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ノート:声優

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この記事について

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執筆者が固定されているせいもあるかもしれませんが、全般的に百科事典としてちょっと首をかしげたくなるような表現な目立つような感じがします。

特に記事に問題テンプレートを貼るようなことはしませんが、日本語の表現にちょっと気を遣って頂けると、閲覧者としても執筆者としても助かります。Wikipediaはそれなりに影響力の大きなサイトでもありますから。--Beatclick会話2013年8月16日 (金) 01:35 (UTC)[返信]

これは私のことでしょうか?私は、このウィキペディアで投稿する文は、事実はもちろんのこと、誰が見ても読みやすく、また分かりやすい文を書いているつもりです。先程、Beatclickさんがこの声優の項で改めた文を投稿されてましたけど、前の文でも別に良かったのではないかと思います。日本語表現は間違ってはいないはずですし。まあすぐに文を戻すようなことはしませんが。首をかしげたくなるような表現の文はもちろんのこと、このウィキペディアで問題になるような文は投稿していないはずです。でもこういう指摘を受けましたので、これから投稿する時は日本語表現をより一層気をつけようと思います。--ザンザザーン会話2013年8月16日 (金) 09:17 (UTC)[返信]
Wikipedia日本語版では、Wikipedia:スタイルマニュアルおよびWikipedia:表記ガイド以外には日本語表現については特にこれといった細かい方針は定められていないようです。
ただ、Wikipediaは百科事典ですから、百科事典なりに読みやすい文体が求められていると考えた方がいいでしょう。
たとえば、今回の私の修正を例[1]に挙げますが、(〜するには)といったように、カッコで文を途中でよりも、修飾語を修飾対象の文章に近い所に入れる方が良いと思います。

* 声の演技力のほかにも、容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになってきたこと(特にアニメ・ゲームで活躍するには)。

よりも、

* 声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになってきたこと。

の方が読みやすいと感じます。(特に・・・)の下りはカッコありでも問題ないと思います。--Beatclick会話2013年8月26日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
(追記)また、これまでのカッコの位置で記述したいのであれば、
* 声の演技力のほかにも、容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになってきたこと(特にアニメ・ゲームで活躍するには必要とされている)。
という感じで、括弧内を1文にするのであれば問題ないと思います。--Beatclick会話2013年8月26日 (月) 23:04 (UTC)[返信]
そうですね。色々とご指摘ありがとうございました。私もこれからこのウィキペディアに投稿する時、上のようなことを気を付けて投稿していきたいと思っております。まあ先ほど、ナレーションのギャラのことを投稿しましたが、上の文のとおり、カッコ内の文については気を付けて投稿しましたよ。--ザンザザーン会話2013年8月27日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
声優の項の査読依頼を出されたそうで。まあそれは別に構わないのですが、さきほど私が声優の本文の項に投稿(修正)した文なのですが、以前にもここ(上記の)で指摘されていたので、本文の項に投稿する前にここでBeatclickさんの許可が下りてから投稿すれば良かったと反省しております。ですので、私がさきほど本文の項で投稿した文は一旦差し戻しました。あと私、しばらくの間声優の項では投稿しないことにしました。荒らしやあきらかに間違えている文の修正以外は。--ザンザザーン会話2013年10月22日 (火) 21:40 (UTC)[返信]
編集については特に私や他の利用者の許可がいるような物ではありません。ただ、他の利用者によって記事に「要出典」「出典無効」などの記事の問題を示すテンプレートが張られた場合に、内容を改善すること無く自己判断で除去するのは慎んだ方がいいと思います。その辺だけは注意して下さい。--Beatclick会話2013年10月23日 (水) 08:09 (UTC)[返信]
この前初めて、ある方の、私のこの項で投稿していた文章の問題点を指摘したある項を見つけました。それにしてもまさか2年前からああいった項があったとは、今まで全然知りませんでした。その項を読みまして、一部では「それはちょっと違うのでは?」という箇所もありましたが、私も色々と考えさせられ、また反省もしました。そのため以前にもしたことなのですが、反省を踏まえまして、しばらくの間この声優の項では投稿しないことに決めました。ただし、荒らしやあきらかに間違えている文の修正での投稿はするかもしれませんが。まあこのことは自分の利用者ページに書くべきだったのかもしれませんが。--ザンザザーン会話2015年4月30日 (木) 01:30 (UTC)[返信]

第3次声優ブームは90年代前半だよ。あと萌えアニメブームと言って2003年あたりから深夜アニメが急激に増えだした。--240B:252:2140:1500:218F:1E86:60BB:2743 2020年7月19日 (日) 01:43 (UTC)[返信]

出演作品の記述について

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正確にはこの記事についての話題ではなく、個々の声優の記事に関することなのですが相応しい場が見つからなかったのでここで提議します。

出演作品のテレビアニメの項目は放送年毎に分けて記載されていますが、シリーズ化されている作品の場合は1作目の放送年に続編もまとめられています。

現在2期を放送中の作品を挙げるなら

 モブサイコ100(2016年 - 2019年、[役名]) - 2シリーズ

と2016年に書かれています。

記憶が定かではないのですが数年前までは続編も別個にその放送年に記載されていました。

先の例だと

2016年に 

 モブサイコ100([役名])

2019年に

 モブサイコ100Ⅱ([役名])

と書かれることになったはずです。

後者の表記のほうが見やすかったのですが、いつの間にか全ての声優の記事が前者に統一されていました。

これは何か理由があっての変更なのでしょうか?

個人的には以前の表記に戻してほしいと思っています。

K-w-24会話2019年2月27日 (水) 18:36 (UTC)[返信]

プロジェクト:声優というところで表記法については管理されているので、以後質問があればそちらになさると良いかと思います。シリーズ作品についての表記法についてはざっくりですが、作品すべてを表記していると肥大化しがちであること、声優にとって作品に出演することではなく役を演じたことのほうが重要であろうと考えると、続き物の作品において同じ役を演じたことを何度も書く意味が薄いこと、という点から現在の表記の仕方になっています。--Knoppy会話2019年2月28日 (木) 02:46 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ちゃんと理由があったのですね。年ごとの出演作品数が一目で分かって便利だったのですが、皆で決めたことであるなら了承しました。K-w-24会話2019年3月1日 (金) 17:14 (UTC)[返信]

省略・分割の提案

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あまりに長大化しています。 歴史について、言文一致運動や演劇のようなトピックについては当該ページに記述を任せた方がよろしいかと思われます。 列挙も過剰です。すべてを網羅する特筆性があるとは思えません。 特に担当声優の交代はCategoryを新設して分割、声優による他分野での活動も新設した方が良いと思います。--Walrus1984会話2024年8月12日 (月) 19:14 (UTC)[返信]

Could you explain why you separate “Seiyū” from theater?
“Seiyū” refers to an actor who specializes in voice acting.
The history of Japanese theater predates the history of voice acting in Japan.
“Seiyū” have been influenced by the involvement of theater professionals in Japan.
Without the recognition of theater professionals, there would be no “Seiyū”.--Supporters of JSYCC会話2024年8月15日 (木) 15:19 (UTC)[返信]
演劇関係者の動向を数ヶ月刻みに記載する必要も、演劇関係者による批評を引用して歴史の項に記載する必要もない。
「声優の歴史」といったページを新設すべきである。
専業声優に対して批判的な引用がそういった歴史の項に多数記載されており、出典とニュアンスの異なる記述や出典のない記述も見受けられる。一部の編集者の価値観に偏っている可能性が高い。
よって現状に問題があると考える。--Walrus1984会話2024年8月15日 (木) 18:22 (UTC)[返信]
特筆性を中立性で判断することは、適切ではありません。
中立(neutrality)とは、特定の立場に与しないことを意味します。
ある人物が「特筆性がない」という理由で削除された場合、残された項目は、
ある人物が「特筆性がある」という理由で削除されなかったことと同じになります。
特定の立場に与した削除は、中立的ではありません。
中立性を尊重するのであれば、まずは加筆による修正が望まれます。--Supporters of JSYCC会話2024年8月17日 (土) 01:40 (UTC)[返信]
出典のない記述を残し続ける判断は是とは言い難い。
また、「歴史」の項で芸能関係者の評を何度も引用する意義は?
私はページの分割をすべきだということだが頑なに記述を残したがるのはなぜか--Walrus1984会話2024年8月17日 (土) 07:17 (UTC)[返信]
「声優」という言葉が先に存在し、「専業声優」という言葉は後から生まれたものです。
したがって、声優が専業であることは自明ではありません。
「声優」の歴史において、先に存在する演劇関係者が特筆すべき存在であることは、
あなた自身の主張によって証明されているのではないでしょうか。
それを踏まえない分割は、項目の主旨をも分割する恐れがあります。--Supporters of JSYCC会話2024年8月17日 (土) 08:47 (UTC)[返信]
専業声優についての評を歴史の項に長々と記入する答えになっていない。
声優が専業であるかはどうでもよい(演劇について語らないと気が済まないようだ)が、芸能関係者のみならず、アニメーション監督といった人物たちの評が逐一挿入されるような特定執筆者による独自研究の冗長な項目になるのであれば、「声優の歴史」のページを新設してそちらに記述を任せた方がよいという主張である。
最大の目標はスリム化と出典の明確化。要出典の貼付や筆者の主観的な文章まで差し戻している理由が見当たらない。--Walrus1984会話2024年8月17日 (土) 09:24 (UTC)[返信]
「専業声優」に批判的な価値観とは何でしょうか。
「専業声優」に賞賛的ではない価値観があるだけではないのでしょうか。
それこそが「声優」の根幹を成す場合、
専業声優についての評こそが「声優評」であります。

例えば、声優アワードの賞の名称にもなった富山敬は、
声優ブームにおけるインタビューで、次のように述べております[1]

「まあ、声優っていう言葉も声の俳優ということで
便宜的に作られた言葉なんだけど
最初はちょっと抵抗があったんですね。
でも、もう十何年も舞台活動してないんですから
自分で舞台俳優ですなんて言ってもねえ。」

スリム化の必要は否定しませんが、
残念ながら、一部の編集者の価値観に偏っている可能性が高いあなたには、
それが成し得るとも思えません。
第三者の判断を仰ぐことを望みます。--Supporters of JSYCC会話2024年8月18日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
歴史の項に芸能関係者の評を逐一挿入して長大化させる理由になっていない。何らかを立証するような言及なら良いと思うが、特にそういったものではなく、業界の内輪話に過ぎない。
「専業声優」という言葉が大好きなようだが、「◯◯こそが☓☓である」という本質主義的なレトリックは百科事典であるWikipediaにおいて加筆の根拠たりえない。網羅的に全て記述するのは推奨されていない。
出典が必要な箇所も多く、記述として不適当だがなぜ削除されたくないのか?
例えばアテレコ論争にしても、リンク先の記事があるため、特に詳細に記述する必要があるとは思えない。 その記事は当記事でも編集していたFgi8543hbweという編集者が独自研究を載せたがっていた履歴が見受けられるが…--Walrus1984会話2024年8月18日 (日) 07:10 (UTC)[返信]
  1. ^ 月刊OUT 1979年8月号、声優インタビュー 第4回 富山敬、みのり書房