コンテンツにスキップ

ノート:名君

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

未整理の議論

[編集]

何というか、整理しようかと思ってもどうにもこうにもならない一覧でして、何を基準にしているのかさっぱり解りません。もともと名君の基準なんてものは存在しないのだし、一覧として作ることが不適切と思えます。らりた 2005年11月12日 (土) 12:35 (UTC)[返信]

同感です。名将暗君もこれと同じですね。そもそも、評価をする時点で客観的とは言えないと思うのですが。これと名将暗君は定義文だけにして、具体例を削除してはどうでしょうか。--Yakouhai 2005年11月12日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

名君や暗君、名将には、たしかに何を基準にしているのか分からないところがあります。それに仮に基準をつくってもどれだけその人物及びその業績を正確に評価できているかいつも疑問がついて回ります。しかし、その人物がどのような人物であるか瞬時にイメージできることばであり、その場合、具体例は欠かせません。しかも通時的に名君、暗君、名将と評価されている人物がおおくの利用者によって執筆されているうちに決まってくるのではないでしょうか。そもそも哲学をすこしでもかじっていればご存知のように客観性などという概念は幻です。当人以外の大勢がそのように感じるというだけのことです。これらの記事に目くじら立てなくても、先に整理、編集しなければならない記事やカテゴリーなどはたくさんあるはずです。Siyajkak 2005年11月12日 (土) 15:00 (UTC)[返信]


「完全な客観は不可能」、「他の記事に力を入れるべき」など、Siyajkakさんのおっしゃられることには全面的に同意します。しかし、その上であえて一言だけお許しください。私が具体例を削除すべきだと考えるのは、評価をめぐって編集合戦が発生しないだろうか、という危惧を持っているからです。
現在記載されている人物ですと、織田信長は比叡山や伊賀に対する虐殺者としての悪名がありますし、徳川将軍家鎖国策をネガティブに評価する人もいます。グスタフ・アドルフはバルト海の制海権を獲得しましたが、スウェーデンの若年層を大きく減退させ、発展を遅らせたという評価もあります。誤解しないでいただきたいのですが、私自身は彼らは名君と呼んでもよいと思っています。しかし、マイナス面を重視する編集者がいないとは限りません。
このような評価の揺れがある以上、選出には個々の編集者の意向が強く反映され、「こいつは名君とは言えない」「いや、言える」といった感じで、編集合戦が起こる可能性があるのではないでしょうか。そうした事態を予防できるのならば、具体例は削除した方が良いのではないか、と考えた次第です。--Yakouhai 2005年11月13日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

別に目くじらを立てているつもりは無いのですが・・・。とりあえずもう少し絞りませんか?各国から二三人程度で例示には十分と思えるのですが。他の地域は良く解りませんが、中国からだったら唐太宗と康熙帝くらいで。らりた 2005年11月13日 (日) 11:32 (UTC)[返信]

Yakouhaiさん、らりたさん丁寧なお返事ありがとうございます。実は自分もある程度の編集合戦は許容しようという気持ちとともに、書いたり削ったりしているうちにどこかでコンセンサスをとらないと際限がなくなるおそれがあるな、という一抹の不安は感じてはいました。実は、わたしは、徳川将軍家の鎖国策をネガティブに評価する人間(田沼時代を高く評価する人間)なので、本音を言うと家光を名君とは認めたくありませんが、全体的に捉えて肯定的に評価する人もいると許容はしました。名君だけでなく、名将暗君も本文中に「(例示された人物以外の新たな加筆や削除についてはご遠慮ください)」と、表示しましょうか。例示された人物を残しておくと「割れ窓理論」(でしたっけ?)のようになって編集合戦になるようなら例示は全面削除ということでいかがでしょうか?Siyajkak 2005年11月13日 (日) 12:55 (UTC)[返信]


なるほど、ひとまず様子を見て、編集合戦になるようなら削除ということですね。納得いたしました。それでは、らりたさんとSiyajkakさんのアイディアを取り込み、以下のようにしてはいかがでしょう。

  • 例示は各国につき2-3人。
  • 現在に直接つながりのない、消滅した国家(古代ローマやモンゴル帝国など)の人物も同様。
  • できるだけ多くの人が納得する人選を。批判対象となりそうな人物は例示しない。
  • 「例示はノートの議論でこの人数に制限しております。もし、あなたが特定の人物を加えたい、あるいは変更したいと望むのなら、編集する前にノートでその旨を提案してください」などの注意書きをする。

編集を加えないでくださいというのは、ウィキペディア的に難しいでしょうから。このようなお願いを付け加えておけば、多少は緩和されるかもしれません。もっとも、最後の一文は編集者が対象ですから、コメントアウトでも良いかもしれませんね。いかがでしょうか?--Yakouhai 2005年11月14日 (月) 08:30 (UTC)[返信]

上の条件に加えて、名将には、「君主(王、皇帝、大名)であるものは除く」、という条件をつけましょうか?Siyajkak 2005年11月14日 (月) 12:21 (UTC)[返信]

そうですね、名君と名将を区別するためには、その方がよろしいでしょう。それと、まだ例が挙げられていない国の人物を追加する場合は、ノートで議論するまでもないと思いますので、最後の文章はこうした方がいいかもしれませんね。--Yakouhai 2005年11月14日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
  • 「例示はノートの議論で少人数に制限しております。もし、あなたが特定の人物を加えたい、あるいは変更したいと望むのなら、編集する前にノートでその旨を提案してください。ただし、まだ一人も例示されていない国家、および人数が規定数に満ちていない国家に関しては、ノートでの議論をせずに記載しても問題ありません」

ほぼ同意です。ただ過去存在した国全ての名君・名将を立てられても困るので、歴史上に相当な存在感を持った国(ローマ帝国・モンゴル帝国クラス)に限るべきではないかということを提案します。らりた 2005年11月17日 (木) 11:47 (UTC)[返信]

歴史上の相当な存在感を持った国(ローマ帝国・モンゴル帝国及びそれに準じるクラス)

フランク王国カロリング朝)、イスラム帝国(ウマイヤ朝アッバース朝)、東ローマ帝国ロシア帝国オスマン帝国

このくらいでしょうか?あとイギリススペインか?いかがでしょうか?Siyajkak 2005年11月18日 (金) 11:29 (UTC)[返信]

いえ、現存する国はそのまま行っても良いのですが、過去の国家についてと言う意味で言いました。ですので中国王朝は全てまとめて一個の扱い、イギリス・スペイン・フランスなども同様、ローマ帝国やモンゴル帝国のような過去の国家を特別扱いで一個と言う数え方ではどうかと言う意味です。らりた 2005年11月19日 (土) 12:32 (UTC)[返信]

試案

[編集]

たしかに、らりたさんのおっしゃるとおりですね。現在につながりのある国家はともかく、消滅した国家を無制限に加えていくと収拾が付かなくなりそうです。とりあえず、歴史に大きく影響を与えた国家で、候補になりえそうな人物をピックアップしてみましたが、いかがでしょう。--Yakouhai 2005年11月20日 (日) 08:00 (UTC)[返信]

アジア

[編集]

中国

モンゴル帝国

ムガル帝国

イスラム帝国

オスマン帝国

ヨーロッパ

[編集]

ローマ帝国

神聖ローマ帝国

イギリス

フランス

スペイン

ロシア

改正試案

[編集]

それぞれの地域にバランスよく配分されていることは評価いたしますが、果たして名君の例示としてふさわしいのでしょうか?

とくに ハールーン・アッ=ラシードは、下記のBBSに見られるように http://history.bbs.thebbs.jp/1105177274/e100 低い評価です。 それから

これらの人物で名君がイメージできるでしょうか?記事にある定義の通りに、有能な臣下を登用したり、内政面の実績を挙げて国を繁栄させた君主がイメージできるでしょうか?名君のリンク元にない人物をわざわざ大量に挙げる理由がどうしても理解できません。フェルナンド3世は、レコンキスタに成功はしたものの国家を疲弊させました。カール5世はそれなりに有能ではあったでしょうが、宗教や信仰に対する不寛容やオスマン帝国との敗戦などがありました。しかし、この試案については、これまでの話の流れがもありますし、賛同できる部分もあります。それから例示は少ないほうがいいという視点から例示を減らして改正試案を作成してみました。神聖ローマ帝国の項目には、玉座の近世人とよばれ、語学の天才でアラビアの進んだ学問に通じ、第1回十字軍以来エルサレムの奪回を平和裏に成し遂げ、皇帝権の強化にも成功、中世カトリックの発想に捕らわれなかったフリードリヒ2世を挙げさせていただきました。この人物のすごさは菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書を読めばわかります。Siyajkak 2005年11月21日 (月) 11:36 (UTC)[返信]

アジア

[編集]

ヨーロッパ

[編集]

他の地域は解らないので、とりあえずモンゴル帝国から出すならチンギスかオゴデイだと思います。クビライは人によってかなり評価が違いますので。らりた 2005年11月21日 (月) 12:31 (UTC)[返信]

ローマで優れた皇帝とされるうち、おそらくアウグストゥス、トライヤヌスあたりは異論がないと思います。あとはコンスタンティヌス、マルクス・アウレリウスも伝統的にそういわれるかと。ハドリアヌスも加えて良いかもしれませんが。あとアウグストゥスがカエサルに劣るというのは少なくとも定説ではないはずです。軍事、文筆はともかくカエサルの政治的才能については評価がかなり分かれるはずですが、アウグストゥスの政治的才能に関して否定的に捉えているのを私は知りません。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月21日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
Siyajkakさんの試案で結構だと思います。ハールーン・アッ=ラシードやフェルナンド3世を例示に上げたのは、まったく私自身の無知によるもの。ご教示いただきありがとうございます。ところで、日本史の例はどうしましょうか?現在出ているもの中では、北条泰時、足利義満、徳川家康あたりが妥当かなと思われますが。それと、モンゴルに関しては、らりたさんのおっしゃるとおり、クビライよりチンギスかオゴデイの方がよいでしょうね。--Yakouhai 2005年11月21日 (月) 13:07 (UTC)[返信]

気になっていましたが日本からも挙げたほうがいいですね。自分は、最近世界的にも注目されている上杉鷹山が、最初の定義文の内容とも調和していていいなあ、と思っていますが...Siyajkak 2005年11月21日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

塩野七生の読みすぎかもしれませんが、アウグストゥスはカエサルの遺産をそのまま受け継いだ面が大きいと思います。ローマ皇帝でもうひとりならコンスタンティヌス1世を挙げます。彼は、分裂していた帝国を再統一し、新首都コンスタンティノポリスを建設し、西ローマ滅亡後も約1000年間続く東ローマ帝国の基を築きました。通貨政策や農地からの安定的な収入の確保をはかり、寛容な宗教政策など見るべきものがあります。Siyajkak 2005年11月21日 (月) 14:48 (UTC)[返信]

まあ、そういうような論争が起きる人物は除くと言うことで良いのではないでしょうか。らりた 2005年11月22日 (火) 09:10 (UTC)[返信]

上杉鷹山なら、まず文句は出ないと思われます。ところで私が提案した日本史の3名についてはいかがでしょうか。異論がないようでしたら、そろそろ議論もまとまったようですし、Siyajkakさんの試案に鷹山と上記3名、オゴデイ(チンギスは征服者としての側面が強すぎるのではないかと考え直しました)を加えて本文に反映したいと思いますが。--Yakouhai 2005年11月23日 (水) 09:23 (UTC)[返信]

私にはこれと言って異論はありません。らりた 2005年11月23日 (水) 11:49 (UTC)[返信]

「守成の名君」という言い方があります。チンギスと同じ考え方で、家康だけ削りましょう。Siyajkak 2005年11月24日 (木) 11:04 (UTC)[返信]

本文を変更しましたので、ご確認ください。--Yakouhai 2005年11月24日 (木) 14:58 (UTC)[返信]

拝見いたしました。ありがとうございます。Siyajkak 2005年11月24日 (木) 15:57 (UTC)[返信]

イスラム圏では人気があるようですが、サラーフッディーン(サラディン)などはあてはまりませんかね。筋違いでしたらすみません。たらこ 2005年11月24日 (木) 16:52 (UTC)[返信]

第二試案

[編集]

勝手に入れるのは、この項目のルール違反だと思ったので、ノートに書き込みさせていただきます。自分は、主に北欧関連の歴史で書き込みをしていますが、18世紀のスウェーデン国王グスタフ3世 (スウェーデン王)も名君の一人として上げたいと思っています。彼は、腐敗していたスウェーデン国政を無血クーデターで終らせ、当初は立憲君主制も認めていました。また、内政も言論の自由や、以前からあった福祉政策、貧民対策も行っています。信仰の自由も一部ながら認めています。おおむね、当時のスウェーデンの国民の人気も高かった様です。また現代においても、評価は高いとされています。確かにグスタフ3世は、暗殺されていますし、晩年には、絶対君主制も再開していますし、戦争も行いました。とは言え、特権貴族からの徴税や内政を重視し、拡大政策に邁進しなかったことは、現代において、高評価に繋がっていると思います。もちろん、当時のスウェーデンのヨーロッパにおける影響力や知名度を考えると、蛇足な様な気もします。議論を行ってもらって、暗殺されたことや、負の部分での意見があれば、あえて加えないものもありと、自分では位置づけています。

追伸、自分はスペイン史には、それ程詳しくはないのですが、バランスから言っても、スペインの君主をもう一人ほど上げても良いのではと思います。自分としては、スペインブルボン朝カルロス3世 (スペイン王)を名君の候補者の一人として考えています。Libertas 2006年8月18日 (金)

書き込みからおよそ1ヶ月程経ちました。愚見だと思いましたが、より厳しい意見をお待ちしています。Libertas 2006年10月3日 (火) 15:03 (UTC) 

Libertasさん、コメントありがとうございました。 話は変わりますが219.164.193.223さん、Kuro-hatoさんよりときどき書き込みのあった李氏朝鮮世宗については、朝鮮半島の王朝で一人も例示に上げられていない、ハングルを作ったりその治績には見るべきものが多く、韓国の通貨の画像になるなどの韓国では名君の代名詞的な存在と思われますので強く推薦いたします。Siyajkak 2006年10月3日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

世宗を書き入れた記憶がないので、名前を挙げられて驚いています(世宗以外の曖昧な人物を削った記憶ならあるのですが)。もっとも、評価の安定した君主であるうえに隣国の人物を一人も上げないのも寂しいので世宗自体には反対ではありません。あと上記に書き込まれているサラディンには賛成票を投じさせてい頂きます。ヨーロッパに比べて中東圏が弱冠手薄のような気が……。アッバース朝のマンスールや、サラディンの弟アル・アーディルなども名君として知られています。また、中東と言えるか微妙なところですがアレクサンダー大王などは知名度と業績では比類なき名君と言えると思われます。ヨーロッパなら他に現代でもフランス国民に人気のあるナポレオン、ロシアの近代化に貢献したピョートル1世(大帝)などはいかがでしょうか。Kuro-hato 2006年10月3日 (火) 16:07 (UTC)[返信]

ナポレオンは、確かに人気ありますが、記事にもある様にフランスに多くの損失を与えているような気もします。ピョートル大帝も、ロシアを列強の地位に押し上げた実力者であると思いますが、その評価は後年のものだと思います。当時のロシアの世相では、ピョートルの西欧化にはあまり人気と支持がなかったのでは?ナポレオンにしても、後年のヨーロッパに与えた影響が高評価に繋がっていますが、実際にナポレオン関係の書籍を読むと必ずしも名君と言える様な治世ではなかったと思います。世宗に関しては、あまり失政のない優れた統治者であったみたいですね。Libertas 2006年10月3日 (火) 16:29 (UTC)

世宗を書き入れた記憶がないので、名前を挙げられて驚いています。

2005年12月31日21:27の版を見てそうおもったのですが、220.109.17.21氏の書いたものを元通りにしただけということでしょうか?世宗については加える方向でよろしいでしょうか?Siyajkak 2006年10月4日 (水) 09:00 (UTC)---微修正Siyajkak 2006年10月4日 (水) 16:02 (UTC)[返信]

あー、これは消されていたのを戻したときですね。失礼しました。Kuro-hato 2006年10月7日 (土) 04:34 (UTC)[返信]

どうも、らりたです。世宗に関しては賛成です。カルロス3世については私には判断できる知識がありません。あと、ナポレオン・アレクサンダー大王については上のチンギスなどと同様に征服者としてのイメージが強すぎて名君という言葉にはあまり馴染まないような気がします。参考までに。それと勝手ながら節を分けさせていただきました。らりた 2006年10月4日 (水) 09:10 (UTC)[返信]

所で「名君の対語は暗君」とありますが、名君と対になる言葉としては暗君は不適切でないでしょうか?暗君の対義語は明君ですし。「名君という言葉に対して、暗君・暴君などという言葉がある」などという表現に改めるべきではないでしょうか。らりた 2006年10月5日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

李氏朝鮮世宗については、賛成意見多数、反対意見なしということで合意が得られたとみなし加筆しました。Siyajkak 2006年10月7日 (土) 11:35 (UTC)[返信]

無断な追加書き込みがめだちます。

[編集]

名君の記事の例示に無断な書き込みがなされています。少なくとも追加書き込みの場合は、記事本文の注意書きにあるようにその人物の業績をこのノートで論じて、Yakouhaiさん、らりたさん、Siyajkakに協議を呼びかけてください。Siyajkak 2006年10月3日 (火) 14:25 (UTC)[返信]


追加の提案

[編集]

以下2名の掲示を追加することを提案します。 1 古代ペルシアダレイオス1世  「帝国」を作った君主です。後の世の帝国は、洋の東西を問わず例外なく彼の影響を受けています。名君という場合に、絶対に外せない一人である(むしろ、後の世に影響を与えた名君のプロトタイプである。)と思料いたします。

2 タイラーマ5世  東南アジアがすっぽり抜け落ちているので、地域的なバランスをとるため。で、同地域から一人選ぶとなると、この人でしょうか。  彼の行ったチャクリー改革については多言を要しないと思います。

 以上、ご検討されたく。Yacchi 2006年10月20日 (金) 06:44 (UTC)[返信]

タイのラーマ5世は良い提案であると考えます。ダレイオス1世はどうでしょうか?私自身の意見は賛成寄りですが、ペルシア戦争の当事者というイメージが強く、全面的な賛成には躊躇します。

私としては地域バランスという点から、エジプトのムハンマド・アリー、エチオピアのメネリク2世、インカ帝国のパチャクテクを推薦したいと思います。パチャクテクは文字通り征服者なのですが、アメリカ大陸から名君を選ぶとしたらということで推薦します。

あと、議論を蒸し返すようで申しわけないのですが、オゴデイを名君に入れるのはどうも違和感があります。決して優れた点がない君主であったとは思わないのですが、内政面での評価で選ぶとしてもどうしてチンギス・ハーンクビライがなくてオゴデイなのでしょう?--のりまき 2006年10月29日 (日) 00:11 (UTC)[返信]

地域バランスも大事でしょうが、名君というからには名前を聞いただけで業績を思い浮かべられるほどの知名度も重要かと思われます。ダレイオス1世ペルシア戦争の敗者のイメージが強く、エチオピアやインカ帝国の君主に関しては、全く名前を聞いたこともありません。名君をイメージできるかと言われますと苦しいかと思われます。また、ムハンマド・アリーは名君というよりも一代の梟雄としてのイメージが強く、名君かと問われますとやはり疑問符をつけざるを得ません。ラーマ5世王様と私などで知名度も高く、業績も列強に植民地化させなかったという点で名君という称号に相応しいかと思われます。222.158.70.172 2006年10月29日 (日) 15:29 (UTC)[返信]

ダレイオス1世については、ペルシャ戦争でギリシャを侵略して敗北したイメージがあまりにも強いです。ですから、むしろユダヤ人パレスチナへの帰還をみとめたキュロス2世などがイメージ的に名君に近くなりますがぱっとしません。 地域的なバランスもあるのでラーマ5世もやぶさかではないですが、アンコール王朝のスールヤヴァルマン、ジャヤヴァルマン、マジャパヒト王国のハヤム・ウルクがどうなるかと考えてしまいます。あとベトナムの君主にも優れた政治家はいたと思うし、このあたりは慎重を期すべきだと思われます。 インカ皇帝パチャクチを加えるという意見がありますが、それならかってメソアメリカ文明アンデス文明の研究者のはしくれだった身としては、テスココネサワルコヨトルを加えないわけにはいきません。それからパチャクチは業績から考えても軍事指揮官のイメージがどうしても強いです。Siyajkak 2006年11月27日 (月) 10:09 (UTC)[返信]

Siyajkak様初めまして。のりまきと申します。確かにパチャクテクよりもネサワルコヨトルとその息子ネサワルピリの方が名君という名に相応しい君主であったと思います。ただ、あまりこの場で知名度を重要視しすぎるつもりはないのですが、それこそネサワルコヨトルネサワルピリって誰?と言われてしまいそうなのでパチャクテクを推薦しました。それでも知らないと言われてしまいましたが……それにしてもアドワの戦いでイタリアを破り、アフリカにあって植民地化を食い止めたメネリク2世についてもやはり知名度が問題になるのでしょうか?業績的に真に名君に相応しいかどうかは疑問を持たれても良いと思いますが。のりまき 2006年11月30日 (木) 10:36 (UTC)[返信]

北条早雲を加えてはどうでしょうか?年貢を引き下げた領民思いの領主として。皆さんはどう思われますか?

まずは署名をするようにしてください。何かの冗談だと思いました。そしてこのページのログを御覧下さい。各国から大体二、三名という合意の下でリストアップされたのが現在上げられている人物です。単に年貢を引き下げた領主ならば日本史上一体何人居たでしょうか?Kuro-hato 2007年1月20日 (土) 07:24 (UTC)[返信]

名君と呼ばれる理由に付いて

[編集]

提案なのですが、名前をただ並べるのではなく、なぜ、どのような人々が、その人物を名君と評価するのか?をきちんと1人1人に説明を加えてみてはどうでしょうか?読者としてはその人物の事跡のどのようなことが同時代、或いは(この項目に書き込んでいる方々を含む)後世の人に評価されたのかは気になる所だと思いますがどうでしょう?--Houkun 2006年12月12日 (火) 07:34 (UTC)[返信]

編集合戦になると思いますし、一つ一つの項目が果てしなく長くなると思います。良い事績を並べれば反対に悪い事績も書かなければ正当な評価とはいえないという議論にも発展しかねません。個々の業績については各々の人物のページに書けばよいことだと思います。Kuro-hato 2006年12月12日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
いつも私の不備を編集してくださり、本当にありがとうございます。なるほど、編集合戦になる可能性はあると思います。しかしながら、この項目自体がもともと編集合戦になってもおかしくないような物です。現状、さほど編集合戦が問題になっていない事を見ると、きちんと断っておけば大丈夫ではないでしょうか?あと、私が書くべきであると思うのは個々の業績ではなく、どの業績を評価して名君としたか?です。現在例示されている人物に関しては私も大賛成です。しかし、主観的に決めた物を理由説明もなしに例示されても納得の出来ない人もいるのではないか?と考えました。悪い事績も良い事績も各々の人物のページに書けば良いと思います。しかし、何故名君として選んだか?という『評価』に関してはこのページに書くべきではないかなぁと。分量については1人2行前後で。しかし、実際には難しいかもしれませんね。駄文失礼します。--Houkun 2006年12月13日 (水) 02:29 (UTC)[返信]

基本的には編集合戦を避ける、ないしは最低限になるようとどめるということです。原則として削除や追加はなく、誰もが賛同するような場合にのみ例外的に追加や削除があるとお考えください。中国の君主のうち、例示されているのが太宗康熙帝だけであることからご察しください。Houkunさんのご意見には一理あるとは承知しつつも、Kuro-hatoさんの危惧するような編集合戦になる虞れがあるので大変申し訳ありませんが例示のみにとどめたほうがよいかと思います。Siyajkak 2006年12月14日 (木) 16:41 (UTC)[返信]

「何故」を言い出すときりが無いというのは同感です。同じ注釈を入れるならば「誰が」を入れられれば良いと思います。例えば唐太宗ならば『宋名臣言行録』に宋太宗が唐太宗に及ばないと言ったというエピソードがあり、宋太宗と朱熹に(わざわざ例示として挙げることからも)名君と考えられていたという証明になります。全部に付けるのは大変かもしれませんが・・・。らりた 2006年12月15日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

歴史的にどう評価されてきたか

[編集]

例えば唐の太宗とか、アウグストゥスとかはながい間、「名君」「神君」と評価されてきて、その評価のうえにあまたの文学作品や歴史書、思想書がかかれてきてるわけです。 こういった事実は「現代の目で『客観的』『学問的』に名君であった」かどうかとはまったく別の意味で、重要な意味を持つ知識です。今までの議論はこういったことを十分に考慮してないようにみえるのですがどうでしょうか? そもそも「名君」だの「暗君」だのは学問的な概念ではないので、現代の目から見て「名君」だの「暗君」だのというカテゴリわけに大して意味があるものではなく、むしろ過去の歴史のなかでの評価の方が重要では? さっき暗君のほう、なおしましたけどこっちのほうも「名君だのなんだのは著述者の価値判断によって専ら決まる概念だ」というのをはっきり書いたらどうでしょうか?--138.243.228.130 2007年5月11日 (金) 13:29 (UTC)[返信]


歴史的にどう評価されてきたか(2)

[編集]

ここに投稿してるみんなもおんなじだと思うけど、「名君」の概念って戦争がいくら上手でもあんまり使わない。でもこれって現代日本だけの使いかたかも知れない。 例えば武勇に対して重い価値を置く文化のなかで、ユスティニアヌスは単純に「名君」なのかもしれない。例えば戦争前の日本とか。 現代的には、あんまり「名君」として呼ばれる治績をあげたとはいわないんだけど。 これは単純にユスティニアヌスの評価が変容したということではなく、「名君」の指示内容自体が変化したことになる。ま、ひとりごとだけど。---138.243.228.130 2007年5月11日 (金) 21:20 (UTC)[返信]

>唐の太宗とか、アウグストゥスとかはながい間、「名君」「神君」と評価されてきて、その評価のうえにあまたの文学作品や歴史書、思想書がかかれてきてるわけです。
>今までの議論はこういったことを十分に考慮してないようにみえるのですがどうでしょうか?
そのようなことはコンセンサスをとった執筆者同士は考慮済みの前提なのでいちいち議論しないわけです。それに、名君の例示はどうしても主観とかはいってしまうので、好きな人物を挙げていったらきりがないから例示する人物試案改正試案で絞り込んでコンセンサスをとるしかなかったのです。もし建設的に議論をすすめる必要があるとお感じであるなら、丁寧に文学作品や歴史書、思想書に「名君」、「神君」などと高評価されている君主の事例を挙げて独自の評価リストを作って別項目を設けて投稿するか、全面的な改稿まで視野に入れてそのようなリストを基に議論のやりなおしを呼びかけるべきだと思います。Siyajkak 2007年6月28日 (木) 12:49 (UTC)[返信]


足利義満を削除して、徳川家康を加えます

[編集]

足利義満は近年の評価ではどうだかしりませんが、近代日本においては南北朝の動乱を招いた人物、王号を僭称した人物として、むしろ貶められてきた歴史があります。 名君としての再評価をしたいなら、足利義満の項目ですればよい。ここで名君にあげるのは混乱のもと。 一方、徳川家康は「神君」「東照大権現」として広く称揚されてきた人物であり、そのような評価に基づいて多くの文学作品の演出がおこなわれてきました。ここで書かないと、日本語の小説でどうして「神君家康公」という表現がしょっちゅう出てくるのか、意味が分からなくなる。

こういうものはどれだけ学問的に名君か?ではなく、どれだけ名君だと伝統的に評価されてきたか?を基準に書くべき。そもそも学問的な概念じゃないんだから--138.243.228.130 2007年5月11日 (金) 21:58 (UTC)[返信]

言いたいことは分かりますし納得できる点もあるのですが、次からは誰かのコメントが付くのを待ってください。でないと議論したことにはなりませんよ。Kuro-hato 2007年5月12日 (土) 01:22 (UTC)[返信]
いや、まだやってないのですが。特に反対もでなかったようですので、義満の削除と家康の追加を行います。--138.243.228.130 2007年5月15日 (火) 17:40 (UTC)[返信]
通常、こうした提案は1週間は様子見を行なう必要のあるものです。また、この記事自体をウォッチリストに入れている利用者が必ずしも多くないと思われる現状を考えると、Wikipedia:井戸端 (告知)に提案すべきことと思います。足利義満や徳川家康に限らず個人をリスト化することは利用者の好き嫌いが入る可能性が否定できないので、あまり望ましいものではないと思います。(すでに他の記事などでも同様に出た意見だと思いますが。)--Tiyoringo 2007年5月15日 (火) 19:36 (UTC)[返信]
一週間程度、待つのは結構ですが、井戸端に提案というのが本当に必要だという合意があるのなら記事本文にそう書いてあるはずでは?ウォッチリストに入れている利用者が少ないというのは、そこまでしなくても良い記事じゃないの?ということを示しているようにも思いますし。こんなとこで人気投票をやってもしかたないから人名をならべるなら新規な学説や評価ではなく伝統的な評価に基づいて義満はやめて家康にしましょうという提案です。--138.243.228.130 2007年5月15日 (火) 23:27 (UTC)[返信]
インデント戻します。Wikipedia:コメント依頼に加えました。2005年11月13日にSiyajkakさんが意見を述べられていますが、タヌキといわれることも多い人物を加えることは編集合戦を招くおそれがあることを危惧します。名将に具体例が入れられていないのは同様の理由ですよね。称号に偉大が付く人物のように編集者の好みがはさまれる余地のないものは問題ないと思いますが。別件ですがノート:暗君陽成天皇に疑問を表明しました。(後陽成天皇がいるので一面的な評価な気がします。)--Tiyoringo 2007年5月16日 (水) 14:45 (UTC)[返信]
了解です。文学的な価値を考えると、徳川家康を外すのは疑問を感じますが、とりあえず今回の追加の提案は見送ります。王号の僭称、逆臣のそしりを受けることも多い足利義満をこのまま残すことは今後、編集合戦を招く等不都合があると思いますのでひきつづき削除を提案します。陽成天皇の治績については詳しくありませんので見識のあるかたのコメントを待ちたいと思います。--138.243.228.130 2007年5月16日 (水) 22:06 (UTC)[返信]

劉備を削除させていただきました

[編集]

中原統一を為しえて全土君主となった軍事的功績もなく、蜀において皇帝を称した期間中の国政においても特段の功績もありません。この項目において「名君」が概念と定義されている事から、三国演義などの後世の創作におけるイメージまで加味すれば名君と呼び得ないとまでは言えません。しかし「中国の全君主中三人まで」の制限上でその三人の中に入ると言う評価はいささか過大に過ぎると思います。なお、ノート中にての相談なく追加されていたので削除の判断も独断によるものとなりましたが、劉備の追加について改めて発議・議論する事を阻害するものではない事をご理解下さい--220.51.172.61 2007年6月14日 (木) 18:31 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ましたAnnogoo です、以後よろしくお願いします。一応この項とノートは全て見ました。名君ということでいかにも編集合戦になりそうな項目ですが、皆さん大変に歴史に詳しい方が編集に携わっており、記事がよくまとまっているようです。しかし一見してまず違和感を覚えたのが上杉鷹山が日本の名君に入っていることです。他国はみな非常に有名な王が列挙されているの中で、米沢藩を治めたにすぎない藩主が挙げられているのはおかしいのでは?ともとも呼ばれない人が日本の名君ではやっぱりおかしいと思います。最低限の条件として一つの国を治めた支配者のみが名君の項に記載されるにふさわしいかと。だから上の220.51.172.61さんの意見には個人的に賛成です。そして私の意見としては日本の名君に列挙されるにふさわしい人物はやはり徳川家康でしょう。江戸幕府を開き、以後250年間(鎖国の功罪は別にして)日本に安定をもたらした彼を挙げずにはおれません。1週間新規のコメントがなければそう修正します。また反対がなければ、肯定的な意見が多かったラーマ5世を追加します。 --Annogoo 2007年6月19日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

220.51.172.61さん、劉備の削除ありがとうございます。劉備の評価についてはまったく同感で、これは合意の得られたものではなく、通りすがりのIPが合意もなしに書き加えたものです。

Annogooさん、私へのノートへのコメントありがとうございます。上杉鷹山徳川家康についてはノートの上の部分で議論済みなので蒸し返しになるので変更はできません。なお、異論はあるかもしれませんが、上杉鷹山のここ数年のビジネス誌などの高い評価から名君のイメージを体現する人物としてふさわしいと考えています。ラーマ5世が再び候補に挙がりましたが、これほどまで候補に挙がるのなららりたさんやYakouhaiさんにも追加について尋ねてみたいと思います。Siyajkak 2007年6月19日 (火) 15:21 (UTC)[返信]

私はタイ史に付いて全く知識がありませんが、ラーマ5世の記事を見る限りでは加えても問題ないように思います。上杉鷹山に付いては、名君と言っても君主に限らず広く使われているようですので、君主ではないということにはあまりこだわらなくても良いのではないでしょうか。
あと、足利義満・徳川家康ともに悪いイメージもかなりあるという点では問題がありそうです。むしろ徳川吉宗の方が良いんではという気がしてきました。らりた 2007年6月20日 (水) 09:29 (UTC)[返信]

日本の部分に名君の例示を追加できないか

[編集]

徳川家康については悪いイメージがあるのは承知してますので、このノートの方針からしても現時点で追加は無理だということはわかります。私の意見としては、「徳川家康を推す人がいた」ということがわかってもらえれば十分です。ラーマ5世については20世紀前半、植民地化される東南アジアの中で唯一タイを独立国として保った実績は大きいと思います。さて、上杉鷹山についてですが、そこまで評価が高いなら確かに名君(君という部分に違和感はありますが)とよばれてもいいかとは思います。ただ上杉鷹山は上にも述べたとおり一藩主にすぎません。日本の名君ではなく米沢藩の名君ではないでしょうか?やはり違和感を覚えます。日本には一藩主以外に名君はいなかったのでしょうか?私には日本の名君の項に記載されるにふさわしい人物が上杉鷹山の他にももっといると思います。--Annogoo 2007年6月20日 (水) 20:32 (UTC)[返信]

表面の記述をよく読んでください。「近年の傾向としては、それまで赤字だった藩財政を健全化したり学校を整備するなど教育に尽くした大名のことも名君ということが多い。」

どうしてそんなに上杉鷹山の名前を削りたがるのか理解できません。国際的にも知られ一時期会社名にすらなりました。

>一藩主以外に名君はいなかったのでしょうか?私には日本の名君の項に記載されるにふさわしい人物が上杉鷹山の他にももっといると思います。

それでは具体的に提案してください。ただ、もう絞りきっていますのでかなり大変だと思います。上杉鷹山の名前を削除することはありません。もし、削除することがあるなら、例示自体が編集合戦のもとだから書かないという議論もあったので、すべて削除することになります。Siyajkak 2007年6月24日 (日) 15:51 (UTC)[返信]

上杉鷹山が名君と呼ばれるのはよしとします。ただ他の国に列挙されている名君に比べるとだいぶ知名度が低いので「あれっ?」と思い、今回議題にあげました。さて、他に日本の名君に挙げるにふさわしい人物ですが、聖徳太子はどうでしょう?悪評は聞きませんし、十分君主とよばれるにふさわしい人物です。海外の名君と違い、日本の歴史上の人物たちは我々がよく知っている(良い面も悪い面も)ので、なかなか候補に上げ辛いのはわかりますが・・・。--Annogoo 2007年6月25日 (月) 00:08 (UTC)[返信]

聖徳太子は名君というより名宰相・名補佐ではないでしょうか。Kuro-hato 2007年6月25日 (月) 01:16 (UTC)[返信]
えーと、そうすると推古天皇が名君に当てはまるのかな。「法を整備したり有能な臣下を登用したことによって民が住み易い世を作った」というのに当てはまりそうです。--Annogoo 2007年6月25日 (月) 02:13 (UTC)[返信]
推古天皇に関しては聖徳太子以上に謎に包まれている部分が多すぎます。元々資料の少ない時代ですが、具体的な事績はおろか人柄ですら不明である人物を挙げて良いものでしょうか?Kuro-hato 2007年6月25日 (月) 05:41 (UTC)[返信]
推古天皇&聖徳太子は、十七条の憲法や冠位十二階の制度、遣隋使など古代日本の発展に大きく関わっています。確かに昔の人物であり資料が乏しいですが、彼らが行った施策は十分名君に値すると思います。最近実在性が疑われているようですが、推古天皇は確実に存在したことは明らかですし、聖徳太子(厩戸王)は存在しなかったという仮説がありますが、それはあくまで仮説であり定説ではありません。悪評がなければ大丈夫なのでは?--Annogoo 2007年6月25日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

ふしぎなことなのですが、Annogooさんはちがうようですが、日本での名君といったとき、わたしの脳裏に浮かんでくるのは、江戸時代の藩主か戦国大名ばかりなのです。とくに江戸時代の藩主は内政に力をそそいだか注目される傾向があるので、保科正之島津斉彬前田綱紀池田光政がぱっと頭に浮かんでくるのです。天皇家を評価するのは忌避するということなのか、江戸時代は漢籍を研究し、儒教道徳を身に着けるということが大切だと思われた傾向が反映しているのかはわかりませんが...そして本文でも名前だけ名君のイメージが先行している徳川光圀などのイメージがどうしてもうかんでしまうのです。皆さんはどうですか?Siyajkak 2007年6月25日 (月) 11:46 (UTC)[返信]

要はさ、家康みたいな人って日本全国にいろいろな影響を及ぼした人物だからいろんな評価がある。いいのも悪いのも。知名度が高いから小説とかで「実はそんなにすごくないんだよ」みたいな書き方(穿った見方)をしてもネタになるし。その一方で地方領主ってことだと、地元のひとは「おらがくにのおとのさま」ってことで「名君」ってことになるけどそれ以外の人は「ふーん。そうなんだ」で終わり。とりあげる事自体がネタになる程度の知名度しかないから「穿った見方」とかしてらんない。勢い「名君」のイメージのみが先行している人物は地方領主ばかりになる。って構図じゃないの?僕の意見は、家康が「名君」だっていう伝統的な評価があれば、家康を名君の例に加えたほうがいいと思う。別の観点で家康が「暴君」だっていうなら「暴君」の例にもあげればよい。「名君」だとか「暴君」だとか、そういう概念が存在するというのは客観的な事実だけど、誰が「名君」「暴君」かは主観的なことだからね。さらにいうと「家康が名君」という評価が広く存在する(した)こと自体は客観的な事実だと思ってるから、例としてあげるにはふさわしい人物だと思うんだけどね。--222.225.191.145 2007年6月27日 (水) 14:02 (UTC)[返信]

あなたは、138.243.228.130氏とお見受けしましたが...それから、足利義満の削除は許容しましたが(もともと例示は増やしたくない)、家康については議論済みです。別項にも書きましたが、考慮済みの前提は、膨大な労力を要するのでいちいち議論しないわけです。もし建設的に議論をすすめる必要があるとお感じであるなら、きちんとアカウントをつくって、考慮済みの前提として省略された作業を膨大な労力をいとわず、あなたが根拠とする文学作品や歴史書、思想書に「名君」、「神君」などと高評価されている君主の事例を挙げて独自の評価リストを作って別項目を設けて投稿ないし提案するか、全面的な改稿を希望するならそのようなリストを基に議論のやりなおしを呼びかけるべきだと思います(はじめからそうすべきだったのかもしれませんが)。しかし、研究書とか論文とかでしか評価されない人物もいる可能性があるのでさらに大変な労力をはらわなければなりません。そうしないならあなた個人の主観で「家康を入れたい」と叫んでいるだけでしかないことになるので、執筆者同士の合意をあとになって、「客観的な事実だと思ってる」というあなただけの主観で書き換えることは許されないことをご承知ください。定義部分の記事の執筆内容自体はすばらしいとはおもっていますので、あらかじめ不毛な編集合戦をさけるようご提案させていただきます。Siyajkak 2007年6月28日 (木) 12:49 (UTC)[返信]

いかにも同一人物です。が、もう一回むしかえそうとは言っていないですよ。良く読んでください。あなたが「名君」といえば地方領主ばかり頭に浮かぶのはなぜだろう?という疑問を呈していたので、「こういうことなんじゃないの?」という説明を家康を例にとってしたまでです。わたしが行った説明の範疇では家康を本来例示するべきだという結論しか得られないので、そのように書くことになったと。そういうことです。これまでの議論の参加者はわたしにとってはごく当たり前の観察をしていなかったのだなぁというのはSiyajkakさんの発言でよくわかりました。わたしはWikipediaごときのためにそれほどの労力を費したいと思っていないので、おっしゃるような不毛な合意形成に手間をとりたいと思っていません。--222.225.191.145 2007年6月30日 (土) 11:49 (UTC)[返信]

>わたしはWikipediaごときのためにそれほどの労力を費したいと思っていないので、おっしゃるような不毛な合意形成に手間をとりたいと思っていません。

あなたの言ってきたことは、記事を書く上で大切なことじゃなかったんですか?結局、あなたは口先だけだということを白状したことになりますが...。わたしはこれまでの執筆状況からもしかしたらあらいざらいやってくれるのかなとひそかに期待していましたが残念です。そんな方が「不毛な合意形成」だの「これまでの議論の参加者はわたしにとってはごく当たり前の観察をしていなかったのだなぁというのはSiyajkakさんの発言でよくわかりました」というようなことを言うのは、わたしやほかの執筆者に対し著しく失礼な発言といわなければなりません。「考慮済みの前提は、膨大な労力を要するのでいちいち議論しない」と考えてきましたが、どうやら名君暗君という言葉を百科事典の記事にするなら、「考慮済みの前提」を、「膨大な労力」をかけて、典拠を丁寧にいちいち書かなければ、その語のもつ性格が浮かび上がりにくいし、記事の発展が見込めないということが議論をしていくうちにはっきりしたということはありますが...。

あなた自身がおっしゃってきたことは、わたしがあなたに要望したような内容をあなた自身が責任もってやりますと言っているのと同じだと言うことをもっと自覚してください。Siyajkak 2007年6月30日 (土) 17:35 (UTC)[返信]

長くてわかり難いので

[編集]

どなたか、今まで合意された事を一覧にまとめて頂けないでしょうか?-- 2007年8月7日 (火) 22:51 (UTC)[返信]

  • 例示は各国から2、3人までとすること。
  • 例示を追加・削除する際は必ずノートでの議論をすること。

纏めると、とりあえず以上二点ではないでしょうか。Kuro-hato 2007年11月5日 (月) 20:10 (UTC)[返信]

とりあえず

[編集]

ハルシャ・ヴァルダナは名君といってよいと思いますが、いかがでしょう。--Greenland4 2008年5月17日 (土) 00:44 (UTC)[返信]

おっしゃるように名君なのはまちがいありませんが、インドで三指にはいるのかどうかということになろうかと思います。ざっと候補になりうる君主を思い当たるだけ挙げてみます。中国も二人に絞ってしまったので...
少し考えればこれだけの候補が挙がってしまうので、ハルシャ王をリストに加えていいのかというのはちょっと考えてしまいます。ラーシュトラクータ朝も強力な王朝でしたが、軍事面が目立つので王名を挙げていませんが、ボージャ1世時代を除くと当時の北インドの覇者プラティハーラ朝を屈伏せしめているので、8世紀と10世紀は後半までインド最強だったのは間違いなく、それだけの治績があったからめざましい軍事行動ができたと思われます。---Siyajkak 2008年5月30日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

<<参考1>>事実上のインド統一を果たした君主

<<参考2>>インドを統一してもおかしくないほどの勢いを示した君主

うーん、そうでしたか。全体像を知らない者が少しかじって言っただけなので、取り下げます。Siyajkak さん、たくさん教えてくださいまして、ありがとうございました。勉強になりました。御面倒かけて、申し訳なく思います。おゆるしください。これに懲りず、またいろいろと教えてくださいませ。--Greenland4 2008年5月30日 (金) 13:27 (UTC)[返信]

とんでもないです。コメントありがとうございます。いつものIPが白紙化荒らしの広域ブロックのために書き込めなくなったので、お返事が遅れました。ボージャ1世を書いてみました。ハルシャ王は伝説を生みだした一代の英雄のイメージがどうもボージャ1世やシェール・シャーとだぶります。もっともボージャ1世の息子のマヘンドラパーラ1世時代も王朝が繁栄していたことを考えれば一代の英雄にはならないかもしれませんが。---Siyajkak 2008年5月31日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

名君の一覧の存続について

[編集]

出典の提示が何もないのに名君として適当な人物を一覧として並べているのは、今考えると大変奇妙に感じるのですが、いかがでしょうか?出典が提示されなければ一覧を削除すべきだと思います。現状の一覧は主観的ですよ。--Annogoo 2009年3月3日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

今まで本項に名君としてリストアップするための議論をしていた方には悪いのですが、日本史の著名な研究家の評による裏づけもなく、執筆者の議論だけで一覧となっているのはおかしいので除去が妥当でしょう。--ヨッサン 2009年3月17日 (火) 12:25 (UTC)[返信]
いままでの労力を考えると忍びないですが、それを言われると、そもそもリストの除去もやむなしって感じですね。ここに上がった一人一人の君主を「名君」って呼んでいる出典は探せば見つかるんでしょうけど、そんなもん、その君主についての伝記にはそう書いてあるのが当たり前なんで。例をいくつかあげたい気持ち自体はわかるんですが、こうまで収集がついていない現実を見ると。例示するための簡潔でわかりやすい基準(どういう人物をリストに挙げるか)を決める議論に注力するべきだったのに、結果として人気投票みたいなことをやってしまったというか…。ま、IPなんで投票数には数えられないんでしょうが、ご参考まで。--24.61.43.160 2009年3月21日 (土) 12:21 (UTC)[返信]

>ま、IPなんで投票数には数えられないんでしょうが、

(コメント)IPで投票数に数えないというのは、削除依頼などの票の場合です。各記事に関しての意見に関してはIPも登録ユーザーも関係ありません。--ヨッサン 2009年3月21日 (土) 12:29 (UTC)[返信]


内容の複数の問題

[編集]

この記事には様々な問題があるので、問題を提言させていただきます。


  • まず、これほど歴史などについて記述されているのに、出典がまるで無いという事です。これでは、記事内容が事実か否か、検証不可能になります。
  • それと、過剰な加筆が行われています。特に例えが多すぎます。こんなに必要ありません。中には、例えに例えが入っている箇所も見受けられます。
  • 言葉を濁した表現も多いです。--と考えられている。--と言われている。--のはず。といった、曖昧な表現が非常に多いです。事実であるならば断言してください。事実で無ければ、その記述は削除です。
  • そして中立的観点で記述されているかどうか疑問です。これは出典が無いから余計に感じるのですが、ハッキリ申しまして、名君といわれる基準が不明です。色々と理由は書いていますが、出典も無いですし基準も明確では無い。そして理由に根拠がないので、独自研究を載せている様にも思われます。記事内容も誰が名君に相応しいかといった記述に見受けられます。誰が相応しいではなく、歴史上で誰が名君と言われたかを記述しなければなりません。これでは推測になります。


これら問題から、記事内容を大幅に削除または表現を変更する必要があると思われます。--araremasu 2009年10月21日 (水) 14:49 (UTC)[返信]