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ノート:干支

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生肖紀年法の各国の十二獣の表について

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台湾の項目の「亥」には「猪」があてられていますが、台湾では(おそらく中国でも)現在では「猪」は「ぶた」の意味で、亥年の図案もみな「ぶた」です。「戌」に「狗」をあてているところをみると、台湾での漢字表現をつかって書いていると推測しまして、そういう意味では正しいと思うのですが、そうすると「下表のとおり、配当される動物には国により違いがみられる」という表現は、日本語版であることを考えると誤解をうむのではないかと思いました。「下表のとおり~」の部分を修正しようと思いましたが、下手に書くと別の誤解も生じそうで、うまい表現を思いつきませんでした。というわけで、他力本願でここでコメントさせていただきます。--のみとり 2009年1月30日 (金) 17:15 (UTC)[返信]

たまにレイシズムないし政治的な理由で、特定国の十二獣が消去されるのはなんとかなりませんかね --北斗柄 2011年1月31日 (月) 07:59 (UTC)[返信]
中国の十二獣と同じならその旨を明記しておけば十分であり、12項目もわざわざまったく同じ文字ならべてみせる意味はないでしょう。レイシズムだの政治的な理由だの、何をいってるんですかね。--111.188.25.40 2014年8月18日 (月) 09:14 (UTC)[返信]

神機制敵太白陰經について

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『神機制敵太白陰經』はかなり良く知られた兵法書であり、献上本という割と来歴のはっきりした書籍ですが、これを『偽書』と断定する理由を聞かせて下さい。

http://big5.dushu.com/showbook/100846/1026177.html

なお太白陰経の遁甲巻は↑で読むことができ、『夜半』といった古い時刻名が確かに出てきます。--北斗柄 2008年10月21日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

1、『太白陰經』は、八巻が四庫全書に収録されていますが、九巻の遁甲、十巻の雑式(六壬?)については、四庫全書には入っていません。九巻と十巻は、後世になって誰かが付け加えたものと考えられています。

2、奇門遁甲においては、宋代初期の作とされる『煙波釣叟歌』が最も古い文献とされており、唐末の『太白陰經』の遁甲巻が本物なら、それよりも古い古典として扱われるべきですが、そうなってはいません。むしろ「遁甲巻」の内容は『煙波釣叟歌』よりはるかに新しく、下手をすると明代どころか、清代の可能性さえあります。

3、古い時刻名が出てくるから、時干支はあまり使われていなかったというのも、根拠のない想像に過ぎません。それでは、現代でも「お八つ」という言葉が使われているから、3時という、明治以降の新しい言い方が浸透していない、と言っているようなものです。

太白陰経の遁甲巻では、宋の仁宗の諱と通音の「徴」を避けて「登明」と書かれるようになった「徴明」が元の形で出てきますから、宋の仁宗以前の記述がそのまま出てきていると考えて良いでしょう。時刻の異名も太白陰経の記述が古いからでしょう。
太白陰経は唐の時代に書かれた兵書としては近代的な内容が注目されていたわけで、遁甲巻やその他は単に注目されてなかっただけでしょう。そしてそれに注目した占い師はさらにいなかったわけです。
  • どんな偽書でも時代考証くらいはするもんです。
  • 「遁甲巻」が偽書なのは昔から知られていて、誰も本気にしなかっただけ。
巻十の玄女式では丁寧に「登明」に書き換えられています。一方、遁甲巻では「徴明」のままです。遁甲巻であったために検閲を逃れ得たというのは充分に根拠のある推測だと思いますよ。それに「夜半」、「鶏鳴」といった十二時の名称は『書経』や『詩経』などの古書に散見されるのは、このWikipediaでも解説されている通りです。--北斗柄 2008年10月28日 (火) 02:50 (UTC)[返信]
  • すると『延喜式』『大鏡』『増鏡』『吾妻鏡』などに見られるように、日本の平安鎌倉時代には、時刻を十二支で呼ぶ習慣は定着していたから、中国は日本より干支の普及が遅れていたと推測できる。
  • これと、四庫全書の件は、追加しないといけませんね。
なんか四庫全書に収録されているのが8巻本であることが、巻九、十を偽書扱いする最大の論拠みたいですけど、
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heisyo/7.htm
では以下のように解説されていますね。

(2) 唐末の総合的な兵書『太白陰経』

 正式な名称は『神機制敵太白陰経』で、李筌から朝廷に献呈されました。明以前はただ抄本が流布しているだけでした。現存の最も古いものは明の汲古閣の抄本で、清の嘉慶の年(西暦1796~1820年)以後は、『墨海金壷叢書』『守山閣叢書』『半畝園叢書』などの様々な叢書に収録され、十巻本として印刷され、九万字近くあり、より広く流布しました。その他に『四庫全書』に収録された八巻本が世に伝わっています。

10巻本の方が普通みたいですね。それとこれまでの議論の結果を踏まえて、

唐の時代にはまだ古い記憶の名残があったと推測できる。

としておいたのですが、これで何か問題がありますか?--北斗柄 2008年11月1日 (土) 01:17 (UTC)[返信]
なお「夜半」を時刻を指す言葉として使用しているのは、『正文・卷四 戰具〈火攻具篇〉第三十八』においても同様で、

假如正月雨水一日夜半月在營室八度,至後二日夜半行十三度少強,即至東壁五度

の記述があります。
http://big5.dushu.com/showbook/100846/1026172.html
--北斗柄 2008年11月1日 (土) 03:21 (UTC)[返信]
  • 個人的に推測できるかどうかなど、百科事典には関係のない話。客観性がないことに気が付いてもらいたいものです。
  •  時刻の別名など、どこの国でも、いつの時代でもあって、だからどうした、などとはいえません。三時を「お八つ」というのと同じだと言ってるでしょ。
では『神機制敵太白陰経』が偽書ではないということについては合意が得られた考えて良いわけですね。なお「お八つ」の語は、既に時刻とは異り間食という意味で使用されています。一方、『神機制敵太白陰経』での十二時に基づく時刻名は、時刻の名称として使用されていますから、ここでの反論としては適切ではないでしょう。--北斗柄 2008年11月3日 (月) 02:51 (UTC)[返信]

干支による紀日の拓本について

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3行目の干支を癸未とする編集がありましたが、

http://www.yohseikai.com/koukotsu03.htm

を見る限り、癸酉が妥当と考えます。

八百屋お七ですが

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http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/yaoya-ositi.htm

という記事があったり、同じWikipedia内の八百屋お七丙午でも八百屋お七が丙午生まれとの説には疑問が出ているので、ここで八百屋お七が丙午生まれとするのはまずいのではないでしょうか。--北斗柄 2007年11月6日 (火) 14:20 (UTC)[返信]

言い切ったつもりはないのですが、そう読めてしまうかもしれないですね。表現を変えます。--Greenland4 2007年11月6日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

十二支

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十二支って12進法なんでしょうか?繰り上がりがなくmod12しかわからないので、年数を表すのには不十分であるから違うような気がします。

還暦というのが、よくわからん。この記事だと12*10=120が1周期なのに、なぜその半分を日本では祝うの?

12進法というのはどこから出た話か、私は寡聞にして知りませんが、記事に書かれているのでそのままにしています。
還暦についてですが、この暦では60歳になると、生まれたときの干支に戻るため、この年を暦が一周した年の意味で、還暦(かんれき)と呼ぶ。という記事は、「初めて両方の最初が一致する周期 = 12と10の最小公倍数」のことを指していますので、60年1周期で正解ですね。:-)
- Gombe 06:19 2003年5月1日 (UTC)

なるほど。わかった。

他の記事と重複する記述

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干支」の記述と「十干」「十二支」の記述のかなりの部分が重複しています。できれば、十干・十二支の説明はそれぞれの記事に任せて、「干支」では十干・十二支を組み合わせた六十干支(甲子・丙午など)の説明をした方が良いと思うのですが、どうでしょうか。nnh 09:55 2003年9月9日 (UTC)

言語間リンクの問題

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I think that en:Sexagesimal cycle is a correct link for this article. How about? --ChongDae 2005年5月7日 (土) 18:36 (UTC)[返信]