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ノート:地動説

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最新のコメント:2 日前 | トピック:太陽中心説とキリスト教 | 投稿者:Gejikeiji

停滞していた「科学」

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あらゆる科学は、ギリシア時代以降、ずっと停滞していた。
・・・科学が再び隆盛するのは、ルネッサンス時代を待たねばならない。
その間の千数百年は、科学や文明の停滞した暗黒時代だとも言える。

それって、地域をヨーロッパに限った話ではないのか? ルネサンスの三大「発明」と同じ間違いではないか? あるいは「科学」を「西欧科学」と書換えるならば真かもしれないが。Shinobar 2007年5月26日 (土) 15:04 (UTC)返信

おそらく、執筆者はカール・セーガン博士のコスモスの記述を鵜呑みにして、このように記述したのだと思います。この本では、今では研究者の間で常識となっている、科学的な検証・論証方法が古代イオニアで確立していたのに、その後失われたという趣旨の記述がされています。これは、天動説・地動説に関する話題となっているものの、どちらかといえば科学史一般の記述であることから、地動説の項目に記述する必要性が分りません。素人考えでありますが、同執筆者による編集は、原文の趣旨を無視していたり、不必要なトリビアの挿入などがあり、見直した方がよさそうです。また、コスモスにおける科学史評価は情緒的で、科学史の参考文献としては不適切ではないかと思います。 --Yhiroyuki 2007年5月27日 (日) 06:46 (UTC)返信

過去ログ

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歴史の項目書き直し

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地動説#歴史が、どうも著者の主観を含んでたり無意味なトリビアの挿入があったり、百科事典的でなかったので全体的に書き方に直してみました。が、自分はそれほど地動説について詳しいわけではないので、詳しい方おられましたら訂正お願いします。--青子守歌 2007年8月25日 (土) 16:39 (UTC)返信

編集ありがとうございます。関連項目としてノート:天動説に大量の議論が残っておりますので、目を通してみてはいかがでしょうか。地動説の歴史に付いても色々と議論があるようです。---Redattore 2007年8月25日 (土) 16:52 (UTC)返信

科学的方法論

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「コペルニクスの説の登場の仕方は、明らかにその後の科学体系の構築の手順とは異なっている。」とあるのはどのような意味でしょうか。Baba 2008年2月24日 (日) 00:50 (UTC)返信

該当部分を執筆した者です。この記述は2006年7月4日(日本時間)の私の編集で現れます。おおざっぱに言うと、これはトーマス・クーンという学者の学説を意識した書き方です。(私がクーンの説に賛同しているかどうかはまた別の話です)クーンは、ある体系で説明できない現象が現れたときに、その体系とは違う体系が生まれるという説を唱えました。が、別に地動説が生まれた時代には天動説でそこまでの破綻は生じていなかった、つまり、地動説の成立はクーンの学説には当てはまらない、という意味です。天動説で何も困らないのに、何故地動説が生まれる必要性がある、というような、何か、学説の成立には必要性が必要であると思っている方がいらっしゃるので、こういう書き方になりました。内容的にあまりうまい書き方でないのは承知していますので、ほかに言い書き方があれば直してください。特に重要な内容ではないというのでしたらこの部分はばっさりやっていただいても結構です。ほかに質問がありましたらお願いします。Modeha 2008年9月24日 (水) 13:17 (UTC)返信

Modehaさん、おひさしぶりです。「地動説が生まれた時代には天動説でそこまでの破綻は生じていなかった」とは、まったく同感です。しかるに現記事の「大航海時代」の節は「天動説の体系は長らく信じられてきたが、やがてそのさまざまなほころびが明確化してきた。」という文からはじまっています。この段落は修正されるべきだとは思いませんか。Shinobar 2008年10月1日 (水) 12:35 (UTC)返信

破綻とほころびは違います。その部分に修正の必要性はありません。Modeha 2008年10月11日 (土) 11:47 (UTC)返信

太陽中心説とキリスト教

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キリスト教(というかカトリック)が迫害していないことを広めたいという願いが前面に出た記述になっていると思います。プロテスタントの行動はなぜかスルーされていますし。--Miyasuku!会話2023年3月21日 (火) 02:30 (UTC)返信

全く同感です。「迫害はなかった」とする根拠はすべて同一の書籍であり、客観性に欠けています。記述するとしても「ただし迫害はなかったとする意見もある」とするのが妥当なところでしょう。--219.109.63.142 2023年7月17日 (月) 10:15 (UTC)返信
自分も同意見です。19世紀以降のカバーストーリーであるならば、その根拠を明確に示した上で記述、編集すべきだと思います。一説を用いて全ての解釈を整えるのはあまりにも妄信的と言わざるを得ない。--Factra会話2024年9月5日 (木) 06:24 (UTC)返信
「科学と宗教の対立という構図は、19世紀に科学者によって作られたストーリーである」これは、Andrew Dickson Whiteらの、科学と宗教の関係を闘争として捉える見方(conflict model)のことではないかと思います。それは確かに、19世紀ごろから盛んになって、今は支持者の少ない見方になっています。SEPのReligion and Science を引用しておきました。いわずもがなではありますが、ガリレオ裁判をこの枠組みにはめてみる見方も、同様に少数派です。Lindbergの著作でもだいたい同じ趣旨のことがかかれていますから、数か所同じくおぎなっておきました。なお、プリンチペしか引用がなく、しかも引用箇所がはっきりしていないのは問題ではあるとは思いますが、プリンチペの原著を参照したら記事と同じことが書かれています。ですから、プリンチペの著作を引いて記事を書かれた方は、最低限のラインは満たしていると考えます。
あとはプリンチペの著作の信頼性なのですが、問題があるのかもしれませんが、Lindbergの記述とくらべても全体のトーンはあまり変わりないと思います。具体的にここがおかしい、という点があれば、文献を引用した上で、「しかし、Aはこの点に関してBといっている」といった風に加筆していけばよいのではないでしょうか。
そもそも、この記事でこの件、つまり教会と地動説の問題を深堀りするのが適切かという問題もあると思います。ガリレオ以降の、18世紀中ごろにほぼイタリア本土でもおとがめなしになるに至るまでの経緯までふくめると、
概要だけを辿ったとしてもかなり大きな話題だと思いますから。--Gejikeiji会話2025年1月3日 (金) 19:36 (UTC)返信
キリスト教の方で、問題利用者がキリスト教会がジョルダーノ・ブルーノが地動説を唱えたという理由で処刑したと加筆しており、念のためこちらの記事を確認し、「太陽中心説とキリスト教」の節の中立性のテンプレートと、ノートでのやり取りを拝見しました。
なぜ大学教授・科学史家の著作を出典とする内容が、根拠を示さずに中立ではないとされているのでしょうか?別テーマの科学史関連で拝見したことがありますが、非常に著名で第一人者の研究者ですよね?もしかして上で中立性に疑念を示されている方は、『チ。-地球の運動について-』のファンの方なのでしょうか?きちんと肩書・業績のある研究者の学術研究を我々素人がジャッジするというのは、Wikipediaにおいては独自研究とみなされています。新興宗教の記事で、信者の方が教祖についての気に入らない学術研究を、レベルの低い研究、真実ではないと頑なに否定されて困ったことがありましたが、その方は無期限ブロックになりました。
Gejikeijiさんも「文献を引用した上で、「しかし、Aはこの点に関してBといっている」といった風に加筆していけばよい」と言われており、プリンチペの研究を否定する学術研究も示されていないので、中立性のテンプレートは除去しました。無出典記述も除去しています。よろしくお願いいたします。--呉野会話2025年1月18日 (土) 13:37 (UTC)返信
「太陽中心説とキリスト教」の節に再び加筆があったようです。加筆の様子をみるに、恐らく意図が伝わっていないと思ったので、重複になりますけれども、今一度述べたいと思います。
具体的に問題を感じたのは、次の加筆です:
>; 太陽中心説が批判された理由とされたもの
  • 1539年にマルティン・ルターが、最初に宗教的な問題として地動説を批判した。ルターは旧約聖書ヨシュア記でのイスラエル人とアモリ人が戦ったときに神が太陽の動きを止めたという奇跡の記述と矛盾すると指摘した。 
問題の第一は、出典です。「出典をつけて」とは言いましたが、この発言が記されている史料を引用していただいても、あまり有益ではないと思います。なぜなら、このの史料をどう理解すべきかが全くわからないからです。どのような性格の文書で、記される発言のの前後関係、さらに当時の受け止めなどが全くわからないからです。専門家によるレビューとか解説といったものを示していただければ、と思います。
たとえば以下の書籍
https://www.amazon.co.jp/God-Nature-Historical-Encounter-Christianity/dp/0520056922
のp.82では、史料の若干の検討のあと、
In short, there are no known opinions by these two leading Protestant
Reformers (ルターとカルバンのこと)that significantly influenced the reception of the Copernican system.
と、つまりルターやカルビンからは影響力のある意見は出されなかった、と書かれています。
第二の問題として、そもそも何が問題なのかの理解がずれいていると思います。
プリンチペに限らず、ほとんどの科学史家は「教会vs地動説(を推し進める研究者)の闘争、ないしは前者による後者の迫害」という描像をとらないのですけれども、彼らも決して、地動説への反対や抑圧がなかったとは言っていません。ですから、個々の反対や抑圧の例を挙げてくださっても、困ってしまうのです。様々な歴史的な事実の、様々な側面を綜合して判断することが求められているのですから。
私は参考文献を示すべきだといいましたが、個々の史料や事実を述べてくれ、という意味ではなく、それらをまとめて論じた、専門家による議論ないし解説を指示してくれ、という意味です。
それから、「1616年に地動説が禁じられた」についてですが、まず個別の事実を言われても困る、という上で述べたことに加えて、具体的な内容をもう少し正確にいわないと、プリンチペは何が無かったといっているのか、理解がずれてしうのではないかと思います。
まあ、専門家の標準的な意見も間違ってるかもしれませんけど、そういう議論はご自身のブログなどでされたらどうかと思います--Gejikeiji会話2025年2月20日 (木) 16:00 (UTC)返信