コンテンツにスキップ

ノート:三河弁/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

例文

「携帯の電波、入らんくない?」という例文がありますが、「入らんことない?」としたほうがより三河弁らしいように感じますがいかがでしょうか。三河の人間でないので遠慮してノートにて。mononohazumi 2005年10月14日 (金) 10:03 (UTC)

・・・だら、・・・だらあの説明文は遠州弁のページと同じ説明文にしています。
僕が住んでる地域(静岡県西部地方)では「~ことない?」は使いませんので、遠州弁と共通させるために、例文は、「携帯の電波、入らんくない?」の方がいいと思います。
デビット 2005年11月17日 (木) 17:05 (UTC)

私は三河地方の人間です。 私が使うのはどちらかというと「入らんくない?」ですかね。 でも、「入らんことない?」とか「入らんじゃん!」(それはまた違うけど)とか そういった感じですよ。

こりん/きりん

最近の編集で「来りん」の読みが「きりん」から「こりん」に変更されましたが、これが正しい形なのでしょうか? 五段活用で「連用形+ん」であることから「きりん」のほうが古くからある由緒正しい形のように思われますが。

私は尾張の人間なので編集は遠慮してノートにて。どうなんでしょう?

mononohazumi 2005年9月1日 (木) 11:49 (UTC)

僕は静岡県西部地方に住んでいますが、僕が住んでる地域では「りん」はあんまり使いませんので、「きりん」か「こりん」かどっちが正しいか分かりません。
静岡県と愛知県の県境ぐらいなら使いますけどね。最近、三河でもあんまり使っていないようです。
デビット 2005年9月2日 (金) 22:02 (UTC)
静岡県湖西市出身の方に聞いたところ、湖西市は愛知県との県境なので、「連用形+りん」を使うそうです。それで、来るにりんを付けたら、「こりん」ではなく、「きりん」になるとその人がおっしゃっていました。やはり、「きりん」より「おいでん」の方がよく使うそうです。人によっては、「こりん」と言ったり、「きりん」と言ったりするのでしょうかね。「きりん」に直し、脚注として「人によっては、「こりん」と言ったり、「きりん」と言ったりするってことで編集しておきますね。
デビット 2005年12月29日 (金) 12:19 (UTC)


岡崎中心部の出身ですが、デビットさんの言うとおり、きりん、こりん両方使いますね。 先日法事で戻ったので、三河方言が新鮮で覚えています。

ケッタマシーン

富山県でも自転車(ちなみに富山では「じでんしゃ」です)のことをケッタ・ケッタマシーンと言っていたので、全国的なものなのかとも思ったのですが、調べてみるとそうでもないようです。どの辺まで使われているのでしょう?nnh 2005年11月25日 (金) 03:20 (UTC)

昔テレビ(夕方のニュース番組だったかなぁ)調べてて、東西では三重県辺りから浜松辺りまでだったと記憶しています。西三河以西はケッタ、東三河はケッター。東海言葉かなぁ。 --Torneco 2005年11月25日 (金) 13:07 (UTC)

定義

三河弁、豊橋方言、遠州弁および尾張名古屋弁が、ごちゃまぜなので分類修正しておきました。 隣接地域同士で、言語が影響を受けるのは当然だが、由来や用法までごちゃまぜはよくありません。

当方は、三河弁=西三河地域方言、徳川家康以来の三河武士(三河者)を由来とする言語と考えています。--221.119.255.133

定義をある程度はっきり記述して下さい(定義(スタイル含む)が無くなってしまいました。)。いろいろな考えを持っている方々が編集していますので、大きな変更はノートで議論していただけるとありがたいと思います(どの考え方を定義とするのがいいのかについて私には分かりませんが)。--Torneco 2005年12月24日 (土) 04:47 (UTC)

通常、三河弁って、徳川家康以来の三河武士で有名になっているはずなので、西三河方言で間違いないですよ。 豊橋方言と名乗るべきです、東三河地域は、遠州弁に似ていますし。

西三河地域では、遠州弁は一切使いません、影響ゼロです。

西三河のほうが人口・面積ともはるかに大きいので、三河弁の正統でしょう。 たえず、正史においても西三河側が中心主体で、東三河側が西三河側を征服支配している事例はありません。

それに県境の豊橋・田原の人口は戦後の発展で拡大したものなんで、遠州の影響が強いですよ。

Tornecoさんはあなたの書いたことが間違っているなんて言っていませんよ。
  1. ウィキペディアは百科事典なので、記事の冒頭部分は「三河弁の定義」であるべきだ
  2. 大きな編集はノートで議論してからにしてほしい
と言ってみえるのです。定義というのは三河弁という言葉の意味の説明です。あなたの書かれたのは、話があちこちに飛び過ぎて、私が名づけたように定義というより「雑感」になってしまっています。
mononohazumi 2005年12月28日 (水) 12:34 (UTC)
先ほど本文を編集されたのは上の221.119.255.133さんと同じ方でしょうかね。ちょっと編集が大胆すぎるというか、百科事典の項目としては自己主張が強すぎませんか。
西三河弁と東三河弁を同じ三河弁でくくるのは確かに不合理かなとも思います。しかし、世間一般では「三河弁」でくくるのが一般的なのが実情です。百科事典の三河弁の項目としてはまず一般的な三河弁の説明に大半を費やして、その後西三河と東三河では違いが大きいので同じ言葉でくくるのは無理があるという論に触れるくらいが限度だと思います。
現状では「三河弁」の項目というより「西三河弁と東三河弁は違う」の項目のようです。あるいは三河弁呼称論とでもした項目を立てて、そちらで西三河弁と東三河弁の違いについては論じたほうがよいかもしれません。
mononohazumi 2006年1月2日 (月) 22:06 (UTC)
(追記)独断でやると編集合戦になりそうなのでこちらで提案しますが、以前の冒頭部分に差し戻して、現状の冒頭部分は削除された「地域差」の節へ移動するという案はどうでしょうか。mononohazumi 2006年1月2日 (月) 22:33 (UTC)
Mononohazumiさんの意見に賛同いたします。以下個人的な意見ですが、IPユーザーさんの言っている内容もある程度理解はできます。ただ、「何が正しい」とか、「こうであるべき」とかは私たちが決めることではないと思います。現在の定説が間違っているという説が定説になってから直せばすむ話で、諸説は諸説としての記載にとどめるのが妥当と思います。--Torneco 2006年1月6日 (金) 08:50 (UTC)
提案どおりに致しました。mononohazumi 2006年1月6日 (金) 10:41 (UTC)

正史において、西三河が中心であるという言葉には、異議が有ります。三河国の国府豊川市国府町で東三河ですし、三河国の「一之宮」は砥賀神社で現在の豊川市でかつての宝飯郡一宮町(通称、三河一宮)に有り東三河です。律令時代では、なまじ東三河が中心と言うべきです。勿論、戦国期にいたり、西三河の岡崎城の安祥松平家の勢力が強まり、松平家が東三河の吉田城に徳川四天王筆頭の「東三河の旗頭」酒井忠次公をおき、三河国が岡崎城中心体制になったことは認めます。--ウィキ豊 2006年9月22日 (金) 06:28 (UTC)

~じゃん

学校の図書室の方言の本でたまたま、「~じゃんは元々は甲州弁だった」と載っていました。
一時期、遠州弁と三河弁のページに、「じゃん」について、横浜弁という説があると書かれていましたが、実は、その本に「甲府商人の人が横浜へ行って、~じゃんを使ったから、~じゃんの起源は横浜弁と勘違いされることが多い」と書いてありました。
なので、横浜弁という説があると書いてあったのです。
遠州弁と三河弁のページに、「じゃん」について、横浜弁という説あるという説を僕が消しましたが、消した理由は、~じゃんの起源は横浜弁じゃなさそうと思って消しました。ですが、やはり、僕の思った通りじゃんの起源は横浜弁ではありませんでした。
三河弁が起源という説はどうなんでしょうかね?遠州弁の起源は三河弁ですので、~じゃんの起源は遠州弁ではないと思います。
みなさんは~じゃんの起源は三河弁だと思いますか?それとも甲州弁だと思いますか?
本に書いてあったので、僕は、甲州弁だと思いますけどね。
デビット 2005年1月9日 (月) 14:31 (UTC)

本文に追加して欲しいこと

私は東三河に住んでいる学生です。

東三河の人間はたいていやさしいいい方だと語尾を伸ばし、少しきつい言い方だと 語尾をブチッときります。'

[やさしい]「明日当番だらぁ?」

[きつい]「明日当番だら?」

その辺の事をもう少し本文に入れてもらいたいな。 と思っています。

伊良湖岬では

伊良湖岬では三河弁が話されているのでしょうかね?
三河弁でも西三河系と東三河系とどっちの方の三河弁が話されているのでしょうかね?
デビット 2006年8月7日 (月) 17:37 (UTC)

伊良湖岬は旧渥美郡で地理的には明らかに東三河ですから、東三河系の三河弁でしょう。--ウィキ豊 2006年10月30日 (月) 02:58 (UTC)

いろいろ

いろは坂という名前は,リンク先にも有るように,昭和初期から言われ始めたとしたら,三河弁とは関係あり得ません。また,名古屋弁で,50音が不明瞭という記述がありますが,50音そのものが不明瞭というわけではなく,連母音が,たとえばai→「appleのa」という風に変化するだけなので(音は違うにしろ,三河や東京,中国地方にもai→e:は有ります),「不明瞭」という記述は適切でないと考えます。たとえば,「なごや」と「ながや」が区別できないわけではないので。次に,三河弁と上方方言が,共に鼻濁音が無いとありますが,これも,上方方言は鼻濁音のある方言が広がっていたので,適当でないと考えます。(東京と同様に現在では衰退傾向ですが) あと,三河弁が東京方言に影響を与えたと,学術的に示された例というのはあるのでしょうか?東京方言が上方方言の影響を受けたというのは,江戸時代の書物や(~なんだ,~しなかったの意味),現代の東京方言(「~ません」の「ん」,周辺の関東方言では「~ましねえ」が本来の形)からはっきりとわかるのですが。にたような感じで無いでしょうか。--Haruharu 2006年10月26日 (木) 16:56 (UTC)

Haruharuさん、こんにちは。「いろは坂」は昔から有る物ではありませんが、現在の三河の人間が、「いろは」ないし「50音」を明瞭に発音するときには無関係とは思えません。Haruharuさんがどこの御出身か存じ上げませんが、名古屋弁では、標準語で「ふーん」と相槌をうつ場合、「ハーン」と鼻にかけながら発音しますが(言わば鼻で笑う感じ)、聴く人によっては「ホーン」とも「ヘーン」とも響きます。アイウエオのどの母音とも正確には当てはまりません。このような名古屋弁は明らかに50音が不明瞭と言わざるを得ません。三河弁に比べ明らかに不明瞭です。「いろは」を明瞭に発音するのが、名古屋弁に比べて三河弁の特色と言うのは間違いないと思います。そして、ai→e:の連母音ですが、三河古来のものとは考えづらく、江戸ッ子などの影響でしょう。そして鼻濁音についてですが、大阪方言は明らかに鼻にかからず、鼻濁音ではありません。Haruharuさんの上方方言が具体的に近畿地方のどこかおっしゃって下さいませんか。なまじ、奥羽の人は語頭のガ行の音まで鼻濁音になります。鼻濁音はなまじ関東訛りではないかと思います。江戸時代の記録に、幕府で出世志向の強い人間が三河言葉を使うという記録が有るそうです。将軍家への胡麻擂りの一種でしょう。--ウィキ豊 2006年10月30日 (月) 02:29 (UTC)

お返事ありがとうございます。まず,「いろは坂」の件ですが,無関係だと思わない理由としてどのようなものをお考えでしょうか。つぎに,「ふーん」の発音についてですが,相槌などで使われる「んー」等もそうですが,東京でも若干無声化した鼻音(あまり声帯を震わせずに「ん」を発音)が使われることが多く,おそらく「はーん」~「ほーん」等で聞き取った音もこれと同じ物だと考えます。三河の人も同じように発音することがあると思います。それに,50音が曖昧というのであれば,相槌等の音ではなく,一般的な単語の音の例が必要だとおもいます。ai→(e:,a:,appleのa)の変化は近畿地方と四国地方(と東京方言)をのぞく全国に分布しているもので,三河においてもかなり古い時期からあったと思います。鼻濁音については,大阪や京都でも,伝統的には東京と同様に鼻濁音が行われていました。東京と同様に,現在ではあまり聞かれなくなってきていますが。最後に三河弁が東京の言葉に影響を与えたかについてですが,幕府で出世志向の強い人間が三河言葉を使うかどうかと,東京の言葉に影響を与えたかどうかは別問題であると考えます。--Haruharu 2006年10月30日 (月) 15:55 (UTC)

Haruharuさん、こんにちは。正確性を期すための議論ならば付き合います。まず、「イロハ坂」の件です。尾張の人間と三河の人間が文章を音読しますと、カナの一字一字を丹念に拾う三河の人と、カナの一字一字を大雑把に捉える尾張の人との違いが出てきます。目で見れば明瞭に存在する文字を無視できない三河の人と、文字が存在しても普段聴覚で捉えている音感で読み上げる尾張の人との違いは明らかです。「イロハ坂」の各曲がり角を視覚的に捉える三河の人と、伊呂波歌とヘアピンカーブをかけたのだなとしか思っていない尾張の人では違いが出てきます。はっきり言いますと、三河の人のほうが視覚的に捉えており、尾張の人のほうが聴覚的に捉えています。「イロハ坂」は日光東照宮や華厳の滝など観光名所に作られた道路の坂です。三河では視覚的イメージを無視しませんが、尾張では視覚的イメージが有りません。「イロハ坂」のみでも三河では視覚的に「50音」を意識し、「50音」を明瞭に発音するようになるものですが、尾張の人間は視覚的イメージが焼き付きません。したがって、尾張は「いろは」を明瞭に発音しようとする契機になりません。次に、「ふーん」の件です。中京圏で民放ラジオなど聞けば鼻にかかった「ハーン」という相槌をよく耳にするはずです。名古屋弁は母音が八つ有るとも言われ、「アイウエオ」ではない音が明らかに存在します。ちなみに韓国語は八母音、中国語は九母音ですね。韓国語と名古屋弁には関係が有るかもしれません。万葉集の時代の日本語の母音が八母音であったという説と五母音であったという説の両説対立することはHaruharuさんはご存知かどうか分かりませんが、この上代の八母音の日本語が現代の名古屋弁に残ってしまったという説が、名古屋の街ではまことしやかに言われています。無論、上代の日本語も五母音であれば、この説は荒唐無稽な珍説になりますが。それから、名古屋は京の町と同じく、「御在所」を「ゴザイショ」ではなく、「ゴゼァーショ」と発音します。これも八母音のひとつでしょう。話が戻ります。尾張名古屋は五母音以外の「ヘーン」とも響く相槌を打ちますが多分本人は「変」とも聞き取れる言葉を発音したつもりは無く聞き手が「ヘーン」と聞いただけです。尾張の人同士では相槌ですのでいいですが、三河の人間は「変」と聞こえるような発音は極力避けるでしょう。そのため、こんな発音の相槌は三河の人がするとは思えません。その次、鼻濁音の件です。大阪の町で鼻濁音は聞いたことがありません。Haruharuさんは大阪の町で、大阪の人間と会話したこと有りますか。大阪の町の言葉は、鼻にかからぬ、なにわ風に言えば「ベタ」な発音をします。京の町ならいざ知らず、なにわのあきんどで鼻濁音で話すお人とオータこと有りません。それに対し、東北弁は鼻濁音が多く、なにわの人間はこの鼻濁音を嫌います。最後に、三河弁と東京弁の関係です。江戸時代まで、江戸の民の上に幕府がありました。幕府の出世願望の強い役人の言葉が、江戸方言に影響を与え、明治維新後も、現代の東京弁に影響を与えることは十分考えられることと思います。したがって、別問題とは思えません。--ウィキ豊 2006年10月31日 (火) 02:23 (UTC)

お返事ありがとうございます。「イロハ坂」の件ですが,尾張-聴覚的,三河-視覚的というのは,具体的な根拠はございますでしょうか。そもそも,いろは坂と命名された時代が昭和という問題が解決されないと,関係があるとはいえないと思います。名古屋弁に母音が8つあるというのは事実ですが,韓国語や万葉集時代の日本語とは全く関係ありません。5母音の状態から,3種類の連母音(ai,ui,oi)が変化した結果生まれたもので,この3つの母音は,すべて5母音の体系に基づくものですから,名古屋弁において50音が無意味になっているわけではありません。「御在所」の在(ざい)の母音であるaiが変化して,「ゴゼァーショ」となるのもそのためです。相槌の音については,そもそも文字化することの少ない音ですし,たとえば東京や京都でも文字通り[hu:n]と発音するとは限らないわけで,これをもって50音の議論をするのは不適切だと思います。たとえば,上で述べたような「なごや」と文字で書いてあるのに「のごや」と読むというような例をあげないと,名古屋弁で50音が曖昧であるとはいえないと考えます。鼻濁音については,文献からの引用ができなくて申し訳ないのですが,鼻濁音について,県単位の図で正確なものではありませんが,近畿地方には鼻濁音が分布しています。現在の大阪で鼻濁音が聞かれないとしても,東京で鼻濁音を聞くことが滅多にないのと同じことで,それをもって大阪或いは近畿地方に鼻濁音が無かったといえません。そのため,「上方と同じで鼻濁音が無い」という記述は不要だと考えます。最後に三河弁と東京方言の関係についてですが,「幕府の出世願望の強い役人の言葉が、江戸方言に影響を与え、明治維新後も、現代の東京弁に影響を与えることは十分考えられることと思います。」ということについては,あり得ないことではないと考えますが,東京方言の,どこが三河弁の影響によるものであるかの記述がなされるか,明確な証拠が示されるかしない限り,「東京方言の成立に影響を与えた」と書くことはできないと考えます。--Haruharu 2006年10月31日 (火) 09:43 (UTC)

こんにちは。10月31日 (火)の件を申し上げます。まず、尾張-聴覚的,三河-視覚的の件ですが、これはどちらかというと京都中心の同心円説の観点を根拠としています。かつての京の町では御簾の奥の帝のお声のみしか聞けず、お姿を拝見できなかったためか、聴覚のみで言語を捉えています。尾張のほうが地理的に京に近く、京風の聴覚中心の言語把握になりやすく、徳川将軍家を輩出した三河は京から地理的に遠く聴覚による言語把握のほか視覚の比重が高まったことは間違い有りません。「イロハ坂」が昭和のものという問題ですが、それならば大正以前の三河弁には関係ないということがHaruharuさんのご意見であろうと思います。実はこの件ですが、かつて三河に鼻濁音が有った可能性を否定できません。時代が下るにつれ消えて行った可能性は有ると思います。ただ、昭和以降の三河弁は鼻濁音が無いと言っても過言ではなかろうと思います。それならばなおさら、昭和時代建設の「イロハ坂」の存在は大きいでしょう。基本的に、鼻濁音は「ガ行」に有る物です。清音は「カキクケコ」であり、濁音の「ガギグゲゴ」の音を濁音と鼻濁音に使い分けしなくなった時点で鼻濁音が消えたことは間違いないでしょう。「イロハ坂」は三河守の徳川家康の廟の坂であり、鼻濁音も濁音も、「清音」に濁点をふったものです。地元の英雄意識が有る以上、「イロハ坂」を契機に「清音」を意識し、[清音」に濁点をふった濁音の使い分けに興味を失った可能性があります。日本語の表記法では、単なる濁音と鼻濁音の「ガ行」の音を書き分けられず、そのため、鼻濁音が消失していくのであると思います。次の名古屋弁の「イロハ」が曖昧であるという問題です。Haruharuさんの説はともかく、名古屋市内では、韓国語はともかく、上代の万葉集の時代の日本語の名残であると信じている人間は大勢います。確かに「御在所」は連母音です。連母音ではない例を挙げます。名古屋市民は結構、教養ある人間でも、「好ましい(コノマシイ)」を「好もしい(コノモシイ)」と書き誤ります。(訂正します。「好もしい」は辞書で正用として認められているようです。お詫び致します。--ウィキ豊 2006年11月8日 (水) 05:48 (UTC))これは名古屋弁では「マ」と「モ」の音を曖昧に発音しているため、犯すものでしょう。やはり、名古屋弁は50音を曖昧に発音している以上、それに対比して、三河弁は「イロハ」を明瞭に発音するとして良いものと思われますが、Haruharuさんの賛同は得られませんか。ちなみに名古屋市内では「名古屋」は「ナゴヤ」と言いますが、「那古野」は「ナゴノ」と発音します。多分、「ナガヤ」とは発音しないとは思いますが、これも100パーセントの保証はできかねます。ただ、那古野は地名のため御参考にはならないかも知れませんが。その次、鼻濁音の問題は「イロハ坂」のお答えと重複しますが、三河も大阪市(上方)もかつて鼻濁音が有った可能性を否定しきれません。現在の三河弁に鼻濁音がほぼ無いのは上方(大阪市)の鼻濁音の消失が契機である可能性があります。上方(大阪市)の人間が「鼻濁音は東北弁のようや。」とからかえばたいていの三河の人間は鼻濁音を使わなくなります。また、三河弁に鼻濁音が無いことを初めて記入したのが僕ではなく(補充したことは事実ですが)、「上方と同じで鼻濁音が無い」の記述を僕が抹消することはできかねます。最後に、東京方言に三河弁が影響を与えたと言う件ですが、東京方言と三河弁の類似性を指摘すればよいと思います。この項目では東京方言と三河弁の違いばかり強調していますが、類似点は非常に多いと言う事実の記述が欠けている点に問題が有ります。例えば、「居る」という意味の「おる」ですが、三河以西で多用するにもかかわらず、遠江以東では「いる」しか使わず、東京横浜以外では「おる」は全くと言っていいほど使いません。明日の翌日を東京方言で「シアサッテ」と言いますが、三河では「シアサッテ」なのにもかかわらず、関八州では一般に「シアサッテ」ではありません。方言論の代表に京都中心の同心円状に方言が存在すると言う説がありますが、その説からすれば東京横浜はほぼ三河くらいの位置に有ってもおかしくない言葉遣いで有るはずです。--ウィキ豊 2006年11月2日 (木) 03:11 (UTC)

お返事ありがとうございます。方言周圏論はこの議論には関係ないと考えます。それに,京都を含め上方の方言は,音韻に関して言えば,連母音の変化等が少ない,つまり50音に忠実な方言です。また,帝の声を聞けなかったから聴覚中心などという説は,反証可能性の無い表現なので,反論のしようが有りません。もしも「イロハ坂」の件を三河弁の内容として書くなら,具体的に関係が有るといえるような根拠か,或いは最もらしいと思われるような情報を示す必要があると考えます。たとえば,大正期から昭和期の三河弁の変化を示し,栃木~愛知という地理的なギャップを解決する理論或いは仮説を示せば,関係ある或いは関係あるかもしれないと書けます。次に,「好ましい~好もしい」の件ですが,「好もしい」は辞書にも載っている単語です。もしもこのような例で,50音が曖昧といえるなら,たとえばこの三河弁の,「狭い」の意味で「せばい」とか,「たるい」~「たりい」の例をもって,三河弁も同様だといえます。(三河弁は50音が曖昧であると主張したいわけじゃ有りませんよ)名古屋弁の8母音が,古い日本語の8母音と関係があるという説ですが,現に行われている名古屋弁の8母音と古い日本語の8母音の間に対応がないので,俗説としてはともかく,学術的には否定されるでしょう。東京方言に三河弁が影響を与えたかどうかですが,「いる~おる」については,東京方言においては,いる・おるの双方が使われ,「おる」は「いる」よりも話者側を卑下したり,丁寧な表現にしたりするために使われます。これは,「おる」専用の三河弁よりも,「いる・おる」兼用の上方すなわち京都や大阪の表現にきわめて近いもので,三河の影響は否定されると考えます。次に,「しあさって」に関しては,上方の影響とも,三河の影響とも,或いは東海道を介した影響とも解釈しうるわけで,「三河の影響である」と断言できる根拠が無い以上,「三河の影響かどうかわからない」或いは「三河の影響かもしれない」としか言いようがないと思います。--Haruharu 2006年11月5日 (日) 18:35 (UTC)

Haruharuさん、こんにちは。僕(ウィキ豊)としましては、方言周圏論はこの問題の核心であると思いますが。上方は東北地方や九州に比べれば50音に忠実でしょう。但し、京言葉は標準語に比べても、大阪弁に比べても、50音に忠実ではありません。大阪落語で京の人間は「淀川の水」を「ヨロガワのミル」と発音するとからかわれているように、京都市と大阪市を一緒にすべきではありません。書き間違いかもしれませんが、「帝の声を聞けなかったから」ではなく、帝の顔や表情が拝見できなかったからで、なまじ、「帝のお声のみ聞けた」です。その次、「イロハ坂」の件ですが、東照宮の祭神が三河国出身であることが理由に過ぎません。三河弁が変化したかどうかは僕は知りません。「せまい」→「せばい」や「たるい」→「たりい」は「イロハ」そのものが入れ替わっているわけで、「イロハ」を曖昧に発音しているわけでは有りません。「せばい」「たりい」は正確には誤用と言えば誤用です。好もしいは正式に認められていますので、僕の誤りです。但し、名古屋市民は明らかに「アイウエオ」のどれにも当てはまらぬ音で母音を発音していますので、「イロハ」を明瞭に発音することが三河の言葉の特色であるという記述を撤回はしません。また、尾張国の言葉が「イロハ」が曖昧である記述も撤回しません。名古屋弁と上代日本語の八母音の問題ですが、この関連性は学会で論じる問題であり、学会の動向は僕は知りません。その次の「いる・おる」の問題ですが、三河は「いる・おる」の混在地です。「おる」専用では有りません。なまじ、「おる」専用は京です。近畿関西圏では「おる」、関東では「いる」というべきです。三河が兼用するのは中部だからです。方言周圏論を頭ごなしに否定されてはかないませんが、東京方言を使う人々が関東平野に住むことが不思議な言葉であり、東京方言は三河辺りにあってもおかしくない言葉遣いです。東京都民が「いなかっぺ」と呼ぶ関東人の言葉が関東古来の言葉遣いとすると、東海道を上洛する方向のかなり関東より西の言葉です。ただ、三河では「おる」に謙譲の意は無く、三河が古来近国であり、京(みやこ)言葉に近いという意識だけでしょう。ウィクショナリーには「おる(居る)」は西日本方言になっています。[1]を参照。--ウィキ豊 2006年11月6日 (月) 05:21 (UTC)

お返事ありがとうございます。淀川の水~よどがわのみず~よろがわのみるの件ですが,本当にそのような現象が有ったのかどうかは,検証の必要があるとは思いますが,現在の京都でこのような現象は見られませんし,それが証明されるまでは,落語でそのように言われたのは,単に「京都の奴は発音が俺たちとちがう」というのを茶化したのか,本当にそのように発音されていたのかわかりませんよね。ややこしくなってくるので,名古屋弁の50音についての私の意見をまとめます。①名古屋弁には標準語と同じ5母音に加えて,3種類の連母音から変化した母音が存在する。②名古屋弁にある「+3種の母音」は,全てai,oi,ui等からの変化であり,これ以外の原因によって生じた他の母音は存在しない。③単独のaiueoの母音が,上記の3母音に変化することはないし,体系的に5母音相互の入れ替わりが起こることはない。(「うごく」~「いごく」,「いばる」~「えばる」のような(←名古屋弁の例ではない),それぞれの語彙が個別的に起こす音の入れ替わりはあるだろうが)④以上のことから,名古屋弁において5母音~50音という体系自体が曖昧になったわけではない。と,私は考えます。もちろん,①をもって,50音の体系が変わってしまったと捉えることは,できないわけではないと思います。そこで提案ですが,三河弁の項目での,名古屋~尾張弁に関しては,「いろはが曖昧」という漠然とした表現ではなく,連母音の変化によって50音の体系から変化して異なった体系になっているというような表現にするというのはいかがでしょうか。「いろはが曖昧」或いは「50音が曖昧」という表現を使った場合,50音で区別される音が区別されなくなっているという意味にとる人が多いでしょう。次に「いる~おる」についてですが,西日本が基本的に「おる」専用地域であるというのは間違いありませんが,近畿中心部,すなわち大阪や京都は,「いる」が主流の地域です。「いた」の分布ですが,「いた」の分布のようになっています。この図でもそうであるように,本来の,中部地方における「おる~いる」の境界線は,浜名湖付近で,三河全域が「おる」専用地域だと記憶していますが,現在兼用であるとすれば,それは標準語の影響で「いる」地域が西進しているためではないでしょうか。最後に方言周圏論についてですが,方言周圏論は上方を中心にある語彙,文法が同心円分布をし,周辺に古いものが分布している『事もある』ということを示しただけです。方言周圏論によって,周囲に古い表現が存在するといえるのではなく,同心円状な分布が見られ,かつ,周囲が古いものであると証明された結果として,その語彙・文法が周圏分布を示しているといえます。周圏分布という概念を否定するつもりは有りません。東京の本来の方言が,かなり西日本的である点については,三河の影響ではなく,東海道を通じた,三河も含めた静岡以西からの影響と考えます。江戸には日本各地から人が集まっていたのに,三多摩や神奈川はそうではなかったのですから,東京方言が周りの西関東方言よりも西日本的だったとしても,おかしくはないでしょう。--Haruharu 2006年11月6日 (月) 10:12 (UTC)

Haruharuさん、ご返事有難う御座います。ウィキ豊です。大阪落語の「ヨロガワのミル」の件は単なる事実の提示です。京大阪といわれる上方は、東北や九州より「イロハ」は明瞭ですが、なにわ(大阪市)は曖昧な京言葉をからかいます。これは正確に「ヨロガワのミル」と言っているのではなく、人によっては「ヨドガワのミズ」と聞こえる人もいるかも知れません。僕の言う50音が曖昧とはそういう意味です。三河の「うごく」→「いごく」や「いばる」→「えばる」は「イロハ」が完全に入れ替わっており、どちらかと言えば、方言というより、誤用と言うほうが正しいかも知れません。それに対し、尾張国では誤用ではなく、別の音に聞こえてしまうわけです。したがって、カナ表記にすると、聞く人により、表記が異なります。連母音は確かに法則性を保ち、「アイ」→「エァー」や「アウ」→「オー」のような法則にまとめられますので、その点は補充したいと思います。厄介なのは人により、別の音に聞こえる曖昧な音です。11月6日のHaruharuさんの②の問題です。大阪落語上に登場する京訛りの「ヨロガワのミル」も多分そういう音と思います。尾張国の名古屋市内で放送する民放ラジオを生でお聞きすれば分かりますが、言葉を書き取るとリスナーにより表記が異なると思います。これは正用にのっとり発音しているつもりである場合もあり、三河国のようにほぼ誤用とも言える言葉遣いとは異なります。正用により発音したにも拘らず、まるで誤用とも響く発音をしかねぬのが尾張弁です。尾張弁に連母音以外の3母音が無いと言えるでしょうか。これは尾張国特有の「イロハ」の曖昧さと言うべきでしょう。「居る」に付いてですが、「オル」は近畿関西地方(九州を含まぬ)で多用します。「イル」は東北を含む東日本方言ではでしょう。京都市や大阪市の「イル」ないし「イテル」は関東からの移住者の影響でしょう。どうしても大都会は移住者の影響を受けます。方言周圏論の点ですが、京に新たに言葉が生まれてもイナカでは昔の言葉が残るという現象で有名です。京からの距離で言葉が異なるわけです。Haruharuさんも東京方言が周囲の関東西部の言葉より西日本的であることをお認めのようですが、僕の言う三河弁と東京弁の類似もその程度の問題です。東京弁は遠江(トオトウミ)の国より、上方風の言葉遣いが多いです。東海道を「アズマクダリ」してやって来た人間が多いからでしょう。東京横浜は東海道で言えば遠江国の西の三河国辺りに有ってもおかしくない言葉が多いと言うに過ぎません。三河弁の特色と言うと標準語との相違ばかり指摘しますが、標準語の母体とも言う東京言葉が地理的には三河国辺りになければおかしな表現があまりに多いと言うに過ぎません。三河国の影響のみで東京弁が成立したと強弁することは僕個人はしません。但し、中には三河弁が標準語の母体であると言う人がいます。しかし、僕個人はくみしません。--ウィキ豊 2006年11月8日 (水) 05:48 (UTC)

ウィキ豊です。鼻濁音について報告させて頂きます。かつての三河弁に鼻濁音が有ったと言う資料を見ました。現在、日本各地で鼻濁音は無くなる傾向が有りますが、三河弁も例外ではなく三河弁のみの特色では無さそうです。カ行に半濁点(゜)をうつ表記法は有りますが、これも特殊な表記なので、鼻濁音と濁音の区別が難しく鼻濁音が消滅していったのでしょう。「上方(かみがた)言葉と同じく三河弁ではガ行の発音が鼻濁音とならない場合が多い。 」を「現在の三河弁ではガ行の発音が鼻濁音とならない場合が多い。」に改めました。昔のことは資料を基に推測するしかなく、このような資料とて一仮説であり信じることはできぬと成るとそれで終わりですが。しかし、多分、現在の三河の言葉を集めても鼻濁音が出てくることは少ないと思います。--ウィキ豊 2008年2月26日 (火) 01:11 (UTC)

三河弁の語彙

「1.関東弁との差異」の「1.2 語彙」の追加欄についてですが、どなたか50音順にして品詞分類して頂けませんか。かつて 「1.特徴的な表現」に入っていました。しかし、「語彙」の節の方がふさわしく、「語彙」へ移動させました。但し未分類です。方言の品詞分類はとても難しいため、我はという方にお願い申し上げます。--ウィキ豊 2006年12月6日 (水)

一応分かる範囲で分類しました。誤っている点などがあれば訂正していただけると幸いです。-Nodame 2007年5月5日 (土) 04:36 (UTC)
Nodameさんへ。ご苦労様で御座います。追加欄にあったものは品詞分類されていませんでしたが、わたくしが行なっても良いものか考えておりました。--ウィキ豊 2007年5月5日 (土) 05:22 (UTC)
尾張のものですが、僭越ながら手を加えました。四段動詞と五段動詞は実質同じものですが、五段に表記を統一しました。「つくねる」が下二段活用だとしてありましたが、「つくねれず、つくねれて、つくねる、つくねるる、つくねるれば、つくねれよ」と活用するとは思えません。あるいは見出し(終止形)が「つくぬ」の誤りだとしても「つねねず、つくねて、つくぬ、つくぬる、つくぬれば、つくねよ」でやはり文語のような形が混じります。こんな活用をすればいかに三河人でなくても同じ愛知県に住んでいれば「三河の人は文語みたいに動詞を活用させるなあ」と印象に残るはずです。下一段動詞「つくねる」と考えれば「つくねず、つくねて、つくねる、つくねる、つくねれば、つくねよ」で耳慣れた感じになりますので、おそらく下一段活用かと。--モノノハズミ 2007年5月5日 (土) 10:31 (UTC)
モノノハズミさん、こんにちは。ウィキ豊です。せっかく書かれたことに変更するのも失礼かもとは思いましたが、「ヤラア」について訂正させて頂きました。中京や関西弁では明らかに五段活用しますが、三河弁では往々にして「オ段」が有りません。「やらず、やって、やる、やる、やれば、やれ」であり、連用形が「やりて」ではなく共通語と同じ「やって」(促音便)ですが(但し、下が「ます」の場合は「やり」+「ます」)、未然形の「やろ」+「う」が文語の未然形「やら」+「あ」(文語の「ふ」の変形)になっています。「アイウエ」の四段しかない以上、五段活用とするのは少々抵抗が有りました。--ウィキ豊 2007年5月6日 (日) 03:34 (UTC)
そういうお考えからあえて四段活用という表記をなさったのですね。失礼しました。--モノノハズミ 2007年5月6日 (日) 09:53 (UTC)

ウィキ豊です。上にも述べましたし、項目のほうにも書き込みましたが、未然形がア段のみとなりオ段の無い三河弁は五段活用とは言いにくいため、【動五】を【動四】に改めたいと思います。--ウィキ豊 2007年5月6日 (日) 23:59 (UTC)


尾張弁(名古屋弁)と、三河弁(西三河)では、語彙用法は明確に異なります。同じではありません。--梁山泊智多星呉用 2007年5月19日 (土) 10:06 (UTC)

ウ音便・促音便の境界

連用形 ― 基本的に標準語と同じである。中京(名古屋弁)や上方地方(関西弁)ではウ音便であるが、そこが三河弁では促音便や撥音便となる。イ音便は使う。この記述は間違いではないですか?ア・ワ行5段活用動詞がウ音便をするのは山陰を除く三重・滋賀・北陸3県・佐渡以西と記憶していますが。--Haruharu 2007年9月7日 (金) 17:07 (UTC)

連用形の活用について修正を加えました。--Haruharu 2007年9月30日 (日) 14:30 (UTC)
名古屋弁は明らかにウ音便です。あなたの資料が間違えています。その場所に居る人間の発音を耳にしたことも無い人間が勝手に編集すべきでは有りません。--ウィキ豊 2007年10月1日 (月) 05:12 (UTC)

印欧祖語の研究も,今は無きヒッタイト語の記事も,或いは,日本語とその方言全体の研究も,それを聞いたこともない人間がやったことです。当然,それができる訳は,実体験としての言語ではなく,全体を俯瞰できる幅広い文献(その裏には現地調査もあるかもしれませんが,ただの実体験は調査とはいえません)があったからです。一次情報源を示すことができなくて申し訳ありませんが参考までに付けておきます。東西方言の対立から見た大垣方言この中にある国語調査委員会のものが本来の文献です。--Haruharu 2007年10月1日 (月) 15:00 (UTC)

・・ふと思ったのですが,形容詞のウ音便の分布はまさに愛知県内を貫いています。尾張・三河の境と完全に一致しているわけは無いとおもいますが,形容詞のウ音便に関して,一般的に尾張(有)・三河(無)ということは出来そうです。これと思い違いをしているということはあり得ませんか?--Haruharu 2007年10月1日 (月) 15:11 (UTC)
Haruharuさん、こんにちは。ウィキ豊です。少々、感情的になったようです。確かに形容詞のウ音便は東三河弁と西三河弁の違いの代表格です。「白い+なる」が「シローナル」となる岡崎弁と「シロクナル」となる豊橋弁の違いが有り、三河の地域差が表れる点です。但し、動詞のウ音便は旧尾張国の人間はよく使います。また、ここの項目は三河弁についてであり、名古屋弁では動詞のウ音便を使うか否かの議論の場では有りません。せめて、名古屋弁ではウ音便になるという表現を削除するくらいにとどめるべきです。名古屋市民はおうおうにして促音便を嫌います。Haruharuさんの提示するデータでは揖斐川(いびがわ)地域の大垣市が境界線となっていますが、それには疑問です。ウ音便は一般に上品に響き、促音便は荒っぽく響くものです。上品な家庭に育ったのか乱暴な体質の家で育ったのかや、男女差により使用方法に違いは出易いものです。--ウィキ豊 2007年10月2日 (火) 00:46 (UTC)
それから死語となったヒッタイト語と、いまだに現役であり且つ日夜変化しつつ有る日本語の方言とは違います。死語となった文語を解読するのは耳にしたことも無い人間の行うことですが、口語である方言を分析するのにその地域の言葉を耳にしたことも無い者が発言するのは無礼です。口頭で話す言葉は文献だけでは分かりません。確かにウィキペディアは出典を必要とし、正確さを軽視する傾向が有るようです。但し、明らかに誤った資料を基に記述されるのではウィキペディアは信用を失うでしょう。Haruharuさんはウィキペディアの方針には反して居ないでしょう。しかし、方言の分析というものは民俗学に似ていると思います。実地の調査の裏付けが有って初めて相手にされるものです。資料を提示することは良いことですが、実地調査を無視した発言は為すべきでは有りません。どちらにしても、ここは名古屋弁の項目ではなく、名古屋弁につき争いが有るならば、三河弁の項目では領域外ですので削除も一法かとも思います。--ウィキ豊 2007年10月2日 (火) 01:29 (UTC)

三河弁の項目で名古屋弁のウ音便について論ずるべきかどうかについてですが,三河弁の周囲の方言で動詞の活用がどのように異なるか/同じかについては,述べる価値はあると考えます。単に「閉じた三河弁」の記事を作るのであればそれでもいいかもしれませんが,周囲の他の方言と共有する/しない特徴を記事にすることは三河弁の特徴を記述するという目的にかなったものだと思います。さて,私は生の名古屋弁も三河弁も聞いたことはありません。実地調査の重要性認めますが,「単なる生の言語体験」が実地調査と言えるかどうかは甚だ疑問です。方言比較表での議論も参考になると思います。名古屋のウ音便の有無についてですが,国語調査会の資料は一定の信頼は有る物だと考えます。少なくとも,個人が実体験から「ここの方言はこうだ」と述べたものよりは信頼できるものであるはずです。もちろん,それを覆したければ,厳密な現地調査を行って,学会等で報告すべきであって,その結果は同様の調査を私が行っても,他の誰かが行っても基本的には同じとなるでしょう。たとえ民俗学でも,単なる個人の実体験に基づいた民俗学的経験を述べるだけでは民俗「学」にはなりえないと思います。上で述べた資料ではありませんが,別の一次情報源となりうるものを載せておきます。日本方言の記述的研究1959年(昭和34年)の西春日井郡北里村(現小牧市・北名古屋市)のものについての調査が載っており,サ行イ音便を除いて標準語と同じ活用との記述が有ります。50年近く前の資料なので死んだ言葉だとおっしゃるかもしれませんが,現在この地域にウ音便が侵入していることを示す十分な証拠が無い以上,一定の信頼は有るもの思います。--Haruharu 2007年10月2日 (火) 16:58 (UTC)

こんにちは。Haruharuさん。ウィキ豊です。名古屋弁で動詞のウ音便の使用例を示します。名古屋の人のブログの最後の文「コメヒョウはこうてくれんがね。」の「こうて」は「買う+て」であり、いわゆる標準語の促音便を用いる「かって」に成って居ません。東京大学の言語学の権威のような方の前では標準語風の名古屋弁を話す人間も仲間うちではそうではありません。また、ウ音便は上品に響くために女の人に人気が有り、上品過ぎて押しの効かない言葉遣いでも有ります。」また、この書き手はたまたまウ音便で書きましたが、一般にウ音便で口頭で話す人間も、文章では標準語で促音便で書くものです。この場合はブログであるため話し言葉が文字に成りましたが、文献ではなかなか話し言葉は分かりません。国語調査会の資料の提供者は誰なのか分かりませんが、正直申し上げますと、正確性の無さ故に国語調査会の権威を傷つける資料と成っております。Haruharuさんが10月2日に出された資料について申し上げます。ウ音便は上品な響きをもたらす故に都市部の上流階級に広まって居ますが、農村の集落ではあまり使わないでしょう。従って、旧西春日井郡ではウ音便を使わなくとも、狭義の名古屋弁(名古屋市民の言葉遣い)では上品なウ音便が用いられて居たことを否定する資料には成っておりません。わたくしからすれば、Haruharuさんが国語調査会の資料を基に名古屋弁では動詞ウ音便は無いと主張し続けるならば、三河弁ではなく名古屋弁の項目で議論して下さい。さもなくば元に戻して頂けませんか。--ウィキ豊 2007年10月3日 (水) 01:44 (UTC)

三河弁の記事として,周囲の方言との比較を載せることは記事の趣旨に反するものではなく,周囲の方言の動詞の活用についてここで意見を述べることは問題無いと考えます。三河弁の動詞の活用が名古屋弁の動詞の活用と同じなのか異なるのか,記事にしたいわけですから。そもそも,三河弁の記事で問題になったことを,わざわざ議論にもなっていない名古屋弁のノートで議論する必要はないでしょう。次に,ブログの出典としての信頼性について問題があります。話者(というか筆者)が名古屋に住み続けているのか,そうでないのか,他地方出身者なのか違うのかということはわかりません。「国語調査会の権威を傷つける資料」という記述についてですが,そう考えるのであれば,それなりの証拠を突きつけてください。証拠も無く権威を傷つける資料と呼ぶのはそれこそ著者に対して失礼です。「狭義の名古屋弁でウ音便が用いられていたことを否定する資料にはなっていない」という記述についてですが,ならば肯定する資料を示してください。それらが無い以上,三河弁の「会う」等が属する動詞のグループの活用が,東京方言や名古屋弁と同じように促音便するということを意味する表に書き換えたことは問題無いと思います。宗教や主義ではないので,名古屋弁にウ音便が存在する明確な証拠を見れば,私だって考えが変わります。--Haruharu 2007年10月3日 (水) 16:19 (UTC)

こんにちは。Haruharuさん。あなたは方言の話者が方言を恥ずかしがっている点について考えが及ばないのですか。東京大学の教授を前に、方言丸出しで話すわけ無いではないですか。東京弁のような言葉で会話を交わすのは当然です。東京大学あたりの資料はそんな資料です。そんな資料に名古屋弁は東京弁に類似するとするデータが有っても実に怪しいですね。三河弁は三河国と呼ばれていた地域の言葉であって旧尾張国の言葉遣いでは有りません。三河弁の項目で名古屋弁の議論は無益です。また、名古屋弁の専門家は名古屋弁のノートを見ていますが、三河弁の項目を見ていません。わたくしよりもはるかに名古屋弁に詳しい論者がそこに居ます。彼らと対論して下さい。実際、わたくしは1ヶ月前のHaruharuさんによるウ音便についての改変の問題提起を知りませんでした。このノートをチェックして居なかったからです。皆が皆、三河弁のノートを見て居るわけでは有りません。多分、名古屋弁に詳しい方々はここのノートで名古屋弁の動詞ウ音便の有無について問題になっていることを知りません。名古屋弁に詳しい方々の居ない所での言い合いは完全に無益です。名古屋弁のノートで動詞ウ音便について議論をし、その上で名古屋弁の項目に動詞ウ音便について書き加えて下さい。三河弁の項目は名古屋弁動詞ウ音便のところからの引用で十分でしょう。そもそも、三河弁は日本語の標準語とどのように違うかが分かれば十分です。そもそも、日本語の文語体では動詞がウ音便で活用したため、その古文で習ったウ音便が各地の方言に残っているか否かが問題になるだけです。関東人の中では動詞ウ音便が死語となり関西では残っていることに議論は無いようですが、中部地方の名古屋弁にウ音便が残って居るかが問題なのでしょう。その問題と三河弁とは何ら関係有りません。論争の起きない記述にすれば済む事です。なまじ、ウ音便の問題は時間軸の問題で有って、地理的な問題では無いと言えるはずです。古語を残して居るか否かの問題に過ぎません。また、資料の著者へ失礼の言葉ですが、失礼も何もそもそも間違えた資料を基に、国語調査会の権威で脅しにかかる姿は物笑いのネタにしか成りません。名古屋市民からは失笑が絶えないでしょう。名古屋市民は「タワケモンとは付き合えぬ」と言うでしょう。だいだい「会う」ですが、東京弁の発音では「アウ」ですが、名古屋弁では「オー」です。東京弁の促音便ならば「アッテ」ですが、名古屋弁の発音のまま促音便になると「オッテ」に成ってしまいます。ウ音便であるが故に「オーテ」に成るわけです。まさかあなたは名古屋弁の「あう」は「オー」と発音することを知らないではないでしょうね。根本的な名古屋弁に対する理解の無い者が名古屋弁について発言することは慎むべきです。正直に言いますと、あなたに説明は難しいですね。名古屋弁を聞いたことも無い人間を前に名古屋弁を説明するのは、パンダを見たことも無い人間に笹を食べる白黒のパンダを説明するようなものです。--ウィキ豊 2007年10月4日 (木) 00:39 (UTC)
議論が白熱しているようですね。このように二人だけで平行線の議論をしていると無駄に熱くなってしまいがちなので、僭越ながら私も発言したほうがよろしかろうと前から思っていたのですが、仕事の都合で遅くなってしまいました。
自己紹介しますと、私は名古屋弁の項目の執筆に関わってきた者です。出身・在住地が名古屋市内でなく大府市である点は引け目ですが、それでも三河在住の方よりは名古屋に近いですし、名古屋生まれの曽祖父や名古屋育ちの祖母の言葉を聞いて育ち、学生時代には名古屋訛りの数学教師と三河訛りの古文教師の言葉を興味深く聞き比べ、長じてからは名古屋弁の本にも目を通してきましたので、それなりに名古屋弁には詳しいつもりです。現在の職場にも60歳近い名古屋市民の同僚が複数おり、毎日言葉を交わしております。取引先にも名古屋市民は大勢います。大府市の方言も私は三河弁より名古屋弁に近いと感じております。三河弁に近いと感じる人もいるようですが、少なくとも典型的な三河弁よりは名古屋弁の要素が入っています。
さて、本題に入りますと、ウィキ豊さんのご主張は理解し兼ねます。「会う」を「オー」と発音する名古屋市民や動詞をウ音便させる名古屋市民に出会った記憶がないのです。形容詞をウ音便させる人ならばよく出会いますし、私自身もさせます。赤いをアケァと発音する人や書かないでくださいを「書きゃあすな」と表現する人には出会います。しかし私が言葉を交わす範囲で動詞をウ音便させる人は名古屋人でなく関西から越してみえた方だけです。
ウィキ豊さんは、それは私が本当の名古屋弁を知らないからだとおっしゃるかもしれませんね。その場合はウィキ豊さんが私より本当の名古屋弁にお詳しいと自負される理由を教えてください。
方言の話者が方言を恥ずかしがっている点については、方言について本なり論文なりを書くような者には当てはまりません。方言を恥ずかしがっている人はそんなもの書かないでしょう。
モノノハズミ 2007年10月4日 (木) 11:05 (UTC) --(修正)モノノハズミ 2007年10月4日 (木) 11:28 (UTC)


三河弁と他の方言の動詞の活用の違いを正確な物に書き直したいだけです。それに対して異論を唱えたのはウィキ豊さんですから,その異論を証明する文献を示してほしいです。私は,修正に関して文献は示しましたので,修正についての責任は果たしたと思っております。それに対して名古屋弁のノートで議論をする必要が有ると考えるのであれば,それは異論を唱えた側が行うべきではありませんか?例えば犬の記事があったとして,その記事中での猫についての記述を修正するときに,猫のノートで根回しを行わないといけないような習慣があったとは聞いたことがありませんが。「三河弁は日本語の標準語とどのように違うかが分かれば十分です。」→そうは思いません。周囲の方言とどう異なるか/同じかという記述は有益だと思います。仮に標準語との比較だけで十分であるとしても,周囲の他の方言との比較を載せることは記事の質を落とすものではないと思います。「中部地方の名古屋弁にウ音便が残って居るかが問題なのでしょう。」→ちがいます。少なくとも私はここでそういう議論をしようとは思っていません。「そもそも間違えた資料を基に、国語調査会の権威で脅しにかかる姿」→間違えている証拠を示してください。「名古屋弁の発音(おー)のまま促音便になると「オッテ」に成ってしまいます。」→「おー」と発音するかどうかは知りませんが,ならないでしょう。赤いを名古屋で「あけぁ」と発音しても,過去形にして「あけぁかった」にならないのと同じことです。「方言の話者が方言を恥ずかしがっている」→どのようなものを出しても,促音便の存在の証明或いは有力な証拠とならないのであれば,名古屋弁ではウ音便を用いるという説は,反証可能性は無いのでしょうか?仮にどのようなものが出れば,有力な証拠となると考えますか?「方言の話者が方言を恥ずかしがっている点については、方言について本なり論文なりを書くような者には当てはまりません。(モノノハズミさん)」→この調査はこの方言の話者ではない人間が,話者の会話を観察してつくったもののようです。--Haruharu 2007年10月4日 (木) 18:21 (UTC)

Haruharuさん、モノノハズミさん、こんにちは。ウィキ豊です。三河弁の項目を正確なものにしたいというご意向には賛成致します。旧知多郡の大府市出身で名古屋の方とお付き合いのあるモノノハズミさんが動詞ウ音便の人間と会ったことは無いと言うのは状況証拠に成ります。但し、「『名古屋弁の発音(おー)のまま促音便になると「オッテ」に成ってしまいます。』→『おー』と発音するかどうかは知りませんが,ならないでしょう。赤いを名古屋で『あけぁ』と発音しても,過去形にして『あけぁかった』にならないのと同じことです。」には明らかに反対します。名古屋の民放ラジオでは「あけぁかったな(赤かったなの意味)」と発音して居ます。動詞ウ音便の地域は一般に「会う」を「オー」と発音し、「買う」を「コー」と発音するものです。Haruharuさんには絶対に訂正して欲しいですね。動詞ウ音便は明らかに上古の日本語文法を由来とする由緒の有る物です。由緒来歴を重視する都市部の上流階級の文法です。伝統よりも東京風に流される田舎のほうが残りにくいものです。ガラっ八に動詞ウ音便は似合いません。そもそも明治維新後の東京政府の標準語政策の中で動詞活用に促音便を採用されて以後、促音便で書く習慣が全国に広がりました。それまでは文語文法でも有るようにウ音便のほうが(徳川時代の江戸城下を除く)上品で正統派の言葉遣いであったでしょう。前にも述べた如く、上古以来正統派のウ音便が三河弁には残って居ないことが記述されて居れば良いことです。これも百パーセント使わないわけではなく、ほぼ使わないと言う程度です。ウ音便を使うとまるで関西から来たヨソモンのようだからです。名古屋弁の使用者は「オーテ」と言わないでしょうか。「オーテ」と言った名古屋市民は上方から名古屋へ東下りして来たのでしょうか。彼らは生粋の尾張国名古屋城下のお人では無かったのでしょうか。名古屋弁では「コーテ」と言わないことに争いが無いならば構いません。しかし疑問ですね。ただ、はっきり言える事は現在国語の授業で使われる標準語の動詞促音便のほうが下品で粗野な言葉遣いであると言うことです。ただ、動詞促音便は東京弁の三河弁由来説の根拠として使われているものです。三河では室町時代でも促音が使われていたそうです。Haruharuさんが名古屋弁が促音便であると主張する最大の理由は東京弁の三河弁由来説を崩すためでしょう。図星ではないですか?--ウィキ豊 2007年10月5日 (金) 00:55 (UTC)
あの、ウィキ豊さんには冷静になっていただきたいのですが、東京弁の三河弁由来説に名古屋弁の動詞の音便がそんなに重要な意味を持ちますかね? 三河弁と名古屋弁は別の方言ですよ? 動詞のウ音便・促音便の境界が名古屋・三河間だろうが三重・名古屋間だろうが東京弁が三河弁由来であるか否かには大きな影響がないと思いますが。それにHaruharuさんは明確な証拠さえあれば名古屋弁の動詞がウ音便であると認めるにやぶさかでない旨おっしゃっていますよ。
また、私は名古屋の民法ラジオで「赤かった」を×アケァカッタと発音しているのを聞いたことがありませんし、生の会話でも聞いたことがありません。名古屋弁の「赤かった」はアクセントこそ共通語のアカッタに対してアカッタとなりますが、アクセント抜きでカナ表記すればあくまでもアカカッタであって、×アケァカッタなどとは発音しません。曽祖父(故人)を始め、親類の者や職場の同僚などから、アケァとかトロクッセァとかは多く聞いてきても、「赤かった」をアケァカッタと発音することが有り得るとは、ウィキ豊さんの発言を読むまで想像すらしたことがありません。アクセントの違いに引き摺られて、母音まで違うように錯覚しているということはありませんか?
「会う」「買う」をオー・コーと発音するというのにも首をかしげてしまいます。「会って」「買って」をオーテ・コーテと発音するというのなら理解できます。名古屋人は普通そのようには発音しませんが、関西方面の人がそのように発音しますね。しかし終止形の「会う」「買う」をオー・コーとは、名古屋人はもちろん関西人も発音しないと思います。私が関西弁を知らないためかもしれないので、今から関西弁のノートで質問してみます。
モノノハズミ 2007年10月5日 (金) 13:08 (UTC) --(修正)モノノハズミ 2007年10月5日 (金) 13:18 (UTC)

「東京弁の三河弁由来説を崩すためでしょう」→そういう議論をするならそれに絞った議論をはじめからします。あまり論点を増やしたくはありませんが,「あう」を「おー」と発音するか否かとウ音便を用いるかどうか関係ないという事について,「あけぁ」~「あかかった」という活用を例にとったのは,仮に「あう」を「おー」と発音したところで,"au"という連母音が"o:"に変化したものにすぎないからです。近畿以西の方言で現に"au"~"o:ta"という活用をしていると思います。"akæ:"~"akakatta"という活用が成り立つのも"ai"とい連母音が"æ:"に変化したものにすぎないからです。もっと言えば,関東方言で「あけー」~「あかかった」,「すげー」~「すごかった」,「あちー」~「あつかった」という活用をするのと同じ事です。論点を戻します。一点だけお答えいただきたいです。「名古屋弁でウ音便を使っている」説に対する反証可能性について教えてください。この一点については,是非答えていただきたいところです。--Haruharu 2007年10月5日 (金) 13:58 (UTC)

Haruharuさん、こんにちは。ウィキ豊です。何回も申し上げますが、ここは三河弁の項目です。名古屋弁の項目ではありません。したがって、あまり名古屋弁についてここで書きたくはありません。ただ、Haruharuさんのおっしゃる反証可能性のことですが、具体例などゴマンと有ります。GoogleかYAHOO辺りで「買うて 名古屋」とでも打ち込んで下さい。そうすれば例えばグーグルの場合のように名古屋で動詞ウ音便を使って居る具体例が出て来ます。中には大阪市民が書いて居る例も有りますが、どう考えても名古屋市民の使用例としか考えられないものも有ります。これで具体的な反証に成るでしょう。反証可能性について答えた事に成ると思います。これらのうちの1つの名古屋市千種区の子守唄を見ると「買うてみよ」と有ります。「コーテミヨ」と発音することは間違い有りません。こんな子守唄では納得できないかもしれませんが、探せばHaruharuさんも納得できる具体例も有ると思います。ただ、Haruharuさんがどの具体例で納得するかはこちらでは分かりませんので、Haruharuさんがおひとつおひとつ検討して下さい。わたくしはモノノハズミさんとは異なり、生粋の尾張国名古屋城下の言葉遣いをすると思われる方から動詞ウ音便を聞きました。そのため日本政府の国語調査会の資料を見ても失笑を禁じ得ません。モノノハズミさんが「アケァカッタ」と言う音を耳にせぬと言う発言をされましたが、東海ラジオ蟹江篤子アナウンサーの「かにタク言ったもん勝ち」で「あけぁあかったな」と発音をして居ました。これだけ具体的に指摘しても反論なさるのならば、モノノハズミさんは蟹江篤子アナウンサーに直接問い合わせて下さい。「名古屋弁としては有り得ぬ発音である」と、かの東海ラジオの正社員である名物女性アナウンサーとかけあえばよろしいでしょう。無論、Haruharuの論理では蟹江篤子アナウンサーは標準語では「akaikattana」と発音すべきと言う事で良いでしょう。標準語文法でおかしくても、方言の文法では必ずしも誤りとは言えません。--ウィキ豊 2007年10月6日 (土) 02:51 (UTC)

論点をずらさずにお答えください。どうすれば,名古屋弁では「ウ音便」ではなく「促音便」を用いるという証明になりますか?それが反証可能性という意味です。この一点にのみ回答ください。--Haruharu 2007年10月6日 (土) 08:47 (UTC)

反証可能性に関してはウィキ豊さんのお返事を待つこととして、私からは経過報告をいたします。
ノート:関西弁で、関西弁で「会う」「買う」をオー・コーと発音するか否かについて質問したところ、二人の方から「否」という返事をいただきました。関西の方が言下に否定されるようなことを関西弁に関して信じ込んでいらしたウィキ豊さんは、思い込みの激しい性格なのではないでしょうか。それとも関西弁のノートで発言されたお二人より私は関西弁に詳しいのだと主張されますか。名古屋弁についても関西弁と同じようにひょんなことから妙なことを信じ込んでしまっているということはありませんか。
×アケァカッタという発音をしない件については私一人の証言では信用してくださらないようなので、名古屋弁の項目の編集に関わってきた他のウィキペディアンに発言をお願いしてみます。
モノノハズミ 2007年10月6日 (土) 11:04 (UTC)
こんにちは。Haruharuさん。ウィキ豊です。反証可能性についてウィキペディアでは「検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があることを意味する。」と定義して居ます。Haruharuさんの言う「名古屋弁では動詞が促音便の形で活用する。」と言う命題は、生粋の尾張国名古屋城下の育ちの方々(狭義の名古屋弁の使用層)が促音便で話して居る具体例を集めることにより証明されるでしょう。特に標準語の影響の少ない高齢な方の言葉遣いの具体例が良いと思われます。現実には、名古屋市民にウ音便の人間と促音便の人間が混在して居ます。これは標準語もしくは共通語の影響が考えられ、使用される促音便がもともとの名古屋弁では無いと言う主張を退けるための証拠が必要でしょう。一般に方言と言う語は標準語と対比して用いるものです。従って標準語の影響の無い方々からの具体例を収集する必要が有ります。そのため標準語を用いて居る自覚の無い人間が促音便を使用する例を集めねば意味が有りません。--ウィキ豊 2007年10月7日 (日) 00:21 (UTC)
モノノハズミさん。ウィキ豊です。こんにちは。「会う」「買う」をオー・コーと発音するか否かについては確かに大半は発音しないでしょう。「会うて」を「オーテ」、「買うて」を「コーテ」と言う場合が大半だと思います。近畿言葉や名古屋弁の場合、おうおうにして伸ばす音(オーなど)と短く発音する音(オなど)の区別があやふやです。例えば「木」ですが、よその地域の人間には「きい」と発音しているように聞こえるものです。ところが本人には自覚が有りません。長短が逆の例として、大阪市民の発音など、「会ってきたよ」を「オテキタデ」と発音して居る様に聞こえます。本人は「おうてきたで」と発音したつもりかもしれませんが。オー・コーですと、往々にオ・コと言う発音になり短すぎて相手に意味が伝わらないからでしょう。そのため、「会う」「買う」をオー・コーと発音しないだけで、誤解の無い仲間うちならば使うのではないでしょうか。--ウィキ豊 2007年10月7日 (日) 00:37 (UTC)

ウィキ豊さんの意見の移り変わりについてですが,「但し、動詞のウ音便は旧尾張国の人間はよく使います」10月2日 (火) 00:46,「名古屋市千種区の子守唄を見ると「買うてみよ」と有ります。「コーテミヨ」と発音することは間違い有りません。」10月6日 (土) 02:51「生粋の尾張国名古屋城下の育ちの方々(狭義の名古屋弁の使用層)が促音便で話して居る具体例を集めることにより証明されるでしょう。」10月7日 (日) 00:37 「現実には、名古屋市民にウ音便の人間と促音便の人間が混在して居ます。」10月7日 (日) 00:21

子守歌の例に対しては,千種区の子守歌という例もあります。どちらの資料として提出するにしても適切ではないでしょうね。すみません,名古屋弁の範囲について議論はしませんが,上の4つの書き込みで範囲が色々とかわっているんですが(千種区って名古屋城下じゃないですよね?),旧尾張国でウ音便を使うという一番最初の書き込みに対しては,現北名古屋市の資料を提出しているので,もうかまわないでしょうかね?少なくとも,旧尾張国でウ音便を使うというのが通説ではないので,とりあえずはこの資料で十分でしょう。名古屋市を除く尾張のウ音便説を支持する積極的な資料が提出されない限り,この資料をもって反論します。

「生粋の尾張国名古屋城下の育ちの方々(狭義の名古屋弁の使用層)が促音便で話して居る具体例を集めることにより証明されるでしょう。特に標準語の影響の少ない高齢な方の言葉遣いの具体例が良いと思われます。現実には、名古屋市民にウ音便の人間と促音便の人間が混在して居ます。これは標準語もしくは共通語の影響が考えられ、使用される促音便がもともとの名古屋弁では無いと言う主張を退けるための証拠が必要でしょう。」→同レベルの,生粋の尾張国名古屋城下の育ちの方々(狭義の名古屋弁の使用層)がウ音便で話している具体例(ホームページ,ブログなどではなく)と,使用される促音便がもともとの名古屋弁では無いと言う証拠を求めておきます。--Haruharu 2007年10月7日 (日) 07:00 (UTC)

一応文献調査してきました。「おー」と発音するかどうかについて,明治38年に文部省国語調査委員会の編纂で刊行された『音韻調査報告書』附録,『音韻分布図』では,「おー」「おお」と発音する地域として,東北から九州にかけて所々に分布していて,特にウ音便との関連性は無いように思えます。愛知県付近では,岡崎市あたりに2地域,一宮市あたりに1地域,犬山市あたりから可児市あたりにかけて1地域報告があるほかは「あう」と発音するようです。近畿地方では,奈良県北部にあるようです。(100年以上前のものですから,これをもって現在存在する/しないなどと言うつもりはありませんが。)

ウ音便についてですが,昭和58年初版発行の講座方言学 6 中部地方の方言(編集委員:飯豊毅一,日野資純,佐藤亮一 発行者:佐藤今朝夫 発行所:国書刊行会)の愛知県の方言(執筆者:芥子川律治)において,名古屋方言ではウ音便形は無く,江戸時代以来そうだという意味の記述があります。

現代方言大辞典第一巻(平山輝男編)では,名古屋市の3人に対する調査で「会った」と発音するという意味の記述があります。--Haruharu 2007年10月7日 (日) 10:50 (UTC)

再び経過報告します。ノート:関西弁で質問したところ、仲間うちでも終止形と連体形の「会う」「買う」をオー・コーと発音する事はありえない、という解答でした。
今現在使われている生きた名古屋弁の資料として文献資料と生の体験のどちらが有力かは議論があるでしょう。しかし、共通語の影響を受ける前の純粋な名古屋弁についてとなると、これは圧倒的に文献資料のほうが有力です。それもできるだけ古い時代の調査が望ましいです。今現在生きている人はいかに高齢でも多かれ少なかれ共通語の影響を受けていますからね。その点Haruharuさんの以前示された資料はおよそ50年前のものですから有力です。この発言を下書きしている間にHaruharuさんが挙げられた資料の中にはさらに古いものもありますね。
今現在80歳の人が80年前と全く同じ方言を話しているかといえばそんなことはありません。いかに高齢の人でも、他人と会話ができるだけの言語能力を維持している間は新しい単語や言い回しを覚えますし、若い人に通じないからと方言の使用を避けるようになったりもします。
今現在80歳の人は50年前には30歳だったわけです。30歳から80歳になるまでの間にも若い世代より少ないとはいえ共通語の影響を受け続けてきたでしょう。お笑い番組の好きな人ならば関西弁の影響も受けたかもしれません。ですから、今現在80歳の人の使っている言葉より、50年前の調査記録のほうが古い時代の名古屋弁の姿を忠実に映していると考えるべきです。まして今現在60歳やそれより若い人などは、50年前には10歳以下だったわけですから、50年前の調査記録より信用性がかなり落ちます。
ウィキ豊さんが前におっしゃっていた偉い学者先生の前で方言を隠してしまう問題については、「方言の調査にご協力ください」と求められて「いいですよ」と応じるような人には当てはまりません。方言を恥ずかしがっているような人は方言の調査になど応じないでしょう。
要点を繰り返しますと、今の名古屋弁についてならばともかく、共通語の影響を受ける前の古い名古屋弁の資料としては、「年配の名古屋市民がこう言っているのを聞いた」という証言よりも古い調査記録のほうが有力です。
混乱の素になるといけないので聞きますが、先ほどのHaruharuさんの発言における「おー」と発音するというのは、何を「おー」と発音するという意味ですか? 「あう」を「おー」と発音するという意味でしょうか。また、「岡崎市あたりに2地域,一宮市あたりに1地域,犬山市あたりから可児市あたりにかけて1地域報告がある」のに対して、「あう」と発音する地域は何地域ですか?
モノノハズミ 2007年10月7日 (日) 11:08 (UTC) --(加筆)モノノハズミ 2007年10月7日 (日) 11:30 (UTC)

すみません。表現不足でした。

「逢う」,「買う」(資料には「逢フ」,「買フ」と書いてありますが)の連体形・終止形の発音の調査で, 「おー」,「おお」,「あう」,前記三種の混合,「おー」だが「お」と短呼することもある,「あー」,報告なし の7つに分けて日本列島が色分けされております。

愛知県では,一般的に「あう」だが,「岡崎市あたりに2地域,犬山市あたりから県境を越えて可児市あたりにかけて1地域」では「おー」,一宮市附近で1地域「おお」と発音するように読めます。地域の数え方は,連続して分布が有れば1地域として私が勝手に数え上げた物です。地図を見る限り,「おー」「おお」と発音する地域は愛知県の1/15を超えることはないとおもいます。近畿地方には,奈良北部が「おー」となっているほか,大阪~京都の主要部分は「あう」です。(このような記述であれば著作権の問題はクリアできてるでしょうか?)スキャンして載せたいところですがそうもいきませんね。ただ,著者がどのような調査を行ったのか,全国行脚したのか文献調査を一枚の図にまとめたものなのか,そのあたりがはっきりしないため,個人的にはあくまで参考程度にとどめるべきかなという気はします。当時は最先端の調査だったんでしょうけど。--Haruharu 2007年10月7日 (日) 12:07 (UTC)

現代方言大辞典第一巻の記述について追記しますと,名古屋では「あう」で「た」を付けると「あった」です。--Haruharu 2007年10月7日 (日) 12:28 (UTC)

こんばんは。Haruharuさん。ウィキ豊です。「同レベルの,生粋の尾張国名古屋城下の育ちの方々(狭義の名古屋弁の使用層)がウ音便で話している具体例(ホームページ,ブログなどではなく)と,使用される促音便がもともとの名古屋弁では無いと言う証拠を求めておきます。-- 2007年10月7日 (日) 07:00 (UTC)」についてですが、これはわたくしには絶対に無理です。学校教育に用いる標準語が促音便である以上、教育現場でウ音便が促音便に変わる可能性は指摘できます。また、ウ音便が上品に響くことから、荒い言葉を好む人が東のほう言葉遣いである促音便を使いたがったのかもしれません。しかし、あくまでも推測です。尾張国名古屋城下にもかかわらず促音便を使用する人から何故促音便を用いるようになったのか理由を聞き出せば良いのですが、そこまで名古屋弁に詳しい人間ならばわたくしも名古屋弁の項目の執筆をして居るでしょう。どちらにしてもここは三河弁の項目です。名古屋弁の項目ではありません。何回も書きますように名古屋弁に動詞ウ音便が有るか否かを議論するのは三河弁の項目のノートでは野暮です。--ウィキ豊 2007年10月7日 (日) 12:48 (UTC)

あの、三河弁のノートで名古屋弁に動詞ウ音便があるかどうかを議論するのが野暮だということならば、「名古屋弁には動詞ウ音便は無い」ということで片付けてしまってよいのではないでしょうか? 文献では無いとする説が一般的なようですから。 --モノノハズミ 2007年10月7日 (日) 14:36 (UTC)
モノノハズミさん、お早う御座います。ウィキ豊です。わたくしがもともと申し上げます通り、名古屋弁の動詞ウ音便については三河弁の項目では触れないのがベストであると思います。名古屋市内での動詞ウ音便使用者が関西出身者か何かは知りませんが、名古屋を名乗る方々の動詞ウ音便の使用例がブログ等で、多々見受けられることを考えますと、「名古屋弁には動詞ウ音便は無い」と言うことを三河弁の項目で断じるべきではないと思われます。また、三河弁のノートでは名古屋弁に詳しい方々が議論そのものを知らないでしょう。ここはあくまでも三河弁の項目です。「名古屋弁での動詞ウ音便の有無の問題」は名古屋弁の項目に譲り、全く争いの無い「ウ音便であって促音便ではない関西弁」と「促音便を常用する三河弁」の対比だけでよろしいのでは御座いませんか。--ウィキ豊 2007年10月7日 (日) 22:29 (UTC)


ブログを根拠にするのは適切ではないです。ウィキペディアもそうですが,書いた人間がどのような人間かはわかりませんから。「言ってへん」あたりをネットで検索すると簡単に近畿地方在住の方のブログがでてきますが,これを根拠にして近畿方言のウ音便を議論のあるところとしてもいいでしょうか?私もブログはよく利用しますが,ブログの信頼性はその程度だと考えておくべきだとおもいます。

『「名古屋弁には動詞ウ音便は無い」と言うことを三河弁の項目で断じるべきではないと思われます。』→ブログ等以外でウ音便を用いるという証拠が出てきたときに改めて議論すればよく,「連用形+て」の図にはあと標準語を加えておけばいいとおもいます。「名古屋弁での動詞ウ音便の有無の問題」は名古屋弁のノートでやってもいいのでしょうが,そういう議論が名古屋弁のノートで始まれば私も参加したいとおもいます。敢えてそういう議論をこれからはじめる必要があるとは考えておりません。--Haruharu 2007年10月8日 (月) 07:50 (UTC)

ウィキ豊です。わたくしはモノノハズミさんと異なり、名古屋市民が「使って居る」→「ツコール」、「違って居る」→「チゴール」(抑揚は両者いずれも太字が高音。)と話して居るのを聴いたことの有る人間です。いわゆる関西弁とは抑揚が異なりますが、これらは尾張国名古屋市の言葉遣いでしょう。ただ、三河弁の項目で議論する気には成れません。--ウィキ豊 2007年10月10日 (水) 00:19 (UTC)

ウィキ豊です。この件の議論はノート:名古屋弁#動詞連用形ウ音便のほうで行って下さい。あくまでもここは三河弁の項目です。--ウィキ豊 2007年10月10日 (水) 05:20 (UTC)

セクショナリズム的にノートで議論する内容を制限するのは個人的には反対ですが,名古屋弁のノートで議論するとのことであれば,ウ音便についてはそちらでしましょうか。とりあえず,名古屋弁の議論が纏まるなりしてから,三河弁の動詞の活用について修正を加えようと思います。まぁ・・私も強い口調になることが何度かありすみませんでした。--Haruharu 2007年10月10日 (水) 13:44 (UTC)