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ノート:佐久地域

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出典とされている文献で確認できない記述

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利用者:Sakusakusaku1234会話 / 投稿記録さんのこの編集で加筆された「柵が佐久になったという説」ですが、出典とされている書籍ではこの記述が確認できませんでした。

Sakusakusaku1234さんの編集では書籍タイトルが不完全である上、著者名やISBNの情報がないのですが、タイトルや出版社、出版年月日からすると、出典として挙げられているのは以下の書籍だと思われます。

  • 市川武治、『佐久地方の地名と語源 ― ふるさとの地名探訪』、郷土出版社、1988年9月発行、ISBN 4-87663-119-0

Sakusakusaku1234さんの編集では、この書籍の何ページ目に「柵が佐久になったという説」が出ているのかが示されていませんでしたので、ざっと全体を見てみました。しかしこのような説についての言及はありませんでした。

私の見落としという可能性は残りますが、おそらくこの本に「佐久」の語源に関する情報は出ていないだろうと思われます。というのも、この本の冒頭「はじめに」の節に以下のような記述があるからです。

「……当初は恐らく(中略)生存上欠かせない対象物から命名が始まり、佐久・浅間・千曲などは最も古いもので、文化の進んだ後世と異なり単純な命名ゆえ、いたずらに複雑なその語源追究など、必要ないと思われます。」
市川武治、『佐久地方の地名と語源 ― ふるさとの地名探訪』、郷土出版社、1988年9月発行、ISBN 4-87663-119-0、2ページ。

つまり「この本では、命名時期が古そうな、広い地域を指す地名(具体的には佐久とか浅間とか千曲とかいったもの)の語源については扱いません」と巻頭言で述べているわけです。これでもし本文のどこかに佐久の語源が出ているとしたら、巻頭言と矛盾してしまいます。

というわけで、該当箇所に出典無効テンプレートを貼りました。この記述が出ている出典をご存知の方は、情報の提供をお願いします。

出典が提示されない場合は、一ヶ月程度を目途に記述を除去します。--侵入者ウィリアム会話2017年5月13日 (土) 10:59 (UTC)[返信]

報告 Qurren会話)と申します。『佐久地方の地名と語源』を確認しましたが、内容は地域内の細かな地名を扱ったもので、佐久のような大きな括りの地名に関する詳しい記述はありませんでした。当該の文章の出典としては不適切と判断します。
「佐久」の由来が「柵」から来たとする説自体は『角川日本地名大辞典』(20巻516ページ)や平凡社『日本歴史地名大系』(20巻58ページ)に記載される程度には知られているものですが、「大化4年(642年)『柵を設け蝦夷に備う』」という部分を裏付ける記述はありませんでした。『北佐久郡志』[1]や『佐久市志』[2]、『新しなの地名考』[3]、『長野県の地名その由来』[4]も確認しましたが、「柵」から来たとする説自体の記述はあるものの、「大化4年(642年)『柵を設け蝦夷に備う』」を裏付ける記述はありませんでした。
そもそも「佐久」という地名の由来に関しては「佐久郡」の項目で述べられておりますので、本項目「佐久地域」で詳述する必要はないと考えます。よって、#「さく」の語源について節は除去しても差し支えないでしょう。#「さく」の発音について節の記述も「佐久郡」の項目にありますので(独自研究的ですが)、本項目に必要な記述とは思えません。
最後に、利用者:Sakusakusaku1234さんについてです。以前から神道もしくは長野県特に佐久地域に関する記事の編集をなさっておいでですが、動植物の記事にトリビア的な一文を追加したりすることが多いようで、すぐに別の利用者によるリバートがなされることも多いようです(ざざむしはちのこハツタケなど)。出典の明記の仕方も独特で、今回のような誤りや不十分も見られます。2015年9月15日のアカウント取得以降、1日1回の編集を続けているにも関わらず、ノートページの編集は一度もありません[1]。ご本人の会話ページに多くのメッセージや問い合わせが寄せられているにも関わらずです。1日1回の編集を欠かさないことを考えると、当然他の利用者からの呼びかけには気付いているでしょうから、一貫して無視し続けているとしか考えられません。これは対話拒否と受け取られかねないもので、こういった姿勢は改めて頂きたいものです。--Qurren会話2017年6月10日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

報告 Qurrenさん、調査どうも有難うございました。とりあえず無効な出典のところをコメントアウトしました(差分)。私はこの地域に疎く、また地理関係の記事のスタイルにも詳しくありませんので、今後の編集方針につきましては他の方々にお任せします。

【補足】詳しくないのにも関わらずこの記事を編集したきっかけを説明しますと、この記事がYahooサーチへのリンク(Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクに該当)を含んでいたためです。ちょうど某長期荒らし対策を主目的としてYahooサーチへのリンクを検索・除去していた(例1, 例2)ところでした。この記事のYahooサーチへのリンクを置き換える際に出典のページ番号が抜けていることに気が付き(差分)、翌日に図書館でページ番号を確認しようと思いつき、実際に『佐久地方の地名と語源』を閲覧してみて出典が無効らしいことに気が付いた次第です。--侵入者ウィリアム会話2017年6月12日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

報告 お疲れ様です。差分から、どうやら出所は『明治百年記念岩村田歴史年表』のようですが、こちらのブログを読む限り、あくまで柵が造られたという事実が記載されているだけのようです。この事実が本書において、「佐久」の地名の起こりに結びつくものとして記載されているものでなければ、「柵」から来たとする説を裏付ける出典としては扱えません。いずれ確認の上、必要により佐久郡の方に記載したいと思います。--Qurren会話2017年6月12日 (月) 22:41 (UTC)[返信]
確かにそうですね。「佐久の語源が柵だという説がある」と「大化4年に柵を設け蝦夷に備えたという記録がある」とを合成して「佐久の語源は大化4年に作られた柵だという説がある」と記述してしまうのは、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当します。
『明治百年記念岩村田歴史年表』をNDLサーチとカーリルローカルで検索してみました。県立長野図書館と小諸市立図書館には収蔵されているようですが、首都圏の国公立図書館には一冊もありませんでした。記述の確認、すみませんがどうぞよろしくお願いします。--侵入者ウィリアム会話2017年6月13日 (火) 13:45 (UTC)[返信]
報告 『明治百年記念 岩村田歴史年表』[5]を確認しました。出典で「5頁」とありましたが、正しくは「4頁」です。当該部分を引用しますと、「六四八年大化四年|斉明天皇の時代柵を設け蝦夷に備う(木戸在家・上木戸・卯木々根の遺名あり)」とだけありました。斉明天皇とは原文ママですが、孝徳天皇の誤記でしょうか。「木戸在家」・「上木戸」・「卯木々根」といった佐久地域内に見える地名が柵から来た(遺名)とする記述はありましたが、「佐久」が柵から来たとする記述は存在しないことを確認しました。
本書は佐久地域における縄文時代から大正元年(1912年)までの出来事を年表形式で簡潔にまとめたものです。最後までざっと読んでみましたが、地名の由来を考証するような突っ込んだ内容は記載されておりませんでした。大化4年というと磐舟柵が築かれた年ですが、関東地方と碓氷峠を挟んで接する佐久にも同じような柵が築かれ、柵→佐久になったとする見方があるようです[2]。前出の『佐久市志』や『北佐久郡志』、『新しなの地名考』などを読み比べましたが、佐久の由来については諸説あれども一つの定説はないという考えが主流のようです。
今回の調査で、Sakusakusaku1234さんによる出典の明記はあてにならないことがわかりました。これまでの編集内容を確認し、出典と照合して適宜修正を行ってまいります。--Qurren会話2017年6月17日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
承知しました。詳しい調査、本当に有難うございました。--侵入者ウィリアム会話2017年6月27日 (火) 13:01 (UTC)[返信]

脚注

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  1. ^ 北佐久郡志編纂会編『北佐久郡志 2 歴史篇』国書刊行会、1983年、89ページ。
  2. ^ 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 歴史編 1 原始 古代』佐久市志刊行会、1995年、476ページ。
  3. ^ 信濃毎日新聞社編集局編『新しなの地名考』信濃毎日新聞社、1975年、25 - 26ページ。
  4. ^ 松崎岩夫著『長野県の地名その由来』信濃古代文化研究所、1991年、90 - 92ページ。
  5. ^ 岩村田史談会編纂『明治百年記念 岩村田歴史年表』佐久市浅間公民館、1968年、4ページ。