ノート:交響曲第4番 (ショスタコーヴィチ)
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次の一文について伺います。
- 最晩年にショスタコーヴィチは「プラウダ批判の後、政府関係者が懺悔して罪を償えとしつこく説得したが拒絶した。代わりに交響曲第4番を書いた。若さと体力がプレッシャーに勝ったのだ。」と証言しており、したたかな彼の一面が窺われる。
とありますが、前後の文脈から見る限り、強調部分は「第4番」ではなく、「第5番」でなければおかしいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--間久部緑郎 2008年10月6日 (月) 02:47 (UTC)
プラウダ批判は1月と2月、第4交響曲の完成が5月なので、4番だとも考えられるのではないでしょうか。5番のほうは「懺悔して作風を改めます」と表明しているようにも聴こえるので、4番か5番かは何とも言えないように思います。とりあえず{{要出典}}を貼って出典を求めてみるのはどうでしょうか。--Gruppetto 2008年10月13日 (月) 13:35 (UTC)
- 2021-07-11T16:55:07Z時点における版で、この記述に文献が示されています。この版の加筆では同じ本に1993年版と2000年版があることになっています。おそらくISBN 5852852317のことだと思うのですが、この本には2000年に出た版があるのでしょうか。1993年版の299ページにもそれらしい記載はあるのですが、「プレッシャーに勝った」にあたる単語がどれなのかわかりません。これは意訳なのか、2000年版の299ページは記述が異なっていて、そちらには「プレッシャー…」にあたる単語があるのか、どちらも可能性があります。後者であれば、2000年に出た版を見つけ出そうと考えています。よろしくお願いいたします。--西村崇(会話) 2025年1月21日 (火) 00:00 (UTC)
- 「プレッシャーに勝った」なる文言は、2008年9月20日にIP利用者によって書き加えられたものです[1]。翻訳として正確ではない可能性が高いでしょう。私が出典を加えたのは千葉潤『ショスタコーヴィチ 人と作品』にほぼ同じ内容があり、そこで出典として示されていた参考文献をそのまま書き写したものです。そこで2000と書いてあったのでそう書きました。という訳でIP利用者が書いた文言を千葉氏の翻訳の引用に修正しました。ここには「プレッシャー」という言葉はありません。この千葉氏の翻訳が93年版と比較しても違和感がなければ、あえて2000年版を探す必要はないと思われます。--Gruppetto(会話) 2025年1月21日 (火) 17:20 (UTC)
- 対応いただきありがとうございます。またローレル・E.ファーイ『ショスタコーヴィチ ある生涯 改訂新版』がПисьма к другуの1993年版を(486ページ)、千葉潤『ショスタコーヴィチ』は2000年版を(資料篇27ページ)それぞれ根拠としており、2021年の投稿ではそのまま書き写したため、同じ文献の2つの版が1つの投稿で同時に使われている状況になった、という経緯は理解しました。ただ、2021年の投稿段階で、日本語文献を出典とした上で、発言や事実関係が違っている部分は引用で示すなり修正するなりすれば、この混乱はなかったのではないかと思います。
まず2021年時点で、晩年の発言部分には複数の問題がありました。「プレッシャーに勝った」の件はひとまず措くとしても、2回あったプラウダ批判のどちらを指しているのかわかりません。Письма к другуの299ページではどちらなのかは明示されていますし、千葉潤氏の日本語文もそうなっています。ロシア語文を読むと、この発言は、プラウダ批判が「音楽の代わりの支離滅裂」(千葉潤、190ページ)であるのを意識し、あえて同じ「代わり」という単語を使って「懺悔の代わりに、私は交響曲第四番を書いた」(同)と言っているのだろうと思われます。であれば、どちらのプラウダ批判なのか明示しないと元のニュアンスは伝わりません。2021年時点で、発言部分を書籍に合わせて修正するべきだったのではないでしょうか。
また「ペンをくわえてでも作曲}の部分は、藤岡啓介・佐々木千恵訳では「両手を切り落とされたら」です。Письма к другуの9ページ、Laurel Fay "Shostakovich: A Life" 1999の92ページでもこれにあたる単語が使われています。体制側が本当にそういうことをやりかねない、という危機感があって選んだ単語だと思います。現在の訳ではそこは伝わらないのではないでしょうか。
全般にこのПисьма к другуがおおもとになっている箇所は、出典の示し方以前に、記述に難があると思います。レンジンのくだりは『ショスタコーヴィチ ある生涯 改訂新版』でまとまった記述を読んで、初めてどういう経過だったのかわかりました。無理に短く縮めようとしているために、かえってわかりにくくなっているように思います。
私は単に、第4番を聞いていて、何が問題になったのか思い出せなかったので、ウィキペディア日本語版のこの項目を読んだ者です。百科事典の使い方としては普通だと思います。ところが、ウィキペディア日本語版を読むとこのように謎が増え、何冊も余計に本を読まなければならなくなります。昔の話ですが、ノート:ヨシフ・スターリン#エピソードでは謎の「証言」連発に苦しめられたことを思い出しました。今回の件も、この経験で学んだことをすっかり忘れ、うっかりウィキペディア日本語版を調べものに使ってしまった私の方に問題があったのだと思います。--西村崇(会話) 2025年1月26日 (日) 00:00 (UTC)- 問題があるとお考えならご自身でより良くなるよう記事を編集すれば良いのであって、ノートページで長々と文句を言う必要はないと思います。そして「うっかりウィキペディア日本語版を調べものに使ってしまった私の方に問題があった」とお考えなら、もうこの記事には関わらず見ないようにした方が良いでしょう。--Gruppetto(会話) 2025年1月26日 (日) 05:06 (UTC)
- 対応いただきありがとうございます。またローレル・E.ファーイ『ショスタコーヴィチ ある生涯 改訂新版』がПисьма к другуの1993年版を(486ページ)、千葉潤『ショスタコーヴィチ』は2000年版を(資料篇27ページ)それぞれ根拠としており、2021年の投稿ではそのまま書き写したため、同じ文献の2つの版が1つの投稿で同時に使われている状況になった、という経緯は理解しました。ただ、2021年の投稿段階で、日本語文献を出典とした上で、発言や事実関係が違っている部分は引用で示すなり修正するなりすれば、この混乱はなかったのではないかと思います。
- 「プレッシャーに勝った」なる文言は、2008年9月20日にIP利用者によって書き加えられたものです[1]。翻訳として正確ではない可能性が高いでしょう。私が出典を加えたのは千葉潤『ショスタコーヴィチ 人と作品』にほぼ同じ内容があり、そこで出典として示されていた参考文献をそのまま書き写したものです。そこで2000と書いてあったのでそう書きました。という訳でIP利用者が書いた文言を千葉氏の翻訳の引用に修正しました。ここには「プレッシャー」という言葉はありません。この千葉氏の翻訳が93年版と比較しても違和感がなければ、あえて2000年版を探す必要はないと思われます。--Gruppetto(会話) 2025年1月21日 (火) 17:20 (UTC)