ノート:支那事変
防衛研究所のページへのウィキリンクについて
[編集]本文において、「支邦事変」の語の公式使用者について、防衛庁防衛研究所が赤リンクとなっていたため、リンクを解除しました。その際、『戦史叢書』のページの記述に合わせて「防衛庁防衛研究所戦史室」が「現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身」であることを付記し、記事が存在する防衛研究所の語にリンクを設定しました。この際に、
- 単に「防衛庁」を「防衛省」に書き換える
- 赤リンク箇所を「防衛庁防衛研究所」のように変更する
等の手段は用いませんでした。そのように記述するためには、同所が組織変更で「防衛省防衛研究所」になった後に「支邦事変」の語を用いたという事実が検証可能でなければなりませんが、私はそれを確認していません。 --やすはら 2009年7月14日 (火) 09:14 (UTC)
「大日本帝国」の一律書き換えについて
[編集]百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。もし出典とするならば、「大日本帝国と言う表記は使ってはいけない」ということが理由と共に示された資料であり、いくら百科事典や学術書を並べ立てても「使用例がない」とする根拠にはなりません。的外れな出典です。
- 「○○と中華民国の戦争」は相手が国号なのだから日本も国号にするべきでしょう。--uaa 2009年10月2日 (金) 19:26 (UTC)
「大日本帝国」の語の使用が百科事典などに一般的ではないことの証明にはなっております。存在しないとまでは言わなくともマイナーな表記をあえて優先する理由はありません。--Omaemona1982 2009年10月3日 (土) 06:34 (UTC)
今後この提案に関する意見は現在大きな合意を形成中であるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で表明して下さい。 |
厚生労働省援護局で高齢の対象者に判りやすく説明する場合について
[編集]支那事変の用語について『厚生労働省援護局で高齢の対象者に判りやすく説明する場合に用いる場合があるとの記述に「要出典」がついていましたが、立証できないので削除しました。当方が調べた範囲では日支事変と書いている40年前の広島県の資料はありましたが、肉親に交付されている現在の厚生労働省の資料にはそのようなものはありませんので削除します。ただし、遺族会の高齢者の中には「個人的に」使っている方がいることは肯定します。--Carpkazu 2010年4月11日 (日) 09:38 (UTC)
記事の日中戦争への統合について
[編集]歴史教科書等の各書籍(例えば、山川出版社)や研究書籍、マスメディアの報道についても、『支那事変』という言葉は当代の文書の引用や特定イデオロギー用語を除くと伺い知ることができません。『呼称の問題』で戦後以降も様々な名称が提案され続けている『太平洋戦争』とは状況が違います(大東亜戦争等を太平洋戦争の呼称問題という項目にまとめることも検討に値すると思いますが)。現状では、混乱を招くだけでしょう。よって、本記事は『日中戦争』の後半部に呼称の問題とし、支那事変・日華事変等をまとめてはどうでしょうか?ただし、統合にあたってリダイレクトは必要だと思います。--Longlongsummer 2011年8月26日 (金) 11:00 (UTC)
- 参考までに加筆します。僕のATOKでは、「しなじへん」は「支那事変」と変換できませんでした。--Longlongsummer 2011年8月26日 (金) 11:37 (UTC)
- コメント 記事冒頭で親切丁寧に「日中戦争」に誘導しているのに、なぜ統合が必要なのでしょうか?。何のための{{main2}}でしょう。
- 前回の件でも、反対意見者にイチャモン付けただけで、結局は説明責任も果たさず御座なりであり、正直この分野に関して、今のあなたにはいじって欲しくありません。--Ashtray 2011年8月26日 (金) 11:56 (UTC)
反対 「教科書等で使われないから」というのは統合の理由にはなりませんね。指し示す期間が異なる『支那事変』と『日中戦争』では、『太平洋戦争』と『大東亜戦争』とは状況が違います。そもそも、「特定イデオロギー用語」であるという決め付けからして、Longlongsummer氏の主張こそ偏ったイデオロギーに基づいたものであるということが如実に現れていますね。以前も言いましたが、自分の信念とやらを発信したいなら個人のサイトでやってください。--uaa 2011年8月26日 (金) 12:03 (UTC)
Ashtray様とUaa様には経過がありますので、この提案をする前に事前にお知らせすべきでしたと深く反省し、お詫び申し上げます。説明責任の一つの形として、ノートや井戸端等のページで第三者の皆様の意見を伺いながら、議論をしようとしたことが問題提起の理由であり、この旨を相談してから行うべきでしたことお詫び申し上げます。-Longlongsummer 2011年8月26日 (金) 12:50 (UTC)
- コメント Wikipediaにおいては、何方でも何処でも自由に問題提起する自由があります。よって、私に対する「事前のお知らせ」など不要ですし、それに関わる「反省」や「お詫び」も、もちろん無用です(それはuaaさんに対しても同じでしょう。)。
- しかし、wpにおいては、あらゆる編集に対して、説明責任が伴います。他のユーザーに「なぜ、そのように変更(編集)したのか?」と問われて、なにも答えられないようならば、その記事に関わるべきではありません。前回の応対を見ると、失礼ながら、Longlongsummerさんにはそれが出来ていないと感じます。--Ashtray 2011年8月26日 (金) 13:31 (UTC)
- コメントありがとうございます。太平洋戦争と大東亜戦争の編集の説明をした折に、日中戦争と支那事変の編集についても同様の解釈であると加筆するべきでした。--Longlongsummer 2011年8月26日 (金) 13:58 (UTC)
賛成 賛成です。日中戦争後段に名称問題を書く余裕がなければ、一つにまとめるほうが親切というものでしょう。後、教科書云々は一つの事例ですよね。--122.130.199.104 2011年9月2日 (金) 18:30 (UTC)
- 理由1)日中戦争記事はご覧になればわかるようにすでに情報量が多く、むしろ各項目への分割などが推奨されるほどになっています。可読性の観点から統合に反対します。
- 反対理由2)「支那事変」は本文中でも、また「日中戦争」記事でも説明されていますように、当時の呼称であり、すなわち歴史的呼称です。そもそも日中戦争とは概念も異なります。歴史学関係の書籍、年表、事典等にも記載のある名称であり、十分に独立した項目としての存在理由を持っています。--西方 2011年9月4日 (日) 16:13 (UTC)
反対 統合に反対します。大反対と書きたいです。 私は そもそも日中戦争という呼称は間違っていると認識しています。どうして後知恵で歴史的な呼称を後世の人間が変えるのか 不思議です。ヨーロッパなどではこんな事例は聞かないのですが。あれは戦争ではなかったじゃないですか。宣戦布告なしで呼称だけ戦争にするのは抵抗があります。歴史的に正しくないという負い目をいつも感じながらこのような呼び方をしたくありません。当時の日本人の様々な思いと命がこめられた呼称を その戦いに参加したわけでもない我々が 机上で小理屈をいじくりまわして変更するなど 冒涜だと思います。支那事変と言った時には そこに苦渋の歴史的重みまでを感じることが出来ます。日中戦争という場合に 何かまんまと敵の手に乗ってしまった軽薄を感じるのですよ。シナの思う壺 という気がします。
感情的かも知れませんが靖国を止めて国立追悼施設にするかのような裏切りを感じます。歴史は歴史にあったがごとくに誠実に記述するのが正しい真の姿だと思います。<History&politics 2011年9月10日 (土) 22:52 (UTC)>
賛成 統合に賛成です。天王山から山崎、欧州大戦から第一次世界大戦と時が流れるにつれ、戦争の名称も変更されます。より、現代的な名称にするのが当然のことと思います。--ごばやしっぷ 2011年9月11日 (日) 06:19 (UTC)
- 賛成 議論が『日中戦争』の項目名を「日中戦争」に維持するのか、「支那事変」へ変更するのかになっていませんか。(僕の問題提起も不十分だったのでしょう)。
- 『日中戦争』から名称に係る部分を一部抜粋すると
- 「日中戦争(にっちゅうせんそう、中国語: 中国抗日战争)は、1937年(昭和12年、民国26年)から1945年までの間に、日本(大日本帝国)と中華民国(蒋介石政権)との間で行われた戦争である。日本側公式呼称は支那事変[2]。本項では最も通用されている「日中戦争」を用いる。」
- 「開戦当時の第1次近衛内閣が閣議決定で定めた正式名称は支那事変である(事変呼称ニ関スル件 昭和12年9月2日 閣議決定[2])。現在の日本では日中戦争(にっちゅうせんそう)と表記されることが多く、支那事変は限定的な使用にとどまっている。また、日華事変、日支事変との表記も見られる。
- 現在の中華民国や中華人民共和国での呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦である[3]。
- 欧米では、1894年~1895年の日清戦争を「First Sino-Japanese War(日本語訳:第一次支那日本戦争)」と呼び、1937年~1945年の日中戦争を「Second Sino-Japanese War(日本語訳:第二次支那日本戦争)」と呼ぶ。」
- とあり、通常は「日中戦争」を用いることが明らかにされています。項目『品事変』は、あくまで呼称問題に過ぎないのです。『太平洋戦争』と違い、『日中戦争』はまだ記事を書く余裕もあるため統合したほうがよいのではないか。また、統合して呼称問題を説明したほうが、一般閲覧者に親切ではないかということです。--Longlongsummer 2011年9月11日 (日) 08:10 (UTC)
反対 統合には反対とさせてもらいます。理由は二つあり、一つはどちらをどちらに統合するかが問題となることです。2005年10月17日より小牧・長久手の戦いを小牧の役に変更しようとしてかなりの議論となったことがあります。このとき、「役」に変更した根拠としてあげられていたのは陸軍の戦史が根拠にされていましたが、他の人の多くはそれでは良くわからないという意見が多く。結局元の名前に戻りました。
これとは少し内容が違いますが、名称変更をしようとしたらシナ事変対日中戦争の呼称変更合戦となるのは明白であり。これは記事の良好な発展を阻害することはあっても益となることはないでしょう。
2つめは、あくまで本項目は「日中戦争と時期をほぼ同じくする事変の呼称にに対する説明」であり、この二つは内容的に別物であると言うことです。あくまで戦争は戦争として、事変は事変として記事が分かれている現在のままで良いと思います。--A6M4 2011年9月11日 (日) 11:47 (UTC)
- 賛成 おっしゃることは非常によく理解できるのですが、wikipediaが百科事典として一般閲覧者の信頼性を得るための課題に感じます。日中戦争で戦争、品もとい支那事変で呼称を記述するというのは一般閲覧者からの立場からすると執筆者の合意形成が不十分という印象を与えかねないと思います。次に、戦争と事変についても終戦後、日中戦争が歴史となった時点から学術から在野に至るまでの研究がなされ、現在の通説に至ったと思っています。今後、近代史が覆り、「日中戦争ではなく、やはり〇〇事変だった」という考えが通説になったときに編集をしたらよいのではないでしょうか。--Longlongsummer 2011年9月11日 (日) 14:04 (UTC)
- Longlongsummerさんのおっしゃっていることからは、両記事を統合する必要性について全く読み取れませんね。記事の統合の話の筈なのに、記事中の表記統一を延々と説いてるだけでしょう。一般閲覧者云々なんて言ってるけど、単に自分の思想信条に反する言葉を排除したいだけのようにしか感じられませんね。要するに言葉狩りです。各記事に於いての言葉狩りがうまく進まないから、元の記事を消そうとしてるだけじゃないですか?言葉狩りにはあくまでも反対します。ところで、毎回コメントの頭に{{賛成}}を付けるのはどういう了見なんですか?自分の意見が多数派であるように装っているようにも見えますね。--uaa 2011年9月12日 (月) 18:16 (UTC)
この記事は見る限り「支那事変」という呼称に対する内容が主なので、あえて統合する必要性はないかと思います。「支那事変」自体は当時の帝国政府が公的に使っていた用語なのですから一つの記事を作れるだけの情報源や特筆性があるのであれば問題ないでしょう。--パンダ三郎 2011年9月16日 (金) 22:14 (UTC)
賛成 上の議論は7年近く前の話ですが、・・・本文にもあるように日中戦争のうち、盧溝橋事件から日米開戦までを「支那事変」とするなら、「日中戦争」からその部分だけを「支那事変」に移せばいいし、支那事変の用語の解説だけなら「日中戦争」の中での解説で十分じゃないかな。個人的には支那事変は日中戦争の流れの中なので、記事統合に賛成ですね。--ロリ(会話) 2018年3月17日 (土) 15:11 (UTC)
ぼくの記憶?
[編集]利用者:Chengmeowさん:特別:差分/74575781で、「ぼくの記憶の限りでは、」ということなのですが、ウィキペディアでは、Wikipedia:信頼できる情報源>>>>>>>>「ぼくの記憶」です。また、既に付されていた典拠を外したうえに別の典拠を呈示せずに改変するのもいけません。ただし、利用者:Chengmeowさんは外形的にビギナーと見受けられますので、今後もウィキペディアで編集活動を継続するおつもりなら、とにかくルールを覚えてください。記事を読んでいて疑問や不審に思った記述があったら、とりあえずノートにコメントを書いていただいたほうがよいかと思います。それでは。--Takabeg(会話) 2019年10月13日 (日) 11:48 (UTC)