ノート:奄美群島
琉球民族?
[編集]琉球民族の文言を書き込む方へ。奄美諸島内では琉球民族を公然と主張する個人・団体、またそれを肯定するアンケート結果など聞いた事がありません。住民も認めていないし、確定した裏づけも無い事を書き込むのは間違いです。--秋秋秋 2006年8月27日 (日) 07:43 (UTC)
- 奄美諸島は歴史、言語、文化の面からは沖縄県と共に琉球圏としてまとめることができますが、奄美住民の意識として、琉球民族に属するか、大和民族に属するか、両者とは別民族であるかは、確固たるソースがないので、とりあえず「議論が分かれる」という表記としておきます。--Htk5346 2006年8月27日 (日) 14:53 (UTC)
- 失礼ですが、琉球民族の定義は沖縄・本土とも確定していないと思われますし、言語も一方言とするのが一般的です。まして、議論すら行われていない奄美の事を断定するのは時期尚早です。言語・文化の項目を書換させて頂きます--秋秋秋 2006年8月27日 (日) 23:59 (UTC)
- 何をもって「一般的」なのかわかりませんが、奄美諸島を含む琉球諸島で、日本語とは別の言語が話されていることは、国際SILで定義されています。琉球の言葉が言語か方言かについては、琉球語の項目で議論されています。奄美諸島の項目でも、その旨は記載しました。--Htk5346 2006年8月28日 (月) 15:02 (UTC)
- あと、奄美の人々の帰属意識についても、文化、言語が九州本土よりも沖縄よりである以上、なんらかの表記をするのが適当だと思います。--Htk5346 2006年8月28日 (月) 15:03 (UTC)
- 琉球語・琉球民族の両項目を拝見しましたが、確定した呼称とは思われません。また帰属意識につきましても、沖縄よりとして判断するのは住民無視と言えます。あえて記載するなら、確固たるソースを用意するか、参考項目として文章を書くべきです。--秋秋秋 2006年8月28日 (月) 19:14 (UTC)
- 琉球語か琉球方言かについては意見の分かれるところなので、両方の単語を併記しました。ただ、Wikipediaでは「琉球方言から琉球語へ転送」となっているので、琉球方言の方を括弧で囲みました。言語や文化については、記事の中立性を考えると、現在の表現が妥当だと思いますがいかがでしょう。--Htk5346 2006年8月28日 (月) 13:06 (UTC)
本項目での議論や、「琉球民族」、「琉球語」の項目での議論を無視して編集しようとする人がいます。項目間の整合を取るためにも、「琉球民族」、「琉球語」で合意を得るまでは、関連する記述は編集するべきではないでしょう。--Htk5346 2006年9月13日 (水) 9:16 (UTC)
奄美の言語を、琉球語の内容に合わせてみました。--Enjoy Wikipedia 2006年9月17日 (日) 04:39 (UTC)
テンプレ外します。--SSST 2007年1月3日 (水) 06:26 (UTC)
- 法令では奄美群島という表記がありますが、それなら奄美群島に変更した方がいいと思いますかいかがですか?--218.113.206.208 2007年3月4日 (日) 10:41 (UTC)
- すみません,質問です。教えてください。
<奄美大島から与論島に、南下するに従って琉球文化の色彩が濃くなっていく。
とありますが,この琉球文化の色彩とは,具体的には何を指しているのでしょうか。民謡のことでしょうか。 南下するに従って・・・ではなくて,言葉と同じ・・・奄美大島・徳之島・喜界島・沖永良部・与論島の順に・・・が正しいと思います。
<ただ歴史的経緯により、奄美諸島に伝わる風習の中には、沖縄県より本土に近いものもあり
とありますが,何でしょうか。風習と言っても,いつの時点でというのがあるのですが。葬法などは,30年前までは土葬・洗骨でしたし,豚小屋の近くにトイレがありましたし。
<方言にも昔の大和言葉の発音が残っている。地名なども、混在している(大和・瀬戸内、島尻・知名など)。
昔の大和言葉の発音が残っている・・・というのは,奄美の方言に「大和言葉」が残されているということでしょうか。 日本祖語が分化して,大和方言と琉球方言が成立したというのならわかりますが。 昔の大和言葉の発音が残っているというニュアンスは,「大和」言葉という畿内を中心とした言語体系が,古代日本列島にあまねく存在し,同様に奄美にも存在し,現在残っているように捉えられるのですが。その根拠は何でしょうか。また,昔の大和方言の発音が残っているとー記すのはわかりますが,お互い全く意思疎通できない程に大きく分化している事実は触れるべきだと思います。 日本語が,琉球方言と大和方言と2分されている大きな事実があるわけですから。大和方言が漢語を取り入れて大きく変化したように,咲き+居り=さきゅり,さちゅり,さちゅい,さちい と言った風に語彙をつなげ,縮めていくことにより,琉球方言も大きく変化してきました。互いが,時代とともに変化したのであり,そのことを触れずに,琉球方言にだけ「昔の大和言葉の発音が残っている」と古さを強調することに,違和感を感じます。フランス語やドイツ語を説明するのに,ラテン語やゲルマン語の祖語の古い発音を残していると説明するのでしょうか。
地名については,大和言葉というより縄文・弥生にさかのぼる原日本語ともいうべきか,アイヌ語などを原義とする点では,本土と同じでしょう。大和・瀬戸内という如何にも大和的な地名自体が,奄美の地名としては異質でしょう。アイヌ語を原義とする地名と,意味不明の地名が混在しているのは,沖縄も同じであり,むしろ一般的には,沖縄と共通する地名の方が多いでしょう。グスク,~サトゥ,~バル,~ジョウ,~メー,~クシ,~カニク,~アムルなど挙げれば,きりがないと思いますが。
<日本語の新方言については全体として、標準語をベースにしつつ、鹿児島県所属としての薩隅方言の影響、さらに関西弁の影響も見られ、
とありますが,本来の奄美方言の語彙や表現を取り入れている大きな要素に触れていないのはどうしてでしょうか。
また,薩隅方言や近畿方言の影響とは具体的に何でしょうか。私自身,奄美大島のトン普通語をしゃべりますが,薩隅方言の影響や関西弁の影響を認識できないのですが。
<沖縄県の新方言(ウチナーヤマトグチ)とは違うものになっている(トン普通語)。
トン普通語とは,奄美大島の新方言のことであり,奄美諸島の新方言ではありません。そもそも,トンともいいません,サツマイモのことを。 奄美大島の新方言とほかの島の新方言が同じではありません。というより,大きく違います。
むしろ,沖縄の新方言の表現やイントネーションに近いです。奄美大島は,最も本土との関係が強く,奄美大島が特別な面が多いのです,奄美諸島の中では。沖縄にしろ,奄美にしろ,新方言は標準語をベースにして,それぞれの方言の語彙や表現をちりばめており,沖縄の新方言に似ているのは当然なのです,同じ琉球方言なのですから。
<奄美諸島の名物料理としては、鶏飯、油そうめんなどがあり、黒糖焼酎・がじゃ豆などが名産品として知られる。
油そうめんという表現は,奄美大島だけであり,鶏飯は本来は奄美大島だけの名物料理です。あと,油そうめんは,沖縄にもあります。奄美諸島の名物料理というと,実は特にはない気がします。山羊料理やポーク,豚料理などが奄美の味として浮かびますが,沖縄にもありますし。
--Shimanchu 2009年4月19日 (日) 15:38 (UTC)
上記の件について,私自身の意見なり,疑問を呈してきましたが,その後返答がないのですが,この状態をどのようにとらえたらよろしいでしょうか。学術的な議論の,ある一面からの見方なり,ある研究者の見方を掲載するのは結構ですが。 ただし,これも研究者の立場によって見方は様々です。 また,実際の現在の情報についても,明らかな間違いが見られます。奄美諸島の名物料理やトン普通語など顕著ですが。 反論なりご意見なり,下さい。なければ,私自身の意見や解釈なりに変更してよろしいですか。ご返答ください。
--Shimanchu 2009年5月25日 (月) 13:29 (UTC)
分割提案
[編集]歴史部分のみが肥大化しており他の項目とのアンバランスの解消、またCategory:奄美諸島の歴史が存在するため適切な記事割り振りも考慮して、歴史節の分割を提案します。--スミス16号 2008年3月9日 (日) 11:19 (UTC)
- 分割をしました。--スミス16号 2008年3月16日 (日) 11:19 (UTC)
改名提案
[編集][1]に基づき改名を提案します。--Root212 2010年2月20日 (土) 01:10 (UTC)
- 検索してみると記事が3個、カテゴリが4個、他に400以上の修正箇所がありますがどうなさいますか?--あああやめて 2010年2月26日 (金) 12:03 (UTC)
- 奄美群島へのタイトル改名に関して、以下も同時に改名およびカテゴリ改名(新設・旧版削除)することを提案します。
- 奄美諸島 → 奄美群島(現状リダイレクト)
- 奄美諸島の歴史 → 奄美群島の歴史(現状リダイレクト)
- 奄美諸島の名字 → 奄美群島の名字
- Category:奄美諸島 → Category:奄美群島
- Category:奄美諸島の歴史 → Category:奄美群島の歴史
- Category:奄美諸島の文化 → Category:奄美群島の文化
- Category:奄美諸島の食文化 → Category:奄美群島の食文化
--あああやめて 2010年3月22日 (月) 11:11 (UTC)
- (コメント)Wikipedia:Bot作業依頼にて依頼しますと、上記の編集箇所を修正することができますので、ご存知かもしれませんがお知らせいたします。--Carkuni 2010年3月25日 (木) 15:46 (UTC)
- はい存じております。ただ私の知識の範囲内で、各ページの修正が出来る可能性もありますので、Bot依頼は考えておりません。--あああやめて 2010年3月25日 (木) 15:55 (UTC)
- (コメント)修正しがてら文書の推敲をするスタイルはあっても問題ないかと思います。あああやめてさんの会話ページに関連リンクをお知らせしましたが、今は改名賛成で変更の方向性となっておりますが、万が一で変更できないとなった場合、無意味な労力が費やすこととなります。その観点上、リダイレクト修正、カテゴライズ変更等のBOTで対応可能と思われる箇所はその利用をおすすめいたします。--Carkuni 2010年3月25日 (木) 16:10 (UTC)
- はい存じております。ただ私の知識の範囲内で、各ページの修正が出来る可能性もありますので、Bot依頼は考えておりません。--あああやめて 2010年3月25日 (木) 15:55 (UTC)
- (賛成)改名提案そのものには賛成です。国土
交通省地理院HPにも載っていますので。ですが、あらぬ誤解を避けるため、合意前にそういった編集をなさるのはお控えいただければと思いました。言い訳になりますが、リダイレクト経由の編集の意図が分からず、150件前後の差し戻しを行い、さらに私自身の編集を差し戻す結果となったので。--欅 (Talk:History) 2010年3月25日 (木) 16:03 (UTC)微修正。--欅 (Talk:History) 2010年3月25日 (木) 16:07 (UTC)- 以前より「諸島」と「群島」使用が限定されていたわけでは無く、記述者しだいあると理解しましたので、先行修正を掛けましたが、誤解を心配されてとの事、お言葉に従います。ただページによっては別の箇所も同時に修正しています、管理者の方が権限で巻き戻しされていますが、再巻き戻しをご依頼する事は可能でしょうか。--あああやめて 2010年3月25日 (木) 16:12 (UTC)
- (コメント)当該管理者の方によって、差し戻されているようです。もし、差し戻されていない箇所がありましたら、上記にてその方よりコメントされいますので、差し戻しは差し支えないと思います。いろいろとお手数をおかけし申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。--Carkuni 2010年3月25日 (木) 16:19 (UTC)
- 以前より「諸島」と「群島」使用が限定されていたわけでは無く、記述者しだいあると理解しましたので、先行修正を掛けましたが、誤解を心配されてとの事、お言葉に従います。ただページによっては別の箇所も同時に修正しています、管理者の方が権限で巻き戻しされていますが、再巻き戻しをご依頼する事は可能でしょうか。--あああやめて 2010年3月25日 (木) 16:12 (UTC)
- 私の先走った行動で、ご両名の方にお手数をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。また、ご連絡ありがとう御座いました。--あああやめて 2010年3月25日 (木) 16:37 (UTC)
- 移動しました(奄美諸島の歴史→奄美群島の歴史のみ移動依頼中)。--あああやめて 2010年3月30日 (火) 06:30 (UTC)
- 移動依頼した件も完了しました。--あああやめて 2010年4月6日 (火) 20:55 (UTC)
地域の節の記述に関して
[編集]「地域」の節に下記のような記述があります。
- 大学、短期大学といった高等教育機関は現在、1つも存在しない。奄美大島では2004年度より鹿児島大学法文学部の大学院がサテライト教室を、奄美市中央公民館金久地区分館3階にて開講している。鹿児島大学大学院より教授が派遣され、集中講義形式(一部はインターネットによる中継画像)で授業が行われている。事務員を1名同館3階事務室に常駐させている。詳細は、奄美市役所で聞ける。大学卒であれば科目等履修生になることができ、鹿児島大学の大学院の単位を取得できる。また徳之島でも2007年度から開講され、徳之島町亀津の生涯学習センターにて授業が行われている。こちらは初年度は奄美大島からのインターネットの中継画像による授業が多かったが、2008年度からは徳之島で開講される授業が増えた(どちらの島で開講するかは科目ごとの受講生の人数による)。但し2007年度までは文部科学省の助成があった為に受講可能な科目数が多かったが、2008年度からはそれが無くなったためにサテライト教室で受講可能な科目は大幅に減ってしまった。科目は「奄美根ざした講座」が提示されており、受講生はそれぞれの島の社会人である為、授業風景は教授が一方的に講義するよりも、教授と学生との双方向のやりとりが盛んで和気藹々としている。このサテライト教室から鹿児島大学大学院に進んだ生徒が3名いる(2006年度現在)。2009年度も開講予定である。過去には1891年から1894年にかけて設置されていた鹿児島師範学校教員養成講習科分教場や、米軍占領統治下の1952年から1953年にかけて設置されていた琉球大学大島分校が存在した。
この記述に関してですが、独自研究に該当するのではないでしょうか?具体的には「詳細は、奄美市役所で聞ける」などというのは、「独自の調査」に相当するものであり、検証可能性を満たすのか疑問です。また、「教授と学生との双方向のやりとりが盛んで和気藹々としている」などという授業の様子の記述も、出典が無く、自己の体験談を記述している感じがします。検証可能性を満たす出典の付記をお願いします。--Wpjapanuser2012(会話) 2013年5月22日 (水) 22:44 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「奄美群島」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月1日 (日) 03:47 (UTC)