2点、修正したほうがよいかと思われる点があります。
- 「同族内の争いが絶えず起こったために衰退し」は、主に、伊達氏が最上領(村山郡)に侵入した後の出来事だと思います。
- 江戸期の改易後も、家だけは残ったような記録があります。(現在も子孫を名乗る方がいる)
他に、伊達氏から独立したのは、ほぼ最上義光一代のできごとのような気もするが、詳しくわからないのでスルー。最盛期の石高は勝手ながら直させていただきました。文章にまとめる力がないので手が付けられないです。よろしかったら、ご一考下さい。--Tcyiswalk 11:33 2004年5月17日 (UTC)
- 改易後も交代寄合5000石として幕末まで続いています [1] [2]。身分でいうと、旗本ですね。子孫存続のことについてはお気づきの通りです。--Safkan 11:49 2004年5月17日 (UTC)