ノート:四十八願
やぁすごいや!十八番以外、ほとんど知らねぇ(笑)Adacom 16:36 2003年7月25日 (UTC)
普通、そうやないか? でも欲どおしい仏さんというか、我々は欲に満ち溢れているというか‥‥煩悩成就やのお。booze 19:04 2003年7月25日 (UTC)
「悪人正機説」は元々の仏教にはなかったものであり、親鸞が創設したものである。また、仏説阿弥陀経等浄土三部経を 根本教典とする他の宗派でも、「善人よりも悪人が救われる」という倒錯は認めていない。これは「悪人」の意味が分かっていないと異口同音に弁護する声もあるが、大問題なのは、「但し書き」を削除し、教理を骨抜きにしてしまった親鸞の意図である。 また、般若心経を否定すること自体、浄土真宗は「仏教」ではなく「親鸞教」ではないかとの疑義を生じさせる者である。(般若心経推進者)—以上の署名の無いコメントは、211.2.11.52(ノート/Whois)さんが[2008年2月11日 (月) 02:24 (UTC)]に投稿したものです(Resto1578による付記)。
親鸞が「唯除五逆誹謗正法」を削除?
[編集]「この第十八願の但書「唯除五逆誹謗正法」は浄土真宗では削除されており、それが「悪人正機説」につながっている。」の記述は、誤りです。
- 本願寺派『浄土真宗聖典』(本願寺出版社)、大谷派『真宗聖典』(東本願寺出版部)の『仏説無量寿経』に「唯除五逆 誹謗正法」は明記されている。
- 親鸞の著書『尊号真像銘文』の十八願文では「唯除五逆誹謗正法」について、「「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」との了解を記している。--Kenryu 2008年2月12日 (火) 13:43 (UTC)
真宗の聖典にも記述されている!
[編集]- はっきり言って、「『唯除五逆誹謗正法』は浄土真宗では削除されており」等の記述をする人は、執拗過ぎる。
完全にあらし行為です!下記の本願寺系のHPと大谷派系のHPを参照してください。 このような行為をする人は、不妄語戎を破っています!
出典を明記してください!
[編集](般若心経推進者)さんが、主張する記述の出典を明記して、このノートにて議論してください。当方は、『唯除五逆誹謗正法』が記載されている事の証明を上記の通りしています。--Resto1578 2008年2月26日 (火) 16:40 (UTC)
保護解除依頼・編集案の提示
[編集]- 「この第十八願の但書「唯除五逆誹謗正法」は浄土真宗では削除されており、それが「悪人正機説」につながっている。これは浄土宗の解釈と大きく異なる点である。」
- 願名18の「当初、「唯除五逆誹謗正法」の句があった(梵・蔵・唐訳)が、浄土真宗はこれを削除した。他宗派ではこの但書きを認めている。従って、悪人正機説は生じない。」
- 上記二点の記述は、誤った内容なので、保護を解除し現在の版から削除をするべきと考えます。
- 理由…下記の浄土真宗の聖典(本願寺派『浄土真宗聖典』〈本願寺出版社〉、大谷派『真宗聖典』〈東本願寺出版部〉)に、「唯除五逆誹謗正法」の句は明記されています。
- 『浄土真宗聖典(原典版)』P-22より、「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法」。
- 『浄土真宗聖典(註釈版)第二版』P-18より、「(18) たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。」
- 『真宗聖典』P-18より、(漢文)「設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念。若不生者、不取正覺。唯除五逆 誹謗正法。」、同P-18より、(延書)「十八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」
- 現在の版には「2」の編集の元にされている、2003年7月25日 (金) 05:34の版にある、[「唯除五逆誹謗正法」の句があるのは梵・蔵・唐訳だけである。]の記述自体も削除もしくは、訂正が必要であると考えます。
- 理由…「梵・蔵・唐訳だけである」の部分は、「三信の次に出す「乃至十念」と「唯除五逆」の文は「唐訳」と「梵本」になって現われ、ついで「魏訳」にうけつがれているから、「魏訳」は二十四願教より発展増広した跡をのこす。[『岩波文庫浄土三部経(上)』中村 元、早島鏡正、紀野一義 訳註 ISBN 4-00-333061-7]のP309~310より引用。]」を参考に考えても訂正が必要であると考えます。
- また、梵・蔵・唐などの略語では、意味が不明瞭ので、「サンスクリット原典(梵文)」「チベット訳(蔵訳)」 「康僧鎧(こうそうがい) 訳(魏訳)」「菩提流支(ぼだいるし) 訳(唐訳)」の但し書きを前文の部分に記すべきと考えます。
- 願の数・順番も「訳」によっても異なり、一般に日本で「四十八願」を指す場合、一般に「康僧鎧(こうそうがい) 訳(魏訳)」の『仏説無量寿経』の「四十八願」であるから「第18願」の記述としては、不要と考える。
- もし記述が必要ならば、「唯除五逆誹謗正法」の句は、「サンスクリット原典(但し、19番目の願、内容は第18願に相当)」・「康僧鎧(こうそうがい) 訳(魏訳)」・「菩提流支(ぼだいるし) 訳(唐訳)」に記述されている。]のような記述に変更すべきであると考えます。(チベット訳については、明示できる参考文献なし。)
- 1と2の記述の削除の提案に、このページの編集者の中に反対の意見がありましたら、出典を明記してこのノートに意見を追記してください。--Resto1578 2008年2月27日 (水) 17
- 29 (UTC)
- 見逃していましたが導入部にある、「この第十八願の但書「唯除五逆誹謗正法」は浄土真宗では削除されており、それが「悪人正機説」につながっている。これは浄土宗の解釈と大きく異なる点である。(十八番=おはこ はここから生まれた)」も、上記と同様の内容の記述であり、上記の理由と、「悪人正機」のページの親鸞以前の悪人正機説記述を見ても解るように、親鸞独自の説ではありません。よって、「この第十八願の但書「唯除五逆誹謗正法」は~はここから生まれた)」の記述は、削除すべき記述であると考え、修正依頼を提出しました。--Resto1578 2008年3月17日 (月) 04:53 (UTC)
「第十八願」のページを、本ページに統合する提案。
[編集]- 「第十八願」のページの内容は、本ページに大部分が重複しておりWikipedia:ページの分割と統合#統合すべき場合に格闘すると考えます。よって「第十八願」のページを、本ページに統合する事を提案します。「理由」などの詳細は、ノート:第十八願#「四十八願」のページへの統合提案。に記述しました。この提案に対するご意見は、そのノートページにコメントしてください。--Resto1578 2008年7月8日 (火) 09:10 (UTC)
- (報告)上記提案の結果、賛成1票、反対⇒保留1票、反対0票のため、Wikipedia:ページの分割と統合#統合の手順にしたがい、「第十八願」をこのページへ統合しました。--Resto1578 2008年8月14日 (木) 12:32 (UTC)
漢訳では意味が伝わらないのでは?
[編集]漢訳では現代日本人に意味が伝わらないと思います。ちゃんと、現代口語体で四十八願を要約し、説明するべきです。現在、浄土系を真面目に学んでいる人でも、この四十八願をよく理解している信者は少ないのではないでしょうか? それは漢訳で説明するから理解できないのです。愚かな大衆もできるかぎり救いを与える慈悲深き阿弥陀如来の思想を踏襲するためには、四十八願の説明はわかりやすい口語体にするべきでしょう。ちゃんと、要約してみてください。--バンパー(会話) 2013年3月10日 (日) 07:27 (UTC)
節分けによる問題について
[編集]- 利用者: 203.95.50.236によって、「Template:Anchor」を用いた修正をしていただきました。
- 「第十三願の節に第十四願などが内包される」ということについて、まったく問題視していませんでした。以後、編集する際は留意したいと思います。--Resto1578(会話) 2014年9月15日 (月) 05:59 (UTC)