ノート:弘中隆包
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この記事は2007年9月1日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
項目名について
[編集]現状、本稿記事の定義以下の文章が「弘中隆包」表記になっていることから、一旦弘中隆包に項目名を移動させて現状の定義と項目名を合致させました。勿論、これはWikipedia:削除依頼/弘中隆包でも問題とされた『弘中隆包と弘中隆兼のいずれが項目名として相応しいか』を議論することを妨げるものではなく、あくまで現状の不一致を回避するための暫定的措置であるとご理解ください。--水野白楓 2007年9月11日 (火) 14:19 (UTC)
改名提案
[編集]記事名を「弘中隆包」から「弘中隆兼」に変更することを提案します。
2025年1月11日現在時点で記事中に『正式な諱は「隆包」だが、主君義長は「隆兼」と記載していた。』と記載されていますが、2024年12月4日の編集にて『正式な諱は「隆包」だが』の記述に要出典タグが追加され、現時点で出典は不明となっています。
書籍や国立国会図書館デジタルコレクション等で調べたところ、江戸時代に作成された『陰徳太平記』や『日本外史』等、またそれらを基にした書籍では「隆包」という表記も見られますが、『毛利家文書』に残されている本人の書状ではいずれも「隆兼」と表記されており、私が確認した毛利氏関連の書籍においてもほとんどが「隆兼」と表記していました。なお、「隆兼」表記であった書籍を一部明示すると下記となります。
- 三卿伝編纂所編『毛利元就卿伝』(マツノ書店、1984年)
- 河合正治『安芸毛利一族』(新人物往来社、1984年)
- 小都隆「元就合戦辞典」河合正治編『毛利元就のすべて』収録(新人物往来社、1996年)
- 山本浩樹『戦争の日本史12 西国の戦国合戦』(吉川弘文館、2007年)
- 岸田裕之『ミネルヴァ日本評伝選 毛利元就―武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ―』(ミネルヴァ書房、2014年)
- 秋山伸隆「厳島合戦再考」県立広島大学宮島学センター編『宮島学』収録(溪水社、2014年)
- 中司健一「陶晴賢」光成準治編『戦国武将列伝9中国編』収録(戎光祥出版、2023年)
- 光成準治『安芸・備後の戦国史』(法律文化社、2025年)
以上、現在の記事中の『正式な諱は「隆包」だが』という箇所の根拠が確認できない点、実際の本人の書状の署名が「隆兼」である点、書籍や論文においても「隆兼」という表記がよく使われている点より、「弘中隆兼」に変更することが望ましいと考えます。 --L.Aquawater(会話) 2025年1月11日 (土) 09:03 (UTC)