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ノート:国鉄キハ04形気動車

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138.243.195.130氏が、GMF13エンジンの開発主体をいすゞ自動車と書いておられ、それではいけないとコメントアウトをかけると今度は参考文献があるとして「いすゞの前身」と書いておられた[1]のですが、検証と言いますか、表現が杜撰に過ぎるので苦言を呈しておきたいと思います。

我々が知っているいすゞ自動車が現社名になったのが1949年、それ以前を遡ると、1941年「ヂーゼル自動車工業」、1937年「東京自動車工業」です。東京自動車工業成立時点で、自動車工業(株)と東京瓦斯電気工業が合併したもので、自動車工業は石川島自動車製造所が前身であり、1933年にダット自動車製造を合併して社名変更したわけです。

GMF13エンジンの開発は1931年から1932年にかけて行われたものと思われますが、開発時点ではいすゞの前身メーカーは東京瓦斯電気工業(TGE)、石川島自動車製造所(スミダ)、ダット自動車製造(ダット)の3社に分かれていました。

この3社に加えて鉄道省が連関してくる原因としては、1931年から始められた「商工省標準型自動車」の開発過程で、国策によって3メーカーと鉄道省が協力して開発を進めることになり、1933年に標準車のTX35型トラックが完成したという経緯があります(このTX系トラックが1934年に「いすゞ」と名付けられ、自動車工業→東京自動車→ヂーゼル自動車のブランド名として使われ、戦後にメーカー名にまでなったものです)。また1930年から始まった省営バスの車両には、当初スミダとTGEが使われた歴史もあります。

この過程で、自動車メーカーのエンジン技術が鉄道省での気動車エンジン開発に活かされたとすれば、協力メーカーについて「いすゞの前身」と呼ぶのは誤りではない。しかし、それならばそれ以前に「東京瓦斯電気工業」「石川島自動車」といった固有名詞を出すべきです。

なのに書けないとすれば、おそらくは参考文献にはっきりした会社名が書かれていないのでしょう。それではその文献は、エンジン開発の協力メーカーに関する限りとうてい「参考文献」になり得ませんし、それを引き写して安易に「いすゞ」の名を書くべきでもないと思います(それに、どの「参考文献」に依る記述かも不詳ですね)。

ある事象について、裏付けのある確実・的確な記述ができないならば、「それについては書かない」という判断も必要です。G463 2007年11月16日 (金) 11:06 (UTC)追加G463 2007年11月16日 (金) 11:12 (UTC)[返信]