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ノート:三島事件

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ご教示願います

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ひとつ疑問がありますので、どなたかご存知の方がいらっしゃればご教示願います。三島事件の【概要】なかに、

>> そして森田必勝らと共に「天皇陛下万歳」を三唱したのち、
>> 三島は恩賜のたばこを吸い総監室で上半身裸となり、

と、あります。そもそも「森田らと共に」ではないので、それも正しく書き換える必要があるとは思うのですが、それより「恩賜のたばこ」を吸った、というのはどの資料にあたったものなのでしょうか?最初にこの一文が書き加えられたのが、2007年1月1日 (月) 06:51 78 (会話 | 投稿記録)です。

どなたかご教示いただければ幸いです。--文字禍1012 2010年4月17日 (土) 07:15 (UTC)[返信]

節を設置し、一行改行を修正しました。--124.108.255.10 2015年10月19日 (月) 16:56 (UTC)[返信]

事件の謎

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当時の防衛庁で人質を取って立てこもったにもかかわらず、三島らに警視庁が逮捕状が出さなかった理由(文中に理由が記載していない)は何ですか?中央省庁内とは言え警察部隊が突入して、三島らを現行犯逮捕する事は可能ではないのでしょうか?現行犯逮捕したら少なくとも庁内で自決はしなかったと思います。仮に起訴されても「懲役数年」程度で済んだと思います。--以上の署名のないコメントは、61.116.214.36会話/Whois)さんが 2010年11月24日 (水) 06:01 (UTC) に投稿したものです(124.108.255.10による付記)。[返信]

テンプレで署名補足しました。--124.108.255.10 2015年10月19日 (月) 16:56 (UTC)[返信]

テロ行為を美化・礼賛するような論調になっていることについて

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昨今、安倍元総理暗殺事件や岸田総理暗殺未遂事件などのテロ行為が頻発していますが、「安倍元総理暗殺事件の犯人を賞賛するような風潮が一部にあり、それが岸田総理暗殺未遂事件を招いた」とも言われます。当該記事は三島由紀夫のテロ行為を美化・礼賛するような論調になっていますが、そのような記述は改めた方が良いのではないでしょうか。--Kotokawa会話) 2023年4月15日 (土) 08:28 (UTC) --Kotokawa会話2023年4月15日 (土) 11:24 (UTC)追記[返信]

Kotokawaさん、はじめまして。すみませんが、三島事件が「テロ行為」だという学術的な出典はどこにありますか。また、この事件を、安倍総理暗殺事件などと同列にする専門家はいったいどこの誰なんでしょうか。。。そして基本的には自身が自決するという「諌死」だった三島事件と、誰かを殺す目的で、一般市民をも巻き込むおそれのあった安倍総理襲撃事件や岸田総理襲撃事件のようなものは何の関係もなく、次元の違う話だと思います。昨日の事件が安倍総理の事件の犯人賛美と関連があると思う人がいるとは思いますが、なんでそこから三島事件に飛躍するのか意味が分かりません。
そして、この記事は三島事件という高名な作家が1970年という時代に起こした事件について、きちんと多角的・客観的に論じた正式な歴史資料に基づいて編集しております。その中にはもちろん三島由紀夫の行動を批判する有識者などの反応や、事件に至った理由に彼の個人的な様々な要素(切腹願望、兵役につけなかったコンプレックス)なども含めておりますから、決してあなたが考えるようなテロ賛美の内容にはなっていません。
はっきり申し上げますが、そもそもあなたが三島事件を「テロ行為」だと規定していること自体が「独自研究」ですから、まずはその認識を改めていただかないと、そのような狭い見識に基づいてのそのようなことをおっしゃられても、こちらとしては戸惑うばかりです。これは事件の事実関係を歴史資料に基づいて三島や楯の会のメンバーが事件に至った背景の詳細について、できるかぎり正確に構成したものですから、犯罪予防の観点から「改めた方が良い」として、それを、あなたが気に入るように改めるというは逆に何らかの意図による、臭いものに蓋をしろみたいな言論統制になり、それは正確な事実を記載するという観点からみれば逆におかしなことになります。起った事件は事件ですから、その全容を知って誰かがそれに何らか影響されようがされまいが、それは事件そのものの歴史的事実とは別個に考えるべきものであり、例えば織田信長の本能寺の変に影響されて、誰かがなにか行動したとしても、基本的には両者の間には何の関係もないことと同じです。あのような物騒な事件が起きて、お心配なさるお気持ちはお察しいたしますが、あなたのお考えは、ちょっと短絡的だと思いますので、もう少し冷静になられたらいかがでしょうか。--みしまるもも会話2023年4月16日 (日) 02:09 (UTC)[返信]
私としては、当該記事は出典付きとは言え三島由紀夫側を賞賛する記述がかなり多く、否定派の記述が少ないと感じたためです(とはいえ私は門外漢ですので、否定派の意見を追記できるわけではありませんが)。いわゆるローンオフェンダーを生む懸念もあります。テロか否かについては、直近の「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」では、公的機関(連邦議会)の占領が企図され、死傷者が出ましたが、当該記事では「テロ」「クーデター事件」とされています。「三島事件」では市ヶ谷駐屯地の一部が占領され、負傷者も出ていることから、「三島事件」もやはり「テロ」「クーデター事件」ではないでしょうか。大辞泉にはテロリズムについて「政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義」とあるので、暴力的占領行為はテロと考えます。
※私の思ったことを追記しますが、門外漢ですので、これ以上は深入りしないことにします。--Kotokawa会話) 2023年4月16日 (日) 04:15 (UTC) --Kotokawa会話) 2023年4月16日 (日) 04:27 (UTC)追記 --Kotokawa会話2023年4月16日 (日) 05:11 (UTC)再追記・修正[返信]

コメントこんにちは。横から失礼します。(1)三島事件や三島由紀夫を「テロ」「テロリスト」と呼ぶ例が無い訳ではありません。

(2)個人的感覚では当時は「クーデター未遂事件」が一般的で、警察用語では「テロ」は個人を狙ったもの(施設は「ゲリラ」)です。しかし当事件は自衛隊員に重傷を負わせており、911以降は自国に対立する存在への安易な「テロ」規定が増えた(アメリカやロシアがイスラム主義組織を、中国がチベット独立派や香港民主派を広く「テロリスト」と規定など)こともあり、現在の感覚では三島事件も(更には幕末の維新の志士も)テロと呼ばれて不思議は無いと思います。「テロ」とはそもそも客観的用語ではなく政治的用語ですし、三島由紀夫は暗殺や暴力を明確に肯定した記述を残しています[3]
(3)しかしウィキペディアでは特に政治的な事柄では中立的な記述が必要で、改善を積み重ねる百科事典プロジェクトですので、多くの政治思想の記事と同様に、編集者による断定の形ではなく、出典を付けて「誰々はこのように呼んだ」と事実を併記するのが望ましいと思います。 --Rabit gti会話2023年4月16日 (日) 06:03 (UTC)[返信]

Rabit gtiさん、こんにちは。いくつかの出典ありがとうございました。ただ、それらの出典の中には、三島研究の観点から出典としては脆弱なもの(宝島とか)も散見されます。「「日本を変えるにはテロしかない」として三島は自決した。」という文言も、あくまでも鈴木氏の見解であって、実際の三島の考えや行動はそのようなテロ賛美の革命思考的なものではなく(「反革命宣言」しています)、いわゆるフランス革命のような暴力革命は明確に三島自身は批判・否定しています(戦国時代なんかも嫌いみたいなことを対談で言ってますね)。そして、私はあくまでも多くの三島に関する専門的出典に基づいて、三島事件や本人を「テロ」「テロリスト」と事典で規定しないだけで、いわゆるそういうふうに呼ぶ人もいるのは知っていますが、出典の信頼性・正確性・中立性の点から、そのような宝島的なものや浅学的なものは、ウィキペディアの記事の質が低下するものと思っています。
おっしゃるように、三島は暴力や暗殺自体は否定してはいませんが、それをする場合は基本的には「一対一の形」でしか肯定していません。そして相手を殺したら、必ずただちに自分自身もその場で死ななければならず、関係のない一般の人々を巻き込んだり、人殺しをしながら自分がのうのうと生き残ったりすることは絶対に容認していません。そういう本質的なことを抜きにして、「三島は暴力を肯定している」ということだけで、他の事件や安倍総理を殺した犯人とかへの賛美に繋げるのは、婉曲的に山上の行為を賛美したい人の我田引水的なものだと思います。
あと、大方の三島事件に対する感覚としては、その4つ目の「三島のクーデター未遂も一歩間違えればテロになった可能性があるが」というふうに、特にテロとは位置づけられないというのが一般的な見解かと思います。そして細かいことを言えば、「クーデター未遂」という見解も、クーデターを呼びかけた形にはなっているため、そう言われるのが通例みたになっていますが、実際のクーデター計画はそれよりも前の段階で頓挫してしまっており、その不可能から、いわゆる11月25日の有名な三島事件に至ったわけなので、ちゃんと全容を把握している研究者ならば、あまりそのような言葉を使用しないと思います。ちなみに、本当のクーデター計画があったことは記事内にも説明してあります。「テロ」という文言使用については、おっしゃるように、一般認識とは言い難いため、話者の名前(専門的・学術的出典ならば)は明記すべきかと思います。橋川文三の学術的な見解にように、高山彦九郎神風連横山安武相沢三郎や、朝日平吾中岡艮一などの「無名のテロリスト」の行動と関連して三島の精神史を論じているものは中立的・専門的見解として載せています。--みしまるもも会話) 2023年4月16日 (日) 07:55 (UTC) 補記--みしまるもも会話2023年4月16日 (日) 08:26 (UTC)[返信]
色々とイデオロギー的な内容の話をされている中で恐縮ですが、私が言いたいのは「駐屯地の暴力による占領」「クーデターの扇動」という、暴力的行為・議会制民主主義を破壊するような行為に対して、否定的な記述が少なく、賞賛するような記述が多いのは問題ではないかということです。「テロの定義」云々は本筋から外れるのでは?(三島事件を研究されている方の間では、それが主要な論点なのでしょうか?)。--Kotokawa会話2023年4月16日 (日) 08:37 (UTC)[返信]
  • Kotokawaさんは、記事の中立的観点ということに対して、何か勘違いなさっているのではないでしょうか。あなたが考えているような事件そのものに対する否定的な文言が少ないから記事として中立的ではないというのは、あくまでもあなたの感想であって、総合的な三島研究の観点からは、そのような平板な犯罪批判の論調を殊更に取り上げたものは少なく(大方の出典は、事件発生時のニュースとかはそんなものが新聞各紙であったよ、みたいな程度の記載です)、多くは三島由紀夫という人物をあらゆる角度から論じ、その死の意味や意義を考察したものがほとんどです。だから、逆に言えば、あなたがおっしゃるような「民主主義の破壊だ」みたいな文言を無理矢理に詰め込む方が、この事件に対しての論調の比率としてマイナーをクローズアップさせたものとなります。
  • もちろん三島事件というのは法律的には犯罪事件ですから、それ相当に生き残ったメンバーは逮捕され刑罰を受けています。それでも、Kotokawaさんが言っているような批判は事件当初は建前としてあったようですが、民主主義の破壊だとか常套句的な三島事件批判をした中曽根氏は、多くの国民からの非難を浴びて電話や投書が殺到したようです。そのため、その後の中曽根氏はこの事件の裁判で三島を庇うような陳述に変えています(まあ、あんまりそういうことを入れると、それはそれで中曽根氏批判に捉えられるかもしれませんので、そこまではウィキペディアの記事に入れることはしませんが)。
  • そして、相対的に事件そのものへの批判が少ないのは、それは日本文学界の重要な人物が、ある種の信念に基づいて自決した出来事だということもあって、その人の死の意味を深く考えるという側面の方が強く、単なる暴力事件として「民主主義がー」みたいな上っ面で批判するというのが、そもそも日本人の体質に合わなかったという面もあったのではないかなと思います。日本の歴史って、暗殺は多いし、サムライ文化もあるし、そんなにKotokawaさんが言うほど品行方正ではないし、野蛮な面が多々あったから長い歴史や文化が保たれてきたという面もあるでしょう。だけど、海外でもこの事件に対する暴力がどうとかの批判というのもあまりなく、フランスやイタリアでも三島の追悼が行なわれたくらいで、グローバル的にも、ロシアでも三島は人気があり、事件もある種リスペクトしているというのが実情です。思想的に左翼の人でも、三島由紀夫という人はとてもチャーミングだったと公言していますし、そもそも、Kotokawaさん的な事件批判が多かったら、三島の小説や著書が発禁にもなっているはずだと思いますが。--みしまるもも会話2023年4月16日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

引用について1か所

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石川淳の文章の引用中「感動に」[4]とある箇所は中公文庫『文林通言』1978年初版129頁では「感動は」となっています。掲載された新聞や単行本、全集などは未調査です。--Lmkjgmo会話2023年4月19日 (水) 10:18 (UTC)[返信]

引用文中の「感動」について

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『文林通言』で石川淳の文章にあたると「感動」の対象は「青空」と読めるのですが、どうやら石川淳の意図と違うように引用されているようです。まあ、孫引きが明らかにされているので、引用者の解釈として許容してもいいですが、私ならば誤読を誘うと判断して石川淳の箇所は除去するところです。ウィキペディアにとって私の読みは何の判断材料にもならないでしょうが一応指摘だけしておきます。--Lmkjgmo会話2023年4月19日 (水) 11:55 (UTC)[返信]

Lmkjgmoさん、どうもありがとうございます。参考にした出典を確認すると、「感動は」になっていたので修正し、補足もしておきました。ただし、Lmkjgmoさんのおっしゃるように徳岡孝夫の概略引用の解説のため、そこには「青空」という文言は出てないので、三島を行動に至らせた「現実にはたらきかける力」に「発することばなく、感動」しているように書かれています。後日、私自身が石川淳の原文にあたってみて、そのLmkjgmoさんご指摘の「青空」が何なのか調べてみたいと思います。ちなみに、三島の作品や随筆にもよく「青空」という言葉が出てきますが(地元の熊野神社のお祭りで担いだ神輿体験を綴った随筆「陶酔について」とか、「太陽と鉄」に)、そのことを石川が示唆しているのではないかなと少し思いました。--みしまるもも会話) 2023年4月19日 (水) 12:15 (UTC) 補記--みしまるもも会話) 2023年4月19日 (水) 12:34 (UTC) 補記--みしまるもも会話2023年4月20日 (木) 00:27 (UTC)[返信]