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ノート:東信電気鉄道

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記事名について[編集]

「東信電気鉄道」として立項されていますが、拝見する限りではいわゆる「専用鉄道」のように見受けられます。実際、『鉄道廃線跡を歩くX』(JTBパブリッシング、2003年)には「東信電気専用鉄道」として記載されているようです。参考文献として初版立項者が記載した『信州の鉄道』は未見なのですが、そちらにはそのように記載されているのでしょうか。たとえそうであったにせよ、現状の記事名では「東信・電気鉄道」という一般の民鉄と誤解を招くようにも思われますので、確認をお願いしたいところです。--Unamu会話2019年10月30日 (水) 12:24 (UTC)[返信]

Qurren会話)です。『信州の鉄道物語(上)』(2014年)を確認して参りました。主題については195 - 203ページにて扱われており、「東信電気鉄道」と呼称されていました。本書は『信州の鉄道物語』(1987年)の再編版で、旧版においても「東信電気鉄道」と呼称されています(131 - 136ページ)。
『信州の鉄道物語(上)』(2014年)には5万分の1の地形図(1931年修正)が掲載されていますが、こちらには「会社用電気軌道」・「会社用馬車軌道」と見えます(201ページ、原文は旧字体を使用)。
別の書籍として『写真探訪 信州の廃線紀行』(1998年)では、「東信電気専用軌道」と呼称されていました(118 - 119ページ)。
『大町市史』では4巻「近代・現代」489 - 492ページで大正期の電源開発についての記述があり、その内490 - 491ページにて軌道について触れていますが、路線名を断定するような記述ではありませんでした。東京電力社史(30年・50年)もざっと見ましたが、軌道に関する記述は見つかりませんでした。
軌道のうち七倉から上流は旧大町営林署管内の森林鉄道(2級)になりますが、こちらは「高瀬川林道」という名称だったそうです(『近代化遺産 国有森林鉄道全データ 中部編』96 - 98ページ)。以上、ご報告致します。--Qurren会話2019年11月3日 (日) 09:48 (UTC)[返信]
調査いただき、ありがとうございました。まとめると、初版立項者が出典とした文献での記載は記事名通りであるが、一方他の文献では異なる名称があるということですね。いずれにせよ「東信電気鉄道」という企業が存在したわけではないこと、単一の文献だけがこの名称を使用していることから、別の記事名に変えた方がよさそうですが、決定的な名称の裏付けがないので難しいところです。--Unamu会話2019年11月3日 (日) 10:31 (UTC)[返信]