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ノート:出会い系サイト

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利用を指南する内容

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記事の内容が百科事典というよりも、利用指南みたいな感じになっちゃってますね Z 04:14 2003年11月26日 (UTC)

こんにちわ、とりあえず思いつく限り書いてみたtekkenです。
ご指摘の通り、利用指南に近いものになってしまったかも知れません(^^;
この記事をこのまま私が執筆するとさらに異質な物になるかも知れませんので、もし良かったら適宜削除して下さいませ。。。Tekken 04:46 2003年11月26日 (UTC)
Tekken氏は自覚されているだけましだけど、他にもそんな風な記事いろいろある。客観ではなく、主観で入り込んでいるもの。 --以上の署名のないコメントは、218.222.50.196会話/Whois)さんが 2003年11月26日 (水) 15:03 に投稿したものです(GEN10による付記)。
こんにちわ。「他にもそんな風な記事」、ありましたらご指摘ください。私が手に負える範囲であれば、なるべくご期待に沿えるよう努力しますので(^^; --以上の署名のないコメントは、Tekken会話投稿記録)さんが 2003年11月26日 (水) 15:25 に投稿したものです(GEN10による付記)。

「政府広報オンライン」

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「政府広報オンライン」のオンライン広報というのがあるんですが、 http://www.gov-online.go.jp/etc/index.html によると、「著作権フリー」だということのようです。

バックナンバーの中には、出会い系サイトの規制法を扱ったものがありました。 http://www.gov-online.go.jp/publicity/tsushin/200310/topics_b.html 中立性を欠いていてそのままでは使えませんが、既にあるこの記事に付け足せそうな情報はあるように思いました。ご参考まで。Tomos 05:26 2003年12月4日 (UTC)

出会い系の由来

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出会い系という言葉の由来は、昔あった「じゃマール」という雑誌およびウェブサイトだというのをご存知でしょうか。出会い系はその中のカテゴリの名称のひとつだったのです。そこでのやりとりをきっかけに女の子が性犯罪に巻き込まれるという事件がいくつか発生し、出会い系という言葉がマスコミを通じて一気に広まったというわけです。当時はみんな顔写真とか載せて、ものすごく怪しい雰囲気が漂いながらも大盛況のサイトでした。衰退したのはやはり事件の影響が大きかったと思います。あと、じゃマールのメインコンテンツであった「売ります・買います」のコーナーが、Yahoo!オークションに取って代わられたというのも原因だったように思います。--Shipapa 2008年1月10日 (木) 08:04 (UTC)[返信]

「じゃマール」はリクルートホールディングス社が手がけていましたね。下火になったのは事件もそうですが、個人情報の問題も騒がれ始めてきた時期ではないかと。今は携帯の「プロフ」と呼ばれるサイトが、「じゃマール」のポジションを受け継いでいるのでしょうか。--Starbacks 2008年1月14日 (月) 06:00 (UTC)[返信]
その辺り、荻上チキ 2011 『セックスメディア30年史』という文献にたまたま記載されていましたので、加筆しておきました。機会がございましたらご一読の上で、私の記述した部分について、検証して頂けますと幸いです。後半の独自研究はさすがに除去すべきでしょうね・・・。--Hman会話2012年7月29日 (日) 12:19 (UTC)[返信]

男女限定ではない

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現在(2013年11月)の版では、冒頭で「不特定の男女がナンパや出会いをすることが出来るウェブサイトの総称」とありますが、ゲイレズビアン向けの出会い系サイトも1996年以前から存在しています。既に80年代にパソコン通信で同性愛者専用のコミュニティもありました。男女に限定するのはおかしく、「不特定の男女や性的マイノリティー」とすべきです。保護解除されたらその趣旨に修正されるべきです。--123.198.19.187 2013年11月26日 (火) 05:48 (UTC)[返信]

じゃマールではなく、ゲイ雑誌が由来

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本項出会い系サイト#概説に、「1995年に“出会い”を仲介する出会い系雑誌じゃマールが発刊され、市民権を得る」 「出会い系と言う言葉はこのじゃマールの中の一カテゴリーを発祥とする」と荻上チキさんの出典を添え述べられています。本ノート上節でも「じゃマールが出会い系の由来」といわれている方がいますが、それには疑問があります。

じゃマール創刊(1995年)より前のゲイ雑誌には、出会いを仲介する通信欄(ゲイ雑誌により呼称は様々)が設けられており、既に1960年に創刊された「風俗奇譚」(SM雑誌)には、同性愛専用ページがあり、そこに出会い欄はありました。1961年には同誌に同性愛者だけではなく、トランスジェンダーの出会いを仲介する「女装愛好の部屋」も常設されました(出典:三橋順子「日本女装昔話」第3回「1960年代の女装世界を語る雑誌『風俗奇譚』」より)。 

システムはじゃマールと同じで、プロフを投稿し、それを読んだ読者が編集部経由で手紙を出すというものです。これが日本の出会い系の始まりだったと思います。1970年代には薔薇族を始め、ゲイ雜誌創刊が相次ぎ、当然これらにも出会い欄が常設されています。さらに、1980年代後半以降、ゲイ雑誌には、伝言ダイヤルやダイヤルQ2の広告が掲載されており、そこでは「出会い」という言葉も使われています。因みにWEBサイトでも、ゲイ向け出会いサイト「メンズネットジャパン」が始まったのは1996年です。

じゃマールは男女に出会いを提供した雑誌としては嚆矢ということであり、ゲイには1960年代から雑誌の出会い欄で、恋人、友達、サークルのメンバー、時には結婚相手などを探すのは当たり前になっていました。じゃマールはゲイ雑誌がしていたことと同じことを、男女の世界で始めたということだと思います。編集保護が解除されたら、その旨、加筆しなければなりません。--123.198.19.187 2013年11月26日 (火) 05:48 (UTC)修正--123.198.19.187 2013年11月26日 (火) 05:59 (UTC) アカウントを作成しました。--Ceaqq3会話2013年11月26日 (火) 06:30 (UTC)[返信]

IP:123.198.19.187会話 / 投稿記録氏としての投稿記録を拝見して、以前から利用者:Ceaqq3会話 / 投稿記録氏が精力的にWikipediaの編集活動を続けてくださっているんだと分かりました。そこで、ついでに日本における同性愛などの変更履歴を見直してみたところ、もしかしたらCeaqq3氏はIP:121.103.29.67会話 / 投稿記録、IP:121.103.29.85会話 / 投稿記録、IP:121.103.6.203会話 / 投稿記録、IP:115.162.51.99会話 / 投稿記録利用者:Leoxaq会話 / 投稿記録氏とも同一人物なんじゃないか、という疑問を抱いてしまいました。いずれも東京都So-netのIPであるっていうだけじゃなくて、編集傾向や発言内容に類似性があるように思います。私の早とちりだった場合には謝罪いたしますが、同一人物だった場合には多重アカウントということになるでしょう。当該記事の編集内容とは直接には関係のないことですが、一応、こちらで関係各位にお伝えしておきます。--122.17.114.12/122.17.200.195/122.17.168.184 2013年12月14日 (土) 11:46 (UTC)[返信]
可変IP自体は良いのですが、「IPとアカウントaとアカウントbを使い分けている」のでしたら、ジャンルが被っております以上、明らかに違反行為です。もし事実なのであればこれはただちに正される必要があります。ただし、正されるまでの間は通常無期限ブロックが課せられますが、正された後にはブロックは解除され、爾後のペナルティはありません。なお、ここ5日ほど「利用者:Ceaqq3」アカウントでの活動が見えませんが、これが使いにくくなったからとIPや他のアカウントで活動をなされているのであれば、多くの場合「アウト」です。以上、念のためルールのご説明まで。ご本人がもしまだこのノートを見ておられ、かつもし問題となる行為を実際に行っていらっしゃるのであれば、善後策をお伝え致しますので、ご一報下さい。--Hman会話2013年12月14日 (土) 22:29 (UTC)[返信]

出典について(当時子供だった人に知ったかぶられたくない)

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利用者:Hmanさんいよって、不特定の相手に出会えるシステムは、ネット登場以前は伝言ダイヤルなどが担っていたという記述に、荻上チキさんの『セックスメディア30年史』の出典が添えられています。しかしそんなことは30代後半以上の世代なら誰でも知っていることです。青春ど真ん中でリアルタイムで利用していたわけですから。また同じようなことは宮台真司さんが先に言われています。彼は1981年生まれで、伝言ダイヤルが流行した80年代は小学生低学年以下です。そんな人に知ったかぶられたくありません。1999年にiモードが始まりそれ以降、携帯版の出会い系サイトが激増したことも20代後半以上なら誰でも知っています。これもリアルタイムで散々利用してきたわけですから。この出典添付はあなたかも彼オリジナルの知識であるかのようになってしまい問題だと思います。これらの記述に、敢えて出典は要らないと思います。--Ceaqq3会話) 2013年12月8日 (日) 05:47 (UTC)修正--Ceaqq3会話2013年12月8日 (日) 05:51 (UTC)[返信]

wikipediaの記事は外国語に翻訳されることがあります。また、500年後の方が読まれる場合もあるんです。ですから、検証可能性と出典は担保しなければいけません。あなたにとって常識だからといって、他の何十何百何千億の人類にとって常識と言う訳ではないのです。これはもう、基本のルールですので、文句があるならWikipedia:井戸端辺りでルール変更を提議してみてください。Wikipedia:コメント依頼でもいいですよ。私の一存はもとより、あなたが口喧嘩で私を負かそうが何をしようがルールは変わらんのです。なお、文献と言うのは、結局は誰かが書いています。ですがそれが著作者のオリジナル知識だと暗黙に見なす法はどこにもありません。「その本を読めば書いてあるよ」と紹介しているだけです。もし検証可能性を故意に低下させる行為をこれ以上継続させるのであれば、破壊行為と見なし記事の保全のため管理者への通報など必要な措置を行います点予め申し上げておきます。Template:Welcomeから案内されている各種方針の内容を熟読してください。以上です。--Hman会話2013年12月8日 (日) 20:37 (UTC)[返信]
なお、この節のタイトル自体が人身攻撃に該当します(しかもただの感情論)。もちろんその様なことはwikipediaでは禁じられています。こちらに関しましても、警告させて頂きます。まずはwikipediaのルールを把握し、それの範囲内で活動してください。--Hman会話2013年12月8日 (日) 20:39 (UTC)[返信]
当時子供だった人に知ったかぶられたくない、程度では少々感情論が混ざっているとはいえ、人身攻撃には当たりません。言いがかりというものです。1995年以降にPCが爆発的に普及し、1998年12月にはJ-PHONEスカイウェブが、翌1月にはドコモiモードが開始されたことは、それこそWikiで調べる事ができます。これ以降携帯版を含めた出会いサイトが激増したことも、敢えて出典を添付しなくても、500年後の人は解ると思います。出会い系サイトが何年から始まったかそれぞれ調べられるわけですし、荻上さんの本も500年後であろうと、電子化されて残ることでしょう。ついでに言えば、援交が問題になったのも90年代後半以降です。この箇所への出典添付は、この史実が、彼だけの知識であるかの如き印象を与え、非常に問題だと思います。絶対に必須とは思えません。私の編集を一方的に「検証可能性を故意に低下させる行為」「破壊行為と見なし記事の保全のため管理者への通報など必要な措置を行う」などと、脅迫めいた事をいうのは、それこを私への破壊行為であり、個人攻撃です。私の方こそ管理者への通報を行います。--Ceaqq3会話) 2013年12月9日 (月) 18:35 (UTC)修正--Ceaqq3会話2013年12月9日 (月) 18:42 (UTC)[返信]
はい、どうぞ行って下さい。ただしあなたの不適切な編集が指摘されるだけに終わる事でしょう。と言うか、相手の年齢・国籍・宗教などを考えて編集に当たる必要はありません。あなたの記憶や経験も必要有りません。必要なのはただ文献です。それ以外は不要です。--Hman会話2013年12月10日 (火) 00:55 (UTC)[返信]
また、管理者に相手にされない場合はWikipedia:井戸端Wikipedia:コメント依頼で第三者の意見を聞くことができます。あなたの口ぶりでは2000年当時で相当なお歳であり、現在はもっと相当なお歳でしょうから、こんなことは自明と思いますが、こういうものは第三者に入って頂いた方がスムーズにことが運ぶのです。何故か私のコトをとても若い人物であると判断して頂けておりますのは、少々嬉しいですがねw なお、私が「出典を除去するなかれ」とあなたの編集に異を唱えているにも拘わらずこれを強行されますと、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないをに抵触し、とどのつまりはWikipedia:投稿ブロックの方針のうち、8.1項「議論の拒否や妨害」の内、「議論を拒否」しての編集強行に相当します。繰り返しますが、検証可能性は低下させないでください。荻上文献にそう書いてあった事は全くの事実です。また、あなたの理論ではナニカに出典を貼る度に「この史実が、彼だけの知識であるかの如き印象を与え」るなどと言い出す輩が続出します。出典が1つも貼れませんわな。その様な印象を抱かせる可能性がある、と貴方が危惧するのであれば、解決法は簡単です。ソレが書いてある他の書籍を見付けてきて、荻上文献の隣に貼って下さい。出典の二重化・三重化は検証容易性を向上させますし、その論が普遍的であることをアピールします。あなたも「常識」と仰っているのですから、それが事実なのであれば、それに言及した文献は近傍の図書館ですぐに見付かるでしょう。もし見付からないなら、貴方の常識は社会の非常識だった可能性がありますので、今後はご善処ください。また、Wikipedia:個人攻撃はしないもご熟読ください。「個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難」は禁止されており、当然年齢も含まれるものと見るべきです。--Hman会話2013年12月10日 (火) 01:16 (UTC)[返信]
ぐだぐだ書かず、もっと短く簡潔に書いてください。あなたはかなり高齢者の女性だと思っており、若いとは全く思っていません。出典無効テンプレを貼られた報復に少年の部屋に「いつ」を貼らないでください。実に大人げないと思います。--Ceaqq3会話2013年12月10日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
報復でもなんでもありません。ある程度長期間刊行されていた/いる雑誌であれば、コーナーの変遷は当然あり得るんです。もしわかるなら何年何月号から何年何月号まで、と書くのがベストですが、そうでなければ「何年頃」でも構いません。これは有用な情報です。また、検証可能性にも寄与します。--Hman会話2013年12月10日 (火) 06:56 (UTC)[返信]
編集要約欄でも申し上げましたが、「表紙だけ見て勝手に想像した内容を書かない」、「本の著者が勝手に見落としたなどと想像しない」、「私自身がどうのこうのと言う独自研究は考慮しない」、以上は検証可能性・出典の明記を旨とし、独自研究を排するwikipediaでは「やってはいけないこと」です。どうかくりかえされませぬ様に。--Hman会話2013年12月10日 (火) 07:01 (UTC)[返信]
この節の最初のコメントでCeaqq3氏が「そんなことは30代後半以上の世代なら誰でも知っていることです」「20代後半以上なら誰でも知っています」と書いていますが、それはつまり、それらの情報を30代前半以下の世代や20代前半以下の世代は知らないかもしれない、と暗に認めているのではないでしょうか。であるなら尚更、出典の除去は好ましくないと理解していただけるはずです。また、「同じようなことは宮台真司さんが先に言われています」ということであれば、その出典を併記すれば済む話だと思います。--122.17.114.12 2013年12月10日 (火) 13:56 (UTC)[返信]

概説と歴史を分ける事について

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なお、概説と歴史を分ける事については既存の検証可能性を低下させない範囲で特に反対するものではありません。その範囲で再編集を行われる分には問題はありません。ただし、「じゃマール表紙には「出会う」「仲間募集」などの言葉は見られるが、「出会い系」という言葉はない。」ことを理由として出典を無効とはできません。大体なんで表紙だけしか見てないんですかと。中身は読んでないんですか。ネットで表紙だけ見たんですか?それじゃ何の意味も無いです。目次でも不足です。ちゃんと中身を査読して頂きたいのですが、ちゃんと隅々まで文献を読んだのですか?読んでないのですか?そもそも、何年何月号かの表紙も不明。更に、特定の号の表紙に記載されている・居ないで、真に記載されていたかどうかなんてわかるわけがない。ま、ウィキペディアン(素人)の判断より、査読された文献を上梓している荻上の判断が優先されます。荻上文献でそう記されている以上、原則的にはそう記します。ただし人間間違いはありますので、一次資料を査読の結果明らかに荻上が誤っていたなら、それはそれとして記せます。ただしその節には編集の前にこちらでご報告頂けると、スマートでしょう。また、仮にあなたがじゃまーるを出版から廃刊まで全部読んでみて「出会い系」もしくはそれに類似した単語で彩られたコーナーが全く皆無だったとしても、単純に記述を消す訳にはいかないのが、まあ一応作法です。だって「そういう説が有る」と紹介しているだけなのですから。せいぜいが脚註で「ただし、ウィキペディア編集者Ceaqq3の独自調査の結果、そんな記述は見当たらなかった」とするくらいでしょう。--Hman会話2013年12月8日 (日) 21:10 (UTC)[返信]

この項目は「出会い系サイト」であり、サイトとはネットワークサーバのウェブサイトのことです。当然出会いサイトといえば、WEB上のサービスを指します。雑誌の出会い欄や伝言ダイヤルなどを含めた、出会い系媒体やその歴史トータルについての項目ではありません。現状は、出会いサイト登場前の出会い系媒体や手段の概説になっており、これには疑問を感じます。
やはり==歴史節==を設け、そこに前史として記載すべきではないでしょうか。それと出会いという言葉についてですが、じゃマール創刊前の薔薇族1994年12月号などで使われています。男女のQ2などの広告にも使われていた可能性が高いと思います。--Ceaqq3会話) 2013年12月9日 (月) 18:35 (UTC)修正--Ceaqq3会話2013年12月9日 (月) 18:50 (UTC)[返信]
はい、それでは「出会い系サイト」に至るまでの歴史の節を作る方向で検討しましょうか。ただしwikipediaはある意味、わかればいいので、実は現状で困る訳でもありません。なんやかんやの部分が歴史を語っているのは明白ですからね。ですから私もわざわざ歴史節を作る事をしなかったんですよ。ただし、作ってもいいんです。どっちでもいいんですよ。
また、「男女のQ2などの広告にも使われていた可能性」と言うのは、ただのあなたの想像ですので考えません。ですが、実際に薔薇族の1994年12月号をお持ちである(そうですよね?)あなたが、まあ下心の意味での「出会い」コーナーの存在を確かに確認した。これは結構です。えーwikipediaでは基本的に二次資料を中心として書く事になっていますので、基本的には、現在ではまあ二次資料が荻上文献しかありませんのでそれを準拠に書きます。が、当然見落としはあり得ますので、一次資料の薔薇族を添えるのも問題はありません。「ただし薔薇族1994年12月号にも同様の記述が見られる」などと添えておくくらいになるでしょう。なお、出典無効は検証の結果、荻上文献が記事の内容を担保していなかった場合二用いるものです。いちど使い方の説明を見て下さい。荻上が正しいかどうかをあなたが判断して貼付するテンプレートではありません。私が荻上文献から正しく引っ張ってきたかを検証の上で、私が正しく引っ張れてない時に貼付する(そして他の出典を求める)テンプレートです。一度使用法をご覧の上で、先ずは荻上文献をご覧ください。「雑誌」の参照は大変ですが(私が薔薇族を参照しようとすると何千円かかるかわかりあmせん)、単行本であれば図書館で容易に取り寄せができます。近傍に有れば無料、遠隔取り寄せでも数百円ですから。そして是非、私が正しく引いており、出典無効が不適切であることをご確認ください。--Hman会話2013年12月10日 (火) 00:53 (UTC)[返信]
それともう一点。今回お答え頂けませんでしたが、結局読んだのか(使われて居ないと言い切るなら、図書館等で全号、隅々まで読破でもしたのですか?)、表紙だけで判断したのかどちらなのですか?それによって記事に盛り込むべき内容は当然異なってくるわけですので、正しくお答え下さい。読んでないなら読んでないで構いません。もちろん以後そんなことは謹んで頂く必要はありますが、読んでないなら読んでないなりのコトしか書けない、以上のものではないです。--Hman会話2013年12月10日 (火) 01:04 (UTC)[返信]
当初、「“出会い系”という言葉はこのじゃマールの中の一カテゴリーだった」とあったのを、無効テンプレが貼られてから、“出会い”という言葉に変更しています。正確には荻上本にはどう書いてあるのでしょうか。ソースは貴方が勝手に改竄することは許されません。書いてある通りの記述にすべきであり、正確な文言を引用してください。取り敢えず「出会い系」に戻します。--以上の署名のないコメントは、Ceaqq3会話投稿記録)さんが 2013年12月10日 (火) 05:12 (UTC) に投稿したものです。[返信]
まず、質問に答えて頂きたいのですが。「表紙だけ見て想像で書いた」のですか?
文献での記述は「出会い系」であったと記憶しています。が、「系」があろうがなかろうがこの場合はあまり重要ではありません。そういう場をが実際に供給されていたかが問題ですし、そもそも私が行っているのは事実の担保であり、引用ではありません。また、記事内に「私」がどうこうとかは絶対書かんでください。あなたの経験や感想は要りません。wikipediaでは文献以外の情報を要しません。Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:独自研究は載せないを守って下さいね。--Hman会話2013年12月10日 (火) 06:45 (UTC)[返信]
なお、参考になされた文献は改めて巻末にまとめておかれると、検証や調べ物をなさられる方に便利です。ウィキペディアに書いた文書は基本的には検証・査読などが行われるものと思って下さい。--Hman会話2013年12月10日 (火) 06:47 (UTC)[返信]
重要だろ。「そういう場が実際に供給されていたか」の説明・出典ではなく、「出会い系という“言葉”」についての説明であり、その言葉はじゃマールが発祥ということだからだ。当初のHmanさんの編集では、「なお、『出会い系』と言う言葉はこのじゃマールの中の一カテゴリーを発祥とする」[1]とはっきり書いてあります。この種の出会いの場があったかではなく、出会い系という言葉がじゃマール発祥だとあなた自身が書いている。荻上さんの本は読んでいないので、是非その部分をネットにUPしていただければ助かります。その部分だけのUPなら著作権問題も生じません。
その後あなたは、私がゲイ雑誌や風俗奇譚誌で1960年代からじゃマールと同じシステムの出会い欄があったこと、ゲイのツーショットの広告で「出会い」という言葉が使われている事実を出典付きで示され、出典の信憑性も下がることから都合が悪くなり、「出会い系という言葉」から「出会い」「出会いの場」に摩り替え始めたのです。仮に「出会いの場が供給されたこと」であったとしても、風俗奇譚で1960年代に、薔薇族で1971年創刊号からそれは存在しており、「じゃマールが発祥」というのは事実ではなくなります。「異性愛者の男女間では、雑誌という媒体においてはじゃマールが最初」ということだと思います。--Ceaqq3会話) 2013年12月10日 (火) 10:18 (UTC)修正--Ceaqq3会話2013年12月10日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

まず私の質問に答えて下さい。 あなたはじゃまーるを読まずに「表紙だけ(ネットで?)見て想像もしくは妄想で書いた」のですか?--Hman会話2013年12月10日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

コメント依頼から参りました。まず、出会い系サイトの発祥について。鹿島茂は著書『パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ』のなかで、酒井潔『巴里上海歓楽郷案内』に言及しつつ、「酒井潔が次に紹介する隠れ売春は、新聞の三行広告(フランス語では、これを「プティット・ザノンス 小広告」という)の「交際欄」を利用したもので、これなどは、文字通り出会い系サイトの元祖である」と書いていました。なので、(出会い系サイトの前史としての)「出会いの場」の発祥に関しては、『風俗奇譚』か『じゃマール』かっていう問題ではないような気がします。
次に、「出会い系」という言葉の由来について。Ceaqq3氏は「じゃマール創刊以前のゲイ雑誌のツーショットダイヤルの広告などに「出会い」という言葉が使用されているのが確認できる」(脚注に「薔薇族1994年12月号「僕らの出会い」P502「出会いのチャンス…」P503など」)と加筆なされました。しかし「出会い」というのは単なる日本語の単語でしかないですし、現在の版のままでは「出会い系」という呼称がゲイ雑誌の広告の「出会い」にも由来しているのかどうかが分かりません。この点をもう少し詳らかにしてくださると、残しておく価値のある記述になると思うんですが、いかがでしょうか。--122.17.114.12 2013年12月10日 (火) 13:56 (UTC)[返信]
コメントを頂き、誠にありがとうございます。酒井潔『巴里上海歓楽郷案内』は国会図書館で電子化されており、閲覧可能ですね。122.17.114.12氏は現在鹿島文献をお手元にお持ちでございましょうか。もし可能で有れば、酒井文献に言及されている箇所のページ番号をお教え頂けませんでしょうか。ちょっと足を伸ばせる図書館にはございませんでしたので、コピーサービスで確認の上、記述したいと思います。ただしこの記事はあくまで、日本の、現代で言うところの出会い系について言及している記事でございますので、冒頭で少々触れる程度になることかとは存じますが・・・。言わば、とても取り扱う範囲の狭い記事でございますね。もう少し広い範囲で「出会い」について扱う記事があれば、がっつり書き込むかたちになるのでしょう(いずれできるかもしれません)。大変有意義な情報をありがとうございました。先ずは御礼まで。--Hman会話2013年12月10日 (火) 14:25 (UTC)[返信]
同じくコメント依頼からです。前史としてIP122.17.114.12さんのコメントにある「出会いの場」の発祥については同意です。古くから不特定相手との「出会いの場」としては、雑誌や新聞の文通コーナーや文通クラブがあり、それが現在の出会い系サイトにつながっているのだと思います。(すみませんが、裏付けとなる文献を調査する時間や意欲がないので、ここに書くだけとさせてください)文通の関連項目には「出会い系サイト」が『元々はインターネット版のメール相手探しの色が強かったが、一部業者によってアダルト色が強められていたり、あるいは詐欺的なものも生まれ、社会問題化した。』という解説付きで書かれていますし、メル友にも同様の記述があります。直接根拠となる文献を示せずに申し訳ありませんが、傍証としてわたしが・棄てた・女では1963年に芸能雑誌の文通欄から見知らぬ男女が知り合うことが書かれており、少なくともその時点では現代の出会い系サイトと同じような使われ方がされていたと言えるでしょう。なお、Ceaqq3さんが書いている内容はかなり日本における同性愛#戦後と重複しており、前史としてはそちらを参照する形にすれば良いと思います。『もう少し広い範囲で「出会い」について扱う記事』はあればうれしいですね。1940年のアメリカ映画en:The Shop Around the Cornerでも、新聞から文通を始めたカップルが描かれており、インターネットが現れるまでは日本だけでなく広く文通が「出会い」の場であったことがうかがえます。--アルビレオ会話2013年12月11日 (水) 02:24 (UTC)[返信]
なるほど、もちろん現時点で相応の文献無しに書くわけには参りませんが、出会い系の発生に至るまでの前段階として「文通」がございますことは、当然考え得ることでございますし、既に何らかの文献で言及されている可能性もございますよね。私の直接アクセスできる図書館はせいぜい4,50箇所に限られますが、せめて検索でだけでも当たってみようと思います(具体的にどの様な本をめくればいいのかが非常に難しいのが問題ですが・・・何せ私は現役を退いており、昔の様に金と時間に糸目を付けず絨毯爆撃、と言う訳にも参りません立場でもございまして)。「文通」と言った側面からも出会い系の前史に軽く触れられるかたちになれば、より充実した物になることでしょう。そこは私も盲点となっていた部分で、実際に組み込めるかは難しい意味もございますが、素晴らしいアイディアを頂けました事に御礼申し上げます。--Hman会話2013年12月12日 (木) 17:16 (UTC)[返信]
上のコメントで鹿島茂『パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ』(角川ソフィア文庫、2013年)を引用した際、たしかにページ番号を書いておりませんでした。ごめんなさい。「酒井潔が次に紹介する隠れ売春は、新聞の三行広告(フランス語では、これを「プティット・ザノンス 〈小広告〉」という)の「交際欄」を利用したもので、これなどは、文字通り出会い系サイトの元祖である」という一文は101ページに書かれています。「酒井潔『巴里上海歓楽郷案内』」というタイトルは98ページに書かれています。両方とも「一九二〇年代パリの出会い系サイト」という章(98ページから106ページまで)のなかにあるので、コピーサービスで確認されるのでしたら、この章を丸ごとコピーしたほうがよいかもしれないです。取り急ぎ、ご連絡いたします。--122.17.114.12/122.17.200.195 2013年12月11日 (水) 13:47 (UTC)[返信]
122.17.200.195氏、重ね重ね、貴重な情報をありがとうございます。現在早速、某図書館にコピーサービスについて問い合わせ中です(貸し出し中などと言った事態もございますため、はしごをしてみたり、数ヵ月待ってみたり、最悪amazonで買う事になってしまうかもしれませんが)。いずれ情報が手元に届きましたら、前後関係と本記事の趣旨を重々検討の上で記事に盛り込ませて頂こうと思います。私一人では恐らくまずもって出会えない情報・文献であったでしょう。深く御礼申し上げます。--Hman会話2013年12月12日 (木) 17:16 (UTC)[返信]
どうも、しばらくです。鹿島茂『パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ』でございますが、非常に有益な文献と判断しましたので、地元の図書館に「購入リクエスト」を出し、それ待ちとなってございまして、仕事が少々遅れております(数百円なんだからもう買っちまえよ!と言うご意見もございますでしょうが、書庫がもうパンパンで、なかなか踏ん切れません)。大変申し訳ございません。そのかわりと言ってはなんですが、何冊か別の文献も仕入れておりまして、より広範な加筆が可能な「準備」は整いつつございます。ただ私はやむなく出張ってはおりますが一応引退した身でございまして、「いっそ全部書き換えてGAに持っていく」までするリソースはございませんので、その辺りはご容赦をば・・・。以上、現況報告まで。--Hman会話2014年1月15日 (水) 19:07 (UTC)[返信]

保護のお知らせ

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いったん保護しました。Ceaqq3さんは、Hmanさんが案内している方針、特に独自研究についてご理解ください。--Ks aka 98会話2013年12月10日 (火) 07:46 (UTC)[返信]

お手数をおかけします。ただし、私もWikipediaにそうそう時間はかけられませんので、これで収まらないなら。もうただただ放置するしかありません。記事の体裁を維持するためのご協力をお願い致します。--Hman会話2013年12月10日 (火) 07:49 (UTC)[返信]

取り敢えず、保護ご苦労さまです。Ks aka 98さんが管理者でしたら、是非とも公平なご判断、ジャッジを賜りたく存じます。と言いますのは、保護されている版の「出会い系サイト規制法」の節で、「2009年2月1日の通称・出会い系サイト規制法改正以降、日本国内で運営されている無料もしくはオープンな掲示板式の出会い系サイトは事実上消滅した。」とあります。これはHmanさんによると荻上さんの本にそう書かれているそうです(実際のところは判りません。Hmanさんは出典の引用を自分に都合よく変えることがあるからです。上節のノート:出会い系サイト#概説と歴史を分ける事について参照)。しかし、宣伝になるのが嫌なのでURLは貼りませんが(ゲイではない人が興味本位でゲイ出会いサイトに覗く危険性があり、ゲイ利用者が迷惑を受けるからです。)、1996年に開設し、4億5817万以上のアクセスを記録している日本最大のゲイ系出会いサイトの一つは、今も存在しています。これは、無料もしくはオープンな掲示板式の出会い系サイトであり、私も先日利用したばかりです。「消滅した」というのは客観的事実に反します。ゲイ雑誌の出会い欄の存在を見落とすことを含め、荻上さんの本は詰めや事実検証がとても甘いようです。この本に書かれている以上は出典として使えはするのでしょうが、こういう人の本を『百科事典』の出典として用いることに大いに疑問を感じます。消滅せず、存在しているのだから、「2009年2月1日以降、営業の公安委員会への届け出義務や、利用者が未成年ではないことを証明するための免許証やクレジットカードなど個人確認が義務化された」という記述のみに留めるべきだと思います。Ks aka 98さんは如何お考えでしょうか。--Ceaqq3会話2013年12月10日 (火) 10:18 (UTC)[返信]

「事実上」消滅したと書いてあるんですけど。つまり、ほとんどなくなった、とね。もちろん、あなたが利用したかどうかは考慮する必要はありません。それはただの独自研究です。無料掲示板形式を取っているゲイ系出会い系サイトについて言及のある文献があるなら、あなたはそれを、ただし云々、と言ったかたちで加筆することができます。あなたは書きたい事を書いてるだけです。文献に担保されたコトしか書いちゃ駄目なのがウィキペディアです。とにかく、これまで案内した方針を熟読してください。そして励行してください。あらゆるサイトで、参加者には、サイトのルールを遵守することが求められているはずです。--Hman会話2013年12月10日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
事実上はとあっても、消滅という文言の強さから受ける印象からして、この言葉には問題を感じます。荻上さんの本は詰めがやはり甘いと思います。それと貴方が私の投稿ブロック依頼を出されたことに驚き、私も同様の措置を取らせていただきました。--Ceaqq3会話2013年12月10日 (火) 11:40 (UTC)[返信]
あとは上の節の質問に答えて頂いてからとします。--Hman会話2013年12月10日 (火) 11:41 (UTC)[返信]
現在の版には(「出会い系サイトは消滅した」ではなく)「出会い系サイトは事実上消滅した」と書いてあるんで、今のままで問題ないでしょう。Ceaqq3氏ご指摘のゲイの出会い系サイトは知りませんが、それについて言及している文献(信頼できる第三者情報源)をお持ちなら、それを出典に用いて、たとえば「ただし、XXというゲイの出会い系サイトはXXXX年時点でも利用が続いている」といったかたちで加筆されるとよいと思います。
いずれにしても、Ceaqq3氏はWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性を読んでいただけますでしょうか。--122.17.114.12 2013年12月10日 (火) 13:56 (UTC)[返信]
Ceaqq3氏の発言を見る限り、現管理者以外の意見に(各種ルール・ガイドラインに沿ったものであっても)従うつもりはないようですから、Hman氏や我々IPなどによる、これ以上の議論・会話は無駄だと考えます。保護終了後に問題が解消されないようであれば、その時に対応を考えましょう。--210.251.247.146 2013年12月13日 (金) 01:45 (UTC)[返信]
丸3日ほどレスも無いことですし、もし保護終了時までに有効な文献を伴った、かつ方針を遵守した反論が先方により行われない場合、差しあたり現行の記述を正当なものとし、後日資料が手に入れば(どうしても少々の時間がかかってしまいます。現在図書館と交渉中です)122.17.114.12/122.17.200.195氏にご紹介頂いた鹿島文献、酒井文献の言及を軽く加筆する、と言うかたちで参りますことを提案します。アルビレオ氏ご指摘の「文通」については、私が現役であったとしても割と文献探索で途方に暮れるものの感じでございますので(理系の本は見付けやすいのですが、文化系の資料って、本当に探しにくいんです・・・三式戦闘機の切手の所とか・・・)、今回のところはノートに残しておくにとどめ、機会があればの宿題とさせてください。引退した身の上でございますが、書き散らかした記事のメンテナンスはこう、なんですか、自分の名前も出ちゃっておりますので、機を見てぼちぼちと行っておりますので、もし文献に巡り会えましたらいずれなんとか・・・。--Hman会話2013年12月13日 (金) 04:54 (UTC)[返信]
文通については、当面関連項目に入れておけば良いかと思います。メル友もあった方がよさそうです。--アルビレオ会話2013年12月13日 (金) 06:08 (UTC)[返信]
そうですね。それは良いアイディアだと思います。関連していることは明らかですし、そこにまで出典が求められることはないでしょう。「ウィキペディアの記事は永久に書きかけ」と言うことで、読者の方には当面お許し頂くということで・・・。それにしても今回コピーサービスを依頼している図書館は、手続きがややこしくて困ります(個人からの直接のリクエストには応じておらず、私の住む自治体の図書館を通して依頼する必要がある)。このため、実際の改稿は当初の予定よりは遅れることになりそうです。年内(保護解除直後)は厳しそうですね^^;--Hman会話2013年12月13日 (金) 14:53 (UTC)[返信]

「日本以外の出会い系サイト」の除去について

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表記の件について。「日本以外」とあるのになぜかサウジアラビアの例(それも出典無し)しか書かれていない。またここに書かれてあったサイト自体は存在しているようだが、検索しても個人サイトしかヒットせず、その多くはWikipediaを出典にしている模様。よって一旦削除しました。--NOBU会話2014年6月23日 (月) 13:00 (UTC)[返信]

結構な措置であると思います。WPに書いてある事を丸呑みで信じてしまう方々も少なくないのですから。--Hman会話2014年6月24日 (火) 10:40 (UTC)[返信]
ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則 キャストのエイミー・ファラ・ファウラーのところを見ると、アメリカでも「出会い系サイト」が使われているようです。訳者が意訳している可能性もありますが。ご参考まで。--アルビレオ会話2015年1月19日 (月) 00:04 (UTC)[返信]