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ノート:東本願寺 (台東区)

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改名提案(3回目)

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項目名を「東本願寺 (台東区) 」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に改名する提案です。

再提案理由
ガイドライン「Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うこと」に沿った項目名にする。
文化庁編『宗教年鑑』に記載されている名称である。
出典 - 文化庁編『宗教年鑑』平成13年版、p.130「第3部 宗教団体一覧 2 文部科学大臣所轄単位宗教法人一覧」に、名称「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と記載されている。
記事の公式サイト名に用いられている名称である。
出典 - 公式サイトの名称が「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」である。また、同サイトの東本願寺の法統 > 11 法統伝承に「平成13年04月26日 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の名称が文化庁より認証される」という記述があります。
コメントは下記にお願いいたします。--Resto1578会話2016年10月13日 (木) 03:26 (UTC)[返信]

コメント 要参照 改名の理由について、議論を重ねたことにより増えています。「#提案者による中間報告」の節も参照してください。--Resto1578会話2016年11月7日 (月) 09:46 (UTC)[返信]

コメント1

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反対 認知度が高い、見つけやすい、簡潔という基準に当てはまらないと思います。正式名称はこれらの基準に当てはまるようにつけるべきであって、正式名称をつけることが最優先ではないはずです。「東本願寺 (台東区) 」で十分厳密であり、正式名称は長すぎるので本文中で提示するだけで良いと思います--Ryo 625会話2016年10月13日 (木) 20:38 (UTC)[返信]
コメント コメント1
こんにちは、Ryo 625さん。上記コメントに対しての反論になります。
a. 認知度が高い ⇒ 曖昧さ回避を行っている記事名である時点で、「一般的に使われている」「最も著名」という条件から外れるものと考えます。
b. 見つけやすい ⇒ 「東本願寺 (台東区) 」は、多くの記事でパイプ付きリンクを用いてリンクされている点からも「自然に他の記事からリンクできるもの」とは言い難い。
具体的には、以下のように用いられているのを確認しました。
どれもが真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称・真宗本廟)と区別がつきにくい上、真宗大谷派との関連性についても誤解を与えかねない状態で用いられています。
c. 曖昧でない ⇒ (言及されず。) - 「その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」の条件を満たすには、「東本願寺 (台東区)」では的確とはいえないため、正式名称に改名すべきと考えます。
「曖昧でない」ことを重点に置くべきで、記事名の長さよりも優先されるべきと考えます。Category:長大な項目名にて確認できるように、15文字よりも長い記事名は存在しているため問題はないと考えます。
d. 簡潔 ⇒ 見つけやすいと同様に、「要点を突いているもの」とは言い難い。
e. 首尾一貫していいる ⇒ (言及されず。)
私の意見についてコメントをお願いいたします。--Resto1578会話) 2016年10月14日 (金) 10:43 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年10月14日 (金) 11:22 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年10月15日 (土) 01:41 (UTC)・(整理)--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 02:38 (UTC)[返信]
コメント コメント2
曖昧さ回避を行っている記事名である時点で、「一般的に使われている」「最も著名」という条件から外れるものと考えます。
⇒まず、最初に。これはResto1578さんが提案した正式名称への反対理由であって、「東本願寺_(台東区)」を推す理由ではありません。「東本願寺_(台東区)」は相対的にマシというだけです。
見つけやすい ⇒ 「難い。
具体的には、以下のように用いられているのを確認しました。
⇒それは正式名称も同じ問題を抱えていて、要するに「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という正式名称ではなく「東本願寺」と認識されているということの証明に過ぎないのではないでしょうか。
東本願寺 (台東区) 」は、多くの記事でパイプ付きリンクを用いてリンクされている点からも「自然に他の記事からリンクできるもの」とは言い難い。
その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」の条件を満たすには、「東本願寺 (台東区)」では的確とはいえないため、正式名称に改名すべきと考えます。
⇒いいえ、「東本願寺 (台東区)」で十分に曖昧さを排除しています。大谷派の「東本願寺」は台東区には存在しません。もし問題になるなら、それは大谷派の真宗本廟が「東本願寺」という通称を独占して使っているためではないでしょうか。中立性の観点から向こうも正式名称にし、東本願寺は曖昧さ回避のページにリダイレクトするなら理解できます。もし本当に記事名の長さが問題ではなく、曖昧さが問題なら、真宗本廟と相伴って調整しないと筋が通りません。どうでしょうか。
繰り返しますが、「曖昧でない」ことを重点に置くべき」とするなら大谷派の真宗本廟と同時に議論すべき問題だと思います。よろしくお願いします--Ryo 625会話) 2016年10月14日 (金) 12:19 (UTC)・(見出し番号を追加)--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 01:41 (UTC)[返信]
コメント コメント3
コメント2に対する回答
2-a 言葉をうまく選ぶことができませんが、「相対的にマシ」という理由で正式名称への改名を反対されても議論ができません。「東本願寺 (台東区)」は、「認知度が高い」とは言えないものと考えます。
2-b 誤認して記述している記事の「東本願寺」等の記述を「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に修正する。そのリンク先も「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」とするのであれば、百科事典として誤認される問題は解消されると考えます。百科事典が「正式名称ではなく「東本願寺」と認識されているということの証明」をしても意味がありません。解消すべき問題です。
2-c 「本改名提案をするのであれば、東本願寺を真宗本廟と改名すべきとの意見について」というご指摘については、必要ないと考えます。理由は、東本願寺の認知度の高さなどWP:CRITERIAの条件をすべて満たしているからです。
信頼できる情報源をいくつか挙げると、田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』白馬社では、東本願寺は真宗大谷派の本山を指しています。他にも『岩波仏教辞典』p.840、『真宗新辞典』p.456「本願寺 2 東本願寺」(真宗本廟についての記述あり。)、コトバンク「東本願寺」があります。
また、真宗大谷派(東本願寺)の公式サイトのURLは、「http://www.higashihonganji.or.jp/」です。真宗大谷派の出版物も、発行所を「東本願寺出版(真宗大谷派宗務所出版部)」(「真宗大谷派出版部(東本願寺出版部)」・「東本願寺出版部」)として発行しています[1]。同出版物の背表紙には「東本願寺」と記されているものが多く確認できます。
ご存知かとは思いますが、プロジェクト:仏教で議論されて「東本願寺」という記事名にすることが決められております。かつ、上記の認知度の高さや、真宗大谷派自身が「東本願寺」を多用している点が認められます。よって「東本願寺」を「真宗本廟」へ改名する必要はないと考えます
対して、浄土真宗東本願寺派の本山である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、もとは真宗大谷派の別院「東京別院東京本願寺[2][3]」が、1981年6月15日に真宗大谷派からの離脱を東京都知事が認証したため「東京本願寺」となる。1988年2月29日に「浄土真宗東本願寺派」が結成される。2001年4月26日に文部科学大臣所轄単位宗教法人「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が認証される。このように歴史的経緯から見ても「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は「東本願寺」であったことはありません。かつて台東区に「(真宗大谷派)東京別院東京本願寺」があっただけです。
以上、コメント2について回答いたしました。よろしくお願いいたします。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 02:31 (UTC)[返信]
コメントまず、ここは「東本願寺」名称の歴史性や正当性を議論する場所ではないことを確認しておきたいと思います。「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」をお寺の名前で呼ぶなら、「東本願寺」でしょう。Resto1578さんが提示されたパイプ付きリンクも「東本願寺」として認識されている例証にしか思えませんが。そして、現状でそこまで酷い不具合が生じているようにはとても思えません--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 06:39 (UTC)[返信]
コメント
「浅草本願寺」⇒(「〈真宗大谷派〉浅草本願寺」/「〈真宗大谷派〉浅草別院」)⇒「〈真宗大谷派〉東京別院東京本願寺」⇒「東京本願寺」⇒「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という名称の歴史的経緯は他の記事との整合を考えると議論の対象と考えております。具体的には「浅草本願寺」について記述した記事は、リダイレクト「浅草本願寺」にリンクさせるべきということです。本願寺の法統の継承などについての正統性については議論するつもりはありません。
YAHOO!知恵袋や個人のブログなどで「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」について、真宗大谷派の本山「東本願寺」等と混同・誤解している記事を散見します。百科事典として正しい知識を読者に提供すべきと考えます。「台東区#寺・神社等」で「東本願寺」が記載されていることは、編集者のミスであり議論が終わり次第、修正したいと考えております。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 07:30 (UTC)[返信]
  • 反対 まず、正式名称についてですが、Wikipedia:記事名の付け方では当初「正式名称をつかうこと」となっていたものが次第にその比重を下げてきており、セクション名も前回提案の「正式名称をつかうこと」から現時点では単に「正式名称」と変わっていて、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの基準が優先されるようになっています。
対象の公式サイト自体でも「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と書かずに「東本願寺」とだけ書いている箇所が多いことから明らかなように、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は簡潔な名称とは言えず、「東本願寺」の方がはるかに簡潔です。また、その公式サイトだけではく浅草浄苑]などでも「東本願寺」表記を使っており、現在の記事名の根拠としては十分だと考えます。--アルビレオ会話2016年10月15日 (土) 05:06 (UTC)[返信]
コメント コメント4
アルビレオさん、こんにちは。議論への参加有難うございます。
Wikipedia:記事名の付け方#正式名称に「記事名は「記事名を付けるには」にある基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用します。」とあります。「現時点では単に「正式名称」と変わっていて、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの基準が優先されるようになっています。」とのご意見はアルビレオさんの独自な見解と考え同意いたしかねます。
「記事名を付けるには」についての説明は上記にいたしました。アルビレオさんのご指摘によると「曖昧でない」という基準に完全に反しています。コメント3の2-cに挙げた出典が論拠です。
「東本願寺 浅草浄苑」のサイトの記述についてですが、東京台東区浅草の永代供養墓 東本願寺浅草浄苑 > ごあいさつでは「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と結び、トップページ右側の「東本願寺 浅草浄苑」の説明には「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 浅草浄苑事業部」と記載されています。前述のとおり宗教法人名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」です。その法人が運営・管理する墓地の公式サイトで「東本願寺」の語を使っているからといって根拠とはなりえません。浄土真宗東本願寺派においては「東本願寺といえば本山のことだ」ということだけで、公式サイト「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」以外の信頼できる情報源においては、「東本願寺」は真宗大谷派の本山について記述されています。このことは「曖昧でない」という基準に反する論証となると考えます。また「簡潔」なだけで、「認知度が高い」・「曖昧でない」・「首尾一貫している」の基準に反しています
質問 Ryo 625さん、アルビレオさんのお二方に質問させてください。
記事名を「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」とした場合、記事名の長さ以外の問題点について簡潔に説明していただけないでしょうか。
逆説的に言えば、現在の記事名が「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」だったとしたら、記事名を「東本願寺 (台東区)」に改名しなければいけない理由です。
よろしくお願いいたします。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
コメント ご要望に沿えませんが、簡潔でないことと、認知度が高くないことに尽きます。しつこく蒸し返すようですが、ご自身が提示された(台東区)「東本願寺」のパイプ付きリンクを思い出して下さい。「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」としては一般的に認知されていないことの証左でしょう。逆に現在の(大谷派)「東本願寺」の記事が正式名称の「真宗本廟」だった場合、「東本願寺」に改名しないといけない理由を考えてみてください(あるとするなら)。それが答えになると思います--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 07:33 (UTC)[返信]
コメント
「曖昧でない」という基準に反することについてはどうお考えでしょうか?
認知度の高い「東本願寺」と混同しかねない浄土真宗東本願寺派の本山の略称「東本願寺」を含む記事名「東本願寺 (台東区)」。
読者にとって有益なものを記事名にすべきであり、「簡潔」さ、「(記事名の)認知度」よりも優先される事柄と考えます。例えば、サッカー系の記事では「浦和レッドダイヤモンズ」・「名古屋グランパスエイト」、「東京ヴェルディ1969」などが、簡潔、かつ認知度が高い「チーム呼称」よりも「公式なチーム名」(正式名称)を記事名としています。(⇒「プロジェクト:サッカークラブ#記事名」〈ノート〉を参照。)
「東本願寺」については、記事名を「真宗本廟」としていた時期があります。(「真宗本廟」に改名された版「東本願寺」に再改名された版ノートなどの議論により「東本願寺」になっています。私見ですが「真宗本廟」は、真宗大谷派の本山の正式名称として正しい。「東本願寺」は認知度・真宗大谷派自身が用いている通称であるため問題ない。検証可能な情報源に基づき「東本願寺」でも問題ないと考えます。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 08:46 (UTC)[返信]
認知度の問題というのは、どちらが本当の東本願寺であるかというに近いものを感じます。しかし寺院名において、このような問いは、「全国の「光明寺」でどこが本当の光明寺であるか?」というのと同じで無意味だと考えます。「曖昧である、真宗本廟と紛らわしい」というのであれば、現「東本願寺」項も通称に過ぎないわけであり、よってこちらも「東本願寺_(京都市)」と改名するのが相応しいと思います。このような例は一般的で、例えば「光明寺」はそれぞれ「光明寺 (所在地)」という住み分けがなされています。中立性の観点からも、こちらの方がよりベターではないでしょうか。御一考下さい--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
コメント
ここでいう「認知度」は、WP:CRITERIAにおいて言及されている「認知度」です。つまり「認知度が高い」とは「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」ということです。
私は信頼できる情報源として、田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』、『岩波仏教辞典』p.840、『真宗新辞典』p.456「本願寺 2 東本願寺」、コトバンク「東本願寺」を列挙しました。真宗大谷派の出版物の発行所が「東本願寺出版」として発行してることの例として『坂東本『顯淨土眞實敎行證文類』角点の研究』を挙げたうえで説明しています。
それらの信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるものは、真宗大谷派の本山である「東本願寺」です。
また、「東本願寺 (地名)」という曖昧さ回避を用いている記事は「東本願寺 (台東区)」と「東本願寺 (台北市)」です。
私はどの東本願寺が正しいかということを問題にしていません。「東本願寺」と「東本願寺 (台東区)」は、それぞれの宗派で本山と定められた特筆性のある寺院です。浄土真宗東本願寺派の本山が曖昧さ回避を用いられた記事名であることを問題とします。「曖昧でない」という基準を満たすことを問題とします。
「東本願寺 (京都市)」と改名するのが相応しいとは思いません。Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避による曖昧さ回避が用いられています、またコミュニティの合意をもって決められています。よって記事名は「東本願寺」で問題ありません。「中立的な観点」とは直接関係がない事柄です。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 12:44 (UTC)[返信]
コメント そうですか。中立的な観点とは「東本願寺」という名称を排他的に用いることができるのか、ということを考えていました。
本題ですが、現状ではWikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避に基づいた正しい手法がとられているようです。まだ曖昧さを回避できていないというResto1578さんの意見はどの方針に基づくものなのでしょうか。それは長大な記事名を敢えて付けなければならない程に重要な方針でしょうか。過去ログをざっと見直して見ましたが、「東本願寺 (台東区)」から改名する必要のないことはUrania さんが今までに指摘された点に尽きているようにしか思えません。--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 15:54 (UTC)[返信]
コメント 10月15日15:54のコメントに対する回答
「まだ曖昧さを回避できていないという意見はどの方針に基づくものなのでしょうか。」
⇒ 曖昧さを回避をできていないとは申していません。曖昧さ回避「曖昧さ回避」をできていないのではなく、Wikipedia:曖昧さ回避「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を用いて記事名を作成していることに問題があると考えています。
まず「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、浄土真宗東本願寺派の本山格を有する寺院という特筆性があります。浄土真宗東本願寺派は、1988年の結成時に時点で三百数十ヶ寺が末寺として加わっている比較的大規模な団体です。
本山格を有し特筆性のある寺院の記事にもかかわらず、曖昧さ回避「記事名 (地名)」を用いて表記すると、「東本願寺」と混同しやすいため、「曖昧でない」に反する不正確なものを読者に提供することになります。
それを回避するには、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「認知度が高い」・「曖昧でない」・「首尾一貫している」名称かつ、正式名称である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という記事名が適当である。以下に信頼できる情報源を再度列挙しておきます。
  • 平成13年版以降の文化庁編『宗教年鑑』に記載がある。
  • 公式サイトの「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 宗旨」にて本山は「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」という記述がある。
  • 浄土真宗東本願寺派の寺院の公式サイトで、本山を「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と正式名称で記していることを確認できる。⇒「慧林寺 > 教えの概要」・「正山寺 > 宗派
「長大な記事名を敢えて付けなければならない程に重要な方針でしょうか。」
⇒ Wikipediaにおいて、15文字という記事名は長大なとはいえません。Category:長大な項目名では「30字以上を基準とする。」とあります。寺院の名称だからその条件に外れるということはありません。
以上、回答いたしました。--Resto1578会話2016年10月16日 (日) 03:51 (UTC)[返信]
Category:長大な項目名では「30字以上を基準とする。」とあります。
⇒御指摘ありがとうございます。しかし、やはり正式名称は宗派名をも含む長いもので通称を用いる方が、ほぼ推奨されている付け方にも沿っているでしょう。(プロジェクト:仏教/寺院名について
曖昧さ回避を用いて記事名を作成していることに問題があると考えています。
⇒では現状でウィキペディアの方針上は何の問題もないことになります。「曖昧さ回避を用いて記事名を作成してはいけない」という方針はないからです。地名をつけ曖昧さ回避を用いてもなお曖昧であるというのは個人の主観であり、なおかつ東本願寺という通称は「真宗本廟」が排他的に用いる資格を有するという極端な意見に聞こえます。--Ryo 625会話) 2016年10月16日 (日) 06:42 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 03:18 (UTC)[返信]
コメント 2016年10月16日06:42のコメントに対する回答
コメントプロジェクト:仏教/寺院名について」の「ほぼ推奨されている付け方」では、「同一宗派内に同名の寺院は多数ことを理由に寺院名の前後に宗派名を付けない。」、「所属地域で区別するため、通常の場合、寺院名 + (地域名)とする。」と記されています。
プロジェクト:仏教/寺院名について「議論によって承認された寺院名の付け方の目安」 > 「通称名について」の「法人としての寺院名について」で「現在も存続している寺院の場合は、宗教法人としての公称を項目名とするのがもっとも簡潔、中立的かつ妥当であると考えます。」と記されていることを確認しました。
記事名が、「宗派名」(普通名詞+「寺格」(普通名詞+「寺院名」(固有名詞)の形であれば、「プロジェクト:仏教/寺院名について」における議論のとおり、「宗派名」や「寺格」を記事名に特記事項がない限り付すべきではないと考えます。
「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」の場合は、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という固有名詞です。「浄土真宗東本願寺派」+「本山」+「東本願寺」ではありません。文化庁編『宗教年鑑』平成13年版、p.130「第3部 宗教団体一覧 2 文部科学大臣所轄単位宗教法人一覧」(146/193)で確認できます。また、浄土真宗東本願寺派の本山格を有する寺院という特筆性もあります。
コメント 「地名をつけ曖昧さ回避を用いてもなお曖昧であるというのは個人の主観」
「東本願寺 (台東区)」の記事名と導入部の記述について
【改名前】
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗東本願寺派の本山である。正式名称は、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」。
→「台東区にある東本願寺は、浄土真宗東本願寺派の本山である。正式名称は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」です。」ということになります。この記事名と導入部の内容では、Wikipediaの読者のうち、「東本願寺派」、「大谷派」、「本願寺派」の区別がつかないような専門知識のない方が、誤解・誤認する可能性を排除できていないと考えます。
記事名を「曖昧でない」といえる「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」とする。その改名にともない導入部の冒頭の記述は以下のようになると思います。
【改名提案反映後】
浄土真宗東本願寺派本山東本願寺(じょうどしんしゅうひがしほんがんじは ほんざん ひがしほんがんじ)は、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗東本願寺派の本山である。
たしかに長い文章にはなりますが、定義が「台東区にある浄土真宗東本願寺派本山東本願寺は、浄土真宗東本願寺派の本山である。」ということになり、導入部においては簡潔になります。「曖昧でない」 - 「その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」の「必要な程度に的確な名称」の長さが15文字なだけです。
(PJなどでのルールもあるとは思いますが)人名などでは、「認知度の高さ」・「見つけやすさ」・「簡潔」・「首尾一貫している」よりも「曖昧でない」を重視した記事名になっています。「J・S・バッハ」や「ベートーヴェン」の記事名を参照してください。「その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称」はフルネームです。
コメント 「東本願寺という通称は「真宗本廟」が排他的に用いる資格を有するという極端な意見に聞こえます。」
⇒ 繰り返しになりますが、検証可能性を満たす「信頼できる情報源」において、「東本願寺」は真宗大谷派の本山である「東本願寺」と定義しています
田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』白馬社、『岩波仏教辞典』p.840、『真宗新辞典』p.456「本願寺 2 東本願寺」、ブリタニカ国際大百科事典「東本願寺」、デジタル大辞泉「東本願寺」、百科事典マイペディア「東本願寺」、デジタル大辞泉プラス「東本願寺」、大辞林 第三版「東本願寺」、日本大百科全書(ニッポニカ)「東本願寺」、世界大百科事典「本願寺」の言及(コトバンクにて確認)において確認できます。
よって、「「真宗本廟」が排他的に用いる資格を有するという極端な意見」という、私見ではないことを確認させていただきます。
コメント 記事名は、読者にとって、曖昧でない、理解しやすいものであるべきです。誤解を招く可能性のある記事名は理解しやすいものとはいえないと考えます。本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみと考えます。--Resto1578会話) 2016年10月20日 (木) 04:57 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年10月20日 (木) 05:21 (UTC)・(修正)--Resto1578会話) 2016年10月20日 (木) 08:11 (UTC)・(一部のコメントを撤回)--Resto1578会話2016年10月28日 (金) 15:38 (UTC)[返信]
「寺院名の前後に宗派名を付けない。」という点は、正式名称よりも通称を用いる方が理にかなっている傍証としか思えません。括弧のつかない「東本願寺」を使用する権利が「真宗本廟」にあるのは分かります。しかしそのことが、他に「東本願寺_(○○市)」という寺院名の存在を許さないものとは考えられません。 --Ryo 625会話2016年10月23日 (日) 17:19 (UTC)[返信]
コメント
失礼ながらRyo 625さんの2016年10月23日17:19のコメントは、ガイドライン「Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う」にある表「反論は上位3つの方法で。(参考 How to Disagree(英語)」の(非推奨)「レベル3 反対意見 ほとんど証拠を示さず反対意見を述べる。」に該当しています。(推奨)「レベル4 反論」以上の方法で、私の2016年10月20日08:11 (UTC)のコメントに対してコメントを述べた上で反論を展開していただけないでしょうか?
議論が空転し時間ばかり費やすことを避けるためにも、議論は建設的に行いたいと存じます。よろしくお願いいたします。--Resto1578会話2016年10月24日 (月) 07:57 (UTC)[返信]
コメント すみません。純粋に疑問なのでお尋ねします。この場合「証拠」とはどういう事柄を指すのでしょうか?--Ryo 625会話2016年10月24日 (月) 12:35 (UTC)[返信]
コメント
コメント、有難うございます。
  • 検証可能性」などのWikipediaの方針や「信頼できる情報源」などのガイドラインは、編集する際の基本ルールなので証拠です。
  • 方針・ガイドラインに基づいて明示される情報源は、正当なものであれば証拠だといえます。
  • 他の分野での例示などは、議論の内容によっては証拠と言えるのではないでしょうか。あまりにも無関係な例示は証拠にはなり得ないと思います。
少し皮肉に聞こえるかもしれませんがお許しください。「記事名が長いから改名に反対」、「記事名は『○○』で問題ないので改名に反対」などは、上記のような証拠に基づいて反論していないため、私論であり証拠とはいえないと考えます。
なお、ノートページにおいては、私論が認められています。ただし、私論のみを展開し続け、堂々巡りとなるようなコメントは、「いつまでも「納得」しない」に該当する行為で、議論の妨害に当たる行為です。
コメント 現時点での本記事を改名する主たる理由は、2016年10月20日04:57(UTC)のコメントにあるように、「記事名は、読者にとって曖昧でない、理解しやすいものであるべきです。誤解を招く可能性のある記事名は理解しやすいものとはいえないと考えます。本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみと考えます。」ということです。
この私の意見に対して、上記に示した証拠を用いて、反論・反証していただけると議論が円滑に進行すると思います。よろしくお願いします。--Resto1578会話2016年10月24日 (月) 14:14 (UTC)[返信]
コメント 丁寧なご回答ありがとうございます。しかし、すみませんが、私には「正式名称のみ」が曖昧でないなどの条件を満たすとは思えません。浄土真宗東本願寺派が独立したのも、あちらにはあちらの想いがあるからでしょうし。熱心な大谷派門徒の会話さんの熱意は分かりますが、やはり普通の寺院のほぼ推奨されるつけ方にしたがった方がよいと思います。本文ではっきりと大谷派との分裂は記述され、区別されているので、記事名に正式名称を用いる必要はないと考えます。私としては、この「正式名称のみ」という結論には肯えませんので、もう少し他の方の意見も広く募り、熟議を深めて頂きたいと思います。--Ryo 625会話2016年10月25日 (火) 08:29 (UTC)[返信]
コメント (追記)もっとはっきりさせると簡潔、認知度が高いに反すると思います。ここでいう認知度が高いというのは、浄土真宗東本願寺派の「正式名称」の認知度が、ということです。信頼できる情報源で、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という呼称が最も一般的に使われているのかどうか、ご教授願えますでしょうか。この点で、確かに「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という正式名称で一貫して呼ばれているなら(例えば「正式名称は~」として言及されているものは、一般的に使われているとは言えないと思います)、反対意見は撤回します。後は、特殊な事例なのでやはり個人の考えが入り込むのはしかたがないと思います--Ryo 625会話2016年10月25日 (火) 08:49 (UTC)[返信]
コメント
記事名を付けるには」に「認知度が高い」・ 「見つけやすい」・ 「曖昧でない」・ 「簡潔」・ 「首尾一貫している」の基準に適合させることは、「理想的には」と明記されています。「複数の基準を満たすために他の基準を犠牲にする必要があるかもしれません。そういった場合には、記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して決めてください。」 とあります。「J・S・バッハ」と「ベートーヴェン」の例示で前述した通り、 「認知度の高さ」・「見つけやすさ」・「簡潔」・ 「首尾一貫している」の基準を必ずしも満たす必要はありません。精査しておりませんが「プロジェクト:音楽#記事名」に「正式名称を使用する。」以外に特記事項は無いと思います。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」と「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」の記事名は、信頼できる情報源において最も一般的に使われてますか?/読者にとって記事の中で見つけやすいものですか?/短く、要点を突いていますか?/他の似たような記事においても、同じように使われていますか?
本記事名においては、記事名の付け方の導入部にある「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を重視すべきだと考えます。「理解しやすいもの」とは、「誤解や誤認を招かない」という意が含まれていると考えます。「簡潔」であることに越したことはありません、しかし誤解や誤認を招く記事名は適切ではありません。
「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、「浄土真宗東本願寺派」の本山格を有する寺院を示す唯一の寺院を示す固有名詞であり、「曖昧でない」の条件を満たしています。
コメント 信頼できる情報源について
1-a.〜1-o. 平成13年版から平成27年版までの文化庁編『宗教年鑑』に記載がある。[4]
2-a. 公式サイトの「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 宗旨」にて、本山は「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と記述されています。
2-b.公式サイトの名称も「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」です。(ページのプロパティ・タブ等で確認してください。)
以下に挙げる浄土真宗東本願寺派に属する寺院の公式サイトで、本山を「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と正式名称で記していることを確認できます。
3-a.「慧林寺 > 教えの概要
3-b.「正山寺 > 宗派
3-c.「林光寺 > 浄土真宗の教え
2-a. 本山の公式サイトと3-a.慧林寺、3-b.正山寺、3-c.林光寺の公式サイトが、宗名を「浄土真宗 東本願寺派」と明記した上で、本山をあえて「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」としていることに注目すべきと考えます。
* 東本願寺派所属寺院の公式サイトの内、「福正寺」のリンクページでは、「御本山:東本願寺」としているため、「正式名称で一貫して呼ばれている」とは言い切れませんでした。
4.平尾御坊 願證寺 > 歴史「願證寺の歴史」に、「このときより浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を本山と崇敬し現在に至っています。」と記されている。ここでも正式名称を用いています。
5.Mapion天気(参考[5] - Mapion > 天気予報(日本全国) > 全国のスポット天気 > 神社・寺院・仏閣の天気 > 東京都 > 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺
*(神田明神の例 - Mapion > 天気予報(日本全国) > 全国のスポット天気 > 神社・寺院・仏閣の天気 > 東京都 > 神田神社(神田明神)
現時点で確認できている信頼できる情報源は以上です。いずれも「正式名称は」と言及はされていません。Ryo 625さんは、これらの信頼できる情報源についてどのように判断されるかコメントを頂きたいと存じます。--Resto1578会話) 2016年10月25日 (火) 10:21 (UTC)・(補足)--Resto1578会話) 2016年10月25日 (火) 11:15 (UTC)・(修正)--Resto1578会話) 2016年10月25日 (火) 12:37 (UTC)・(修正)--Resto1578会話) 2016年10月28日 (金) 10:38 (UTC)・(外部リンクを移動)--Resto1578会話) 2016年11月3日 (木) 12:02 (UTC)・(補足)--Resto1578会話2016年11月5日 (土) 11:35 (UTC)[返信]
4については「真の法統はこの東京の東本願寺にあると力強く宣言」と書いてありますよね。「東京の東本願寺」という表現では、やはり「東本願寺」という自認あるいは通称であるというように読めてしまうのですが。--Ryo 625会話2016年10月29日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
コメント
ご指摘の部分は「興如上人は昭和63年2月29日本願寺4世善如上人六百回御遠忌法要御満座にあたり、如来聖人御冥意によって浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を結成、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を結成、同時に東本願寺25世を名乗られ真の法統はこの東京の東本願寺にあると力強く宣言、」と大谷光紹の発言についてです。読点が非常に多い文章ですが、文脈からしてここに句点を入れ文章を区切り、主語を興如上人(大谷光紹)と捉えて問題ないと考えます。また前述したとおり、本願寺の法統の継承などについての正統性については議論するつもりはありません。
私が明示した文章は「(平尾御坊 願證寺は)このときより浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を本山と崇敬し現在に至っています。」です。 「"浄土真宗東本願寺派本山東本願寺"本山 と崇敬」と重ねていることに注目してください。つまり、「固有名詞として本山という語が含まれる寺院」を(平尾御坊 願證寺は)本山と崇敬すると表明しています。
「信頼できる情報源について」に挙げた情報によって、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が固有名詞として存在することを検証できたものと考えております。
コメント 私としては、ウィキペディアの読者の利益のために、方針・ガイドラインに基づいて改名提案を進めているつもりでおります。Ryo 625さんの2016年10月25日08:49のコメントについて回答いたしました。他の私のコメントや「信頼できる情報源」についての評価を頂けないと、さすがに論点をずらしていることにあたると考えます。私のコメントについて回答・反論した上で、質問の追加をするなど、可能な限り建設的な議論をお願いします。--Resto1578会話2016年10月29日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
コメント4について
よくお読みいただきたいのですが、無条件に基本的には日本語での正式名称を使用ではなく、「記事名を付けるにはにある基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用」なのです。つまり正式名称だと基準に適合することが多いので基本は正式名称にするのであって、これをまず正式名称ありきと読むのは誤読としか言えません。--アルビレオ会話2016年10月15日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
コメント
私のコメントのどの部分が誤読だったのでしょうか?ご指摘ください。
WP:CRITERIAには、「しかし、複数の基準を満たすために他の基準を犠牲にする必要があるかもしれません。そういった場合には、記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して決めてください。」とあります。
浄土真宗東本願寺派に属する寺院の公式サイトを信頼できる情報源として挙げます。「慧林寺 > 教えの概要」・「正山寺 > 宗派」では、本山を「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と正式名称で記しています。
wikipediaの読者に提供する情報は、「曖昧でない」正確なものである必要があります。--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 14:41 (UTC)[返信]
「記事名を付けるにはにある基準に適合するよう」の部分を強調せず、その後ろの「基本的には日本語での正式名称を使用」を強調したことから基準に適合することよりも正式名称を使うことを優先するように読み取られていると私は解釈したのですが違ってますか? もしResto1578さんも正式名称を用いることよりも基準に適合することが優先するというご意見であれば、Resto1578さんの誤読ではなく私の勘違いになりますが、そうは読めませんでした。--アルビレオ会話2016年10月16日 (日) 06:41 (UTC)[返信]
コメント
コメント記事名を付けるには」と「正式名称」という2つの指針の優先順位について、どこに記されているのでしょうか?
アルビレオさんの「現時点では単に「正式名称」と変わっていて、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの基準が優先されるようになっています。」という独自の見解に対して、反証の意で「基本的には日本語での正式名称を使用」に強調表示を付したまでです。
コメント 「記事名は「記事名を付けるには」にある「認知度が高い」・「見つけやすい」・「曖昧でない」・「簡潔」・「首尾一貫している」の基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用します。しかし、複数の基準を満たすために他の基準を犠牲にする必要がある場合は、記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して決める。」というこどだと考えます。
導入部にあるように「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を記事名にすべきです。「理解しやすいもの」とは、「誤解や誤認を招かない」という意が含まれていると考えます。
本記事で、「曖昧でなく」・「最も理解しやすい」記事名とは、正式名称のみと考えます。--Resto1578会話) 2016年10月20日 (木) 04:57 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2016年10月20日 (木) 05:21 (UTC)[返信]
(反対寄りコメント)Uraniaと申します。新しい意見をどこに書けばよいのかわからないし、議論の見通しが悪くなっているように思われますので、インデントを戻し、一番下に書きます。
改名提案への賛否以前の問題として、今回の議論を拝読して一驚した点がありますので、それについてコメントします。
提案者様の2016年10月20日 (木) 04:57の書き込みのなかに、「プロジェクト:仏教/寺院名について「議論によって承認された寺院名の付け方の目安」 > 「通称名について」の「法人としての寺院名について」で「現在も存続している寺院の場合は、宗教法人としての公称を項目名とするのがもっとも簡潔、中立的かつ妥当であると考えます。」と記されていることを確認しました。」とあります。予備知識なしにこの部分だけを読めば、「寺院の記事名については宗教法人としての名称を採用すべきである」との方針が「プロジェクト」で採用されているかのように読み取られるかもしれません。しかし、ここに引用されている文章は、いちユーザーの大昔(2006年4月14日)の発言のごく一部を取り出したものにすぎません。そして、そのいちユーザーとは、ほかでもない私(利用者:Urania)です。これだけなら、そう目くじら立てることでもないでしょう。しかし、提案者様がUraniaのこの発言(「現在も存続している寺院の場合は・・・」)を取り上げたのは今回が初めてではありません。2009年12月27日、提案者様は私の会話ページにお越しになり、「現在も存続している寺院の場合は、宗教法人としての公称を項目名とするのがもっとも簡潔、中立的かつ妥当であると考えます。」との私の発言(2016年10月20日 (木) 04:57の書き込みで引用されたのと同じ箇所)を引用されたうえで、私の発言には矛盾があるのではないかと指摘されました(差分:[3])。これに対し、私は翌日の2009年12月28日に回答し、そのなかで、「仏教PJでの私の発言については、必ずしも全てが妥当だったかどうかはわかりません。自分の過去の発言のうち、法人名について言及した部分は、現在ではやや修正の必要を感じています。「法人名 = 一般に使われている寺号」である場合が多いことは事実ですが、全部が全部そうではないし、法人名を記事名とするのが、必ずしもベストとは限らない、と今は思います」(原文のまま)と釈明しています(差分:[4])。
繰り返しになりますが、「現在も存続している寺院の場合は・・・」は、いちユーザーである私ことUraniaの10年も前の発言の、それもごく一部です。そのUrania本人が、その発言は不適切であったと認めており、しかも、その対話の相手はほかでもない、本件改名の提案者様です。2006年当時の私は、未熟者にもかかわらず、知ったかぶりをして「宗教法人としての公称を項目名とするのが妥当」などと書いていたのですが、今振り返ると赤面の至りです。現在の私はまったくそのようには考えていないし、「宗教法人としての公称を項目名とするのが妥当」との過去(10年前です)の発言は間違いであったということをここにあらためて確認します(念のため申し添えますが、たとえ自分自身の発言といえども、ノートページでの過去の発言を除去はできないため、そのまま残っているのです)。私の過去の発言がこのような形で引用されているのは遺憾です。提案者様が以上の経緯を知ったうえで、あえて私の発言を引用なさったとは信じたくありません。何年も前のことなのでお忘れになっていたのだ、と善意に解釈することにしましょう。しかし、提案者様は、意見の対立する相手には「証拠に基づいた反論をするように」と仰っています。他者にそこまで求める以上、ご自身が提示なさる「証拠」についても、もう少し厳しくあるべきではないでしょうか。本件改名提案に対する私の意見は、このページにおける7年前の意見(すでに過去ログ化されている)と同じですが、今回の議論について十分精読していないため、本日の時点では反対寄りコメントに留めます。--Urania会話2016年10月28日 (金) 13:36 (UTC)[返信]
反対 発言の時系列が混乱しないように、この位置に書き込みします。直上で述べた、私の10年前の発言の不適切な引用については、該当箇所に抹消線が引かれ、取り消されていることを確認しました。さっそく適切なご対応をしていただきありがとうございます。この件に関してはこれ以上蒸し返しません。
改名提案については、「改名寄りコメント」のままでは無責任のように思いますので、反対票を投じることとします。このページの改名については、すでに7年前の2009年に議論がありました(すでに過去ログ化)。Ryo 625さんは2016年10月15日の時点で、「過去ログをざっと見直して見ましたが、「東本願寺 (台東区)」から改名する必要のないことはUraniaさんが今までに指摘された点に尽きているようにしか思えません」とおっしゃっており、私もそのように思います。また、今回(2016年)の議論についても、アルビレオさん、Ryo 625さんにより適切な反論がなされていると考えます。過去7年間(見方によっては、過去ログの一番古い発言が行われた10年前から)、「東本願寺 (台東区)」というページ名が、提案者以外の方によって問題視された形跡もありません。
提案者様は、「本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみ」であると主張されています(10月24日 (月) 14:14)。また、「『その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称』はフルネームです」としたうえで、「J・S・バッハ」「ベートーヴェン」の記事名をその傍証として挙げておられます(10月20日 (木) 04:57)。しかし、Wikipedia:記事名の付け方#人名の「6.」を見ると、「ミドルネームは原則として省略」とあり、西洋の人名についてフルネームを記事名とすることは奨励されていません。提案者様にならって、西洋の作曲家の場合を例に挙げますと、たとえば、ショパンの記事名はフレデリック・ショパンで、ミドルネームは省略されています。メンデルスゾーンの場合は、フルネームは非常に長いのですが、記事名は通称のフェリックス・メンデルスゾーンとなっています。10月25日 (火) 10:21のご発言で挙げられている「信頼できる情報源での言及」については、すでにRyo 625さんの挙げている例のほか、たとえば、「3 - b」の正山寺のサイトにも「東本願寺は、東京都台東区西浅草一丁目にあります」「正山寺は、昭和五十六年十一月十八日に真宗大谷派から離脱し、東本願寺の末寺になりました」(太字強調は引用者による)とあり、一派の寺院内においては、宗派名や寺格を冠称しない「東本願寺」という呼称も使われている、ということをむしろ傍証しているように思います。以上のことから、「本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみ」とのご主張もやはり一つの私論であると見なさざるをえません。以上、提案者様が「現時点での本記事を改名する主たる理由」(10月24日 (月) 14:14)とおっしゃる点について反論申し上げましたので、その他の細かい論点について逐一反論することは避けます。--Urania会話2016年10月30日 (日) 06:37 (UTC)[返信]
コメント 抗議・質問 方針・ガイドラインをあげて、その他の細かい論点についても逐一反論してくさい。私のみを対象とするコメントであれば、私の会話ページにコメントされても構いません。今回は、前回と違いほかの作業はしていません。
個人的見解ではありますが、Uraniaさんの議論への参加姿勢は、2回のコメントで本議論を間違った改名提案であるかのように結論付けているように思えます。不適切な議論の進行ではないでしょうか?「いちユーザーである私ことUrania」と仰られるのであれば、終結宣言のような非建設的で一方的なコメントはご遠慮ください。
また、Uraniaさんのコメントも私の主旨を微妙にずらすことで正統性があるように印象操作されているものと考えます。
「(略)10年前から)、「東本願寺 (台東区)」というページ名が、提案者以外の方によって問題視された形跡もありません。」
⇒ 私以外が問題視するコメントがない。ゆえに不適切な改名提案といえる根拠は何ですか?善意にとるのであれば、私だけが本記事の本質的な問題点を見つけただけかもしれません。
  • Uraniaさんは、「ショパン」や「メンデルスゾーン」を例示されました。私はこれらの作曲家とフルネームと記事名の関係については知りませんでした。ただ、私の言わんとしようとしたことは、「J・S・バッハ」と「ベートーヴェン」を例示することによって、「認知度の高さ」・「見つけやすさ」・「簡潔」・ 「首尾一貫している」の基準を必ずしも満たしていない著名な作曲家の記事名が存在することを指摘したまでです。この例示で私が主張したかったのは「「簡潔」であることに越したことはありません、しかし誤解や誤認を招く記事名は適切ではありません。」ということです。
  • 「公式サイトが、宗名を「浄土真宗 東本願寺派」と明記した上で、本山をあえて「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」としていることに注目すべき」と述べています。正山寺は直前に「【本山】浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」とあります。本山は「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と確定させています。その後の「東本願寺」の語は、その略称として用いたものと思います。「【略称】東本願寺」の検証できる情報源といえるのではないでしょうか。私の主旨と混同させることはご遠慮ください。
  • 私のスマートフォン固有の問題かもしれませんが、Googleで「東本願寺」と音声検索すると、「ウィキペディでは、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗東本願寺派の本山である。とされています。」と音声案内されます。このこと1つをとっても誤解・誤認が生じているものだといえます。
  • 「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が固有名詞として存在することを検証できたと認識しております。「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という記事名の長さは、ウィキペディアにおいて認められている範囲です。
コメント 本改名提案に反対されている方々に質問とお願いです。「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」を記事名とした場合のデメリットを教えてください。私が「改名しない」ということで合意できる根拠を明示してください。なお、単に「長いから」・「簡潔ではない」などの理由は議論が空転し時間ばかり費やすことになるため持ち出さないでください。
Wikipediaの読者のうち、「東本願寺派」・「大谷派」・「本願寺派」の区別がつかない専門知識のない方にとって、本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名」は、「東本願寺 (台東区)」で問題がないことを論証してください。
よろしくお願いいたします。--Resto1578会話2016年10月30日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
この議論については、公平な第三者からの意見が出てくるのをしばらく待った方がよいと思います。大切なことはコミュニティの合意を得ることです。改名提案に限らず、削除依頼やブロック依頼においても、往々にして賛否が分かれることがあります。「削除の方針」や「ブロックの方針」に則り、「中立的観点」に基づいても、最終的に賛否を決めるのは個々のユーザーの判断です。そこに個々のユーザーの個性や価値観が介在することは避け得ず、数学の証明問題のように(証明手順が正しければ)、誰が解いても同じ結論になるというものではありえません。その意味ではどなたの意見も「私論」であり、いかなる意見についても「絶対にこの意見が正しい」「これ以外の正解は存在しない」と「論証」することは不可能です。だからこそWPでは「コミュニティの合意」を得ることが重視されているのではないでしょうか。私が何と言おうと、コミュニティが「Uraniaの意見はおかしい!」と判断するなら、遅かれ早かれそのような結論になることでしょう。--Urania会話2016年11月2日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
コメント
少なくとも、反対票を投じられた方に申し上げた質問については、対象者を限定しているため、第3者からのコメントを要しません。
  • 本記事を「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と改名した際のデメリットを教えてください。
  • 「Wikipediaの読者のうち、「東本願寺派」・「大谷派」・「本願寺派」の区別がつかない専門知識のない方にとって、本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名」は、「東本願寺 (台東区)」で問題がないことを論証してください。
コメント Uraniaさんは、2016年10月30日06:37に「その他の細かい論点について逐一反論することは避けます。」とコメントされました。後学のためにもぜひ、「その他の細かい論点について」も逐一反論してくさい。個人的対話といえるのであれば、議論の場所は、私の会話ページが相応しいでしょうか?--Resto1578会話2016年11月2日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
(インデント戻します)順番にいきますと、まず私が10月30日に投稿した改名反対意見についてですが、私は、提案者ご自身が「現時点での本記事を改名する主たる理由」と位置づけておられる、「本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみと考えます」(10月24日 (月) 14:14)という点について反論しました。その反論に納得なさらないのはやむを得ないとしても、「主たる理由」に反論したのですから、「主旨をずらしている」とのご批判は当たらないでしょう。また、提案者様から、「Wikipedia:論争の解決」で推奨されている反論方法の「レベル4以上の方法」で反論せよとの指示がありましたので(10月24日 (月) 07:57のRyo 625氏あてのコメント)、それにしたがって、「議題の根幹を成す主要点に絞って」、「どこに対して反論するのかを引用で明示し」、「論拠となる理由と証拠(具体的には作曲家の記事名)を示しながら」、反対意見を述べました。少なくとも自分ではそうしたつもりです。「10年前から、このページ名が、提案者以外の方によって問題視された形跡もない」というのも、このノートページの履歴から客観的に確認できることを述べたのみです。
私はただただ批判のみを述べたのではありません。Wikipedia:エチケットに「不満を表明するのと同じ数だけ、ポジティブなコメントをするように努力してみてください」「機会があれば、称賛や感謝などを表明してください」とあります。私はこれをふまえて、提案者様が以前の不適切なコメントに取り消し線を入れてくださったことを善意にとり、謝辞を述べました。しかも、反論コメントの一番初めにその謝辞をもってきました。
「その他の細かい論点についても逐一反論せよ」とのご指示についてですが、その他の論点については、10月16日までにRyo 625氏およびアルビレオ氏の述べている反論で尽きていると考えます。両氏の意見に私も賛成であり、私があらためて反論するとしても(多少言い回しを変えるとか、異なる実例を挙げるとかはできても)、結局は同じ話の繰り返しになります。提案者様はRyo 625氏およびアルビレオ氏の反論に納得されていないのですから、私が同じようなことを再度述べてもやはり納得されることはないでしょう。それこそ非建設的な議論であり、堂々巡りになると思います。
以前の自分のコメントでは「枝葉の問題」だと思い、あえて触れていなかった点についてコメントします。10月15日 (土) 08:46のコメントに、サッカークラブの記事名は正式名称である旨のご発言があり、「プロジェクト:サッカークラブ#記事名」を参照、とありますが、まさにその参照先に「ただし、各クラブのチーム名に「フットボールクラブ」「サッカークラブ」を含み、この部分の呼称に「FC(またはF.C.)」「SC(またはS.C.)」を用いている場合は、原則として記事名を「FC」「SC」で表記することとします」とあるのをお見逃しでしょうか。なお、日本国外のサッカークラブの記事名にはACミランSSCナポリCAインデペンディエンテのように略称を用いているものが多々あります。ACミランの場合、「アソチアツィオーネ・カルチョ・ミラン」というのが、「正式名称=フルネーム=固有名詞」です。
「反対票を投じられた方に申し上げた質問については、対象者を限定しているため、第3者からのコメントを要しません」との仰せですが、ここは「誰でも参加できるフリー百科事典」です。Wikipedia:論争の解決では「第三者を交えて議論する」ことが推奨されていますし、Wikipedia:エチケットには「利用者同士の意見の対立を見かけたら、仲裁をしてみてください」とあります。少なくとも「第3者からのコメントを要しません」は行き過ぎでしょう。
「東本願寺派」・「大谷派」・「本願寺派」の区別がつかない専門知識のない方が誤解するのではないか、との点についてですが、そもそも、「真宗大谷派」という名称を知らない人、そういう宗派の存在自体知らない人が「東本願寺 (台東区)」という記事名を見て、これを「大谷派の寺院」と誤認することはありえません。また、「専門知識のない方」がいきなり「東本願寺 (台東区)」という半角スペースと半角カッコ付きの記事名で検索するとも思えません。まずはカッコも何も付かない「東本願寺」で検索するでしょう。そうすると、京都の「お東さん」のページに飛びます。そこには冒頭の目につく場所に、親切に「京都市下京区にある真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称:真宗本廟)について説明しています。東京都台東区にある浄土真宗東本願寺派の本山については「東本願寺 (台東区)」をご覧ください」とあります。日本語が普通に読める人なら、誤解の余地はないでしょう。「東本願寺 (台東区)」のページにたどりつくには、クリック数が1回増えるだけです。
西浅草のお寺については「もとは真宗大谷派の別院だったものが1981年に同派から離脱し、さまざまな経緯をへて今の法人名になった」という複雑な経緯は、どのみち記事本文の解説を読まなければわからないのであり、そういう複雑な内容を記事名のみで表現することは不可能です。
以上のようなコメントについて、「それはUraniaの私論にすぎない」「論証になっていない」と言われればそれまでです。自分の一つ上のコメントでも述べたように、どなたの意見も「私論」なのであり、数学の証明問題ではないのですから、「この意見が絶対に正しい」ということを論証せよというのが、そもそも無理筋です。「曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名は、正式名称のみ」ということも私論であり、論証されていないのですから、改名反対者にのみ「論証」を求めるのは、それこそ「一方的」ではないでしょうか。
以上、能う限り丁寧にコメントを述べたつもりです。これにて失礼します。--Urania会話2016年11月3日 (木) 07:01 (UTC)[返信]
コメント
第三者からのコメントを拒絶するものではありません。言葉が足らなかったことをお詫び申し上げます。
Uraniaさんの2016年11月3日 (木) 07:01 (UTC)のコメントについては、私としては論点をずらされていると思っていおります。整理した上で再度コメントいたします。--Resto1578会話) 2016年11月3日 (木) 09:34 (UTC)・(質問を移動)--Resto1578会話2016年11月3日 (木) 12:02 (UTC)[返信]
コメント コメント - 追記
  • サッカークラブの名前は、「記事名を付けるには」の「簡潔(さ)」や、「(記事名の)認知度」よりも、「曖昧でない」という指針が優先されるとういう例示です。「浦和レッズ」ではなく、「浦和レッドダイヤモンズ」がウィキペディアの記事名ということです。
  • 音楽家の名前も、「記事名を付けるには」の「認知度の高さ」・「見つけやすさ」・「簡潔」・「首尾一貫している」よりも「曖昧でない」を重視した記事名として例示しました。「ベートーヴェン」ではなく「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」が記事名ということです。
Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」の5つの基準のうち、「曖昧でない」という基準を重視した記事名が存在することを例示しました。「ショパン」・「メンデルスゾーン」、「ACミラン」・「SSCナポリ」・「CAインデペンディエンテ」を持ち出すことに何の意味があるのでしょうか?
私が感ずるに、Uraniaさんの議論の進行は逆さになっています。Ryo 625さんとの質疑応答により、本記事においては「記事名の付け方」の導入部にある「(記事名は、読者にとって、)最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの。」というガイドラインに沿わせるのが最善という結論に私は至りました。なお、誤解を招く可能性のある記事名は理解しやすいものとはいえないません。そのことを踏まえると記事名は、正式名称が最善であるということです。
記事名の付け方」の指針「記事名を付けるには」は、本記事においては「曖昧でない」ということを重要視すべきと考え、「見つけやすい」・「簡潔」という指針を犠牲にするべきと説明しました。「認知度が高い」・「首尾一貫している」については、検証可能な情報源[4][6][7][8][9][10][11][12]を明示しております。「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、唯一の寺院を示す固有名詞であることを検証できました。
また、「浄土真宗東本願寺派」の本山格を有する寺院という特筆性があることにも注目すべきです。
「ACミランの場合、「アソチアツィオーネ・カルチョ・ミラン」というのが、「正式名称=フルネーム=固有名詞」です。」と仰っておりますが、これも論点をずらすコメントです。なぜならば、現記事名の「東本願寺 (台東区)」は固有名詞ではありません。大谷派「東本願寺」も通称が記事名です。比較検討する事例として不適切です。
  • 「Wikipedia:論争の解決では「第三者を交えて議論する」ことが推奨されていますし、」
Wikipedia:論争の解決では、「ステップ2: 論争の相手と話し合う」の回答待ち状態と認識しております。回答が得られていないので「ステップ3: 第三者を交えて議論する」には達しているとは思いませんが、第3者からのコメントを拒絶するつもりは毛頭ありません。私の質問について、議論参加者からの回答を求めたコメントでした。誤解を与えてしまったのであればお詫びいたします。
  • 「東本願寺派」・「大谷派」・「本願寺派」の区別がつかない専門知識のない方が誤解するのではないか(略)これを「大谷派の寺院」と誤認することはありえません。
⇒ウィキペディアの真宗関連の記事に関係する編集者にとって、「真宗大谷派」=「大谷派」=「お東」=「本山は東本願寺」と理解できると思います。
しかし、今まで真宗にご縁がなかった方は、「東本願寺」が何派の本山か知らないという方は多いです。「清水寺」が何派の本山か知らない方も多いと思います。このことについては推論ですが、異論はないかと存じます。記事名から「東本願寺 (台東区)」にある東京の真宗大谷派のもう1つの本山(別院)などと誤認する可能性は大きいと思います。
  • スマホで「東本願寺」とGoogleで音声検索すると「ウィキペディでは、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗東本願寺派の本山である。とされています。」(2016年11月3日現在)と案内されるので、誤解・誤認を招きます。「東本願寺 (台東区)」という記事による弊害が生じています。
  • 「また、「専門知識のない方」がいきなり「東本願寺 (台東区)」という半角スペースと半角カッコ付きの記事名で検索するとも思えません。」
⇒いいえ、検索する可能性はあります。Googleで「浅草 東本願寺」と検索すると、トップに「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」、3番目に「東本願寺 (台東区) - Wikipedia」と結果が表示されます。「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と「東本願寺 (台東区)」が、必ずしも同一の寺院と読者が認識するとは言い切ることはできません。「曖昧でない」を重視すれば、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 - Wikipedia」と表示されるのべきで、公式サイトとの整合も取れます。
  • 「まずはカッコも何も付かない「東本願寺」で検索するでしょう。」
⇒いいえ、Uraniaさんの思い込みです。ウィキペディアから検索するとは限りません、検索エンジンから複数の語を入力して検索する可能性があります。
その他にも、誤認・誤解の可能性を挙げたらキリがないと思います。
であるならば、『ウィキペディアフリー百科事典』における「浄土真宗東本願寺派」の「本山格を有する寺院」の記事名を、固有名詞かつ正式名称である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という記事名にする。
つまり、方針「Wikipedia:記事名の付け方」に準じており、本記事の読者において「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの(誤解・誤認を招かない)」記事名は、正式名称が最善であると考えます。
コメント Uraniaさんのコメントを通して読んでも、「○○は××だから△△とはいえない。」ということを繰り返して仰られるだけで、なぜ本記事を改名してはいけないのか明確にされていないと思います。その事について、ご回答を頂きたいと存じます。--Resto1578会話2016年11月3日 (木) 12:02 (UTC)[返信]
質問
上記のコメントを、および過去の議論を踏まえて、反対票を投じられた方々に質問に答えていただきたいと存じます。本改名提案に未参加の方からのご助言・回答も賜りたく存じます。
  • 本記事を「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と改名した際のデメリットを教えてください。
  • 「Wikipediaの読者のうち、「東本願寺派」・「大谷派」・「本願寺派」の区別がつかない専門知識のない方にとって、本記事において曖昧でなく、誤解・誤認を招かない記事名」は、「東本願寺 (台東区)」で問題がないことを論証してください。--Resto1578会話2016年11月3日 (木) 12:02 (UTC)[返信]

提案者による中間報告

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改名提案(3回目)の中間報告です。
提案 内容 - 項目名を「東本願寺 (台東区) 」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に改名する。
理由1. 「Wikipedia:記事名の付け方」の導入部にある(記事名は、読者にとって、)「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの。」というガイドラインに沿った記事名にする。
理由1’. 誤認・誤解を招く可能性のある記事名は、理解しやすい記事名とはいえないため除外する。
理由2. 「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」の5つの基準(認知度が高い[13]・見つけやすい[14]・曖昧でない[15]・簡潔[16]・首尾一貫している[17]の内、「簡潔」や、「認知度が高い」よりも、「曖昧でない」という基準が優先している記事がある。本記事も「東本願寺」との兼ね合いから、「曖昧でない」を優先すべきで、曖昧さ回避を用いた「東本願寺 (台東区)」では誤認・誤解を招く恐れがある。
理由3. 検証可能な情報源[4][6][7][8][9][10][11][12]を明示しております。それらの情報源によって「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、「浄土真宗東本願寺派」の本山格を有する寺院を示す唯一の寺院を示す固有名詞であることを検証済みである。
理由3’. 特筆性として、「浄土真宗東本願寺派」の本山格を有していることが挙げられる。同派は、1988年の結成時に時点で三百数十ヶ寺が末寺として加わっている比較的大規模な団体である。
理由4 正式名称 - 記事名は「記事名を付けるには」にある基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用する。
以下は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の公式サイトにある表で、「宗名」を「浄土真宗東本願寺派」とし、「本山」を「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」としている。この表から、「浄土真宗東本願寺派」の本山格を有する寺院の正式名称は、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」である。文化庁『宗教年鑑』の記載も「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」である。
宗旨浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 宗旨より引用。 )
宗名 浄土真宗東本願寺派
宗祖 親鸞聖人/見真大師
開基(東本願寺) 教如上人(第十二世)
本尊 阿弥陀如来
本山 浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺
教典 •『仏説無量寿経』
•『仏説観無量寿経』
•『仏説阿弥陀経』
コメント 問題点a. 記事名の長さについて - 「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に改名すると記事名の長さは15文字となる。しかし「東本願寺 (台東区)」では、より認知度の高い「東本願寺」[18]と混同しかねないため、記事名の長さよりも「曖昧でない」という指針を重視する。また「Category:長大な項目名」では、長大な項目名を「30字以上を基準とする」としているため、寺院記事だからといって長大とは記事名とはいえない。
コメント 上記の理由・問題点を踏まえると、本記事の読者において「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの(誤解・誤認を招かない)」記事名は、固有名詞かつ正式名称である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が最善であると考えます。
「提案者による中間報告」以降のコメントは「コメント2」にお願いいたします。--Resto1578会話) 2016年11月3日 (木) 13:21 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年11月3日 (木) 13:52 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年11月4日 (金) 22:43 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 00:25 (UTC)[返信]

浄土真宗東本願寺派本山東本願寺への電話取材

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報告
電話にて公式サイト担当の方に問い合わせを致しました。
寺院としての名称は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と回答を頂けました。
問い合わせをした2016年11月7日は、すでに御正忌報恩講(11月23〜28日)の準備期間に入っていて多忙であるため、公式サイトにてウィキペディアに対して意見表明するか否かは、回答に時間を要するとのことでした。
なお、電話による問い合わせであるため、証拠を明示することはできません。--Resto1578会話2016年11月7日 (月) 08:01 (UTC)[返信]

コメント2

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  • 反対 ご提案者の言う『読者にとって「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの。」』という観点に基いて、1読者としては、提案の記事名よりも現行の記事名を推します。「私の感覚」に従っての投票のみですので、議論に深入りはしません。
強いて申し上げれば、「(台東区)」と付されていれば京都東本願寺とは全く混同しませんし、曖昧さ回避を標榜してローカルルールを設置する方が問題だと思います(他の寺院記事では一般的に宗号・山号等は付されないので百科事典としての統一性を失うという意味で)。例えばですが、『国史大辞典』(吉川弘文館)・『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)・『日本歴史地名大系 京都市の地名』(平凡社)では「浄土真宗本願寺派本願寺」は「西本願寺」として載せられていますので、これをもって、宗号・山号等を付した「正式名称」よりも付さない「一般的な名称」の方が世の中的にも通用する記事名だと判断いたします。以上コメントまで。--Saigen Jiro会話) 2016年11月5日 (土) 05:44 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話2016年11月5日 (土) 05:46 (UTC)[返信]
コメントSaigen Jiroさん、コメントありがとうございます。
コメント 少々お尋ねしますが、もしスマホをお持ちでしたらGoogleの音声検索で「東本願寺」と検索していただけないでしょうか?
私と私の周囲の者が持つ端末では、「ウィキペディでは、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗東本願寺派の本山である。とされています。」と案内されてしまいます。
コメント 宗名+山号+寺号を付さないとする通例に反すると仰る旨は理解しております。しかし「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が、『宗教年鑑』や公式サイトで確認できるように正式な寺院名です。正式名称は固有名詞ゆえ不可分です。先の通例とは別の事例と認識いたします。「記事名が長い」という理由だけで、Wikipedia:記事名の付け方のルールを重視せずに、曖昧さ回避を用いた名称にするのは、逆に特例措置といえるのではないでしょうか?
仮にウィキペディア日本語版が現在のように機能していたとして、2001年4月26日に「東京本願寺」から名称変更した際に付けるべき名称は、出典に基づけば「東本願寺 (台東区)」という記事名ではないはずです。--Resto1578会話2016年11月5日 (土) 09:47 (UTC)[返信]
検索がどう出ようと私のコメントの主旨から外れるので回答は見送ります。あと「正式名称」と「全称」は同義ではないので、「(Wikipediaの寺院記事の記事名としての)正式名称」はWikipediaの寺院記事の慣用原則(山号等は付さない)に則るのが大前提と考えます。--Saigen Jiro会話2016年11月5日 (土) 13:25 (UTC)[返信]
コメント大前提」の語彙からして「原則」とはなり得ません。「原則」には「例外」が認められます。
電話取材であるため証拠を明示することはできませんが、公式サイト担当の方から、寺院名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という回答を得ました。
寺院の記事名についての慣用原則があるからといって、地名付の略称にする理由にはならないため同意致しかねます。--Resto1578会話2016年11月7日 (月) 08:01 (UTC)[返信]
本議論の主旨が『(京都東本願寺が世の中に存在しないと仮定した場合でも)本項目名を「東本願寺」ではなく「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」にする』ということでしたら、本項目だけ特例とすれば済む話ではなく、他の寺院名も当然全称とすべきことになりますから(東大寺もホームページでは「華厳宗大本山東大寺」)、ここのみで議論すべきでないと考えます。多分私は反対に回りますが。--Saigen Jiro会話2016年11月7日 (月) 08:38 (UTC)[返信]
(追記) 本議論の主旨が「あくまでも曖昧さ回避を付さないため」でしたら、「Wikipediaの寺院記事名に関する法体系(慣用則含む)」のうちから選び抜くべきです。項目名の統一性は、その百科事典の体裁・品質を左右しうるものですから、法体系はそうそう安易に崩すべきものではないと考えます。曖昧さ回避は法体系を抜け出す理由になるはずがないと思いますが、もしこの特例を許すようでしたら、「あれも特例」、「これも特例」、「この本山寺院に宗派を付すなら全ての本山寺院にも宗派を付すべき」となって、法体系が崩壊するのは目に見えています。ただそれも、上に述べたように「全ての寺院に宗派等を付す」という新たな法体系が整備されるならば話は別になります。蛇足ですが、相対的に京都東本願寺との差別化を図りたいなら、京都東本願寺を「東本願寺 (京都市)」へと改名するのは一計です(私は反対に回るかと思いますが)。--Saigen Jiro会話2016年11月7日 (月) 08:58 (UTC)[返信]
コメント ご回答ありがとうございます。
宗派名を冠した記事名の特例として、真宗大谷派の別院の記事が16件あります(真宗大谷派#教区・別院・開教区一覧を参照のこと)。2009年10月から7年の間に百科事典の体裁・品質を左右しうるような大きな問題はなかったと存じます。「全別院に宗派名を付すべき。」などという議論はあったのでしょうか?私は他宗の記事の編集に携わることはあまりないのでよく知りません。あくまで、「寺院名の中に宗派名を含む本山格を有する寺院」についての記事名についてという特例です。特例として、かなり限定的な条件だと思います。--Resto1578会話2016年11月7日 (月) 09:38 (UTC)[返信]
はっきりしませんが、後者ではなく前者に類する案件だと回答頂いたと判断すると、全本山格寺院に波及するルール整備をウィキプロジェクトで行われるが先と思います。ここの議論は一旦クローズしましょう。別院の話は「Wikipedia:記事名の付け方/仏教寺院」で合意形成されたのだと思います。--Saigen Jiro会話2016年11月7日 (月) 09:49 (UTC)[返信]
新たに回答すべき論点はなく、今までの話の繰り返しになるとは思いますが、せっかく「中間報告」を作っていただいたことでもあり、本件議論に未参加の方にも見通しがよくなるよう、「中間報告」に沿ってあらためて反対理由を整理しましょう。以下、記述を簡潔にするために「デアル体」で記述します。
現在のページ名で問題ないとする理由
寺院の記事名については、過去にプロジェクト:仏教/寺院名についてで合意された「ページ名の付け方」がある。本件記事のページ名は、該プロジェクトにて合意され、現在まで異論なく運用されている「ページ名の付け方」に合致しており、問題ない。その「付け方」の要諦は、宗派名、山号などはページ名には含めず、それらは記事本文にて説明すること、同名の別寺院の区別(曖昧さ回避)には当該寺院の所在する自治体名を用いること、である。日本語版ウィキペディアの初期(2004〜2005年頃)には「○○宗大本山○○山○○寺」のような「正式名称」による長大なページ名の寺院記事が多数あったが、私ともう一人、Kstigarbhaさんというユーザーが中心となって意見をまとめ、寺院の記事名を簡潔化して今日に至っている。該合意は2006年4月に成立した。その後の10年間に、日本の仏教寺院の新規記事は多数投稿されているが、私の知る限り、上記のページ名の付け方は完全に定着しており(最近新規に投稿された寺院記事については、Portal:仏教で確認できる)、コミュニティの支持を得ている。任意の寺院記事(たとえば四国八十八箇所の各寺院)を見ていただければわかるが、記事冒頭のテンプレート内に各寺院の「正式名称」が記載されており、そこにある「正式名称」が記事名になっている例は皆無に近いはずである。寺院の記事名に関しては、本件記事「東本願寺 (台東区)」以外に長らく論争になっている案件を知らない。
改名提案理由に反対する理由
提案者の挙げる「理由1」及び「理由2」は、現記事名の「東本願寺 (台東区)」は「誤認・誤解を招く記事名」であるとし、「曖昧でなく、誤認・誤解を招かない記事名は『浄土真宗東本願寺派本山東本願寺』(=正式名称)のみである」との主張に基づくものである。現記事名が「誤認・誤解を招く記事名」であるとの主張に対する反論は、このノートページにおける、利用者:Uraniaの2016年11月3日 (木) 07:01の書き込みで述べた。「曖昧でなく、誤認・誤解を招かない記事名は『浄土真宗東本願寺派本山東本願寺』のみである」との主張の論証が弱いことについては、利用者:Uraniaの2016年11月3日 (木) 07:01と、その前の2016年10月30日 (日) 06:37の書き込みで述べた(以上については、ここに書くと長くなるので、上記書き込みを参照願いたい)。
順番が前後するが、「理由4」について先に述べる。「『記事名を付けるには』の基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用する」との点についてであるが、そもそも、寺院の記事名の付け方についてはプロジェクトで別途合意があり(これについては既述)、そちらにしたがうべきである。Wikipedia:記事名の付け方にも、「以上にかかわらず、確立された慣例が存在する場合や、プロジェクトやカテゴリ等での合意がある場合には、それに従う」とある。また、「Wikipedia:記事名の付け方」自体が、「正式名称の使用」を強制するものではない。その点は、このノートページでもすでに指摘されている(たとえば、このノートページにある、アルビレオ氏の2016年10月15日 (土) 05:06の発言を参照)。 正式名称(厳密には宗教法人としての正式名称)が「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」であることは議論参加者の誰も否定しておらず、そのこと自体は争点ではない。争点でないどころか、該名称が正式名称であることは自明の前提として、この議論は進んでいるように見える。『宗教年鑑』は、宗教法人についての資料であるから、同書の一覧表には「法人」としての正式名称が記載されているのは自明のことである。
「理由3」には「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は、唯一の寺院を示す固有名詞であることは検証済みだ、とある。該名称が「正式名称」「法人名」であることは「信頼できる情報源」として示されたリンクを参照するまでもなく自明のことであり、それが「固有名詞」であることも自明のことであるが、それのみが「唯一の固有名詞」であるとは、示された情報源のどこにも明記されていない。提案者の「2016年10月16日06:42のコメントに対する回答」の3・4段落目のコメントは、該名称が「浄土真宗東本願寺派」+「本山」+「東本願寺」ではないとの趣旨であるが、これは提案者の個人見解であり、「浄土真宗東本願寺派」+「本山」+「東本願寺」を法人の名称とした、と考えるのが常識的理解であろう。当該寺院自体の公式サイトのトップページには「東本願寺について」というタブがあり、宗派名や寺格を冠称しない「東本願寺」の呼称は排除されていない。略称だから「固有名詞ではない」ということにはならない。「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」は、当該国家の唯一の(日本語での)正式名称ではあるかもしれないが、「唯一の固有名詞」ではない。略称の「英国」「イギリス」等も「固有名詞」である。最後に、理由3の後段で述べられている「特筆性」のことは、改名理由とは関係がない。
以下、補足です(デスマス体に戻します)。
提案者はしきりに「なぜ本記事を改名してはいけないのか明確にされていない」「改名してはいけない理由を述べよ」と主張されます。しかし、私たち一人ひとりのユーザーにできることは「反対意見を述べること」であって、「改名してはいけない」などと命ずる権利はありません。紙の出版物であれば、「編集長」にそれを命ずる権利があるでしょうが、ウィキペディアには「編集長」はいません(出典:Wikipedia:方針とガイドライン)。では誰が(あるいは何が)結論を決めるのかというと、それは「コミュニティの合意」です。ですから、「改名してはいけない理由」をあえて述べるとすれば、それは「コミュニティの合意が得られていない」(少なくとも、これを書いている2016年11月5日時点では)ということでしょう。提案者様の意見が正しい、とコミュニティが判断するならば、そのような結論が導かれるでしょうし、その逆もまた然りです。
「もっとも曖昧でなく、誤解・誤認を招かないページ名は何か」というような、個々人の判断を求める問いに対して、数学の定理のような「絶対的な正解」というものはありえず、個々人の判断以外のものは示しえないのですから、それを「論証せよ」と求めること自体が無理筋というものです。これについて申し上げるのはこれで3度目です。
私は、一つ前の自分のコメントにおいて、「以上のようなコメントについて、『それはUraniaの私論にすぎない』『論証になっていない』と言われればそれまでです」と、あらかじめ予防線を張っておきました。私の意見も提案者様の意見も「私論」であることに変わりありません。私の意見は「Uraniaさんの思い込み」であり、ご自身のコメントには「推論ですが、異論はないかと存じます」というのはいかがなものかと思います。
Google音声検索の不具合については、ウィキペディア外の問題であり、Googleに直接苦情をおっしゃってください。
以下は余談ですが、ここでこの議論を続けることよりも、「東本願寺」(京都の)の記事をもっと充実させることの方が先決ではないでしょうか。本願寺が東西に分かれてからだけでも4世紀以上の歴史があるのに、「東本願寺」(京都の)の記事の「歴史」の節は箇条書きの簡略な記述であり、記事のあちこちに「この節の加筆が望まれています」のテンプレが張られています。「東本願寺」(京都の)の記事が充実し、「秀逸な記事」とかに選ばれれば、メインページにも表示されるし、読者が増え、注目度が上がるはずです--Urania会話2016年11月5日 (土) 09:19 (UTC)[返信]
コメント Uraniaさんのコメントは、反対ありきで進めるもので、「互いの意見の理解を積み重ね、和解に努め、ウィキペディアの三つの大事な方針に従った編集ができるように」合意形成を目指すものとは言い難いものと考える。
プロジェクト:仏教/寺院名についてで合意が絶対ではない。そもそも「プロジェクト:仏教/寺院名について#各所でのこれまでの議論のまとめ」は、どこで議論されたのか明示されていない不透明なものである。数年前にも申したが、整理を要する。慣例して定着しているものとはいえるが、確立されたものとは言い難い。
この改名提案は、他の記事において宗名を冠する記事名を認めることへの布石ではなく、誤認・誤解を回避するための特別な事例であると認識していただきたい。
また『宗教年鑑』を参照しても、名称に宗名が付された"寺院"は、「真言宗醍醐派修験光宝院東京中央教会」、「中山身語正宗清法山徳純院」、「中山身語正宗東照寺」など数ヶ寺である。(単立ではあるが)本山格を有し崇敬寺院が300ヶ寺を有するという特筆性が確認できる寺院で、宗名を冠している寺院は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」だけである。
より認知度の高い「東本願寺」と誤認・誤解を招きかねない「浄土真宗東本願寺派の本山格を有する寺院」が、曖昧さ回避を用いた記事名となっている。よって「曖昧でない」記事名に改名することを主旨とする。
コメント 公式サイトで「本山東京本願寺の寺院規則の変更が平成13年4月26日付で認証され、名称が「東京本願寺」より「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更となりました。」(浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 東本願寺の法統 > 11 法統伝承 -名称変更のお知らせ-と、寺院規則を変更し、「東京本願寺」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」へと名称変更していることを公言している。
元を辿れば、2006年12月7日12:12における移動は、検証可能な信頼できる情報源に基づいておらず、改名提案の議論でもZiksyさんは「この名称は、「浄土真宗東本願寺派」という宗派名と、その「本山」としての「東本願寺」を表す名称であって、「本山」は、いわゆる山号でもなく普通名詞に過ぎません」という誤認に基づいた改名である。ここに記事名を付ける上での誤りがある。寺院規則によって「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という固有名詞へと名称変更がされていることを見落としている。
コメント コメントの撤回要求
寺院規則の変更を論拠とできるもので、個人的見解ではない。「該名称が「浄土真宗東本願寺派」+「本山」+「東本願寺」ではないとの趣旨であるが、これは提案者の個人見解であり、「浄土真宗東本願寺派」+「本山」+「東本願寺」を法人の名称とした、と考えるのが常識的理解であろう。」というコメントについて撤回を求める。「常識的理解」などの意見はUraniaさんの独断である。
コメント Googleの音声案内は、ウィキペディアの記事名を元とした誤案内である。当然Googleに問題報告をすれば修正されるが、誤認・誤解に対する潜在的な問題解決にはならない
コメント (論調を戻します。)「しかし、私たち一人ひとりのユーザーにできることは「反対意見を述べること」であって、「改名してはいけない」などと命ずる権利はありません。」
⇒Uraniaさんのコメントの意味が理解できません。「正式名称に改名するデメリット」と「「東本願寺 (台東区)」で問題がないことを論証」を求めることが、「改名してはいけない」と命じることになるのですか?ウィキペディアの編集者は、○○の理由で改名してはいけないと表明することはできます。なぜ命令という言葉が出てきたのでしょうか?何か私のコメントにそのような文言があったのでしょうか?--Resto1578会話2016年11月5日 (土) 12:12 (UTC)[返信]
コメントUraniaさんのコメントは、反対ありきで進めるもので、「互いの意見の理解を積み重ね、和解に努め、ウィキペディアの三つの大事な方針に従った編集ができるように」合意形成を目指すものとは言い難いものと考える。
率直に言って、Resto1578さんの誤解ではないかと思います--Ryo 625会話2016年11月15日 (火) 13:09 (UTC)[返信]
コメント
Wikipedia:論争の解決「ステップ2: 論争の相手と話し合う」3. 合意形成を目指す「そして、互いの意見の理解を積み重ね、和解に努め、ウィキペディアの三つの大事な方針である、中立的な観点で書く、検証可能性を守る、独自研究は載せないに従った編集ができるように合意することを目指してください。」とガイドラインにあります。
私が何を誤解しているのかわかりません。--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 00:18 (UTC)[返信]
  • 反対 「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が正式名称であっても、「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」の5要件を満たす(「一般的な名称」である)とは限らず、別に5要件に照らしてより一般的な名称の候補があれば、そちらが優先されるべきだと思います。特に、15文字もある長~い正式名称は、他の記事から内部リンクしたりするときに入力するのが面倒だったり、見づらくなったり、誤入力したりする原因となり、5要件の「簡潔さ」などに反すると思いますので、使用に反対します。--宇井木辺出夫会話2016年11月12日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
コメント
宇井木辺出夫さん、こんにちは。
「5要件を満たす」と仰られますが、WP:CRITERIAには「基準」とあり、要件(大切な用事/必要な条件)ではありません。また、「しかし、複数の基準を満たすために他の基準を犠牲にする必要があるかもしれません。」と但し書きがあります。
15文字の記事名は、前述のとおりウィキペディアにおいて長いとはいえません。
誤入力について、「プレビューをして赤リンクになっていないか確認しない。」、「投稿後にリンクを確認しない。」という編集者側のミスであり、「簡潔」の基準とは異にするものです。ウィキペディアの編集は、読者重視です。誤認・誤解を避けることが最重要と考えます。--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 00:18 (UTC)[返信]

Resto1578さんの改名提案の意図への疑問

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Resto1578さんの「曖昧さを回避をできていないとは申していません。」という発言と「この改名提案は、他の記事において宗名を冠する記事名を認めることへの布石ではなく、誤認・誤解を回避するための特別な事例であると認識していただきたい。」は矛盾しているのではありませんか? Resto1578さんの「誤認、誤解を回避するため」という発言は、ウィキペディアの方針である「曖昧さ回避」と、関係のあるものなのか、ご自身の私見なのか、私には明瞭でないのですが、どう考えたらいいのでしょうか。 と、ここまで書きましたが、発言を読み直すと、ご自身の「私観」であると述べられていますね。では、Resto1578さんの提案には反対意見を述べるだけで良いようです。--Ryo 625会話2016年11月15日 (火) 19:36 (UTC)[返信]

改名提案者の発言を再確認しますが、本項目の現在の名称である「東本願寺 (台東区)」がウィキペディアの方針に反しているわけでは何らなく、曖昧さを回避できていないわけではない、という認識は提案者自身にも共有されているようです。そのことを明記しておきたいと思います--Ryo 625会話2016年11月15日 (火) 19:54 (UTC)[返信]

コメント
言葉が足りませんでした。「曖昧さ回避をできていないとは申していません。」ではなく、「「曖昧さ回避」をできていないのではなく、Wikipedia:曖昧さ回避「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を用いて記事名を作成していることに問題があると考えています。」が本意です。代表的なトピックの「項目名」が「(議論によって決められた)通称」であることに対して、本記事は「曖昧さ回避」を用いて「略称 (地名)」となっている。
Wikipedia:曖昧さ回避「ウィキペディアにおいて、内容が異なる主題なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすることを曖昧さ回避と呼びます。」)のことではなく、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「曖昧でない」ということを重視しております。
代表的なトピックである「東本願寺」が「通称」というのは議論によって決められております。対して、特筆性を有する本記事が「曖昧さ回避」を用いて「略称 (地名)」とする理由がありません。(単立ではあるが)本山格を有し、崇敬寺院が300ヶ寺を有するという特筆性を考えると、読者が誤認・誤解することを回避する必要性があります。
代表的なトピック「東本願寺」に対して、「東本願寺 (台東区)」という地名付の略称ではなく、「曖昧でない」記事名である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」とする。このように「Wikipedia:曖昧さ回避」を用いない記事名へと改名することによって、「真宗大谷派の本山格を有する寺院」と「浄土真宗東本願寺派の本山格を有する寺院」を明確にすることができるため、「曖昧でない」の基準が満たされ、読者が誤認・誤解することを防げると考えます。
コメントと、ここまで書きましたが、発言を読み直すと、ご自身の「私観」であると述べられていますね。では、Resto1578さんの提案には反対意見を述べるだけで良いようです。」というRyo 625さんのコメントの意図について解りかねます。なぜ私の提案には反対意見を述べるだけでよいのでしょうか?建設的な議論をお願いいたします。--Resto1578会話) 2016年11月16日 (水) 00:18 (UTC)・(追記)--Resto1578会話) 2016年11月16日 (水) 00:27 (UTC)・(追記)--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 01:18 (UTC)[返信]

コメント2(続き)

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コメント 上で述べましたがコメントを頂けないので。
1. 通称の選定(寺院記事名の慣用則) → 東本願寺
2. 項目名がかぶった場合の曖昧さ回避 → 東本願寺 (台東区)
と進んで項目名を一意に定めるべきところ、2で地名を付したくないから1から根本的に従わない、というのでは寺院記事名が一意に決まらなくなります。「本山格では別の曖昧さ回避を行う」というルールを導入するならば、個別事項での対応ではなく、先にウィキプロジェクトで議論を通すべきと考えます。そもそも京都東本願寺と相対的に並べたいならば「東本願寺」の方を「東本願寺 (京都市)」へと改名するのが筋だと思います。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 00:52 (UTC)[返信]
コメント
「上で述べましたがコメントを頂けないので。」と仰られますが、「ここの議論は一旦クローズしましょう。」と仰られたためにコメントをしませんでした。
項目名の付け方から言えば、2006年12月7日12:12における移動の検証可能な信頼できる情報源に基づかない改名が原因です。改名提案の議論でもZiksyさんは「この名称は、「浄土真宗東本願寺派」という宗派名と、その「本山」としての「東本願寺」を表す名称であって、「本山」は、いわゆる山号でもなく普通名詞に過ぎません」とコメントされ、誤認に基づいた改名であることがわかります。寺院規則によって「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という固有名詞へと名称変更がされていることを見落としています。
寺院名に「浄土真宗東本願寺派」を冠しているのではなく、寺院規則にあるように「浄土真宗東本願寺派」を含む名称が寺院名で、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」です。電話取材ですが公式サイト担当の方に確認済みです。もし私のコメントに疑問をお持ちでいらしたら、担当の方に電話で問い合わせをしてください。(注:11月中は御正忌報恩講につき、不在の可能性が高いです。)
前述しましたが、担当の方が仰るには、公式サイトにて、ウィキペディアに対して意見表明するか否かは、回答に時間を要するとのことでした。御正忌報恩講は11月28日まで勤まります。12月も本山は多忙でしょうから、(修正会明けの休暇が終わると思われる)2017年1月中頃から末頃まで本記事の対象団体からの見解を待とうかと思っています。いかがでしょうか?--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 01:18 (UTC)[返信]
そもそも京都東本願寺と相対的に並べたいならば「東本願寺」の方を「東本願寺 (京都市)」へと改名するのが筋だと思います。」について
⇒ 本来であれば「真宗本廟」が『真宗大谷派宗憲』 (PDF) 「第3章 真宗本廟」に定められた正式名称です。しかし、議論により通称である「東本願寺」が記事名になっています。Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「認知度が高い[18]」という基準を踏まえても、「東本願寺」という通称を記事名にすることは問題ないと考え、真宗大谷派の本山の記事について改名する意思は持っておりません。--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 01:43 (UTC)[返信]
どうもです。論理が詰んだと早合点してクローズと言及しましたが、それは後回しにします。つまり、私が上に挙げた「1」の段階で本項目の命名が間違っているという主旨と理解いたします。これは、当寺院に限ることでしょうか。上でも述べましたが、私にはご主旨が「東大寺」も「華厳宗大本山東大寺」と改名すべきと申されているように思います。電話取材云々の主観的な出典ではなく、ご提示の『宗教年鑑』等の客観的史料において、(他寺院は「◯◯寺」のみであるのに)当寺院だけは宗派名を付す別の表記が採られているのでしょうか。情報を提示して頂けると幸いです。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 01:47 (UTC)[返信]
(追記)京都東本願寺の方に対するご意思については承知いたしました。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 01:48 (UTC)[返信]
前述していますが、(公式サイト)浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 東本願寺の法統「11 法統伝承」に「- 名称変更のお知らせ -」と別記があり、「寺院規則の変更が平成13年4月26日付で認証され、名称が「東京本願寺」より「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更となりました。」と公表しています。
名称の変更経緯は、1981年6月に真宗大谷派との包括関係を解消し「東京別院東京本願寺」[19]から「東京本願寺」に変更し、2001年4月26日に「東京本願寺」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更しています。2016年現在のウィキペディアのルールに則ると、真宗大谷派との包括関係を解消を理由として「真宗大谷派東京別院東京本願寺」から「東京本願寺」に改名。寺院規則変更が認証されたことを理由として「東京本願寺」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に改名となるはずです。また文化庁編『宗教年鑑』にも平成13年版から「文部科学大臣所轄単位宗教法人一覧」に掲載されています。平成12年版までは未掲載です。
「東大寺」の寺院規則は存じておりませんが、寺院規則が「東大寺」であれば現在の記事名で問題ないと思います。しかし、寺院規則が「華厳宗大本山東大寺」であっても、「東大寺」という名の本山格を有するという特筆性を持つ寺院が(通称・略称を含め)他になければ、誤認・誤解を招くことはないものと考え、「華厳宗大本山東大寺」へ改名する必要はないものと考えます。2016年11月5日 (土) 12:13のコメント(差分)も参照して下さい。
2016年11月7日09:38の私のコメントにあるように、「寺院名の中に宗派名を含む本山格を有する寺院」についての記事名についてという特例です。本山格を有するからといって一律に宗派名などを冠するという提案ではありません。
【参考】「禅林寺 (京都市)」については、「禅林寺」を見る限りWikipedia:曖昧さ回避「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」の代表的なトピックといえる寺院なので、「禅林寺 (京都市)」を「禅林寺」に、「禅林寺」を「禅林寺 (曖昧さ回避)」に改名すべきと考えます。--Resto1578会話) 2016年11月16日 (水) 02:44 (UTC)・(補足)--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 02:48 (UTC)[返信]
ありがとうございます。整理すると、『寺院規則が「華厳宗大本山東大寺」であっても云々』ということから、上に挙げた「1」の段階では本案件も「東本願寺」とするお考えですね。あくまでも京都東本願寺が存在するから、今回の議論を提起されていると。しかし「1 → 2」のプロセスで、地名を付さない曖昧さ回避を導入されたいと。法理から言って「1 → 2」のプロセスでは「1 ⊃ 2」であるのが当然だと思いますが、ご提案のルールでは「1 ⊅ 2」になってしまい秩序が喪失してしまうのですが、これは筋が通らないのではないでしょうか。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 03:18 (UTC)[返信]
時系列的な問題から言えば、「東京本願寺」から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」への名称変更が認証されたのが2001年4月26日です。ウィキペディアで「東本願寺」の記事が初投稿されたのが2003年11月11日03:35、「本山東本願寺」(後に「東本願寺 (台東区)」に改名)の記事が初投稿されたのが2006年12月5日10:30です。
浄土真宗東本願寺派の本山は、初投稿時の記事名を付ける際に検証可能な情報源に基づいて「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」とすべきものを「本山東本願寺」としたのが問題です。2008年1月23日16:47に、またも出典に基づかずに「東本願寺 (台東区)」と改名(差分)して、今に至っています。
京都の「東本願寺」については、その認知度が高さ[18]からも記事名は通称で問題ないと考えます。「真宗本廟」でも問題ないとも考えます。(ただし、この記事名を変更する意思はありません。)
よって、「1. 通称の選定」以前の問題だと考えます。本記事は、検証可能な情報源に基づいて「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」として立項すべきです。よって「2. 項目名がかぶった場合の曖昧さ回避」は不要です。「1 → 2」のプロセスも、「1 ⊃ 2」・「1 ⊅ 2」の概念も成立しません。
Saigen Jiroさんは、私が他の本山格を有する寺院の記事についても「○○宗××寺」、「○○派××寺」と改名するという懸念をお持ちでしょうか?「禅林寺 (京都市)」のような改名を提案することはあっても、他の寺院について宗派名を冠する改名提案をすることは無いと思います。まず、浄土教以外の他宗に関して、私は知識や情報源がありません。また、2009年以降に宗派名を冠した寺院名への改名提案は、真宗大谷派の別院についてと本提案だけです。
以上、回答いたしました。--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 04:01 (UTC)[返信]
今は「本来どうあるべき項目名」を議論しているかと思います。時系列ではなく、「プロジェクト:仏教/寺院名について」のルールに従ってゼロベースから項目名を一意に定めるにあたって、「1. 通称の選定」の段階から特殊ルールを勝手に設定するのは筋違いではないかと申しております。寺院規則に宗派名が入っていても(東大寺等では適用されないのに)本寺院だけ別のルールが適用される特殊性が十分に説明されていません。また「他の本山格を有する寺院」について、貴方様のご意思は問題としていません。プロジェクトとして新ルールを設定するならば、(貴方様のご意思によらず)全寺院に適用すべきですので。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 04:21 (UTC)[返信]
通称の選定(寺院記事名の慣用則)、および項目名がかぶった場合の曖昧さ回避について回答したつもりです。「「プロジェクト:仏教/寺院名について」のルールに従ってゼロベースで……」というコメントには同意しかねます。「本来どうあるべき項目名」ということであれば、先のコメントの通り、初投稿時の記事名の付け方のミスを正すべきです。特殊ルールを勝手に設定するものではありません。
コメント 東大寺に適用されないのは、「東大寺」という名の「本山格を有するという特筆性を持つ寺院」が(通称・略称を含め)他になければ、誤認・誤解を招くことはないものと考えるからです。「東大寺 (曖昧さ回避)」を読む限りそのような事例は無いものと存じます。
コメント 「本寺院だけ別のルールが適用される特殊性が十分に説明されていません。」について
1. 「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」という寺院が存在し、検証可能性を満たす情報源[4][6][7][8][9][10][11][12]で確認できる。
2. 浄土真宗東本願寺派の本山格を有している寺院である。浄土真宗東本願寺派は、1988年の結成時に時点で三百数十ヶ寺が所属寺として加わっている比較的大規模な宗教団体である。
3. 本記事が作成される前の2001年4月26日に「東京本願寺」から名称変更されている。
4. 「略称 (地名)」という記事名は、検証可能な情報源に基づいていない改名を経ている。(元の記事名は「本山東本願寺」)
5. 記事の対象が「名称が「東京本願寺」より「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更となりました。」と公表しているにも係わらず、略称を記事名にするというルールは「プロジェクト:仏教」に存在しない。寺院名が長いから略称にするという記事名の付け方も存在しない。
1.のことだけを考えると特殊ルールとはいえません。なぜならば、「プロジェクト:仏教/寺院名について#ほぼ推奨されている付け方」が作成される以前から存在しているからです。現在の「略称 (地名)」という記事名から正式名称に戻す理由、および寺院名に宗派名を冠する特例の理由を列挙しました。
コメント 「プロジェクトとして新ルールを設定するならば、(貴方様のご意思によらず)全寺院に適用すべきですので。」について
ここは「プロジェクト:仏教」ではありません。プロジェクトですべてを決めなくてはいけないのであれば、「プロジェクト:仏教」の導入部にある「これらは単なる提案であり、記事を執筆する際に迷わず作業を進めるよう手助けするための物です。」の精神に反しています。特例は理由があれば認められるものと考えます。
また、「全寺院に適用すべきですので。」と仰いますが、あくまでも「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」の記事名の改名について提案しているのであって、特例としての扱いです。全寺院に適用する必要性はないと考えます。
なお、2009年ではありますが「プロジェクト:仏教/寺院名について#「東本願寺 (台東区)」の改名提案」と「Wikipedia:記事名の付け方/仏教寺院」に報告済みです。
コメント特殊ルールを勝手に設定する」などという、相手を攻撃するような言動は慎んでいただきたく存じます。--Resto1578会話2016年11月16日 (水) 05:55 (UTC)[返信]
攻撃した意図は一切ございませんが、そう感じられたのであれば謝罪いたします。特例と仰いながら特殊ルールではないとは理解に及びませんけれども。議論として『「本山格を有すること」が「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」にあたるか』(表現間違いにつき取り消し:後段で詳述--Saigen Jiro会話) 2016年12月14日 (水) 12:31 (UTC))が根幹ということであれば、私は「あたらない」として反対票を投じるとすればよろしいでしょうか。この「あたる」・「あたらない」は編集者の感性の問題であるので、私の方でこれ以上の議論は出来そうにありませんね。市販の百科事典等では本山格を有する寺院だけ別ルール表記されている、という客観的証明があれば別ですが。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 06:43 (UTC)[返信]
(追記)「これ以上の議論は出来ない」と申した手前、また議論放棄と受け取られていると困りますので、『「本山格を有すること」は「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」の要件にあたらない』(表現間違いにつき取り消し:後段で詳述--Saigen Jiro会話) 2016年12月14日 (水) 12:31 (UTC))ことを理由に 反対 (現行の「東本願寺 (台東区)」に賛成)という意思表示だけしておきます。--Saigen Jiro会話2016年11月16日 (水) 09:13 (UTC)[返信]
コメント
上記の『「本山格を有すること」は「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」の要件にあたらない』ことを理由に反対というコメントについて、理解することができません。
私の提案は、記事名に曖昧さ回避を用いるのをやめて、正式名称にすることです。つまり曖昧さ回避を用いている「東本願寺 (台東区)」は、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と曖昧さ回避を用いない記事名になります。よって本提案が反映されると、現在の代表的なトピックである真宗大谷派の本山である「東本願寺」は、「代表的なトピック」から、「通称を記事名とした記事」となります。--Resto1578会話2016年12月14日 (水) 11:18 (UTC)[返信]
表現を間違えたようです。『「本山格を有すること」は「曖昧さ回避より正式名称を優先するべき代表的なトピック」にはあたらない』という主旨です。失礼いたしました。--Saigen Jiro会話2016年12月14日 (水) 12:31 (UTC)[返信]

脚注

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  1. ^ 発行を東本願寺出版としている書籍の例 - 坂東本『顯淨土眞實敎行證文類』角点の研究
  2. ^ 河野法雲・雲山龍珠監修『真宗辞典』pp.554-555「東京別院」 - 「もと浅草別院」という記述あり。
  3. ^ 田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』白馬社、pp.232-233・pp.312-313・p.316。
  4. ^ a b c d 文化庁編『宗教年鑑』平成13年版 P.130(146/193)平成14年版 p.133(149/197)平成15年版 p.133(149/197)平成16年版 p.133(149/197)平成17年版 p.133(149/197)平成18年版 p.133(149/197)平成19年版 p.135(151/201)平成20年版 p.133(147/199)平成21年版 p.137(151/203)平成22年版 p.137(153/208)平成23年版 p.138(154/208)平成24年版 p.138(154/208)平成25年版 p.138(154/208)平成26年版 p.139(155/210)(改訂版p.139)・平成27年版 p.138(154/212)
  5. ^ (参考)とする理由:Mapion天気は、表記が一定ではありません。例えば、2016年10月25日の時点では、Mapion天気で「築地本願寺」を検索できません[1]。その他にも表記が一定ではないため、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」を用いているウェブサイトの例示です。
  6. ^ a b c 2-a.公式サイトの「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 宗旨」にて、本山は「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」と記述されています。
  7. ^ a b c 2-b.公式サイトの名称も「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」です。(ページのプロパティ・タブ等で確認してください。)
  8. ^ a b c 3-a.「慧林寺[2] > 教えの概要
  9. ^ a b c 3-b.「正山寺 > 宗派
  10. ^ a b c 3-c.「林光寺 > 浄土真宗の教え
  11. ^ a b c 4.平尾御坊 願證寺 > 歴史「願證寺の歴史」に、「このときより浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を本山と崇敬し現在に至っています。」と記されている。ここでも正式名称を用いています。
  12. ^ a b c 5.Mapion天気(Mapion天気は、表記が一定ではないため参考) - Mapion > 天気予報(日本全国) > 全国のスポット天気 > 神社・寺院・仏閣の天気 > 東京都 > 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺
  13. ^ 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  14. ^ 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるもの)。
  15. ^ 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
  16. ^ 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、括弧内を短く保つことは必要です)。
  17. ^ 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
  18. ^ a b c 認知度の高い「東本願寺」 - 以下の情報源は「東本願寺」を真宗大谷派の本山と定義している。田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』白馬社、『岩波仏教辞典』p.840、『真宗新辞典』p.456「本願寺 2 東本願寺」、ブリタニカ国際大百科事典「東本願寺」、デジタル大辞泉「東本願寺」、百科事典マイペディア「東本願寺」、デジタル大辞泉プラス「東本願寺」、大辞林 第三版「東本願寺」、日本大百科全書(ニッポニカ)「東本願寺」、世界大百科事典「本願寺」の言及(コトバンクにて確認)
  19. ^ 田原友紀雄『東本願寺三十年紛争』白馬社、pp.232-233。

冒頭部の記述について

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Resto1578さんによってこちらのリバート後にさらに加筆して改変した後、その改編後の記述に照らしてこちらが不当なリバートをしたような発言がありましたが、事実無根です。導入部から「真宗大谷派からの独立」の節を参照するようになっていたものを何の同意もなしに改編した後に、改編後の記述にあわせてこちらの記述を非としてリバートがなされました。本項におけるResto1578さんの態度は少し尋常ではないと思います。ノートで慎重に論議を行ってください--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 10:25 (UTC)[返信]

コメント
まず確認ですが、Ryo 625さんは2016年10月15日07:51の編集ではリバートではなく、コメントアウトされていますよね?
そのコメントアウトに気付かずに、2016年10月15日08:58の編集で、「正式名称についての詳細は、「真宗大谷派からの独立」の節を参照してください。」の一文を脚注化し、宗教法人の説明を出典付きで加筆しています。
要約欄に「コメントアウトしないでください。」と記入しただけで、Ryo 625さんが不当なリバートをしたとは思っておりません。
隠しコメント化されていたのに気付き、2016年10月15日09:21の編集で要約欄に「rev(リダイレクトと関係しているため冒頭部に置くべき記述です。コメントアウトしないでください。)」と記入し、<!-- -->を除去しました。
確かに見落としはありましたが、私の態度が少し尋常ではないとは言葉が過ぎませんか?--Resto1578会話) 2016年10月15日 (土) 11:52 (UTC)・(補足)--Resto1578会話2016年10月15日 (土) 13:28 (UTC)[返信]
コメント すみません。リバートではなく、確かにコメントアウトしました。というか自分で編集の要約にコメントアウトと書いてますね。失礼しました。いままでResto1578さんとやり取りしてきた中でも今回は少し御自分の意見に強い拘りをお持ちだなと感じました。ネガティブな言葉と感じられたのであれば謝罪いたします--Ryo 625会話2016年10月15日 (土) 14:57 (UTC)[返信]