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ノート:無知の知

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「不知の自覚」に関する議論

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『哲学の誕生』(納富信留、ちくま学芸文庫、2017年)などを読んで、「無知の知」という言い方は正しくなく「不知の自覚」と言うべきだという議論を知りました。Wikipedia日本語版でこの用語に触れているのは、2024年12月現在で「ソクラテス」のページのみ。しかもその唯一の記述箇所である「#無知の自覚」の節には、(節タイトルのとおり)「無知の自覚」なる用語が併用されており、これも納富氏によれば誤った語ということになります。

以上のことから、本ページに「不知の自覚」に関する記述をしたり上記「ソクラテス」のページを改善したりしようとしたのですが、この「不知の自覚」という用語への批判などの議論が存在するのか判断がつかず、一旦このノートで情報を集めようと思った次第です。

※「不知の自覚」という用語は教科書にも採用されつつあるとのことで、いずれは本ページの改名を考えても良いのかもしれませんが、現状では「認知度が高い」(←Wikipedia:記事名の付け方)とは言い難いので保留です。--Fukuneko 2nd会話2024年12月14日 (土) 21:29 (UTC)[返信]