくるだろうと期待しています。--Pica 2008年2月11日 (月) 17:00 (UTC)
つまり「誰の目にも明らかなことであっても、二次資料が無い限りは独自の研究であるため、書くべきではない」というのが最終結論と考えてよろしいでしょうか? それでしたら、ベルトが無いことや紫の戦士の登場を「シリーズ初」と明記した資料が出ない限り、これらの記述はすべて削除する、という方針でいいでしょう。但し、何度も繰り返しますが、同様の問題を抱えている記事は多いので、この方針はこの記事だけではなくウィキペディア全体の方針にするべきである、とだけ述べておきます。--Golza 2008年2月12日 (火) 11:31 (UTC)
「はじめての紫」の件については、そういうことです。新しい色が登場したら、それを紹介しなければならない、という文脈はどこから来たのか、ということですね。--Pica 2008年2月12日 (火) 12:32 (UTC)
Golzaさん、こんばんは。資料にもあるとおり、一次資料と二次資料については、学問の分野ごとに違いがあります。サブカルチャーである特撮は、学問として体系があるのか定かではありませんが、ゲキレンジャーのような創作作品は、人文学の「文学」と同系統と考えていいかと思います。こうした分野では、一次資料は「作品本体(ゲキレンジャーでは映像作品そのもの)」、二次資料は作品について纏めた案内や、データベース、解説書のようなものが相当します。(ですので私は、公式サイトの情報は、二次資料の扱いになると思っています)
そしてWikiの大本のルールは、歴史や、自然科学の分野を母体に作成されているように思います(訳文を見た印象だと)。歴史関連では、例えば戦争体験を語るルポや日記は一次資料、専門家がまとめた著書や、新聞社の報道記事のようなものが二次資料になります。ゆえに一次情報は、信憑性にばらつきがあり、疑わしいものも山ほどあります。ですので専門家でないWikiの編者は一次情報はなるべく使わず、信頼のおける複数の二次情報源を元に執筆することが求められます。これは当然の姿勢です。
ですが、文学・文芸等は、一次情報(作品本体)が、何より優先される資料です。一次資料(作品本体)と、二次資料(公式資料本)に差があれば、正しいのは問答無用で一次資料です。原典のテクストを全く疑う必要が無いのが、他の分野と大きく異なるところです。
……で、はじめに戻るのですが。Wikiのルールは、歴史や科学関連を母体にしているため、一次資料より二次資料が優先されるわけです。そして分野が違うルールをそのまま厳格に適用してしまうと、「作品を見ればわかる内容でも二次資料による出典が必要」という、心情的にも合理的にも少々不可解な状態になってしまっているのかなあと。(これは、学問として確立している文学関連よりも先に、サブカル系の記事が急速に発展してしまったために起こった日本ならではの現象なのか、他言語でも発生している問題なのかちょっと興味があります)
ただルールはルールなので、臍をまげていてもしょうがないので現行ルール内でやれることはやったほうがいいかと。(ただ長い目でみれば、特撮関連のプロジェクトか何かで、専門の方で少し話し合ったほうがいいかもしれませんね。出典明記は原則賛成派ですが、分野の違いによる一次資料と二次資料の扱いの違いは整理しておかないと危険な気がします)
あっ、そして、Picaさんが仰るように紫関連は確かに出尽くした感がありますので、あとで節をわけますね--Giftlists 2008年2月12日 (火) 13:11 (UTC)
  • 創作においては作品本体が正しい、というご意見については、前にも言いましたが賛成です。また公式サイトの情報は、作品の世界観で記述されるときは作品の一部として、スタッフのコメントなどは二次資料として信頼してよいものと思います。出典とするのになんら問題はないと思います。
  • ですから、例えば公式サイトで、「シリーズ初の紫だ」とか、「はじめて変身後のデザインにベルトが含まれない」などと書いてあるのであれば、「シリーズを比較して、色やベルトについてその差異を特徴として述べる」という文脈があることが確かに分かるのですが、それがないのであれば独自の研究なのではないか、というのが私の意見です。そのように出典が見つかったとしても、それがウィキペディアに書くべきことなのか、というのはまた別問題とは思いますが、「出典がない独自の見解」というのは問題外です。
  • 「シリーズ初の紫」の件でもう一言述べさせていただきますと、公式サイトに出典を探すのは正しいと思うのですが、Giftlistsさんがそこで比較をおこなって、「紫はシリーズ初だ」と発見したら、それが事実だとしても(またこの場合事実だと思いますが)、それは独自の研究であり、主観的な記述だと思います。「シリーズを比較して、色の差異を特徴として述べる」という文脈を支える出典が必要だと思います。--Pica 2008年2月12日 (火) 14:38 (UTC)

出典の明記のお願い・その2

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出典の明記をお願いしてから1ヶ月たち、編集保護もとけました。『「あらすじ」と「概要」欄について』の節で検証が進んでいるようで、うれしく思います。私がどの記述について、どのような出典が必要と考えているのか、あらためてまとめてみましたので、参考にしていただけたらと思います。

  1. 「タイトルコールはレッド役の俳優が「○○戦隊」と言った後にメンバー全員で戦隊名をコールするのがシリーズの主流であったが」(主流であったとする根拠はなにか。誰がそのように評価しているのか。)
  2. 「従来以上に「正義の変身ヒーロー vs 悪の変身ヒーロー」という展開を全面に押し出している。」(従来以上とする根拠はなにか。誰がそのように評価しているのか。)
  3. 「敵味方双方で技や固有名詞などに類似する部分が多い。」(類似しているとする根拠はなにか。誰が類似を指摘しているのか。)
  4. 「ストーリー面ではビーストアーツ3人の「拳士としての成長」に重点を置き、コメディやギャグの比重を大きくすることでハードな描写を極力抑え、更にお稽古など子供たちの日常生活を織り交ぜることで、低年齢層にもわかりやすい内容となっている。」(成長に重点、コメディの比率を大きく、ハードな描写を押さえ、低年齢層にもわかりやすい、とする根拠はなにか。誰がそのように指摘、評価しているのか。)
  5. 「対する臨獣殿サイドは理央の修行描写を重点に置き、ビーストアーツよりハードに描かれているため、2つの流派の修行の仕方の対比を見ることができる。」(修行の仕方の対比を見て取ったのは誰か。)
  6. 「パロディ作品として見る向きもある。」(それは誰か。)
  7. 「修行がメインテーマであるため、ゲキレンジャーが未熟だった頃(番組前半)のシナリオは」(シナリオの分析を行ったのは誰か。)
  8. 「追加メンバーが加わった番組後半はこの限りではない。」(同上。)
  9. 「未来戦隊タイムレンジャー以来7年ぶりの黒幕が本作では登場する。」(黒幕の有無で作品を分類したのは誰か。)
  10. 「前作まで一貫して変身後のスーツに装備されてきたベルトが、本作品のスーツには装備されていない。」(それを特色としているのは誰か。)
  11. 「靴も従来のブーツタイプではなく、スポーツシューズのような形状となっている。」(同上。)(「要出典」の位置を直しました。)
  12. 「1号ロボが初期装備として「剣」を持たないことや、ゲキファイヤーは換装形態を除き装備武器や内蔵火器を一切持たないロボであること、追加戦士としてシリーズ史上初の「紫」の戦士(ゲキバイオレット)が登場することや、新戦士の専用機が1号ロボの換装形態であること、組織としての第三勢力が初めて登場したことなどが挙げられる。」(同上。)

以上12点です。よろしくお願いします。--Pica 2008年3月3日 (月) 18:04 (UTC)

  1. 「タイトルコールはレッド役の俳優が「○○戦隊」と言った後にメンバー全員で戦隊名をコールするのがシリーズの主流であったが」(主流であったとする根拠はなにか。誰がそのように評価しているのか。)

については、出典の明示も記述の修正もないようですので、あらためて「要出典」をつけました。--Pica 2008年3月4日 (火) 03:48 (UTC)

作品内の情報で、正確性を簡単に検証できる解説についての出典明記

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上の節が長くなったことと、Picaさんが貼られた出典要求のタグが11箇所と多岐に渡っているため、要点を絞る上で、紫戦士に代表される系統について、項目をわけました。

  • ○○色の戦士が登場したのは、△△作品が初である。(出典:公式サイト/シリーズ全ての戦士のカラー写真が掲載されている)

まず、この系統の「写真」出典で証明できそうなものについて。Picaさんのお考えは、比較を含むものについては、二次資料で文字による言及が必要不可欠。Golzaさん、SINOBUさん、IPユーザー(203.160.31.212)さん、Avanzareさん、Pikapikamanさん、Ukyoさん、アヴォカ・ジェネラルさん、と私は、作品内の情報(写真出典)で、出典明記は充足するという考えです。

で、私は充足するに足るとする根拠を、前述のWikipedia:独自研究は載せないにある「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説(後略)」に寄っています。つまり、専門家(特撮マニア)ではなく、一般的な大人が10人出典明記された情報を確認したら、10人とも同じ検証結果になる記述にすることが必要かと。で、原文を見てみると。

  • 追加戦士としてシリーズ史上初の「紫」の戦士(ゲキバイオレット)が登場する

この場合、マジレンジャーのウルザードが紫カラーですので、「最終的に仲間になるキャラだから仲間戦士として数に入れる」という考えの方(これが特撮的に正しいのかは知りません)がいらっしゃると、上記の条件を満たしません。なので、正確性を期すのであれば。

  • 追加戦士としてシリーズ史上初の「紫」色の名を冠した戦士(ゲキバイオレット)が登場する

にしたほうがいいかなあと。まあ、まわりくどい表現ですが。戦士の名前文字情報ですので、誤解を生む心配もなくなりますし。

と、書いていたら上にPicaさんの発言を発見。「またこの場合事実だと思いますが」とのご発言ですが、そうすると私の一番最初の書き込みに戻って、Wikipedia:信頼できる情報源の「あなたが真実であり常識であると信じていている記述を、情報源がないという理由だけで削除しないでください。あなたが常識ではないと本当に考えているならば、情報源を要求するようにタグ付けするか、ノートページで問い合わせてください。」に回帰します。もしもPicaさんが事実だと思っていらっしゃるのでしたら、この点については、妥協という形で出典要求は取り下げていただけると幸いです--Giftlists 2008年2月12日 (火) 15:20 (UTC)

はじめから申し上げていますが、「シリーズをまたいで比較を行う根拠はなんなのか」、という点について出典を求めていますので、今のところ取り下げは考えておりません。--Pica 2008年2月12日 (火) 15:40 (UTC)
Picaさん、それは論点が違います。シリーズをまたいで比較を行うことの是非は、記事の中身の議論です。Picaさんが貼られたのは「要出典タグ」です。記事を載せる必要性について論じたいのであれば、要出典タグの貼り付けは間違いです。今日は寝ますね。おやすみなさい--Giftlists 2008年2月12日 (火) 15:47 (UTC)
Giftlistsさんとは論点が異なるようですが、「要出典タグ」が間違いだとは思いません。比較から発見できる事実というのは無数にありますので、その中からあえて比較を行うのであれば、「一次資料や二次資料にそのような観点からの比較がある」、とする出典が必要だと考えます。
「(出典:公式サイト/シリーズ全ての戦士のカラー写真が掲載されている)」のような資料をもとに、我々自身が比較することを許してしまうと、仮に私が、「赤色の戦士としては10人目である」のような「事実」を指摘した時にも、記述の是非を論ずることになります。赤色の戦士を、「1人目、2人目」と数えることの根拠や意味は無いと思いますし、それが紫色であったとしても同じことでしょう。--Pica 2008年2月12日 (火) 16:12 (UTC)
  • 色の比較について。スーパー戦隊シリーズのページでは過去に「戦隊別 色一覧表」という項目がありましたが、削除された経緯があります。ゲキレンジャーのページでも同じような傾向の記述は避けるべきではないでしょうか。出典を求める必要はなく、「~初」といった記述は改めるか削除すべきだと思っています。
  • とはいえ、Pica氏の「要出典タグ」を多数貼り付けた行為は、やりすぎです。もう少しスマートなやり方があったと思います。率直に言えば非常識。だから反発が強く返ってくるのでは。もうひとつ指摘しておくと、話の通じない者が一人だけならば、問題人物を脇に置いて記述を見直しても、何ら問題はないはずです。「出典を示せ」以上に踏み込んだ調整ができないのなら、Pica氏はこの問題からお引取りいただきたい。--Bellis 2008年2月12日 (火) 16:33 (UTC)
私もシリーズ初云々については削除すべきと思いましたが、あまりにそのような記述が多いので、もしかしたら根拠が在るのではと思い、しかし一件ずつ尋ねるのが面倒なので、まとめて「要出典タグ」をつけました。スマートではないとか、やりすぎと言われればそうかもしれませんが、とくに反発が強いとも思いませんし、時間をかければいずれ解決するものと思っています。--Pica 2008年2月12日 (火) 17:02 (UTC)
この1日ほど経過を見守ってきましたが、その過程でPica氏の対応や議論の進め方に大きな問題があるという思いが、私の中でさらに強まりました。出典を求められている側がある程度の譲歩を見せているにも拘らず、Pica氏の方が今まで通りの主張を繰り返して全く譲歩されないようではアンフェアであるように感じられますし、議論の解決にも繋がりません。以下に、Pica氏の編集や議論の進め方に対しての突っ込んだ指摘をさせていただきます。
まず私の会話ページでの返答において、「落しどころを考えずに始めた」「あまり「今後こうしよう」というのは考えていない」と述べられていましたが、正直なところこれには強い失望を感じさせられた次第です。何のビジョンも持たずにこのような議論を起こされても、却って問題は混迷を極める一方ですし(実際に今の状態がそれに当たります)、コミュニティにとっては振り回される一方で迷惑この上ないだけでしょう。もしそのように考えられていたのであれば、最初からこのような議論は提起すべきではありません。
また「時間をかければいずれ解決する」「そのうち落ち着くところに落ち着く」とも述べられていましたが、時間をかけるにしても無駄があり過ぎるではないでしょうか。Bellis氏の言うように「要出典タグを一度に多数貼付する」というやり方は行き過ぎたものであると考えられますし、また先程も申し上げましたが、何のビジョンも持たずにこのようなやり方をされても、それは単に時間の空費を招くだけに過ぎないものであり、落ち着く事もまず無いでしょう。一つ一つ尋ねていくのが「面倒だった」としても、あなたが実際に行われたやり方に比べればまだ適切なものであったのではないのでしょうか。「急いては事を仕損じる」「急がば回れ」という諺もあるように、拙速なやり方では本来の目的を果たす事は到底叶いません。その辺をもう少しよく考えられるべきだったと強く感じるものです。
さらに、「特に反発が強いとも思わない」と仰られていますが、残念ながら本議論の経過や過去のあなたの議論を見る限りでは、その編集や議論の進め方に強い反発が少なからずある事は否めない事実です。基本的にPica氏はWikipediaのガイドラインからは大きく外れた行動はされていないと私は思っていますが、それでも常識に照らし合わせて問題のある編集や議論の進め方が散見される事は確かであり、もし先に述べた通りの認識を持たれているのであるならば、それは認識不足であると断じざるを得ません。
正直なところ、私としては今回の議論が原因で、本来ならば果たされるべきはずの出典の提示や、それを求めるという事について今後大きな支障が出るのではないかと危惧しています。明確なビジョンを持たれずにこの議論を提起された事は、こうなった以上もう仕方ありませんが、もしここから一歩も譲歩できないというのであれば、残念ですが早々にこの問題からは退かれる他ないでしょう。厳しいことを言うようですが、今のままではこの問題を解決する上で、逆に大きな障壁になっているようにすら感じられます。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月12日 (火) 18:09 (UTC)
おはようございます。Picaさんがあげられた例示「赤色の戦士としては10人目である」についてですが。
まず「出典明記」という観点では、写真出典だけでは、バトルジャパンは赤の範疇か、カブトライジャーの臙脂色は赤の範疇か等、特撮を全くご存知無い方が見れば議論がわかれるように思います。よって写真による出典だけでは「正確性を誰でも簡単に検証できる」条件は満たさないと思います。ですが例えば「レッドの名前がついた戦士としては○人目である」という記述であれば、誰でも容易に正確性を検証できます。ですので、こちらの表現であれば、各戦士の名前一覧が載った資料(公式サイト等)で、出典明記の点はクリアすると思います。
そして「中身」の議論として。10人目のレッドという記述が必要かと問われれば不要と思います。○レッドは10人目のレッド、○ブルーは7人目のブルー、巨大戦は6作品目……等の情報の羅列は、当該作品の特徴を掴む上で全く意味がありません。ただし、いわゆる初めて論、「巨大戦が初めて採用された作品」のような記述は、私は当該作品の特徴を説明するために重要であり、百科事典の記述としてはアリ、というか、むしろ書くべき内容に思います。しかしこれも行き過ぎると「コロッケが登場した初めての作品」とか「ペンギンが登場した初めての作品」とか、トリビア初めて合戦になるので注意が必要でしょう。で、最初に戻って。私は色がコードネームに使われるのがシリーズの特徴の一つであることを考えると「紫初」を記述することは問題のない範囲だと思います。「中身」の議論としても。(ただ私は今は、出典明記の問題を先に解消したいですので、中身の議論は他の詳しい方にお任せします)--Giftlists 2008年2月13日 (水) 01:20 (UTC)
HOLIC 629Wさん、この議論に私の譲歩が必要だとは思いません。Giftlistsさんが「要出典を取り下げろ」と言い、私が「前と同じ理由で取り下げない」としたあたりは、繰り返しになって無駄かな、と思いましたが、『「シリーズ初の色」については書いても良い』、とするローカルルールができるのであれば、それはひとつの議論の帰結かと思います。
Giftlistsさん、繰り返しになりますが、私は「紫は初」と述べることも、無駄な記述だと思いますよ。--Pica 2008年2月13日 (水) 01:41 (UTC)
無駄な記述だとお思いなら、その情報を載せること自体の必要性だけを論じるべきです。これは「要出典」以前の問題でしょう。載せる必要が無いのであれば、出典を求める意味などまったくありません。--Golza 2008年2月13日 (水) 04:42 (UTC)
Golzaさん、何度も同じことを書いて申し訳ないのですが、私は「シリーズ初の紫」については、一次資料にも二次資料にもそのような文脈が存在しないのであれば、それをウィキペディアンがお互いに確認したとしても、独自の研究だと考えます。一方Giftlistsさんはそう考えてはいません。単純な事実であり、出典は満たされたと考えているようです。
Giftlistsさんは当節で議論を進め、先の発言で、『「シリーズ初の紫」の記述は有用で、「10人目のレッド」の記述は無駄』、と述べられましたが、私は『「シリーズ初の紫」も無駄』だと述べました。Giftlistsさんの発言は、「出典は満たされた」という観点からの発言で、私の発言は「出典は満たされていない」という観点からの発言です。
このような議論の推移を経ての、無駄という発言ですので、出典を求める意味が無い、ということはないと思います。--Pica 2008年2月13日 (水) 05:51 (UTC)
出典の提示と記述自体の必要性は別次元の問題です。この議論はその区別ができていないように思えるのですが。無駄な記述だとお考えなら、今後はその一点だけを論点にして、その結果「無駄な記述ではない」という結論になったら、その時に改めて出典についての議論を行うべきです。--Golza 2008年2月13日 (水) 07:47 (UTC)
Golzaさん、私はGiftlistsさんとの議論の流れの中で、私の観点から無駄だと述べました。あなたが「出典は満たされているし、無駄ではない」という観点から議論を進めるのはかまわないのですが、私が意見を言うことにまで反対されるのは心外です。--Pica 2008年2月13日 (水) 08:36 (UTC)
こんばんは。私の利用者ノートにいただいたPicaさんのコメントも拝見しました。そして今の状況確認なのですが。
前節でも書いたように(2008年2月11日 (月) 02:58)、Picaさんの論点は2点あり、1つは出典要求、もう1つは中身の議論(シリーズ比較のような記述の是非等)のように思います。
私はこの2点については、同時に論じるには不向きなものと思います。「出典要求」は、記述側(記述を残したい側)に説明責任を求めるものです。対して、中身の議論(現存する記事について改定提案)は、改定希望側(今回であればPicaさん)に説明責任が求められるものです。これをひとくくりにして、ごちゃまぜで論じようとすると混乱を招くだけですし、前節でUkyoさんが仰っていたように『主観で「気にいらない記述」にだけ要出典タグを貼っている』といった誤解もされかねません。
私としては、まず一次情報で出典となるものを精査して解消し、次に二次情報から出典が必要なものを皆で書籍等から探し、最後に中身の議論が流れ的にスムーズかなと考えて提案しましたが。
どうやら拝見していると、先に中身の議論を片付けてからのほうがよいような気がしてきました。
で、提案ですが、ひとまず出典の有る無しについては俎上から外し(出典タグはいったん外して)、「この記述は必要だ」「これは削ったほうがいい」等の中身の判断を、ゲキレンジャーに詳しい方々で議論して決められてはいかがでしょうか。そのうえで、残すと決まった情報について出典が必要であれば、その時に探す(要出典タグを再貼)。そして出典タグを一定期間貼り付けても情報が寄せられなかったならば、それについては相談して削除。としたほうが建設的かと。
私も出典探しの時期になったら、微力ながらお手伝いしに戻ってきます。では。--Giftlists 2008年2月13日 (水) 14:03 (UTC)

相手側がある程度の譲歩を示した以上、Pica氏も同様に譲歩されるのは道義的に考えて至極当然な事であるでしょう。そのように自説ばかりを押し通そうとしてもいい結果は得られませんし、無論ローカルルールの成立など問題外の事です。

とは言えこのように譲歩される気がない事を明言されている以上、先のコメントでも申し上げたように速やかに議論から下がって頂きたいところですが、上でGiftlists氏が問題解決に向けての提案をなされているので、それについては今回は強く求めない事とします。

で、そのGiftlists氏の提案については私も賛成の意を表させていただきます。現状本議論については論点が錯綜しており、これ以上の議論の継続は却って混乱を招くばかりです。よって本議論については一旦終了させ、然る後に上記提案に従って問題解決を目指す事が望ましいでしょう。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月13日 (水) 14:16 (UTC)

(中身の判断を先にする)賛成です。ただ、今のまま(要出典タグの存在は忘れて)要不要の話をしませんか。保護解除してもらっても、また揉めだしたら元も子もありませんから。慎重にいきましょう。--Bellis 2008年2月13日 (水) 15:00 (UTC)

Giftlistsから、「要出典」の取り下げを提案されたので、ついまた同じ話をしてしまいましたが、この節の主旨に反対したわけではありません。
前の節のAvanzareさんへのお返事にも書いたように、「出典が要らないのではないか」と検討してもかまわないと思いますし、どのような記述なら中立性を保てるのか試されるのも良いと思いますし、記述の要不要について話し合うのも良いかと思います。--Pica 2008年2月13日 (水) 15:05 (UTC)
記述の要不要については、どちらでも構いません。本筋に関わるような重要な情報ではなく、百科事典として必ずしも必要なものとは思っておりませんので。要出典については、記述の用不要について結論が出たらその時に改めて話し合うことに異論はありません。--Golza 2008年2月14日 (木) 02:44 (UTC)
要出典を貼り過ぎたPica氏が別件で(おそらくここの項目も含まれている)一週間の投稿ブロックを受けたみたいですが、結局ゲキレンジャーの項目はどうすべきなのでしょうか?私個人はPica氏の貼った「要出典」は全て外しても構わないと思っています。--Pikapikaman 2008年2月16日 (土) 10:54 (UTC)
こんばんは。Picaさんは休暇期間なのですか。改定提案の議事進行役さんが不在になってしまったのは、少々困りましたね。--Giftlists 2008年2月16日 (土) 12:06 (UTC)
別に良いと思いますよ。Pica氏は他の項目で過剰出典したり、議論もしないまま勝手に項目破壊をした上でのブロックみたいですし、一度を保護を解除して再編集する方向で行けば良いと思います。それにこの番組は既に放送終了してますし、来週は新番組「炎神戦隊ゴーオンジャー」が始まるわけですから、特撮編集者の方々も気持ちを入れ替えて編集して行きたい部分もあるでしょうし、このままダラダラ議論を続けるのも良くないでしょう。今回のPica氏の行動は『ローカルルールの過剰解釈』だと思いますから(それが原因でブロックされたようなもんですから)今回の件に関しては保護解除して、出典された部分は間違った箇所も無いので剥がしても良いと思われます。もし、またPica氏がブロック解除された後に暴れ始めたらブロック依頼を出せば良いだけの話です。--Pikapikaman 2008年2月16日 (土) 13:29 (UTC)
ここは2ちゃんねるではないのですから、Pikapikaman様は、もう少し言葉を選んで下さい。別に、Pica様が「過剰出典」したり「項目破壊」したり「ローカルルールの過剰解釈」したり「暴れ」たりしているとは、私の目には写りません。それから、Pikapikaman様「個人はPica氏の貼った『要出典』は全て外しても構わないと思ってい」ようが、ここは2ちゃんねるではなくWikipediaなのですから、あくまでもルールやガイドラインなどの規定に従い、要出典タグを外すことができるのは、
  • 「出典が明示された」場合
  • 「既に明示されている出典の範囲内で記述が修正された」場合
のみです。その意味で、下の方でGiftlists様やGolza様が開始された方向性こそが、事態打開のための回答かと。
よって、上の方で示された
  • 「記述の要不要についての議論を先行させる」
、下の方で示された
  • 「とりあえず出典を探してみて示してみる」
、両方の作業を進め、最終的に
  • 「『必要』との結論に至ったが出典が見つからない」
というケースが生じた際に、再び、議論することになるのでしょう。--アヴォカ・ジェネラル 2008年2月17日 (日) 10:24 (UTC)
アヴォカ・ジェネラル様
個人的にPica氏にストーキングされていましたので少しムキになってしまった部分があるみたいです。申し訳ございません。--Pikapikaman 2008年2月17日 (日) 15:14 (UTC)

「あらすじ」と「概要」欄について

[編集]

Picaさんがお休み中ということなので、出典探しをしていて気になった箇所を感想程度に羅列しておきます。特撮は疎いので的外れな感想もあるかと思いますが。

  • 「あらすじ」が第1話のあらすじになっていて、作品全体のあらすじではないような印象を受けました。また前半部分は、OPコールからの採用かと思いますが「1つ」のような書き方は、文章として違和感があるかなと。
  • 「概要」で『「正義の変身ヒーロー vs 悪の変身ヒーロー」という展開を全面に押し出している』について、出典を探していたところ、塚田プロデューサーのインタビューで『「敵の登場人物も、主役としてガッツリ描きたい」ということがあって』という発言があり、ゲキレンジャー3人と臨獣殿の2人合わせて5人が主人公の形にしたとありました。(ゲキが心技体、リンが強さと愛だそうです)。なので「例として~」以降の補足的な部分は、やや縮小して、出典を出してずばっと激臨両方主人公と言い切ってしまうのも手かなと思いました。
  • 「敵味方双方で技や固有名詞などに類似する部分が多い」の出典もありました。激獣拳と臨獣拳の解説で『元は同じだから、とても似ている。たとえば激獣拳「激気」は、臨獣拳では「臨気」。その気を込めて発する奥義がそれぞれ「ゲキワザ(激技)」「リンギ(臨技)」と呼ばれ(以下略)』とされていました。ただスタート直後の出版物なので、残念ながら幻獣拳については書かれていません。
  • 「ストーリー面では~」の部分は、出典がいる記述には思いません。無理やり出すならば、シャーフーは暮らしの中に修行ありの温厚派なので『毎日ほのぼのとした和の中で』修行するとありましたが。プレミア発表会での塚田さんの発言で『「こんなものが戦いと関係あるのか?」といった修行をする』ともありました。……しいていうなら現存の「コメディやギャグの比重を大きくすることで」の記述は、ややニュアンスが違うかなあという印象でしょうか。
  • 「対する臨獣殿サイドは理央の修行描写を重点に置き」は、理央とメレの二人の修行描写が正解かと。塚田さんも、メレが主役の回はメレに修行をさせていると発言していましたし。メレも追加しませんか? 出典が不要に感じるのは同上。
  • 「主に『北斗の拳』や『ドラゴンボール』」のあたりは、東映公式のレポートで、塚田さんが『個人的に参考にした(中略)燃えるマンガの数々(『北斗の拳』『ドラゴンボール』(後略)」とあり、これが出典になるかなあと。そういえば理央のオーディションの時もラオウを選ぼうと思っていたのに、最終的にシンを選んだみたいなことも言っていましたね。ですが「インターネット上でネタに~」以降の文は、出版物での出典がなければ削ったほうがいいように思います。またカンフー映画に影響を受けたとの発言のほうが多いですし、実際そうなのは一目瞭然なので(五毒拳とか)、今の内容だけだと、ちょっと誤解が生じるかなあとも思いました。
  • 「修行がメインテーマ」以降も出典は不要かと。なにせキャッチコピーが「高みを目指して、学び、変わる!」ですし。……出典は山ほど見つかったので、念のために書いておけと言われれば書いておきますが。私は作品を見てはっきりわかる内容についての二次出典は不要派です。とりあえず「一話ごとに必ず修行が入る」の出典と、「後半はその限りではない」の出典は出せます。ただ、ボウケンジャーの「修業」の誤植は脚注でじゅうぶんかなあとも。
  • 「本作におけるシリーズ初」は、独自項目としては不要かなと。ただ、出典探しをしていると、シリーズで一番精神年齢が低いレッドだとか、マスクマンとダイレンジャーに続く3作目のカンフーものとか、公式側が比べた表現をする傾向があるので、それにファンも影響されているのかなあと、ちょっと感想めいたことは思いました。
  • 代わりに造詣面の項目があってもいいかなあと。「ベルト」と「グローブ」と「靴」は、他シリーズとあまり比べず(「稀な~」のような表現で)お茶を濁すのが無難かなと思いました。ただスーツデザインを担当されているPLEXの山田さんのスタート前の発言に、日本とアメリカ両方で売れるような形を狙っているとあり、また『デザインとしても、かなりチャレンジしていたりする』とも発言しているので、それを追加しておくのもありかなあと。
  • 「1号ロボが重火器を持たない~」あたりについては、製作側はロボで格闘することに重点をおいて且つ力も入っていたようなので(格闘できる着ぐるみにしたとか)、そっち方面のアプローチで書くのもありかなあと思いました。生身の3人の衣装のほうも、アクションができることを考えて作られているとプレミア発表会で発言がありましたし。カンフーもの作品の特徴を書くなら、そっち系統でまとめるのもアリかなと。
  • 「概要」に「評価」はあったほうがいいかなと思いました。マジレンジャーのような、視聴率と玩具売り上げあたりは。ただ、ゲキはどちらも芳しくなかったのでソースを探すのが面倒かと思いますが。(売れた場合は華々しく発表するのに、売れなかった場合は原則発表しませんからね……)

とりあえず、要出典タグのものを中心に、意見を書いてみました。(無駄に長くてすみません。自分のページに書いて貼ればよかったかな)--Giftlists 2008年2月16日 (土) 14:47 (UTC)

概ねその方向で問題無いと思います。--Golza 2008年2月17日 (日) 00:56 (UTC)
玩具売り上げのソースはこちらにあります[1]
評価に関してはこのように執筆する予定ですがどうでしょうか?
  • 朝枠に移動してからの平均視聴率が5.16%と過去最低(シリーズ全体ではワースト3)であり、作品評価に関しても特撮ファンだけでなくメインターゲットの児童層にも高く評価されているとは言い難く、実際それを表すかのようにキャラクター収入も100億計画だったのに対し75億という残念な結果に終わっている。
これで独自研究と言われても正直どうかと思いますが、だからと言って明らかに成功した作品ではないと思いますので、後の判断はそちらさんにお任せします。--Pikapikaman 2008年2月17日 (日) 12:15 (UTC)
こんばんは。うわー壮絶に売れてないー。玩具は稀に見る惨敗ですね。売れてないとは聞いていましたが、はっきりした数字でみると結構ショックですね……。
人によって感じ方や考え方も違うかもしれませんが、とりあえず私にはPikapikamanさんの草稿は独自研究には見えません。出典明記に丁寧な方だと、視聴率には(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を付けましょうと仰るかもしれませんが。それと玩具のほうは、3月に年度末の決算が出るまでは、(見込み)と入れましょうと慎重な方だと仰る可能性があるかなあぐらいでしょうか。--Giftlists 2008年2月17日 (日) 14:29 (UTC)
Giftlists様、その辺りも他の方にお任せします。あと、「獣拳合体DXゲキトージャ」が丸美屋食品工業ゲキレンジャーふりかけで200名プレゼントしたことも明記した方が宜しいですか?[2](在庫処分的な意味での200名だったっと聞きます)過去作品でも主力玩具をここまでプレゼントした例がないそうですが、ボウケンジャー以前のソースが見当たらないので、もし詳しい方がいましたらお願いします。--Pikapikaman 2008年2月17日 (日) 15:12 (UTC)
うーん、これはどうなんでしょうね。私も特撮は疎いので、前例関係はさっぱりわからないのですが。ただ、ご紹介くださったページ(丸美屋さんではなくニチフリ食品さんのようですね)を確認[3]したところ、プレゼント告知が昨年の2月15日であり、放送開始まもない時期ですので、キャンペーン準備期間等を勘案すると、在庫処分の線は弱いかなあと。--Giftlists 2008年2月17日 (日) 16:53 (UTC)
作品評価について。視聴率が低く、売り上げが低いのが事実であったとしても、「特撮ファンだけでなくメインターゲットの児童層にも高く評価されているとは言い難く」は独自研究だと思います。事実だけを取捨選択していく過程で、事実をつなげる言葉に推測を交えてしまうのは控えるべきです。--Bellis 2008年2月18日 (月) 15:37 (UTC)
私もGiftlists氏案で概ね問題ないと思いました。この案をたたき台にしても大きな問題が無いようでしたら、実際に本文に反映させて見たいですね。細かいニュアンスは実際に編集してみないと伝わりにくいでしょうから。その後で調整をすすめても今の内なら荒れないような印象ですし。--Bellis 2008年2月18日 (月) 15:37 (UTC)
こんばんは。私としては感想だけ述べて、あとは特撮に詳しい方に任せつつ、出典探しを手伝おうというスタンスなのが正直なところではあります。(下調べが不十分な状態では執筆しない主義なので)。ただ、それですと言いっ放しジャーマンなのは自覚していますので、とりあえずイメージだけ書いてみました。草稿 が、予想どおり、書き加えすぎて冗長になった挙句、過剰出典になってしまいましたので、あまり参考にはならないかと思います。うーん、勉強不足。資料不足。難しいですねえ。(「特徴」以外は殆どいじっていません。まだ不勉強でよくわからないので)--Giftlists 2008年2月19日 (火) 19:06 (UTC)
遅ればせながら、Giftlists氏の草稿を拝見させていただきました。概要部分は項目の根幹とも言える部分ですし、これだけの情報量があれば十分なものだと思われます。出典についても可能な限り明記されてますし、現状ではこの形が妥当なところでしょうか。紫の戦士等の部分についてはまだまだ課題の残るところですが、この辺は急がずに、少しずつ解消していけばいいでしょう。
概要についてはひとまずこれで良しとして、まだあらすじ部分の問題点が残ったままですね。一応上の方の節でも提案しているのですが、もう少しこの点について他のユーザ諸氏からの意見があればなと思う次第です。--Holic 629WTalkCont. 2008年2月22日 (金) 13:16 (UTC)
おはようございます。あらすじは、HOLIC 629Wさんも前から気にされていましたね。ネタバレとも密接に絡む問題なので難しいですね。シリーズの他の作品も確認したら、1話のあらすじ掲載のほうが主流な印象も受けました。特撮ジャンル全体がそういう雰囲気ならば、今のままでもいいのかなあとも。
紫戦士については、とりあえず出版物(雑誌)での文字出典はあります。(といいますか正直なところ、出典が見つからないと本気で思っていらした方は、たぶん一人も存在しないんじゃないのかなあというのが本音ですが)。ただ紫戦士の部分にその出典を付加するのは反対です。(シリーズ)作品内でわかる内容について、二次資料による文字出典は不要と思います。つけるならば公式サイトで充足するという意識は変わりません。草稿もひとまず要出典がついたものには出典を全てつけていますが、やはり過剰出典と思われる部分が幾つかあります。作品内でわかる内容について、二次資料による出典を記述しなければならないという意識が蔓延するのは、悪い前例になると危惧します。--Giftlists 2008年2月23日 (土) 00:39 (UTC)
【追記】草稿2に少しだけ手を入れました。--Giftlists 2008年2月23日 (土) 15:54 (UTC)
修正ありがとうございます。繰り返しになりますが、出展の要不要についてもう一度書いておきます。
  • 作品単体を見て分かる事柄(紫色の戦士)については、作品自体を出典として書いても良いと思います。
  • 他の作品との比較に基づく記述(初の紫戦士)については、比較を行っている出典を明らかにすべきです。「シリーズの作品を比較すれば分かる」としてウィキペディアンが比較を行えば、それは独自の研究になると思います。--Pica 2008年3月4日 (火) 04:12 (UTC)

速報的な記述について

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WP:NOTへの理解が足りない、以下のユーザ群を1日強制Wikibreakとしました。

なお、HOLIC 629Wさん、Golzaさんは、差し戻しないし除去しか行っていないためブロックしていません。こういう状況は編集合戦とはみなさないと判断しました。--Lonicera 2008年2月3日 (日) 15:20 (UTC)


検証可能性が抜けていることについて

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”作品内でわかる内容について、二次資料による出典を記述しなければならないという意識が蔓延するのは、悪い前例になると危惧します。”と言われる方がおりますが、百科事典として本当にそれが正しいのでしょうか?

1,その作品の放映期間が終わった場合、どうやって検証可能性を満たすのでしょうか?
DVDが出たとしてもDVD≠放送当時の内容の場合があります。また人の記憶が出典というのでは信頼性を確保できません。YouTubeなどは出展者によって編集が可能であり信頼性がありません。
そもそも動画は出典として認められておりません。
2,”大人なら誰でも分かること”を理由にする人もおられますが、それはあくまで例外的処置であり(アップルパイの例題でまれな事であるとの記載があります)、単純な算数などと同一視できる物ではありません。また、そういった物は一切の評価・分析をしないことが条件です。ちなみに比較や抽出も分析行為です。
3,出典はそもそも記事に信頼性を持たせ、ユーザーに信頼してもらうために必要な物です。書き手のエゴによって向こうにされるべき物ではありません。ファンサイトやファンブックを作っているわけではありません。
4,ユーザーには対象番組を見たことがない人も大勢います。そういった方達に出典無くしてどうやって記事の信憑性を伝えるもでしょうか?独自研究とどうやって見分けるのでしょうか?
5,出典を持って記事を書くのがルール。記事を書くときには手元に出典があるはずです。それを記載することがそんなに難しいのでしょうか?
6,出典の無い事象は、所詮その程度の事象でしかないのです。その程度の事象を百科事典に載せる意義はあるのでしょうか?
本当に必要であれば誰かが出版させるでしょう。出版をまって記事にしても遅くはありません。

少なくても出典もなく記載して良いとお考えの方はWikipediaではなく個人のホームページで記事を書くべきでしょう。--189.2.93.234 2008年2月23日 (土) 23:55 (UTC)

おはようございます。一番上に書かれた太線から判断しますと私宛かと思いますので、私見を書かせていただきますね。
まず何度も発言していますが、私は出典は細かに明記すべき派です。といいいますか結構、出典出し推奨派な方だと自分では思っているのですが。その点は、IPユーザー(189.2.93.234)さんの考え方と一緒です。ですが、太線にしてくださったように「作品内でわかる内容について、二次資料による出典」は必要ないと思っています。
例えば「あらすじ」等が例としてわかりやすいでしょうか。あらすじを書く場合、原典であるテレビ映像(またはDVD)を見て私はまとめます。用語等で不案内な部分は、公式サイト等の資料集を参考にすることもあるかと思いますが。基本的に「出典」は「原典(ゲキレンジャー)」であり、二次情報を出典として明記することは、まずありません。
>4,ユーザーには対象番組を見たことがない人も大勢います。そういった方達に出典無くして
「あらすじ」を読んで、こんなストーリーが放映されたなんて信じられないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その場合は「検証」していただくしかありません。作品内でわかる内容についての一番の「検証方法」は、原典にあたっていただくことです。IPユーザー(189.2.93.234)さんは、ブラジルからの接続のようですので、テレビ映像はご覧になれなかったかもしれませんね。ですがDVDは発売されていますので、ぜひ取り寄せて「検証」をお願いします。そして「検証」の結果、「記述が間違っている!!!」と思われた場合は、ノートで問題提起をされたり、「要出典」タグを貼って情報を集めてください。もしもIPユーザー(189.2.93.234)さんが危惧されている「DVD≠放送当時の内容」のようなものがあれば議論になり、その部分についての記述は改められるでしょう。
ここまでで、基本的な1,3,4,5については答えましたので、次は個人的に重要だと思う2,6について。
「2」は線引きの難しい問題だと思っています。「そんなの見ればわかるだろ」と言いつつ、見てもわからない独自解釈を強引に書く方も相当数いらっしゃるのは事実です。そういう方々に辟易し疲弊して、出典をこれまで以上に厳格に出していこうという流れになっているのも理解しています。ですが、それについて、一部過剰になりすぎ「作品を見れば簡単にわかる内容」についても、二次情報による出典を求める方がいらっしゃる事については、間違った方向へ進んでいるのではと危惧しています。
私は、草稿を書くにあたって原典のテレビ映像はほとんど視聴し、抜けたものはDVDで補いましたが。特撮分野自体は明るくなく、公式サイトやそうした書籍等も拝見したことはない、ずぶの素人でした。それでも数時間も調べれば、要出典タグを貼られた11箇所(12箇所でしたっけ)についての二次情報による出典は見つけられました。
なぜ、それが可能だったかといえば、今回の対象が「ゲキレンジャー」だったからです。
30作続いた老舗の人気シリーズですから、公式サイトも充実している、公式書籍も出版されている、雑誌でレギュラーページが組まれている。溢れるように二次情報が氾濫しているゆえに、全くの素人でもわずかな手間で二次出典を出せました。
ですが、このように恵まれた作品は、ライダー、ガンダム、ジャンプ系漫画等、サブカルチャーの分野では、ほんの一握りしかありません。大多数の漫画は、研究本も無く雑誌等で特集を組まれることもありません。
IPユーザー(189.2.93.234)さんが引いた「一切の評価・分析をしないことが条件」についてですが。
「スネオはジャイアンより背が低い」も、厳密にいえば比較分析です。これに要出典を貼られても『ドラえもん』であれば簡単に二次情報は出せるでしょう。ですが、他の一般的な作品はどうでしょうか。(「絵をみればわかる」は、前節で「比較分析になるから駄目」と仰っていた方もいましたね)
これは極端な例ですが、こうした作品をみれば簡単にわかる内容についても、二次情報による出典を大量に求められたら、研究本等が出版されていない数多の作品群はどうなるでしょうか。「作品を見ればわかる」という回答に対し、「読んでないからわからない」と言って要出典タグを大量に貼り、二次情報による出典が出ないから削除ということになったらどうでしょうか。コミュニティは疲弊するだけです。私が危惧しているのは、こういうことです。
「6」で「出典の無い事象は、所詮その程度の事象」と仰っていますが、むしろ原著で判断がわかれない見ればわかる類の事は、改めて二次情報に書かれるほうが稀かと思います。そして「本当に必要であれば誰かが出版させるでしょう。出版をまって記事にしても遅くはありません」を引き合いに出されていますが。この論理を強硬にサブカルチャーに当てはめるのは酷でしょう。サブカルチャーは「サブカルチャー」なのですから。日本の漫画作品と同じ数だけ、その作品の研究本やらムックやらが出ていたら、正直のけぞります。
繰り返しになりますが、これは「出典なんか出さなくていい」という意味ではありません。出典は明記すべきことです。ですが「出典」は、原典を見ても一見してわからないものに限定すべきです。
  • 「○○は、××に、△△の戦いで敗れた」
これに出典は不要です。
ですが、敵が負けた後に、谷底に落ちてしまって生死がはっきり作品内で描写されなかった場合。
  • 「○○は、××に、△△の戦いで敗れて死亡した」
と書くならば、二次情報により「死んだ」と記述された出典を明記すべきです。
出典明記は、本来、こうしたものに使われるものだったのだと思うのですが……。
「見てない人、見る気の無い人にもわかる」ように、一行ごとに逐次出典を出していくという方向性は間違っているように私は思います。
最後に。そうは言っても「二次出典知っているならケチくさい事言わずに、逐一書けばいいのでは。要出典タグを貼られまくって論争になる心配も減るし」と仰る方もいるかと思いますが。ゲキレンジャーについては、正直、それは可能です。山のように二次情報がありますから。現在、私が書いた草稿は、トラブル回避を目的とした、明らかにそういう類の書き方ですし。それで、このゲキレンジャーについては収まるでしょう。ですが、そうした安易な解決策をとったことにより、この形が「一般的」と思われ、他のマイナー作品にも同様の事を強制するような流れになるのは避けたいと私は思います。
そして、「素人の私でも簡単に出せる出典」を、特撮に詳しい方が何人も集まっていらっしゃるのに、頑なに出そうとしないのは、やはり同じ懸念があるからだろうなと推察します。--Giftlists 2008年2月24日 (日) 02:57 (UTC)
IP:189.2.93.234会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois は匿名のプロキシを使っています。自分の考えが正しいと思うならこんな手は使うな。--Bellis 2008年2月24日 (日) 07:33 (UTC)
初めまして、Giftlistsさん。興味深いので質問させて下さい。
「作品内でわかる内容について、二次資料による出典は必要ない」について教えて下さい。上で書かれているようにテレビ放送が終われば、一般人には信頼性のある検証が不可能と思います。DVDも映画やアニメがそうであるようにテレビ放送時と変わってしまう物があります。ストーリー解釈さえ異なったニュアンスになってしまう場合もあります。また、絶版になれば入手し検証自体が出来なくなります。そして、動画自体が出典として認められていないと言うのもその通りです。その状況で、どうやって検証可能性をクリアしているのか、上記説明だと不明点が多いのでもう少し詳しくお聞かせください。
また、2次出典を入手後記事を書くのがルールというのは、私もその通りと思います。逆に言えば出典が手に入らないときは記事を書いてはいけない事になります。ですから、このルールを残したまま書き進めるのはまずいのではないか?とも思うのです。(逆に賛同者が多ければルールも変えられるでしょう。)
「研究本等が出版されていない数多の作品群はどうなるでしょうか」とのことですが、そういった番組は百科事典へわざわざ記載する意味の薄い物という判断が出来ます。重要であれば、上記指摘の通り「誰かが記事にしている」と思われるからです。記事になってから記載すれば良いとうのもその通りだと思います。(Wikipediaのルールを崩してまで書く意義は薄いと考えます)
Giftlistsさんのおっしゃられる『この論理を強硬にサブカルチャーに当てはめるのは酷でしょう。サブカルチャーは「サブカルチャー」なのですから。』についてですが、Wikipedia:信頼できる情報源『他のすべての記事と同様に、大衆文化やフィクションに関する記事も、信頼できる情報源による裏付が必要です。これらの分野では、その性質上、科学や法や哲学などと同レベルの学術的な資料は、それほど存在しないかもしれません。しかし、そうであっても、個人のウェブサイト、Wikiソース、掲示板やUsenet、ブログへの投稿を二次情報源として使用してはいけません。』とあります。サブカルチャーだから特別扱いされると言うことは無いように思います。(一応仲裁案もあるようですが(対象がジェームス・ディーンなので、これと例にされてもと言う感じがしますが…)日本では現実的ではないでしょう。)ですから、読み手のために、独自研究と区別するために出典は必要と思うのです。
私は、書き手が主ではなく読み手が主だと思っています。読み手に十分な信頼性を与えられないのであれば「記載しない」という選択肢もあるのではないかと思うのです。「ジャイアンとスネ夫の身長」を例にされておりましたが、十分な信頼性を読み手に提示できないのであれば記載しないという選択をすることも大事だと思うのです。それと、その記事が本当に百科事典に載せるに相応しいかどうかも。--浄三入道 2008年2月24日 (日) 08:48 (UTC)
(参考)利用者:浄三入道会話 / 投稿記録 / 記録氏は過去に類似案件でブロックされたユーザーである(参考:ノート:医龍-Team Medical Dragon-/blockeduser)。果たして今回はどうなのか。--Bellis 2008年2月24日 (日) 10:19 (UTC)
ブロック経験のあるユーザーは質問禁止だとでもいうのでしょうか?またそれをココで言う意味は?検証可能性は重要事項だし、それを満たせない記事は載せない。それを確認したいだけなんですが。--浄三入道 2008年2月24日 (日) 10:53 (UTC)
(うわ競合)
浄三入道さん、こんばんは。動画についてはアーカイブは保証されておらず、ニュース番組等の一回で流れてしまうような番組を「出典」として採用する難しさは存じています。ですが、今回のゲキレンジャーについては、DVD化されている映像作品ですので、検証可能性は満たしていると思います。まさしく「信頼できる情報源が公表・出版している内容」ですね。
「絶版になれば入手し検証自体が出来なくなる」点については、検証の困難さと、検証可能性を混同されているように思います。映画のパンフレット等も、上映期間を過ぎれば、入手は専門ショップ等で探して購入する方法が一般的かと思います(パンフレットの類は国会図書館には保管されていなかったように思います)が、それを理由に、「映画作品」のページでパンフレットに記載された情報を書くことが「検証可能性を満たさない」と仰る方は稀かと思います。(ものすごく古い作品であればまた別かもしれませんが)
そして、テレビ映像とDVDが異なっている可能性を危惧されていらっしゃるようですが、大抵の場合「異なっている」事についての説明書きがあったり、二次情報による出典があったりしますので、そちらを記述すればよいかと思います。もしも何も情報が無いけれど「明らかにテレビ映像と違っている!」と個人が思えば、ノートで問題提起し情報を集めてください。適切な「出典」が見つかれば、異なっていることについての掲載は可能でしょう。なければ独自研究でしょう。そうしたレアケースについては、個々のノートで論じたほうが効率的であり建設的かと思います。
なお後半につきましては、今節、前節、前々節、前々々節で書いたと思いますのでご確認ください。
私は「サブカルチャーだから出典を出さなくていい、出典明記する義務もない」などとは思っていませんし、書いてもいません。「文学作品等に代表される一次情報(原典)を疑う必要のない分野については、一次情報(原典)で明らかなものついては、二次情報による出典は不要」が主旨です。(代表例は先ほど書きましたが、文学作品必須項目の「あらすじ」ですね)
つまり「出典が原典である部分」について、いちいち出典は原典ですと書く必要は無いということです。原典が膨大な量であり記事の内容が非常に細かい部分については、検証する方の手間を省くため「○○巻○○ページ参照」としたほうが適切かとは思いますが。(『ドラえもん』等はそうされていらっしゃいますね。)
そして、原典を確認しただけではわからないもの、判断のわかれるものについては、二次情報から「出典」を出すべきということです。
「「ジャイアンとスネ夫の身長」を例にされておりましたが、十分な信頼性を読み手に提示できないのであれば記載しない」については、上の節でも書いたように、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」ものと私は考えています。そして、こうした内容にまで、二次情報による出典を求める昨今の流れは、少々行き過ぎなのではと危惧しています。そこは、浄三入道さんと私では少々考え方が違うのだと思います。
今回でいえば、Picaさんが出典を求められたものについては、「出典」が必要だと私も同意する箇所は多数ありました。賛同者も私以外にも何人かいらっしゃったように思います。ですが、それに混じって、原典で確認できるものも一部含まれていたため、強い反発を招いてしまったように思います。私としては、できればそうした部分(原典でわかるもの)については最初にノートで合意形成をはかって取り除き、そのうえで残りの部分について出典探しをする事が、コミュニティ的にも一番混乱がなく効率的かと思って提案しましたが。(アクシデント等があり、少々順番が変わってしまいましたが)
ただ最初の節でも書いたように、現状のルールを非常に厳密に解釈すれば、浄三入道さんが仰ることもわかります。ですので、ノートでの話し合いの末に「一次情報でわかるものについても二次情報があれば書いておこうぜ」ということになれば異論はありませんし、一応そういう形で現在の草稿は書いてあります。
ですが、そうした話し合いを経ないまま、安易に私の草稿をそのまま採用してしまうのは、他作品への波及を考えると危険である、と草稿を書いた本人だからこそ思います。それゆえ、前節であのように発言させていただきました。
正直なところを申し上げれば、私は基本的には特撮分野に詳しい方が執筆されたほうが、今回は混乱が少ないように思うのですが。--Giftlists 2008年2月24日 (日) 10:48 (UTC)
一次情報で書くを全面的に禁止と言っているのではないのです。一次情報の場合はその状況をありのままに書くことが条件なのに、比較・分析・評価といった事を交えているので2次出典が必要と思っているのです。アップルパイの例題でも一切の分析・評価を行わないこととなっています。
「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」は算数などの極々一部の物で、それによって番組でふれられていないことまで言及するのは分析・評価に該当すると思います。ただ、スネ夫とジャイアンのケースでは(百科事典に必要な記事である場合は)身長が作品でふれられていれば、作品にある内容そのままを記述(著作権にふれない形で)・記載するのは問題ないと思います。
ですから、Giftlistsさんのいう「ですからつまり「出典が原典である部分」について、いちいち出典は原典ですと書く必要は無いということです」も分析・評価を行っていないと言うことであれば賛成です。
それとDVDですが、放送された番組と内容が同じであろうと異なっていようと、現状ウィキペディアでは出典にはなりえず他の動画も出典にはなっていないようです。ですのでDVDでは検証可能性が満たせなくなります。”信頼できる情報源が公表・出版している内容”には(現状)動画は入っていないようなのです。
「検証の困難さと、検証可能性を混同されているように思います」ですが混同してはおりません。国立図書館という検証ルートのある出版物とその他では大きく違っているのです。どなたかが「ヒマラヤの奥地に咲く花」の検証は出来ないとおっしゃっておられましたが、出版物と他媒体での検証可能性はそれほど隔たりがあるという事なのでしょう。また、それ故に「パンフレットの類」も正規の出典とは認められておりません(パンフレットに寄れば~と言う記載方法なら問題ないようです)。
私が危惧しているのは、書き手の方がファンの方で、書き手の満足感を満たすためだけに不要で出典のないことを書き込んでいることです。読み手が不在になっていることです。読み手に信頼感・信憑性を与えられない記事は百科事典として不要と感じております。
最後に、Giftlistsさんの草案は良い物であると思っております。--浄三入道 2008年2月24日 (日) 11:43 (UTC)

(インデント戻し)

浄三入道さん、こんばんは。私の利用者ページを確認しました。

草稿に直接手を入れてくださったのですね。ありがとうございます。(草稿については、テクニック的で嫌らしいと、書いた本人は実は思っているのですが・・・・・・)

修正いただいた何点かについて拝見させていただきました。で、私が妙に拘っている紫戦士についてですが。前節でも書いたのですが「戦隊シリーズ初のバイオレット戦士」という雑誌に掲載された二次出典が存在はするのです。ですので出典が無いなら消すぞーというのであれば、やむなしで出典を補ってもよいのですが。うーん、うーん、うーん。でも、やっぱりこれに出典付けるのはちょっと抵抗があるかなあ。「色」のように視覚的に判断が容易なものは、写真出典で充足するように思うのですが。写真を見れば誰でも判断がつくものが「分析した事」にあたるのでしょうか。見たまんまではと、正直、思うのですが。うーん、私が過敏になりすぎなのでしょうか。(ただ私の個人的なこだわりにゲキレンジャーを巻き込むのは本意ではないですので、どうしてもというならば、出典を足してもかまいませんが)

そして本題ですが。浄三入道が仰っていらっしゃる「公式に発売されたDVDでも出典にならない」というのは、かなり衝撃的な情報なのですが。ここら辺について、方針ではっきりと明記されている部分は、あるのでしょうか?

私が記憶している限りはこういったルールはなかったように思うのですが。新たに追加されたルールかと、一応、今、簡単にですが、もう一度探してみたのですが、Wikipedia:検証可能性内には、やはり見つけられませんでした。Wikipedia:信頼できる情報源には、「誰かが意見を述べていることを直接示す文書・画像・映像がある場合、(中略)掲載したり抜粋したりできます」とあり、映像も検証可能な媒体に含まれているように読み取れる箇所がありましたが・・・・・・。今日は寝ます、おやすみなさい。--Giftlists 2008年2月24日 (日) 12:57 (UTC)

【追記】「映画館で販売された公式のパンフレットも出典と認められない」についても、寝る前にかなり探してみたのですが見つかりませんでしたので、こちらについても合わせて該当ルールが書かれた部分をご紹介いただければ幸いです。今度こそおやすみなさい。--Giftlists 2008年2月24日 (日) 14:25 (UTC)

出典をどこまで求めるか、ということになると、難しい問題ですね。
例えば『スパイダーマン』の場合、出版物としての出典は、放送当時の新聞記事や、DVDの発売に合わせて組まれた雑誌の特集記事くらいしか無いのが現状です(放送当時の記事に関しては同人誌に転載されたものを確認しましたが、実物は未見です)。しかも、東映はDVDの再発売をしないことを公言しているため、一次資料である映像自体も今後は入手困難でしょう。この記事で私が加筆した部分(スパイダーマンやレオパルドンなどの節の骨格)はDVDの特典解説書を基にしたのですが、これも問題があるということになるのでしょうか?
そうなると、映像作品に限らず、CDなどの記事についても同様のことが言えますね。例えば山下達郎RCA/AIR時代のアルバムは、2002年の再販に合わせて本人がライナーノーツの解説を書き下ろしており、それによってアルバムや各楽曲の制作状況などがよく分かるようになっているのですが、これも「出版物」ではないため、問題があるということになりますね。--Golza 2008年2月24日 (日) 13:32 (UTC)
現状のウィキペディアでは、動画を考慮していないと言った方が正しいです。ノートでは何度か話されていて、アメリカのウィキペディアではDVDだったか動画の言及があるのですが日本ではあくまで文献が対象です(検証可能性と密接に関わるWikipedia:出典を明記するでは文献が対象で、動画については言及されていません)。”広く信頼されている発行元からすでに…についてのみ言及すべきです”の発行とは新聞や本の事を指しています(逆に動画をOKとしている文があれば教えて下さい)。
また、Wikipedia:信頼できる情報源では信頼できる出版元によって…と記載されており、正規出版物を情報源として取り扱っております(そこを読むと、「一次情報源は、ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメントまたは人物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝…」とありTV番組自体は1次情報ですらなく、TV番組を見た人がそれを記載して1次情報になるようです。これだと現状のウィキペディアのゲキレンジャーの(出典のない箇所の)記事自体が1次情報と言うことになります)
ですからTV番組は出典として不十分になります(イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…といった引用は可能ですが)。DVDは廃盤になった場合の検証が問題になるのだと思います。オークションなどでの入手を示唆されておりましたが、入手困難な物を例に嘘を書かれても検証できませんから、現実的ではないのでしょう。
紫の戦士や3人構成がまれである事などは、単純にファンブックではない百科事典として載せる意味は薄いかなと思っていることと、出典明記は記載する側の責なので載せたいと希望する方が明記すればよいと思っただけです。
賛同者が多ければ、今後動画を出典として追加できるようにはなると思います。--浄三入道 2008年2月24日 (日) 22:24 (UTC)
発行とか出版なんて、新聞や書籍にしか使わないだろ?ビデオを出版なんて日本語は存在しないよ。CDを発行とも言わない。書籍や新聞が出典として認められるのは査読などの厳しい検査があるため(さらに、それが無いような出版元やスポーツ新聞社などは、出典と認められていない。パンフレットに厳しい検査はある?)。厳しい検査のない動画をどうやって信用するんだ?
それと、一次情報の定義を皆間違えている。
戦争に従軍した記者の記事が一次情報になる。この場合体験した戦争は一次情報ではない。TV番組も同じ。TVを見た人が記事を書くとそれが一次情報になる。一次情報をで分かることは出典はいらないと言っているが、皆さんの言う一次情報は実は0次情報のことになる。
百科事典は二次情報、三次情報を集めて記事(三次情報)を作らなければならない。一次情報を作る場所ではない。だいたい一次情報から記事を作成するときでさえ厳しいルールがあるのに0次情報ではお話しにならない。--210.191.218.25 2008年2月25日 (月) 00:17 (UTC)
浄三入道さん、公開Proxyユーザー(210.191.218.25)さん、こんにちは。まず、前々々々々節で書いたことの繰り返しになりますが。資料にもあるとおり、一次資料、二次資料の区分は学問の分野によって異なります。研究分野が「文学」であれば、一次資料は文学作品(小説等)そのものになります。今回の場合でいえば、ゲキレンジャーという「映像作品」が一次資料、ムック等の研究本が二次資料になります。(浄三入道さんが引用してくだったのは、他分野からの例示です)
「ゲキレンジャーDVD等の映像作品が0次情報」、「Wikipediaに掲載されたゲキレンジャーの記事が一次情報」というのは、完全な誤解です。
また、タブロイド紙『サン』の部分を引いてくださっていますが、サンは日本で言うところの東スポのように、眉唾情報が多いからあてにならないよと言う事を示すための事例です。今回、このページで話題にしている事とは何ら関係のある記述ではありません。
そして一番重要な部分ですが。「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべき」という文章が、「新聞や本の事」のみを指すというのも誤解です。文面を再度ご確認ください。「公開されている」の中には当然に「出版」も含まれますが、出版のみが、公開の形態ではありません。
公式な方針として定められた「検証可能性」が指しているのは、「信頼できる情報源が公表・出版している内容」です。この中に「公式に販売されているDVD」「公式に販売されている映画パンフレット」は、含有されます。
浄三入道さん、公開Proxyユーザー(189.2.93.234)さん、公開Proxyユーザー(210.191.218.25)さん、のお三方が「DVDや映画パンフレットは含まれないんだ」と主張されたいのであれば、「但しDVD等の動画は除外する」等の「但し条項」を私たちに示す必要があります。(証明責任があるのは、「そうした特殊条項があるんだ」と主張する側です)
お三方のご意見を読ませていただきましたが、どうも基本的なルールを誤読されているように思います。再度、方針を熟読されることをおすすめします。--Giftlists 2008年2月25日 (月) 07:04 (UTC)
Giftlistsさんのご意見に全面的に賛成します。出典というのは事実関係を確認するための資料であって、それが出版物しか認められないというのは到底納得できるものではありません。映像が出典として認められないのであれば「映像作品の記事を書くのに映像を見る必要が無い、また見たところで記事を書く上では何の役にも立たない」ということになりはしませんか? それに、現実(戦争など)とフィクションを同列に扱われても困ります。--Golza 2008年2月25日 (月) 12:22 (UTC)

(インデント戻し)別にここで検証可能性や出典の明記の結論を出す必要もなく、それはそういったノートなどで行えばよいことです。Giftlistsは「誰かが意見を述べていることを直接示す文書・画像・映像がある場合、(中略)掲載したり抜粋したりできます」とある言われますが「訳注 日本語版では要検討」と付いているコメントを意図的に無いように記載するのはどうかとおもいます。前節の通りアメリカ版の訳であるために生じており、日本では異なっていることを示す物です。 (一度、検証可能性ノートの過去ログをお読み下さい。)

それと、出典の明記では、動画の明記方法は触れられておらず全て文献等の出版物の明記方法を扱っています。これを動画も問題無いと言うのであれば、言及のない動画についても文献と同様に扱えると言うことをGiftlistsさんが示さねばなりません。動画も出典として認められているのなら、その方法が記載されていないのはおかしいですよね? もし動画も出典として認められているのであれば、当然出典の明記方法も示されているはずです。出典方法が書かれていない動画を出典として認めろと言うのであれば、それはそれを主張するGiftlistsさんが示されるべきです。

少なくとも日本のウィキペディアで動画を指し示す文が無いのは事実ですから。


>「映像作品の記事を書くのに映像を見る必要が無い、また見たところで記事を書く上では何の役にも立たない」

ウィキペディアでは2次情報や場合によっては3次情報から記事を作ることが示されています。映像は見ても良いし見なくても記事を作れると言うだけのことです。--浄三入道 2008年2月25日 (月) 14:13 (UTC)

あっ、ちょうどよいタイミングですね。浄三入道さん、こんばんは。
出典明記のページについても、誤解があるようです。Wikipedia:出典を明記するは、ガイドラインであり、出典を書く必要性と書き方を、不案内な方に対し、そうした分野に詳しい有志の方が説明してくださっているページです。例えば、新聞からの出典の書き方が追加されたのは、2007年、つまり昨年です。ですが、新聞が出典になるのは、昨年からではないのは自明です。つまり「出典明記のページに書き方ガイドが載って無いから検証可能性を満たさないんだ」という浄三入道さんの解釈は誤りです。
ですが、最初の一文。このゲキレンジャーのページで「検証可能性や出典の明記の結論を出す必要もなく」は同意です。いい加減、本題であるゲキレンジャーからずれまくっていて、どうしたものかと困っておりましたし。
以後、「公式に販売されているDVD」「公式に販売されている映画パンフレット」は検証可能性を満たさない等の斬新な解釈を持ち込まれる場合は、適切なページでの合意形成をはかり、ルール化したうえでお願いします。
それまでは、このゲキレンジャーのページでは、私は基本方針に従い、DVD等の情報は、検証可能性を満たした一次情報として扱わせていただきます。--Giftlists 2008年2月25日 (月) 14:33 (UTC)
はぁ~…。ここまで頭が悪いとはね…。0次情報とはTV番組がWikipediaの出典基準を満たさないので0次情報。小説などははじめから書籍としてWikipediaの基準を満たすから一次情報になっているの。わかる?他の分野ではその基準を満たしているかどうかで変化するから一次も0次も変わるのは当然なの。わかる?それと、なんでWikipediaが書籍・新聞を重視しているかホントにわかってんの?方針を読めば何度も書いてあるんだけどね…。査読などの厳しい管理と図書館による将来に渡っての検証可能性の保証。DVDで同じ事が出来るの?
さらに、検証可能性には一切DVDや映像に関して記述がない。文献や書籍・新聞についてはたくさん書いてあるのにね。で、一切記述のない媒体を認めろ?普通おかしいと思わないの?
さらにさらに、DVDを出典として認めるべきかどうか話し合いがもたれてるのも知ってるの?おかしいよね、DVDが出典として認められているのなら”DVDを出典として認めろ”なんて話が出ないよね。”DVDを出典からはずすべき”という話し合いになるはずだよね。
さらにおかしいのが 出典を明記するが”そうした分野に詳しい有志の方が説明してくださっているページです”だって?これは運用すべきルールだよ。新聞は検証可能性にて言及がある。一切の記述のないDVDと同列ですか?
それとノートではDVD・映像コンテンツでの出典を認めることを留保しました。合意が取れてますが、なにか?--200.206.186.21 2008年2月25日 (月) 22:16 (UTC)
proxyユーザー(200.206.186.21)さん、おはようございます。一次情報や二次情報の定義については、もう数回ご説明させていただきました。もういちど、ご確認ください。「Wikipediaの出典基準を満たさないから0次情報だ」というお考えは、基礎を理解できていないように思います。
お書きになられた内容を拝見させていただきましたが、やはり根本的にルールの誤読があるようです。
どうしても、「公式DVD」「公式映画パンフレット」「公式CDライナーノーツ」等のものが、出典と認められないという考えに執着されるようであれば、私のほうで井戸端等で意見を訊いてもかまいません。これ以降、ここに同様の意見が書き込まれましたら、場を移して相談させていただきます。--Giftlists 2008年2月25日 (月) 22:49 (UTC)
【追記】DVDが検証可能性を満たすか否かは、記事執筆の根幹に関わってきますが、これを有耶無耶にしたままでは一向に本来の議論が進まないと思い直しましたので、後ほど井戸端で確認をしてみます。--Giftlists 2008年2月26日 (火) 03:10 (UTC)
まぁ、スレ親さんとは思いますが…。Giftlistsさんも余り熱くならないように。
私としては下記が明確になれば動画もアリかなと思います(ただ、現状満たしていないためNG)
・検証可能性…DVDが絶版になった後、10年、20年…100年たち検証可能性を満たせるのか。
書籍であれば国立図書館によってそれが可能です。
・査読等による内容の審査
そういったことを考えると、パンフレットは論外。ひとつも満たせていない。
聞くのはもしかすると検証可能性のノートの方が良いかもしれません。
それと、検証可能性で、出典に動画を加える議論があったのは本当(出典から動画を排除する議論ではない)。だから求めるのはGiftlistsさんと言うことです。--浄三入道 2008年2月26日 (火) 11:34 (UTC)
浄三入道さん、こんばんは。
いえいえ、この節を立てられたのは公開Proxyさんです。ただ、まあ公開Proxyとわかっていて真面目にお返事してしまったのは私ですので、それはよくなかったかなあとは思っています。ただ、Bellisさんが紹介してくださった先行事例ノート:医龍-Team Medical Dragon-/blockeduserを、さきほど見てきたのですが、今回の件とほぼ同じ流れですね。ノートで方針について当事者同士で平行線のまま延々とやりあって、結果、投稿ブロックというのは、双方にとってあまり気持ちのいい展開とは思えないのです。ですので編集合戦になる心配のない保護期間中に、井戸端等で、当事者以外の方に意見を聞いて空気を入れ替えてみるのは解決策として最善かと思いまして。私も公開Proxyさんとずっとお話を続けるのは、少々しんどくなってきましたし。
相談先は検証可能性のノートも考えたのですが、ひとまず井戸端にしてみました。あとで余裕があれば、テレビドラマや映画関連のプロジェクトにコメント依頼をしてみようかとは思っています。いいかげん、そろそろゲキレンジャーの話題に戻りたいですね。
・・・・・・と書いていたら、浄三入道さんはお声がけを既にしてくださっているんですね。ありがとうございます。ならば、私も少しコメント依頼等のお声がけをしてみますね。--Giftlists 2008年2月26日 (火) 12:28 (UTC)
あそこはファンサイトになっていて、多勢に無勢でした。--浄三入道 2008年2月27日 (水) 11:17 (UTC)

(インデント戻し)こんばんは。あちらでご意見をくださっている方は、各種の議論のログで見覚えのあるお名前の方が多いです。普段から井戸端で色々教えてくださっていたり、各種のプロジェクト等でファンサイト化への歯止めをかけようと働きかけをされている人たちが中心かと思います。ファンサイト的というのは、誤解かと。

で、あちらの議論とは少しはなれての私見ですが。一次資料の問題は前にも少し書いたのですが。やはり学問分野による違いが大きいと思うのです。

歴史的事件の項目を執筆しようとした時。「あの日は雨でした(老婆の日記)」「あの日は晴れでした(青年の自伝)」「あの日は雪だった(少女の手紙)」のような一次資料をいくら集めてみても、専門家でない私にはどれが正しいか判断はつきません。またどの証言が正しいか独自に研究する事も禁止されています。ゆえに信憑性のある報道記事である二次資料を複数確認しなければなりません。そして一次資料よりも、二次資料を優先して採用するように求められいます。これは何の問題も感じません。

ただ、学問分野が文学の場合はどうかというと。川端康成の『雪国』の項目を執筆しようとした時。

トンネルを抜けた先にあったのは「雪国だった(原典/一次資料)」「南国だった(川端公式パーフェクトファンブック/二次資料)」となっていても、訓練を受けていない素人の私でもどちらが正解か迷いはしません。原典が正解です。「原典である一次資料を全く疑う必要が無い」のが、他の学問分野と大きく違う所だと思うのです。

ですがWikipediaのルールは全分野共通のものですので、一次資料より二次資料を優先すべきで、原則一次資料はあてにするなとなっています。

そのルールを厳格に正しく守るならば、二次資料の「南国だった」を採用すべきなのでしょうし、「いや原典の雪国のが絶対正しいって」と主張するのは独自研究になってしまいます。そして浄三入道さんは、こうしたルールを厳格に守ろう派なのだということは、井戸端やこちらでの発言からわかっているつもりです。で、現状のルールがある以上、そうした皆さんの考えもありだとは思うのです。ですので今回は一次資料でわかることも、全て二次資料による出典をつけてつけてつけまくりました。まあ二次資料が豊富なスーパー戦隊ものでしたから、手間的にはそれほどかかりませんでしたし。

ただ、もしも「トンネルを抜けたら雪国だった(要出典)」と貼られたら、えええええええーとは言いたくなるのです。「読めばわかるって」と。(今回こういうものは一切ありませんでしたが)

「OPで3人が決めポーズをとったシーンは、ニュージーランドで撮影された」という一文ならば、「ニュージーランドで撮影の部分」に(要出典)を貼るのは当然ですし二次資料がなければ削除だと思うのですが。「OPで3人が決めポーズをとった」に(要出典)を貼られたとしたら、うーん、それは二次資料本気で探さなきゃ駄目かなあという気分には、やはりなるかなあと。(現行ルールでは探すのが推奨なのだということは承知していますが)

私は井戸端で何人かの方も仰っているように、評価や分析や行間読みが混じらなければ、一次情報の出典もありだと思っています。ただ本人は気をつけていてもついつい評価なんかは混じりがちになってしまうものなので、それは相互保管で皆で修正しあっていくのが理想かなあと。(二次資料で「僕たち3人でオープニングで決めポーズとりましたー」とか発言しているのを見つけられるのが最善かとは思いますが)--Giftlists 2008年2月27日 (水) 15:47 (UTC)

向こうで指摘したことは「TV番組と原作の差異」(TVは出典にならない)とTV放映間もない頃の「作品評価」です(出典もなく、書籍が出るには通常何ヶ月もかかるため放映間もない頃に作品評価は載らない)。個人的には書き手が主であったと思います。
まぁ、それはおいておいて、ネックになるのは「分析・評価を全く行わない」という箇所と思います。大抵百科事典に載せる意義が薄い箇所なのですが、そういった箇所で「分別のある大人~」という文を持ち出して比較した内容を載せるのは避けた方がよいとは思います。--浄三入道 2008年2月27日 (水) 22:06 (UTC)
こんばんは。ゲキレンジャーは原作がある作品ではないので、そうした事はわかりかねますが。一次資料の整理は推奨されている行為です。原作と映像作品は、どちらも一次資料ですが、そこから差異を抽出して整理、比較までは、執筆するに際し行う事としては自然かと思います。そこまではルール上の推奨行為です。そこから先に進んで、分析、解釈、評価(原作のほうがよかった云々)をはじめてしまうと、禁止されている独自研究になるかと思いますが。
フィクション的なもので、唯一秀逸な記事に入っているシャーロック・ホームズを参考にしていただければ、わかると思うのですが。一次資料から整理され精査された情報が、丁寧にまとめられています。もちろん整理精査の段階では、多くの研究本を参考にしてまとめられたのでしょうが。そして基本的に作品を読めばわかることについては作品名が添えられているだけで、二次資料(研究本)による出典はありません。一次資料である作品を読めばわかるからです。そして、作品内では一読ではわからないもの(作品内で曖昧なもの、作者の考え、場所のモデル等)について、脚注が添えられています。私はこうした形が本来の脚注のスタイルなのかなあと思っています。
それはさておき。ひとまず、外部の方の参考になるご意見はたくさんいただきましたので、この節の議論はひとまず終了し、上の節の本来のゲキレンジャーの議論に戻りませんか? 私はひとまず、この件はもうここで引かせていただきます。--Giftlists 2008年2月28日 (木) 14:46 (UTC)
TV番組の場合、放映時間が過ぎれば全く検証できなくなるのが問題です(DVD、ビデオは当時はありません)。それはやはり問題と思います。
さて、Giftlistsさんのノートにも書いたのですが、ゴーオンジャーのローカルルール的な物はどうでしょうか。良さそうであれば節を変えて、他の人にも話を伺いたいのですが。--浄三入道 2008年2月28日 (木) 22:00 (UTC)
すみません。立ててしまいました(汗)それとDVDは賛成意見が多数ですので運用しましょう。ただ、ルールに沿った運用です。パンフレットは賛否両論ありました。個人としては入手性が酷く悪いと感じるのではずしたいのですが。--浄三入道 2008年2月28日 (木) 22:36 (UTC)
シャーロックホームズは調べると出典が提示が不足しているため秀逸な記事の再選考などが行われているようです。議論している人数が少なく現状維持となっています。また出典が必要な記事のカテゴリが記事最下行にあるようです。あくまでWikipediaの記事書くのであれば、1次情報だと問題があると言った事だと考えます。
ただ、訳本にオリジナルから訳者・訳社が研究的な文を追記して全集を出版しているので、日本の全集が2次的な情報も含まれていることも影響はしていると思います。--浄三入道 2008年2月28日 (木) 22:28 (UTC)

こちらの議論については「Wikipedia:井戸端/subj/DVDや映画パンフレットは検証可能性を満たさない情報源か」にてご意見を伺いました。--Giftlists 2008年3月13日 (木) 13:06 (UTC)


世界観のチュートリアルを作りませんか?

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こんばんは。おお、放映リストができあがっていますね。

今回、保護期間中に改めてページを見てみたのですが。あらすじの件ともちょっと絡むのですが。「概要」の次の「登場人物」の節から一気にゲキレンジャー内の専門用語が飛び交う構成になっていますが、これだと視聴済の私などには問題ないのですが、未視聴の方が読むぶんにはちょっと理解するのが大変かなあと感じました。

で、現在「登場人物」や「激獣拳」の節の中に分散して掲載されている用語解説的なものや、人物相関的なものを、概要の次にもってきて、まず世界観の概略だけを頭に入れてもらう形式は、どうかなあと考えました。(キャラクター名等の詳述は、次の「登場人物」等の項目に任せ、物語の縮図みたいなものを先に示すイメージです)

具体的には、こんな感じで叩き台のイメージを作ってみたのですが、いかがでしょうか。--Giftlists 2008年3月4日 (火) 13:14 (UTC)

良さそうですね。--Pica 2008年3月4日 (火) 13:27 (UTC)
特に相関図。抽象化がうまくされていると思います。すばらしい。--Bellis 2008年3月4日 (火) 14:19 (UTC)
こんばんは。お二方とも確認ありがとうございます。もう少しご意見を待って、特に反対意見等なければ週末あたりに一度本文に反映させて、皆さんに推敲してもらいたいなと思っています(今の文は適当な仮置きなので)
それと編集していて思ったのですが、目次が長い為に右スペースがかなり余っているのがもったいないなと。Template:基礎情報 テレビ番組か、Template:Infobox animanga(こちらは特撮は対応外のようですが)のような、Infoboxを使って、スタッフ情報辺りを格納してしまおうかと今、ちらっと考えているのですが。これも反対が無さそうならば、試しで作成してみたいなと思っています。--Giftlists 2008年3月5日 (水) 14:30 (UTC)
Infoboxに限らずtemplate系は伝染力が強い(今までの経験上私はそう思う)のでプロジェクトの方で企画してほしいなあと思います。賛成/反対で言いますと賛成ではあります。--Bellis 2008年3月5日 (水) 15:43 (UTC)
こんばんは。なるほど、シリーズものですので他の作品への影響という面は確かにありますね。ゲキレンジャー単独で導入するのではなく、プロジェクトの方で企画が動くのを待つのが最善ですね。了解しました。--Giftlists 2008年3月6日 (木) 10:24 (UTC)
チュートリアルの試案を拝見させていただきましたが、これならば初見の方々にも分かりやすいのではないかと感じられました。まだ記述されていない幻獣拳については私なりに追記してみようと考えたのですが、向こうに記されているように資料が少ないのが難点ですね。少なくとも現在出ている情報だけでまとめるのは難しそうです。月末に超全集が発売されるようなのでそれが参考になればいいのですが。
問題はこれを導入するとなると、その分容量が増えるので他で釣合いを取らねばならなくなる事でしょうか。現状、容量が120kb前後にまで膨れ上がっていますし。登場人物とかゲキワザの辺りはまだまだ整理の余地があると思うので、導入にあわせてそういった部分の要約や整理の方も本格的に進めていくべきでしょう。分割という手もない事はないですが、これは可能ならば本当に最後の手段としたいところです。--Holic 629WTalkCont. 2008年3月7日 (金) 08:20 (UTC)
こんばんは。120kbですか。源氏物語と互角ですね・・・・・・。「人物紹介」が52kb、技等の「激獣拳」が31kbということを考えると、分割せずに要約整理で乗り切るとすると、かなりのダイエットが必要ですね。うーん、現状は「人物紹介」以下の項目が全てデータベース形式での記述になっていますので、これを百科事典ふうに書き換えることで、多少削減できるかもしれません。あとで、ちょっと巨大ロボ辺りの百科事典ふう書き換え草稿を試しに作成してみます。(ただ、これはコンセンサスを得るのが大変かもしれませんが)--Giftlists 2008年3月7日 (金) 14:18 (UTC)
こんにちは。HOLIC 629Wさんの提案をうけて、色々とWikipediaを巡ってきました。ドラマの登場人物等について詳述しようとすると、どうしても量が多くなる。で、特撮分野は、解決策として分割(デカレンジャーマジレンジャーボウケンジャー)を選択してきた。そして、そうした安易な分割にHOLIC 629Wさん他、有志の方が難色を示している。とまあ、状況的にはこんな感じでしょうか?
私の意見としては「将来的に分割はすべき」、ただし「先例の特撮分野の分割の仕方は踏襲したくないかなあ」です。昨日も書きましたが、現状の特撮ページはデータベースというか、リストに近い書き方になっているように思います。で、それが増えて可読性を損なうから丸ごと分割移動。登場人物について知りたかったら「分割ページ」を見てね、という形式になっています。ですが、これですと、未視聴の方がやってきて、作品を理解しようとすると、分割ページに飛んで膨大な登場人物リストに目を通さなければならず、正直、情報過多で理解が困難です。かといって、ばさっと全て削って簡略化してしまうと、既視聴組には、百科事典として物足りないと不満に感じる方もいそうに思います。私の意見としては、
  • ゲキレンジャー本体のページに「登場人物等の節は置くべき」だが、その内容は現在のような詳述なものではなく、作品理解を助けるための不可欠な情報(メイン人物に数を絞り、中身も絞ったもの)を凝縮して載せる
  • より詳しい情報を求める人(既視聴者)向けに、現存の詳細なリストが載った分割ページを案内する。(専門家向けに「専門分野の百科事典」に導くみたいなイメージでしょうか)
といった感じです。イメージとしてはen:Firefly (TV series)(en版の秀逸な記事に選ばれているテレビドラマ)のような形式がいいかなあと。
また冗長になっていますが、結論としては各節(登場人物、技等)の「凝縮要約」を百科事典ふうの形式で作成する。それを本体ページに置き、詳述リストは、分割ページに置いて誘導する。といった感じでしょうか。--Giftlists 2008年3月8日 (土) 05:19 (UTC)