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ノート:渡来人/過去ログ1

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みなさんは渡来人のことをよく知っていますか?知ってることがあれば教えて下さい。--219.111.68.230 2005年6月4日 (土) 21:12

かつては「帰化人」という呼び名が中心的であったが、第二次世界大戦後に左派の研究者から、「帰化」には中華思想的な思想がこめられているとして、「文化・社会的に劣っていた日本に、進んだ朝鮮や中国の人間が『帰化』することはおかしい」という主張から「渡来人」の呼び名が提唱された。しかし、「渡来ではただ来たことを意味するだけで、そこに骨を埋めるという意味がない」「古来から使用されてきた言葉を、現代人の都合で勝手に変えてはいけない」などの反対論もある。

意味不明な記述ですが、何にしろこの手の記述をする際には参考資料の出典を必ず明記して欲しいものです。Hermeneus (talk) 2005年7月2日 (土) 00:47 (UTC)

関晃、上田正明、平野邦雄の各氏がこの帰化と渡来について丁寧な論が出ているからその辺りの文献を参考にするべきでは?--以上の署名のないコメントは、133.19.126.5会話/Whois)さんが 2006年6月27日 (火) 04:40 (UTC) に投稿したものです。


--210.132.129.180 2009年7月26日 (日) 08:04 (UTC)

渡来人(とらいじん)とは、広義には、海外から日本に渡って来た人々を意味するが、狭義には、中国大陸から南西諸島朝鮮半島などを経由して、古代日本に渡来帰化した人々を指す。渡来は一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの移入の波があったと考えられている。また、そのルーツに関しても、黄河流域~山東半島揚子江流域、満州~朝鮮半島など様々で、渡来の規模とともに今なお議論の対象となっている(最近の遺伝子研究ではおおむねにおいて渡来人は北東アジア起源が有力である)。(水稲)稲作に始まり、後には仏教や寺院建築技術などを日本に持ち込み、古代日本における文化・政権形成に大きな役割を演じたと考えられている。

古くは縄文時代の終わり、約2500年前頃よりアジア大陸から、春秋時代やその後の戦国時代にかけての混乱と戦災を避けて日本に渡ってきたと思われる。考古学的調査により、彼らが最初に水稲を持ち込んだ(陸稲は約3500年前から存在。約6000年前からという説も)とも考えられている。

その後、弥生時代に近づくと朝鮮半島からの移民も増え、さらに古墳時代にはヤマト王権に仕える技術者集団としてたくさんの人々が渡来した。大和朝廷に仕えた渡来人としては、秦氏東漢氏西文氏が代表的であり、他に鞍部村主司馬達等(止)(大唐漢人、継体朝敏達朝)、鞍部多須奈(用明朝)、鞍首止利仏師(推古朝)、高向玄理、新漢人ミン、鑑真などがいる。

また飛鳥時代には百済の滅亡により亡命貴族が多数渡来するなど、流入と同化を繰り返した。中でも最後の百済王義慈王の王子の禅広は、持統天皇より百済王(くだらのこにきし)の氏姓を賜り、百済系氏族の長的な存在となった。

かつては帰化人という呼び名が学会の主流であったが、「帰化」には日本中心的なニュアンスがあるとして上田正昭らにより「渡来人」の呼称が提唱され、学界の主流となった。しかし、「渡来」には単に渡ってやって来たという語義しかなく、倭国王(治天下大王)に帰属したという意味合いを持たないため、やはり「帰化」を用いた方が適切だとする関晃平野邦雄らの見解もある。 --以上の署名のないコメントは、123.219.134.112会話/Whois)さんが 2007年9月5日 (水) 13:04 (UTC) に投稿したものです。

①じゃ、とりあえず、このくだり。

ただし、現在では水稲等の農法は日本から朝鮮半島に伝わったことが稲の遺伝子研究で明らかとなっている。また弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果がある。日本人はアイヌを含めて等質性が高く、弥生以降の渡来人との混血は少ないとする研究もある。

まず、水稲等の農法が日本より朝鮮に伝わったことが、「明らか」となったとありますが、池橋(2005)等、依然異論もあり、考古学者に広く受け入れられたわけではありません。また、根井・松本は、弥生以降の日本人に渡来系の遺伝子がほとんど影響を与えないという見解で、埴原はもちろん尾本、篠田、宝来らと完全に対立した見解であり、しかも現在の人類学界では孤立しつつある見解です。このような意見だけをことさらに載せるのは中立的な記事とは言えません。1週間異論がなければ全面削除します。--Suhuitoburaito 2009年7月25日 (土) 18:03 (UTC)

異論あり。異説があるならば追記すれば良いだけの話。気に入らないものを削除しまくる行為はお止めなさい。--220.147.8.193 2009年7月26日 (日) 01:38 (UTC)

②もちろん、稲作について朝鮮半島経由説を追記することや、日本人混血説を追記することによって、学問的状況をより正確に表すことは可能です。後者については混血説の方がコンセンサスを得つつあることを書く必要すらあるでしょう。しかし、事典の項目からすれば、「渡来人」であり、稲作や日本人の起源を語るところではありません。だから、そもそも日本人は純血だとか、稲作は日本から朝鮮に渡ったとかもふくめ、わざわざ確定しない事実を一方的、確定的に書いて虚偽の認識に導くことは論外ですが、様々な説を論争的に書く必要も無いとも考えられます。そのようなことは、「日本人」や「稲作」の項目を見ればよいのです。事実、指摘したくだりは、そもそも「渡来人」項目にはなかったのであり、なかったとしても、事典の記述としてはまったく不自然なく受け入れられるものです。以上一応異論には反論しましたので、回答をよろしく。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 03:18 (UTC)

異論あり。渡来人の状況を伝える一要素である。無関係と言うことはできない。そしてそんな微妙な点ならば、除去には合意が必要です。削除嵐とならぬようお気をつけを。以上。--218.217.158.44 2009年7月26日 (日) 05:32 (UTC)

③あなたの論理を用いれば、渡来人と「無関係と言うことはできない」ことならば何でも載せなくてはいけなくなってしまいます。きわめてばかげたことであり、非現実的でもあります。元々このような文章はなかったし、なくとも「渡来人」の記事としては成立しますので、やはり全面削除が妥当でしょう。以上。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 08:05 (UTC)

あなたの論理を用いれば、記事の発展が望めず、単なる辞書になっていきますな。--218.217.158.44 2009年7月26日 (日) 08:46 (UTC)

④いや、私の編集は現実に辞典の記事になってますから(といいますか、そもそも多くの人のつみかさねの記事に戻すわけです)、その論理は成り立ちません。「渡来人」の項目に、「日本人」に書いてある内容とほとんど重複(しかも奇妙に偏った内容である)した記事や、稲作起源論を載せる必要はなく、削除すべきであると言うことです。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 09:13 (UTC)

渡来人の状況の説明に「揚子江流域などから伝わった稲作から始まった」などと一つの説を冒頭に置き、説明されているのだから、詳細に稲作ついて別の説を書かれてもNPOVの観点から仕方がない。あなただけが反応しているという事実があるのみですわな。ま、渡来人について知ることのできる一つの記載を削除するのには大異論を述べておきますわ。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 11:13 (UTC)

⑤それはおかしいね。「揚子江流域などから伝わった稲作から始まった」って書いてあっても、揚子江流域から意見の分かれるどのコースをたどって伝わったなどとは書いておらず、全く中立的な記述です。冒頭の文章は議論の分かれる詳細はあえて書いてないわけであり、正当な記述態度です。中立的観点を破壊しているのは、問題にしている「くだり」があるからであり、これを削除することによって解決されるべきでしょう。しつこく反論しているのは「あなただけ」です。いずれにせよ再度論破されました。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 12:20 (UTC)

「稲作起源説を載せる必要はなく」という主張だった気がするのだが、もう「揚子江流域起源説はOK」に変えたのかな?出所も、コースもそれぞれ説があり、その中には有力説や今や支持者は少ないものもあるようだ。それを記載すればよいだけの話。突っ込まれると主張を変化させるという一貫性のないものであり、削除するための言動でしかなく、説得力がない。つまりそんな主張には反対しておきますわ。真に残念ですが、あなたの編集は他の方に戻されてますな。「あなただけ」にお気づきを。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 12:37 (UTC)

⑥ハア? 私は最初から、「揚子江流域などから伝わった稲作から始まった」という記述なんか問題にしてませんよ。そのことは、最初から問題としている「くだり」を明示していることから明らかでしょう。私はその経路について、「日本から朝鮮へ水稲農法がつたわったのが明らか」と言うような記述を断定的に一方的に載せるのがおかしいと言っているのですよ。曲解するのもいい加減にしてください。コースについて諸説があるのだから、それについては「稲作」の項目で説明されている以上ここで書く必要はないと言うことです。よって今の書き込みは有効な反論とは見なさず、荒らしまたは編集に対する卑劣ないやがらせと見なします。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 13:05 (UTC)

だから稲作について書かれているのだから経路が書かれても問題ないでしょう。修正したいなら削除でなく修正案を出したらどうかな?「稲作起源説を載せる必要はなく」という主張をしながら、「揚子江流域起源説の記述はOK」としている自己矛盾に気付いてくださいな。自分の主張をしっかり認識するように。ルートだけでなく起源にも諸説あり、個人的に気になるルートの部分だけを強行削除しないこと。それこそ荒らしである。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 13:17 (UTC)

⑦>だから稲作について書かれているのだから経路が書かれても問題ないでしょう。

経路については諸説あるのだから、特定の説だけを「明らか」と書くのは問題です。

>「稲作起源説を載せる必要はなく」という主張をしながら、「揚子江流域起源説の記述はOK」としている自己矛盾に気付いてくださいな。自分の主張をしっかり認識するように。

失礼なこと言うなよ。私は最初から問題にしている「くだり」を明示しており、「稲作起源説を載せる必要はなく」は稲作の伝搬経路について様々の説をここで甲論乙駁の形で書くのはふさわしくないといっているんですよ。悪質ないいがかりはやめてください。よってあなたの書き込みは、編集妨害の荒らしと見なします。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 13:28 (UTC)

じゃ「明らか」を修正すりゃいいだけでしょうに。個人的に気にいらないものを削除しまくるなと。あなたの悪い癖だ。起源もルートも諸説ある。ルートを消すなら起源も消さなきゃpov。渡来人に稲作が関係しているなら、詳細に書けば良い。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 13:37 (UTC)

⑧>じゃ「明らか」を修正すりゃいいだけでしょうに。

②で論破したことを蒸し返しているだけなので、有効な反論と見なしません。

>個人的に気にいらないものを削除しまくるなと。あなたの悪い癖だ。

説が割れているものを断定的に書くのは、故意に誤った認識に誘導するためにする書き方であり、削除すべきと言っているのです。

>ルートを消すなら起源も消さなきゃpov。

説が割れているのを断定的に書いているのを消せといっているのです。曲解とみなします。

>渡来人に稲作が関係しているなら、詳細に書けば良い。

渡来人が関係しているなら、すべて詳細に書かなければいけないというのはばかげており、すでに③で論破されています。

以上すでに論破された議論を蒸し返しているだけなので、荒らしと見なします。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 13:48 (UTC)

論破も何もない状態で「論破した」で回答されちゃ、話が進まず、説得力も出ませんよ。残念ですが合意は難しそうですな。案も出さないようですし、出典があり、渡来人と関係している事柄の記載は削除理由がなく、徹底的に反対しておきます。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 13:57 (UTC)

⑨「削除すべき」と言っているんだから、ちゃんと案は出してるじゃないですか(笑)

>出典があり、渡来人と関係している事柄の記載は削除理由がなく

この論理を用いれば、出典があり、渡来人と関係している事柄はすべて、「渡来人」項目に載せるべきと言うことになってしまいます。すでに③で論破されており、有効な反論ではなく、編集妨害のための荒らしと見なします。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 14:03 (UTC)

削除が案とは恐れいった(笑)。じゃ大反対ですわ。どこに論破があるのか見当たらないが、関係している事柄ならば、すべて書けば良い。大量の文になったときに分割なり、より重要な事柄のチョイスを皆で考えればよいだけである。残念ながら削除理由となっていない。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 14:11 (UTC)

⑩編集阻止の嫌がらせのための荒らしですね。あいにくこういうのは有効な反論とは見なしませんので。--Suhuitoburaito 2009年7月26日 (日) 14:20 (UTC)

そもそもあなたの行為が有効でないわけで。そんな編集姿勢では誰にも納得してもらえません。--218.217.115.162 2009年7月26日 (日) 14:49 (UTC)

Suhuitoburaitoさんの編集態度について

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Suhuitoburaitoさん、とにかく挑発的な内容の投稿はおやめ下さい。(笑い)とか「ハア?」とかの表記は、相手を挑発するだけで、冷静な議論が推奨されるノートでの議論では全く不必要なものです。本文で強引なリバートを繰り返すのもお控えください。リバート合戦を頻発させる結果になっているのはご承知だと思います。今後このような編集態度を改められないのであれば管理者に通報します。--Kogane 2009年7月28日 (火) 02:21 (UTC)

118.36.147.60氏及びジェネレーションアッパー氏へ

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118.36.147.60氏のIPは韓国から接続されているので韓国人でしょうが、削除理由の「属国だったということがどの歴史書にも明記されていない」「日本への渡来人についての項目であり、朝鮮半島への人物について語るのはおかしい。これは前方後円墳で語るべき」ですが、

1.属国という直接的な表現が気に入らないから言葉を濁せと仰るなら「ヤマト王権は属国の百済」から「ヤマト王権の強い影響下にあった百済」に変更してもかまいません。

広開土王碑

百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。 而倭、以辛卯年[391]來、渡毎破百殘、更□新羅、以爲臣民。

百済と新羅は高句麗の属国だったが、391年に日本が海を渡って攻めてきて 百済を打ち破り、さらに新羅も打ち破って属国にした。

隋書 巻81 東夷伝 倭国

隋書 原文 右4行目から5行目 新羅百済皆以倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来

新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い 仰ぎ、つねに使いを送り、往来している

宋書 巻97 夷蛮伝 倭国

興死弟武立 自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大 將軍倭國王(中略)…詔除武使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事 安東大將軍倭王

倭王武の時代に宋から使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍倭王の称号を受ける。

三国史記 新羅本紀

倭国と好誼を通じ、奈勿王の子未斯欣を人質とした。 均貞に大阿滄を授け、仮に王子として倭国に人質として送ろうとした。

三国史記 百済本紀

(阿宰)王は、倭国と好誼を結び、太子の腆支を人質とした。 太子であった扶余豊は、かつて倭国に人質となっていた。

梁職貢図 新羅題記

新羅は倭の属国

2.日本への渡来についての記事が主ですが、渡来人の項目ですから、日本から渡来した事例も存在すると簡単に触れてる程度であり、問題視するほどの記事分量ではない。

3.「秦氏、東漢氏は加羅または新羅からきたのではないかとも考えられている」は、秦氏は加羅・新羅説の他、秦朝説、前秦の貴族説など諸説あり、定説には至っていない。よって数多ある仮説のうちの1つを断定的に書く行為POV、ORに触れる。

4.「自称ではあるが、朝鮮半島ではなく中国大陸にルーツを持つ人物が多い」は、前出の秦氏をはじめ、王仁など中国大陸にルーツを持つ人物が多い事は歴史的事実である。

5.百済がヤマト王権の属国か否かがそれほど重要でしょうか?アメリカ大使館なんて「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」って言ってるんだよ(駐日アメリカ合衆国大使館#ウィキペディア日本語版書き換え問題)。それに、スペインの新聞なんて「朝鮮は4228年間、中国の植民地だった」なんて報道してるんだから(朝鮮半島を中国とみなす記述)。箕子朝鮮は中国人箕子で、衛氏朝鮮は中国人衛満で、箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡で朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族で、新羅は秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の辰韓の国で、百済の支配層はツングース系夫余族(現在の満州族)で、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域が中国領になって、高麗時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、李氏朝鮮の建国者の李成桂は女真人で、朝鮮史なんて中国からの敗残者の残りカスが造った訳だから。--13番目の男 2012年1月8日 (日) 11:57 (UTC)

朝鮮は漢の植民地ではないだろう、収奪するどころか費用が掛かるという理由で郡県統治から羈縻支配へ制度変更しているから、植民地ではなく辺土かと。扶余と高句麗がツングース系というのも、粛慎とその後継の言語が扶余高句麗と異なり東夷の中で独異という事実からして眉唾。高麗時代に朝鮮半島北西部が植民地となったとするのも疑問で、元朝時代は朝鮮半島全土が元の領土になったが、北部と中南部の管轄が違うだけで共に元が直接支配する領土であり、植民地と見るのは誤りではないか。--59.85.58.113 2012年1月9日 (月) 02:52 (UTC)