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ノート:海外出身の武士の一覧

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記事の題名が「海外」になっていますがこれは日本POVになっていませんか?それであれば誰かが移動すべきと思いますが?--210.235.94.166 2018年3月28日 (水) 14:16 (UTC)[返信]

「武士」という言葉が自ずから「日本における特別な軍事階級」という意味を含意していると思ったので、「海外」はより平易な言い方だとは思うのですが……変えるなら「日本国外出身の武士の一覧」でしょうか。--Sacchisachi会話2018年3月31日 (土) 02:35 (UTC)[返信]

可能性があった人物の欄について[編集]

可能性があった人物を書くのは良いと思いますが、反論があるとか根拠が無いなどの理由で「可能性」という事になってるはずですよね。そこらへんを追加しておかないと「可能性じゃなくて、武士じゃん?」って言う人が出てくると思います。--240B:11:C202:6000:38EC:3F03:4A92:BD0A 2024年7月4日 (木) 09:47 (UTC)[返信]

武将の家臣ではあったが、合戦に参加したことが定かではない人物について[編集]

2024年7月現在、インターネット上ではこのページに記載されている弥助という人物について様々な推測や憶測が飛び交っています。

この人物は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノから当時の戦国武将織田信長に譲渡されたことと、家忠日記などに彼の風体を記したいくつかの資料が残されるのみで、合戦に参加し戦闘行為を行った記録が全く残されていません。先述の家忠日記は甲州征伐からの帰国途上の織田軍の中に彼が連れてこられていたことを示していますが、この甲州征伐は彼の使える織田信長が本格的に参戦する前にその戦が終了しているとされています。

また、彼には苗字が与えられていかったことも、彼を武士と定義することに対して疑義を示します。


このページでもすでに編集合戦が過去に起こっている様子のため、安土桃山時代当時に可能な限り近い、信用に値するソースを募るべきであると愚考します。

残念なことに自分は日本人ではあっても歴史の研究者ではなく、この時代の特に信頼のおける資料とされる一つ、信長公記さえその原文を読んだことのない浅学の身です。

そのため、この話題に心ある方の多くの助力を得られることと、それによって日本の正しい歴史・文化、そして弥助本人の名誉が守られることを願います。--240B:11:8961:CA00:59E:3EA9:78:8076 2024年7月8日 (月) 08:05 (UTC)[返信]