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ノート:大鐘賞

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編集について

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ノート:百想芸術大賞と関連致しますので、共通する部分につきましては左記のノートページより記述転記の形に致します。

私が赤リンク、特にパイプリンクを設定した基準は以下の通りです:

  1. 日本で上映された/VHSまたはDVDが発売されている/日本にて紹介されている作品にはリンクタグを付ける
  2. 原作小説がある場合は、その小説タイトルをメインとし、映画タイトルをパイプリンクとする (←PJ映画に確認を取る予定の案件)
  3. 複数の受賞者を出した作品については、一番左側に記載された賞の項目のみにリンクを付ける

次に、203.180.166.195さんと編集合戦になりかけている案件について説明を致します:

余談ですが本作品は表記揺れの激しい作品で、ぴあ映画生活とシネマコリアは『バイオレンス・コネクション 処刑警察』[34][35]、allcinemaが『バイオレンス・コネクション/処刑警察』[36]。そのため記事作成時はリダイレクトでこれらのタイトルの両方、またはいずれかを作成する必要がありそうです。

以上に基づき、曼荼羅につきましては、IP:203.180.166.195会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集を反映致しますが、それ以外の編集は差し戻させて頂きました。なお、原作小説がありパイプリンクにした作品については、繰り返しますがPJ映画さんに確認を取り次第、そちらでの合意事案を編集に反映させます。--Ohtani tanya会話) 2013年5月1日 (水) 10:18 (UTC)(追記)記述の一部を除去。--Ohtani tanya会話2013年5月1日 (水) 10:21 (UTC)[返信]

1.「燕山君」「米」「金薬局の娘たち」「聾唖の三龍」「殉教者」「太陽はまた昇る」「ミンミョヌリ 許嫁」「カインの後裔」「義士安重根」「森浦への道」「肉体の約束」「乱中日記」「招かれた人々」「鉄人たち」「炎の娘」「その年の冬は暖かかった」「霧の柱」「燕山日記」「じゃがいも」「あなたが女というだけで」「ミョンジャ・明子・ソーニャ」については当方の確認不足でした。編集に同意いたします。
2.「処刑警察 バイオレンス・コネクション」「どこかで誰かに何かあれば間違いなく現れるMr.ホン」については編集に同意いたします。
3.「カッコーは夜中に鳴く(カッコーの啼く夜 別離)」「ザ・マーニム(マーニム 愛の嵐)」については、リンク元を見る限りでは劇場公開されておらず、「カッコーは夜中に鳴く」「ザ・マーニム」は映画祭上映邦題のようですので、PJ映画の記事名に関するガイドラインにあるようにVHS邦題の「カッコーの啼く夜 別離」「マーニム 愛の嵐」を優先すべきです。
4.「離れの客とお母さん」「霧」「土地」「族譜」については、「原作小説がある場合は、その小説タイトルをメインとし、映画タイトルをパイプリンクとする」とのことですが、映画化作品の記事を原作小説の記事の節に記述する必要は必ずしもなく、実際に別々の記事として立項されているものも数多くあります。英語版wikipediaなどは個人的な印象では基本的に別記事として立てられているという印象さえあります。私個人は基本的には別記事として立項するほうが望ましいと考えますが、PJ映画に確認を取るのでしたら早急にお願いします。--203.180.166.195 2013年5月3日 (金) 14:46 (UTC)[返信]
1週間経っても反論がないようですので、とりあえず上記の3の部分については上記のとおりに編集させていただきます。
なお、4については、現在のwikipediaに立項されている記事には、原作小説の記事に映画化作品の節が設けられているものと、原作小説の記事と映画化作品の記事が別々に立てられているものの双方がそれぞれ相当数あるため、PJ映画で提議したとしても(少なくともすでに立項されている作品に関しては)どちらかに統一するのはおそらく困難だろうと思われます。また、上記作品では原作小説の記事がそもそも立てられていない以上、「その小説タイトルをメインとし、映画タイトルをパイプリンクとする」までの必要はなく、とりあえずは映画作品のリンクとするのが妥当だというのが私の意見です。--203.180.166.195 2013年5月10日 (金) 16:11 (UTC)[返信]

ノート:百想芸術大賞に書いたことと重複となりますがこちらにも記載を。プロジェクト‐ノート:映画#原作となる作品が存在する映画作品の記事名についてを拝見しましたが、1ヶ月以上たっても質問に対する回答は寄せられていませんね。これは要するに明確な方針はないということなのだろうと思います。プロジェクト:漫画で規定されている「派生作品」が漫画からの派生作品(アニメなど)に関しての規定であるのに対して、こちらの場合は文学(小説)からの派生作品としての映画を問題としているので、プロジェクト:映画で規定されていないのは当然とも言えます(もし仮に「プロジェクト:文学」とでもいうものがあればそこで規定が検討されるべきものなのでしょう)。よってこの問題(上記4)については各々の場所(つまりここ)で改めて検討すべき議題と考えます。

「明確な方針はない」ということは「原作小説がある場合、その小説タイトルをメインとし映画タイトルをパイプリンクとしても、別々の記事として立項しても、どちらでもよい」ということだと思います。実際、風と共に去りぬ風と共に去りぬ (映画)誰がために鐘は鳴る誰が為に鐘は鳴るグレート・ギャツビー華麗なるギャツビー華麗なるギャツビー (2013年の映画)など、小説作品と映画化作品が別々に立項されている例も数多くあります。「離れの客とお母さん」「霧」「土地」「族譜」は、原作小説の項目も立項されておらず、どちらにしろ赤リンクとなる現状で、「小説タイトルをメインとし映画タイトルをパイプリンク」とまでする必要は感じられません。原作小説に関する知識がないと記事を立項できないというデメリットさえあります。よって現状では映画邦題のままで赤リンクとしておくのが良いと考えます。--203.180.166.195 2013年6月17日 (月) 16:12 (UTC)[返信]

上記の書き込みより一週間以上経過しましたが反論がないようですので、「離れの客とお母さん」「霧」「土地」については映画邦題による内部リンクに編集させていただきます。「族譜」のみは小説邦題と映画邦題が同一ですのでそのままにいたします。--203.180.166.195 2013年6月26日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

(議論再開) まず、急に多忙になったために返信がなかなかできなかった事をお詫び致します。203.180.166.195さんのご意見に返信致しますとともに、6月26日付編集を一旦差し戻しました事をお断りしておきます。

203.180.166.195さんが例示された3作品ですが、『風と共に去りぬ』の映画化作品、および『グレート・ギャツビー』の映画化作品に関しては、単独記事でも問題ないと考えます (『風と共に去りぬ』の映画化作品、および『華麗なるギャツビー』の1974年版の2記事については、出典を増やしてもう少し加筆される必要があると考えますが…)。3作品=3記事とも、単独記事として十分な記述量を備えているからです。

しかし、2次創作作品でここまで出典を十分用意してきちんと書かれた記事は少数派です。『誰がために鐘は鳴る』の映画化作品(原作小説の記事も)は、「この程度であるならば統合して1つの記事にしておく方がよい」と思える程お粗末なものでしたし、この2作品と同レベルの記事の方が、jawpには圧倒的に多いです(他にもこれとかこれとか…後者は原作小説がある事すら言及されていないようですが[39])。

それならば、最初に原作をメインとする記事で作成しておき、2次創作作品のセクションについて十分な記述ができたものについては単独作品として分割、それができないのであれば統合したまま、という形を取る方がよいのではないかと考えます。私は「2次創作コンテンツの単独記事など認められない」というスタンスではなく、「2次創作コンテンツ自体に十分な出典や記述量が備われば単独記事化をすすめるべき」というスタンスですので。


あとこれは個人的疑問ですが、中国映画をご専門とされている203.180.166.195さんが、ご自身が編集されない韓国映画関係の映画賞の記事にここまで口を挟む理由が理解できかねます。中国映画側はともかく、韓国映画側では太白山脈フライ・ダディ白夜行 -白い闇の中を歩く-火車 HELPLESS凍える牙のように、原作小説の記事にセクションを設けて映画化作品について言及する事が一般的です。

私が中国映画関連の記事で同じような事をして203.180.166.195さんの領域を侵したのであれば、203.180.166.195さんからあれこれ言われるのはごもっともなのですが、その点が非常に解せないので、宜しければ理由をお聞かせください。--Ohtani tanya会話2013年6月27日 (木) 02:16 (UTC)[返信]

まず僕は中華圏の映画を編集することが確かに多いですが、別にそれ専門というわけではなく韓国映画や日本映画・欧米映画なども多少は編集しております。そもそも中国映画は僕が専任で編集してるわけではありませんし、韓国映画があなたの専任というわけでもないでしょう。また中国映画と韓国映画で方針が異なってよいというわけではないと思うのですが?
僕の基本的立場ですが、上記でwikipediaの基本的方針であろうと僕自身が類推したものと同じで、「原作小説がある場合、その小説タイトルをメインとし映画タイトルをパイプリンクとしても、別々の記事として立項しても、どちらでもよい」というものです。よって「離れの客とお母さん」他も既に原作小説の記事が存在するのならパイプリンクとすることは別に問題視しません。しかし現状ではそれらの映画作品は原作小説の記事もまた立項されておらず、映画作品の記事を立項しようとする場合に原作小説に関する詳しい知識が必要というような縛りをかけることには反対です。また、本記事の存在を知らずに(本記事とは無関係に)それら映画作品の記事を立項した場合、本記事にリンクされないという大きな問題点もあります。よって、どちらにしろ赤リンクとなる現状では映画邦題のままで赤リンクとしておくのが妥当と考えます。もし後から原作小説の記事を作成する場合でも、統合なり改名なりをすれば済むことですし。
あなたが例に挙げている韓国映画5作品のうち、「太白山脈」を除く4作品はすべて原作小説が日本の小説作品で、しかもそのすべてが日本で既に映像化されています。よってそもそも最初から本記事があり、そこに韓国映画の項目も追加した、というものでしょうから比較対象として妥当ではありません。一方、「離れの客とお母さん」他は原作小説の記事が立項される可能性はおそらく低く、また可能性という不確定な問題を排除したとしても現状として原作小説の記事は立項されていません(なお、話が横道ですが「大魔術師"X"のダブル・トリック」については原作小説があることを全く知りませんでした。映画の公式サイトやその他外部リンクでも全く触れられていませんでしたので)。
なお、僕は書き込みから1週間以上経って返答がないことを確認してから編集をしましたが、僕が編集をした途端に(反論を書きこむと同時に)差し戻しをかけるというのはいかがなものでしょうか。自らの記述のまま現状を固定しようとしているかのように感じられ、ややアンフェアな議論の進め方に感じられます。申し訳ありませんが、差し戻しをかけさせていただきます。--203.180.166.195 2013年6月27日 (木) 16:27 (UTC)[返信]
しかし現状ではそれらの映画作品は原作小説の記事もまた立項されておらず、映画作品の記事を立項しようとする場合に原作小説に関する詳しい知識が必要というような縛りをかけることには反対です。
一方、「離れの客とお母さん」他は原作小説の記事が立項される可能性はおそらく低く、また可能性という不確定な問題を排除したとしても現状として原作小説の記事は立項されていません
知識がある詳しい利用者に任せてしまえばよいのです。というかそれ以前に、映画関連を執筆されている方でしたら、もし日本語訳があればそれをお読みになった上で書けるところまで原作について書くだけの力量のある方はいくらでもおられるのではないでしょうか?『間借り客と母』、『霧津紀行』、『われらの歪んだ英雄』については日本語訳で読めますので定義文とあらすじ、登場人物程度の事は書けるはずですし、『霧の村』の原作である「匿名の島」は英訳されています[40]から、読める方には読めると思います(で、もし原作と大きく違いすぎる点があれば、その時は映画作品側を個別の記事にできるよう、リンクを修正すればよいかと)。「詳しい知識が必要というような縛りをかける事には反対」とのことですが、その「詳しい知識」という基盤がなければクォリティの高い記事が成立しえない場所がウィキペディアである事も、お心に留めて頂きたく思います。(ちなみに欧米系が本来の専門である私でも、(書きかけのものを晒すのも何ですが)この程度には書けています)
こちらの返答が遅れてしまった件についてはお詫びをするしかありません(あまりに実生活で多忙である事に加え、どのようにお返事を返そうかと考え込んでいた事もあり、1週間経過した事をうっかり失念しておりました)。そのため議論再開、とことわりを入れさせて頂きました。
もし後から原作小説の記事を作成する場合でも、統合なり改名なりをすれば済むことですし。
赤リンクを原作小説の形で設定したのは、ひとえにこの手間を省くためです。私は副活動領域として韓国のテレビドラマ関連記事をいじっているのですが、こちらでも原作作品(それも日本で翻訳出版されているものでさえも)の存在を知らないまま記事(とすら呼べないゴミスタブ)をまき散らしていく輩が少なからずおり、それを原作メインの記事に改変する作業に一時期追われておりました。
テレビドラマ単品記事の小説(またはコミック)作品記事への改変ですが、(これは個人の主観によるものなのですが)結構煩雑な作業です。記事そのものを改変する作業も煩雑ですが、改名も相当に大変です。IPユーザーの方は改名に携わる機会が少ないので遭遇された経験はおありでないと思いますが、改名提案がされている記事のノートページには、その記事や、記事が属する分野に関する十分な知識も持たないくせに、ノートに乗り込んで来てあれこれ口を挟んでいく利用者が履いて捨てる程います。そんな事を幾度となく経験してきましたので、記事を新規立項する際は、可能な限りそのような事態に突入する事を避けておく方が、将来その記事を編集されるであろう利用者の方々のためにもよいと考えます(経験則から)。
最後に。『ディープ・ブルー・ナイト』ですが、「深く青い夜」を見つけて読んだ事も含めて更に調査をしましたところ、原作小説が2作品ある事が判明し、一方の作品記事中の節とすることが不適当であると判断されましたので、この作品は映画作品のタイトルをリンクと致しました。他の作品については、『レイトオータム』も含めて一度戻しました。
『われらの歪んだ英雄』は、近隣図書館にVHSも原作小説も置いてあり、先日原作は読んだばかりですので記事立ち上げが可能かと思います(多忙過ぎてすぐとはいかないかもしれませんが)。『レイトオータム』はストーリーがほぼ同一であるところから、イ・マニ監督による1966年作品側に記事名を定めてリンクを作成しましたが、華麗なるギャツビー (2013年の映画)並の記事が作成可能な方によって単独記事を作って頂く事には反対致しません。
バタバタしておりますので、まとまりのない返信で申し訳ないです。もしご不明の点がおありでしたらご連絡下さい。--Ohtani tanya会話2013年7月4日 (木) 09:28 (UTC)[返信]
「知識がある詳しい利用者に任せてしまえばよいのです」と仰いますが、『離れの客とお母さん』の原作が『間借り客と母』であることを知らない人(そのような人が立項する可能性もあります)は、『離れの客とお母さん』を立項しようとしたらなぜ『間借り客と母』に飛んでしまうのかが全く理解できないはずです。また、そもそも『離れの客とお母さん』を本記事から立項するとは限らず、他の記事から、もしくはトップページからいきなり『離れの客とお母さん』を立項する可能性も考えられますし、その場合、本記事には全くリンクがかかりません。「何が望ましいか」ではなく、「その可能性(危険性)がある」ということです。
また、映画作品の記事を立項するのに、原作小説(マンガ)を読むことを強いる、ましてや英訳だけで日本語訳が存在しない『匿名の島』を英語で読んでから立項しろというのははなはだ乱暴な主張です(現実問題としては、映画作品の記事もおそらく劇場公開された『ディープ・ブルー・ナイト』と地上波テレビ放送された『我らの歪んだ英雄』以外は立項される可能性は非常に低いだろうとは思いますが)。
なお、私はIPで編集をしたのでその流れでここにもIPで書き込んでいますが(なお、以前は別のIPでしたが、理由はわからないのですがIPが途中で自動的に変わってしまいました)、アカウントも持っているので改名は何度か行っております。僕自身の感覚ではそれほど面倒な作業であるとは感じていません。
最後に、議論から1週間以上経過しても反論がない場合は同意がなされたとみなされるはずです。よって1度は議論が合意に達したとみなして私は編集しました。よって現在は私の編集が「現状」となるはずです。それに反対があるなら「新たな議論の始まり」となるわけですから、あなたの差し戻しは不当であると考えます。申し訳ありませんが編集は差し戻させていただきます。--203.180.166.195 2013年7月4日 (木) 17:45 (UTC)[返信]