ノート:梅ヶ谷藤太郎 (2代)
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最年少横綱昇進記録について
[編集]現在、
と記述されていますが、この書き方だと照国の記録を北の湖が更新した、と読めてしまうと思います。実際には1961年9月場所後に柏戸と大鵬がそれぞれ22歳10ヶ月と21歳9ヶ月で同時昇進を果たしているのに、彼らを無視する形になってしまう。でも、
- 24歳6ヶ月での昇進は当時の最年少記録だったが、この29年後(1942年)に照國萬藏が23歳4ヶ月で記録を更新した。その19年後の1961年には柏戸と大鵬がそれぞれ22歳10ヶ月と21歳9ヶ月での昇進を果たし、さらに13年後には北の湖敏満が21歳2ヶ月で史上最年少での昇進を記録。
などと書くと、いささか冗長。というわけで、
くらいにしておくのが妥当と思いますが、いかがでしょう。--橋川桂と11:25の死線 2012年6月16日 (土) 11:25 (UTC)
- 特に反対も出なかったようなので、上述の通り編集しますね。--橋川桂と09:59の死線 2012年6月21日 (木) 09:59 (UTC)
年寄名跡の表記について
[編集]この項目に限っての問題でもないですが、相撲の年寄のことを「現役名(項目名)|年寄名跡」のようなリンクの貼り方をする読む人に対して不親切でしょう。リンク先に飛べばそうとわかる、という書き方では、この項目だけを見たら現在までに17人いる雷親方の中の誰かわからない。閲覧環境によってはリンク先がポップアップ表示されない人もいるでしょうし、やはり、新聞や相撲書で一般に用いられる、
のような書き方の方が親切だろうと思いますが、いかがでしょう。--橋川桂と14:03の死線 2013年7月17日 (水) 14:03 (UTC)
- 反対意見もないようなので編集します。--橋川桂と02:03の死線 2013年8月7日 (水) 02:03 (UTC)