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ノート:三歳児神話

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三歳児神話の数字の表記について

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三歳児神話の三は3にしないほうが良いと考えます。他の部分の「3歳」はともかく、「三歳児神話」は項目名でもありますから、「3歳児神話」に変えないようお願いします。--Album 2006年9月6日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

外部リンクについて

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両論併記が目的ならもっと適切なサイトがあるのではないでしょうか?現在の幼稚園長(?)の時候あいさつ文へのリンクはあまりに不適切だと思います。--fromm 2007年1月23日 (火) 06:35 (UTC)[返信]

分かる気もしますが、まだまだ発展途上です。消すのは一瞬ですが、適切な(と思われる)リンクを探すのは30分以上かかるんですよ。これらを出典に、本文を充実させる、あるいは異なる観点を誤解なく伝える。そのために一応、賛否両方のリンクを追加して、外部リンクの項に置きます。--Album 2007年1月23日 (火) 10:12 (UTC)[返信]

この用語の初出に言及している貴重なリンクなので、ここに仮置きさせて下さい。

研究の紹介について

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上の方、署名お願いします. 研究者の紹介をいくつか加えました.影響を直接(脳科学からの演繹などではなく)観測して三歳児神話がなりたっているという研究をだれか紹介してください。僕は発見できませんでした。紹介したメタ分析によれば少数派とはいえ存在するはずですので。神話に不利な研究が公表されていないというのは前述のメタ分析や複数の専門家の大勢が神話に否定的であるという発言から疑わしく、出典もないので要出典タグをはりました.

--KyoKawasumi 2007年8月2日 (木) 08:02 (UTC) 肯定的な調査が見つかったのでメモ。編集については話し合い中なので 行なわない。 http://www.tcp-ip.or.jp/~meisyou/topics/top054.htm --KyoKawasumi 2007年8月3日 (金) 08:28 (UTC)[返信]

定義について

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まず三~神話というのは赤ちゃんは・・・ということを示す概念であって、・・・の内容に批判的である、というのは三歳児神話という言葉のもつニュアンスなのであって、そういう形式を保つようお願いします.それと、神話というのは人文科学の世界でわりと一般的につかうテクニカルタームめいたものだったと記憶しているのでその辺を説明できる方の追記願います. --KyoKawasumi 2007年8月2日 (木) 08:02 (UTC)[返信]

それ以前に、「石川丹」とは何ですか?この人でしょうか[1]?この人に三歳児神話について、どのような著作があるのでしょうか?--Album 2007年8月2日 (木) 10:53 (UTC)[返信]

石川丹は児童福祉総合センター所長.それは戻される前の版のはじめに肩書きを書いておいたので冗長と考え 二回目では名前だけとしました。 --KyoKawasumi 2007年8月2日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

「児童」とは満6歳~12際までの子供を指します。また石川氏は障害児専門ですね。「三歳児神話」の著作も見受けられず、専門家としては不適当だと考えます。--Album 2007年8月2日 (木) 21:55 (UTC)[返信]

石川氏の専門分野はどの典拠からですか? http://www.crn.or.jp/LABO/BABY/LEARNED/ISHIKAWA/GIF/ISHIKAWA_GAKKAISHI.PDF 三歳児神話のあるシンポジウムにおける定義と扱いを紹介するのに十分な権威はもっていると考えます。また、上記URLには以下のようにあり、

 札幌市児童相談所が1987~91 年に乳児院に入所措置した児童110 名のうち、1 年以上という􀬸期で、かつ入所期限の2 歳前後(1 歳8 ヵ月~2 歳2 ヵ月)まで在籍していた児童56 名(男32名、女23 名、男:女=1.4:1)を対象とし、10 歳代前半の生活状況を児童票(病院のカルテに相当する記􀽈)をもとに調査した。

児童の定義としてあきらかに3歳未満の子どもをふくんでいます

wikipediaによると 「児童の権利に関する条約」・「児童福祉法」などで「満18歳に満たない」 が児童のようです。0-5歳が児童として扱われるかは定義によりますが、 6-12というのはどこに典拠があるのですか?

--KyoKawasumi 2007年8月3日 (金) 04:37 (UTC)[返信]

これは勉強させていただきました。児童福祉法上では、児童に乳児を含めるのですね。学校教育法上では児童を6-12とします。日本では一般に、赤ちゃんを見て「この児童は~」とは表現しないと思います。1歳~3歳の幼児を見て通常、「児童」とは言わないと思います。
さて、私のノートで提示いただいたリンクを拝見しました。「何らかの事情によって親が育てられない、あるいは家庭で育てられない赤ちゃんを入所させて養育する児童福祉施設を乳児院という。」とありますね。明らかに親が育てるという概念が先にあり、その下位概念として入所させるという行為があるように表現されています。「池田[15]は1948~51 年生まれで乳児院退所後里子・養子になった15 例の30 年予後を調査したところ、2 例に非行・犯罪歴を認めたという。」などのような事例を挙げる方が話の枕に使った三歳児神話の定義が適当だとは思われません。なぜこの項で障害児等の話が必要なのでしょう?正直なところ、当惑しております。--Album 2007年8月3日 (金) 13:22 (UTC)[返信]

障害児云々は当然無関係で、三歳児神話の定義として・・・ 「3歳までの脳の成熟は極めて重要であって、その間に正しい刺激を与えなければ、健常な発達が臨めない」(定義2としましょう、母親がを定義1とします)、という意味もあるということを書くために石川の、専門家間でそういう認識に達したという言をひいたのです。参考文献の三歳では遅すぎる、とか澤口俊之の幼児教育と脳、においてもそういう定義2の内容を述べつつ「母親が~」という定義1の三歳児神話を支持しているわけです。なので無視すべき情報ではないと考えまた。 --KyoKawasumi 2007年8月3日 (金) 14:07 (UTC)[返信]

私の間違いかもしれませんが、「認識に達した」ではありませんよね?「本学会(日本赤ちゃん学会)においては3歳児神話という言葉の意味には二つあるという考え方の下に議論が進んでいる」と現在進行形で、議論の進み具合を言っているだけです。私の認識は間違っていますか?ある会の議論の進み具合で、百科事典の定義を決めて良いのでしょうか?--Album 2007年8月3日 (金) 14:14 (UTC)[返信]

場合によって二つの意味が使われている、という認識に達したということですが、専門家の間ではそういう用例もあるということを伝えるのに専門家2人(石川、および下記榊原)の証言は十分ではないのですか。そもそも定義2は定義1にしばしば含まれているわけですし、前にも書いたとおり参考文献において二つがつながっているものもあるわけです。この記事本文にある大日向の三歳児神話の構成要素その1を脳科学的装いでのべたものが定義2になるといえます。

そういう定義2もあるというのは例えばhttp://www.crn.or.jp/LABO/BABY/SCIENCE/01.HTM のシンポジウムにおいての話のようです。パネリストの地位から掲載用件を満たすと考えます。 http://www.crn.or.jp/LABO/BABY/LEARNED/SAKAKIBARA/index.html

こののリンクの方が発言の引用として詳細ですね。以下引用。

  • シンポジウムが始まってただちに明らかになったことがある。それは「3歳児神話」の定義が人によって異なり、大きく2つのやや異なった理解のされ方をされているということである。午前中のシンポジウムの開催に先立って「3歳児神話」の意味を説明するとして、ことわざの「三つ子の魂百まで」が例として持ち出された。そこで展開されたのは、乳幼児期の脳発達における環境の重要性と、乳幼児の脳の感受性と臨界期の重要性であった。平たくいえば「3歳までの(脳)発達は極めて重要であって、その間に正しい刺激を与えなければ、健常な発達が臨めないことがある」というのが「3歳児神話」に付託された意味であった。
「付託された意味」というのは「定義」なのですか?・・・「発達が望めないことがある」は一つの観察であり意見です。それを指して「それは神話だ!」と言って初めて「三歳児神話」の概念の成立ではありませんか?・・・そもそも、まず「神話だ!」と決めつける意見が出る以前から「三歳までは~」という意見があった。この時点で神話という概念は付託されていなかった。その時点ではそれを神話だ、とする人はいなかった。ところが、途中から「それは神話だ」と言う人が出てきた。ここで初めて「三歳児神話」という概念が成立したわけですよね?--Album 2007年8月3日 (金) 15:48 (UTC)[返信]

「付託された意味」というのは「定義」(の一つ)ではないのですか? 発生起源だけで語の現在の意味は論じられないので歴史的なことはおいておきましょう.シニフィアンが記号・「三歳児神話」、シニフィエが「赤ちゃんは~」という内容、「神話」がたみにこのシニフィエに否定的なニュアンスが含れているわけですが、主要な意味は「赤ちゃんが~」だけ.否定的ニュアンスは場合によって脇にどきます.なので「~」という内容を指し「神話」とあるとおり否定的ニュアンスを持つ.と定義すべきはずです.厚労省他で実際そう使われています.定義を「~」は不確かなものであるとする考え、とすると三歳児神話を批判する、などとという論考は「やっぱり悪影響があるので赤ちゃんは3歳まで母親が育てるべき」という結論になっているはずですし、「「三歳児神話」は正しい」などという論考は「影響なんてないから預けて働いても支障ない」とならなければ不自然です.こういう、「三歳児神話」が「~とする考えは不確か」の意味になっている資料は一つでもありますか?用例があるならその旨を加えればよいですね.(ここでいう批判は悪くいう、の意味) --KyoKawasumi 2007年8月3日 (金) 17:01 (UTC)[返信]

私の間違いかもしれませんが、「三歳児神話を批判する、などとという論考」は、フェミニズムにおいては「女性が子供を預けて働くのは問題ない」という主張の際に出ると思うのですが・・・?「三歳児神話を批判する」は、「預けても問題ない」という結論を導くはずです。。。--Album 2007年8月4日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

ちょいとコメント

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こんにちは。多少履歴などを見て、お二人の意見の相違というか、執筆の姿勢の違いなどが気になったので、口を挟んでみます。

KyoKawasumi さんは、出典を示しつつ、しかし記述する上でその典拠の位置づけや内容の要約がうまくできていないような印象を受けました。脚注の使い方なども参考にしてみて下さい。特に悪戯という物ではないと思いますが、差し戻された部分については、まだ原稿の体を成していないとも言えそうです。一般的な論文作法は、およそ掴みつつあるように思いましたが、ウィキペディアでは、多少異なるところも求められます。wp:vwp:norwp:npovの三つの方針は未読でしたら、ご一読いただけるようお願いします。

Album さんが差し戻した版のほうは、文章としてはこなれていますが、十分な出典があるとは言えないように思いました。rvの際の悪戯という表現は、過度に挑発的だったように思います。

いずれにしても、現状では、両者とも執筆に足る十分な資料を確認できておらず、現時点で加筆を進めるなら、不完全な記事であることを踏まえて、お互いに寛容に、資料収集と記述の修正を進めていくよう、お願いします。

記述の方向性ですが、

「三歳児神話」というのは、「これこれを三歳児神話と定義する」というようなものではなくて、誰かが用いるようになって、広まっていった言葉だと思うのです。なので、厳密な定義を求めるのは、あまり適当ではない。

まずは、その表現を最初に用いたのは誰か、ということで、それに言及したとされる高山の論文が挙げられています。その後、どのように広がったかというのも多少書かれています。そうした用例をまとめて、おおよそ「三歳児神話」というのは、このような意味に使われているということで、言葉の範囲が決まっていく、それをひとまずの定義とする、という作業が必要です。高山の論文は、そうしたまとめ自体としても一つの典拠たり得るでしょうし、厚生省の資料での表現も一つの典拠となるでしょう。

本文の表現を借りるなら「乳幼児期は母親の愛情が大切であり、母親が育児に専念しないと子供が寂しい思いをし、将来的にも取り返しのつかない傷を残す場合がある、という考え」は、「神話」と呼ばれるほど、広く浸透したもののはずです。ならば、次いで、この「考え」がどのようなもので、どのように広がり、どれほどまでに浸透したか、という研究史・受容史を押さえることになります。その後、これが「神話」と呼ばれるようになった、つまり、その信憑性に一定の疑いが持たれるようになった、という変化があるはずです。ですから、「神話」という表現を持たずとも、この「考え」に否定的な見解が、どのように(以下略)を調べなければなりません。さらに、その否定的な見解に対する反応もあるでしょう。

これによって、「三歳児神話」の概念が生まれ、さらに表現として、語彙としての「三歳児神話」が生まれることになるわけです。

「考え」について、肯定的であれ否定的であれ、これは学際的に扱われる事柄でしょう。脳科学もあれば、発達心理学もあるでしょうし、教育学としての研究もあるでしょう。学問から離れて、保育だとか、育児とかの実践的な部分からの意見、さらには政治・行政的な意図も絡んでくるでしょう。これらは、分野ごとに節を分けて、それぞれに両論併記で書き進める事になると思います。

用語としてはかなり定着したようで、ちょっと検索しただけでも資料は少なくなく、また、俯瞰的にまとめた資料もあるようです。web上で読める物で、直接論の対象として「三歳児神話」を扱っているものも散見されます。

榊原洋一:3歳児神話その歴史的背景と脳科学的意味. ベビーサイエンス1,60-65(2001)

高山育子「就学前教育の制度化と「三歳児神話」」

大日向雅美「母性愛神話・3歳児神話をどう見るか」広田照幸編著『子育て・しつけ(リーディングス日本の教育と社会 ; 3)』 日本図書センター.2006.

松田茂樹「現代日本における母親の就労の子どもへの影響に関する規範意識」渡辺編秀樹『現代日本の社会意識~家族・子ども・ジェンダー』慶應義塾大学出版会.2005.

ほか関係資料としてはここらへんで探してみてください。

この種の明快な定義がなく、また多方面から捉えなければならない事柄の記述については、手前みそですが、チンドン屋での記述は参考になるかと思います。専門外ですので、大きく的を外している部分もあるかもしれませんが、その点は、ご寛恕下さい。では、対話を進め、協力して執筆頂き、よい記事になることを期待しております。--Ks aka 98 2007年8月3日 (金) 19:43 (UTC)[返信]

「悪戯」という言葉については率直にお詫び申し上げます。ここ[2]をご覧いただきますと分かるとおり、第一段落が「三歳児神話とは~センター。」、と見え、続く段落の冒頭の「石川丹」が地名に見え、あとはリンクをどこかから適当にコピーしてきただけのように見えた、ということです。すなわちこの項で遊んでいるように見えて、即戻した、ということです。これは私の誤解でした。--Album 2007年8月3日 (金) 22:30 (UTC)[返信]

僕が加えた点の出典がわからない、とのことですが貼れるリンクを貼っていない他典拠の情報が不足しているのは確かなので編集再開後加えていきます.

歴史的過程は今挙がっているものでも多少は記述が可能なようなので はじめの定義の直後でも独立した節でもどこに書いても構わないと思います。ただ1900年ごろの三つ子の魂百まで云々も書くならその少し前くらいまでの位置に三歳児神話の「三歳あたりまでがとにかく大事」の意味があることを書いてわかりやすさをあげるべきと思います。また現在の定義をかくにあたり歴史的経緯は 必ずしも必要ではないでしょう。資料を探してくるにしても保育の影響を調べた研究(これはそのうち書物をもとに少し加筆する予定です)とは重複があるにしても別の話になりますし.

現在の定義として「~悪影響を及ぼす考え」、にするのか「~及ぼすということを神話として否定する考え」のどちらにするかの意見はどうでしょうか?↑の節に書いたとおり用例から「~及ぼす考え」(+否定の「意味合い」)を定義の主要な一つとしておします.「~神話として否定する考え」と解釈できる用例は今のところあげられていないし、感覚に反するのでひとまず書くべきでないのではんないでしょうか.

定義が色々あるといっても現存の使われ方は本文にもある大日向の三つの要素の変種に過ぎないように見えます。(「~否定する考え」を定義として 採用したとしても)一部とりだしや言い換え、といったものだといえるわけですから。なので定義として2つか3つの要素に少し注意書き少し注意書きを加えて コンパクトで網羅的なものになると考えます。

それと、日本赤ちゃん学会[3]のページの引用元としての妥当性に異存はありませんか?この学会誌は査読があるかどうかは微妙ですし、一般的な研究論文は載せない、とありますが、ベネッセというそこそこ権威ある企業の支援をうけていて、歴史も7年くらいはあります。執筆者が大学教授、公的機関の研究員、長など、専門分野に関する権威をある程度もっていると見られるのであればその発言はひくに値すると考えます。

もう一つ、専門家がある調査の結果を要約したものは載せることは適切だと考えますか?いずれ素人が自分で読んでまとめるより正確だと思います(その場合だれそれはこれをこういうものだといった、という形式が必要ですよね?) --KyoKawasumi 2007年8月4日 (土) 06:41 (UTC)[返信]

みなさんの意見を全部生かすにはどうしたら良いか考えてみました。「年表形式」はいかがでしょうか?2001年の赤ちゃん学会でそのような解釈が主であったことは事実です。また、そもそも「神話」と名づけられる前の「三歳児までは~」という考えが今日「神話」と名づけられているのも事実です。ですから、たとえば①「神話」と呼ばれる以前の通念、②その通念が「神話」と呼ばれ始めた頃の定義、③そして2001年の主流、というように年表にしてはどうでしょうか?これなら、情報の合成もなく、いろいろな事実を等価に客観的に表現できると考えます。様々な事実を合成してまとめようとすると、議論は終わらないので。そうして、この項を熟成させて行きませんか?--Album 2007年8月4日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
定義の部分に年表形式で...とおっしゃってるんですか?反対します。定義は三歳まで母親が育てないと悪影響が生じる(から母親が育てるべき)という考え」、場合によっては「三歳までは非常に大事という考え」、(+「神話」によるニュアンス)これが簡略で①、②、③全ても網羅しているはずです.というかこれを逸脱する用例の資料はあるんでしょうか?大日向の3要素なども①という意識を構成する要素の詳述となわけですし.歴史的経緯を書くこと自体には異存ありません.

--KyoKawasumi 2007年8月4日 (土) 15:59 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。定義の部分ではないです。本文でご覧いただいているもののみです。「歴史的経緯を書くこと自体には異存ありません」とのご賛同ありがとうございます。・・・どうも、一会議の流れで定義を変えるのは、個人的には違和感があるのですが、2つの定義に書き改めることに反対しません。出典はあるわけですから。。ただ、その立場をとる書籍が無いのが不安です。・・・専門家ですら一時期、「ジェンダー」・「ジェンダーフリー」の意味を取り違えていた歴史があります。(あと、石川丹氏の「楡の会」のリンクが死にました。理由は分かりません。)--Album 2007年8月4日 (土) 16:15 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが数ヶ月来れません. --KyoKawasumi 2007年8月4日 (土) 18:49 (UTC)[返信]

また機会がございましたらお願い致します。一応報告ですが、前:「札幌市児童福祉総合センター」は、現:「楡の会こどもクリニック」のようです[4]。「センター」の名称時代から、もともと私営だったのではないかと思います。前名称があたかも公営のような名称だったり、現:楡の会のリンクが消えてしまったり、ちょっと不安です。--Album 2007年8月5日 (日) 00:51 (UTC)[返信]

定義、研究動向の項についての編集

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国会議事録でも複数の意味で使われているので定義の項を加えました。過去に誤解で消された研究の項の内容を転載し、他の項にあった研究の紹介をこちらに転記。新しく大規模な調査の記事が見つかったので追加。各論者の専門分野を追記。要出典タグをいくつか追加。消した情報は事実上ないはずです。--KyoKawasumi 2008年1月14日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

「三歳児神話」を構成する3つの要素、について

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この項目は定義や研究動向と重複するようになり、長めなので削除して重複 しない部分を概要にでも転記したほうがいいと思います。--KyoKawasumi 2008年1月14日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

社会的意義の項

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これがあった方が構造が分かりやすくなっていいかもしれません。--KyoKawasumi 2008年1月14日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

非行歴と三歳児神話のデータ

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実地調査をすると、むしろ三歳児神話を助長するデータ (中略)問題を含んでいる。 ・・・の項について データ云々については出典がなく、数年前に編集が止まったままのIPユーザーの方の追加で、更に後半の留保は私論めいているので、出典を求めます。2ヶ月待って応答がなければ削除するつもりです。--KyoKawasumi 2009年8月17日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

google の検索でこの項が表示されるので、別の項の方が穏当と思い文言から「三歳児神話」を抜いてすこし変えてみました。googleの仕組みに詳しくないので効果があるかはわかりませんが--60.36.82.106 2009年8月17日 (月) 20:08 (UTC)[返信]

中立的な観点

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否定的な観点に偏っていますので、いくつかの否定的観点を除去するか肯定的観点を追加するかして中立性を保つべきです。

--Whitesell会話2015年9月12日 (土) 10:03 (UTC)[返信]