ノート:永井敏己
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この記事は2014年6月3日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
ベース・マガジン 2010年11月号[1]、個人名義の教則ビデオあり、複数の所属バンドはメジャーからリリース。--以上の署名のないコメントは、Ks aka 98(会話・投稿記録)さんが 2014年6月2日 (月) 16:43 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。
新規作成した者です。加筆いただいた皆さんありがとうございます。様々なページで永井氏のリンクがなかったり赤文字だったりで何だかなぁ…と思って、基本情報だけでとりあえず起こしてみたのですが、作りっぱなしはマズかったですね、お詫びします。
履歴を辿ってみましたが、短いから、公式サイトしか出典がないから削除、というのは些か乱暴ですね。どう思われますか、山田晴通殿。--F446(会話) 2014年6月3日 (火) 14:11 (UTC)
- F446氏、立項のほど、お疲れ様です。2014年6月現在の現役管理者陣で、かような即時削除を行う可能性のある管理者/削除者は恐らくほとんどいらっしゃいませんので、大方は安全なのですが・・・。まあその、jawpにはやってみないとわからない、と言うことが色々あります。今回の事件は、記事を削除することに意欲を燃やすIP利用者が貼った即時削除を求めるタグに(そういった利用者は恐らく永久に無くならないでしょう)、ホイホイ乗せられた管理者がいた、と言う話の域を出ません。ですが一応、立項時にはなんとかして、第三者言及による文献資料は、紙でもネットでも良いですから、1つでいい、探して付けておいた方がいいでしょう。それが抑止力になります。私の出典貼付も「細かすぎ」と思う方もいらっしゃるでしょうが、検証可能性の確保と同時に、不埒な書き込みの抑止力ともなっているのです。F446氏はアカウント歴も長い方ですから、これ以上の説明はご不要かと存じます。今後のご活躍をお祈り申し上げます。--Hman(会話) 2014年6月3日 (火) 14:39 (UTC)
- VIENNAの一員としてデビューした当時だけでも、複数の音楽誌で(個別インタビューでなくバンド・メンバー全員ですが)インタビュー記事を確認できたので、それを元に加筆しました。プログレッシヴ・ロック専門誌『Marquee』Vol.28(1990年代の途中まではプログレ専門誌でした)だけならともかく、日本のメタルやロックン・ロールを手広く扱った『ロッキンf』1988年5月号でも、インタビュー記事だけでなくバンドのカラー・ピンナップも掲載され、おまけに彼らの楽曲の付録ソノシートまで付いていた以上、1988年の時点で既に「信頼できる情報源」において「些細でない形で取り扱われた」と言えるでしょう。氏はVIENNA解散後もご活躍を続けてこられた方なので、探せばまだまだ「信頼できる情報源」は出てくると思います。--Ikespirit(会話) 2014年6月6日 (金) 11:55 (UTC)
- やはり餅は餅屋、でございますね。私などですと文献の入手も困難ですし(専門分野の雑誌・文献なら多く持っていたり、どこが蔵書しているかもわかっているのですが・・・)、この様な加筆には何ヶ月かかったものやら・・・。現状で十分に有意義な記事となっているかとは思いますが、雑誌を当たるだけで10や20の特集・インタビューは出て来そうな感じですね。数年後にはこの記事は更なる発展を遂げていることでしょう。立項者のF446氏やIkespirit氏と言った、専門の執筆者の皆様のご活躍に、ご期待申し上げます。--Hman(会話) 2014年6月6日 (金) 15:50 (UTC)
削除審議からの転記
[編集]今後の記事の発展に有用と思われますので、Wikipedia:削除依頼/永井敏己 2014年6月3日 (火) 08:35 UTC より、Ks aka 98氏とBenpedia氏のコメントを転記させて頂きます。Ks aka 98氏のコメントに関しましては、転記の趣旨上、ケースAの部分は省略させて頂きました。ご了承下さい。文献(雑誌)に直接当たれる方による、将来の調査・加筆を期待します。
- ケースEについて、「信頼できる第三者言及による特筆性の証明が提示されていない音楽家」であることは、削除の理由になりません。特筆性の観点からは、特筆性のガイドラインを満たしていない記事では、記事の削除は最終手段であるべきであり、情報源を誠実に探すことが求められます。手続き上、WP:Nが求める要件を満たしていません。また、VIENNAはキング、DED CHAPLINはコロムビア、GERARDはキングからのリリース、ExhiVisionはリイシュー時に記事がありました[2]。記事にある情報や公式サイトサイトで得られる情報からだけでも、明らかに特筆性を満たさないような演奏家ではないとは判断できますし、実際に個人としてだけでも、『シンコー・ミュージック・ムック jazz bass player』に連載があり[3]、シグネチャモデルがあり[4]、リットーから教則ビデオも出しています。調査時の様子から、バンドで活動していた時期から優れた演奏者であると評価されていたと思われ、過去の楽器、プログレ、フュージョン関係の雑誌から情報が得られることも予想できますが、ネットで拾える情報から個人を主題とした記事と思われるものだけでも、ベース・マガジン 2000年12月号にインタビュー[5]、1992年5月にも記事[6]があることがわかります。対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定できます。--Ks aka 98(会話) 2014年6月3日 (火) 06:21 (UTC)
- コメント 編集競合しましたがそのまま記載します。ノートに記載されている内容をネット上で確認。『BASS MAGAZINE』、2010年11月号、リットーミュージックに永井ほか、富倉安生、坂本竜太、山田章典の4名による座談会が掲載。ムック『ジャズベース・プレイヤー』、シンコー・ミュージックでは「永井敏己のメロディアス・ベースライン・メソッド」を連載。Vol.2(2006年7月)では「永井敏己 vs 岡田治郎のスペシャル対談」も掲載されている。教則ビデオテープ(VHS)が1992年にリットーミュージックから発売されている。使用しているベースのメーカー、フェルナンデス (楽器メーカー)の使用アーティストとして紹介されている49人のうちの一人で、そのブランド「P-PROJECT」からシグネイチャーモデルのベースが発売されていたこともある。ズーム (楽器メーカー)の129アーティスト、ハートキーの32アーティストの一人。フレットレスベースの奏者として、長く尊敬されている音楽家と思われるのですが、第三者言及による明確な評価が見当たらなかったこと、専門ではないことからコメントとします。なお永井敏巳(異体字)からのリダイレクトが存在しています。--Benpedia(会話) 2014年6月3日 (火) 06:57 (UTC)
以上です。--Hman(会話) 2014年6月3日 (火) 08:44 (UTC)