ノート:ロードムービー
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ロード・ムービーもしくはロードムービーへの改名を提案します。少なくとも、私個人としては今までロード・ムーヴィという表記は見たことありません(Category:映画のジャンル内の記事名と合わせるとロード映画になりますが、それもないとは思いますけど)。個人的には中黒がない方が良く見かける表記かな。後、もし改名に賛成の場合は何が良いかもちゃんと決めてください。改名提案後の結果を受けてカテゴリを作ろうかと思ってますので、その際のネーミングにも関わってきます。--エンピツ 2006年8月10日 (木) 23:58 (UTC)
- (賛成寄りだが、コメント)「ロードムービー」(中黒なし)がいいと思います。ただ映画「movie」をどのようにカタカナ表記するかの問題ですから、私も「ロード・ムーヴィ」という表記を見たことはありませんが、「見たことがない」がWikipedia:検証可能性に照らし合わせて改名移動をする根拠になるのかどうか、私にも自信がありません。また、「Vが入ればヴと表記した記事名とする」というウィキペディアでのコンセンサスがどこかにあるかもしれず(ないかもしれず)、この記事を立てた方に問い合わせてみるくらいの慎重さが必要と考えます。ロード映画にはしなくてもいいと思います(カテゴリ含め)。もうちょっと時間をかけて調べてみる&意見を募る(Portal:映画とか)必要があると思います--Ucheniitza 2006年8月11日 (金) 07:57 (UTC)
- (賛成)私もそう言われて、手元にある和洋の映画資料をさがしましたが、ほとんどが「ロードムービー」(中黒なし)もしくは「ロード・ムービー」になっています。大きな英和辞典もさがしましたが、そのような表記です。ただ、1つだけ例外をあげると、エスクァイア マガジン ジャパンから2000年に出版された冊子が『追憶のロード・ムーヴィー』です。ただし、オンライン・カタログでは「追憶のロード・ムーヴィ」となっており、これは間違いです。幸いにして手元に現物があり自信を持って言うことができます。--比和昇 2006年8月14日 (月) 12:26 (UTC)
- 中黒なしの「ロードムーヴィ」ではいかが。Mishika 2006年8月15日 (火) 11:09 (UTC)
- それでは問題解決にはならないと考えます。movieを「むーび」のように発音するのはおかしいと提起しているわけで、コンピュータやプリンタのようにJISなどで取り決めのあるものはともかく、やはりムービーのほうが良いように思います。--Ucheniitza 2006年8月23日 (水) 14:08 (UTC)
- 「ロードムービー」がいいと思います。検索してもmovieはムービーとされるのが圧倒的に多いので・・・・。ウィキペディアのスタイルマニュアルはvをブとするかヴとするかを決めていませんが、固有名詞をヴで書くことはあってもmovieのような一般名詞はブとするのが一般的な気がするんですが。(この辺の感覚は個々人の趣味に属する所なので難点ですね。)--221.190.107.19 2006年8月23日 (水) 07:46 (UTC)
提案後の議論の結果、中黒なしの「ロードムービー」で賛成多数と見られますが、これで移動してもよろしいでしょうか?特に何もなければ、作成者でもあるMishikaさんには申し訳ないですが、5日を目処に移動をしたいと思います。--エンピツ 2006年8月30日 (水) 12:15 (UTC)
- それでは、5日以上経ちましたので移動します。--エンピツ 2006年9月6日 (水) 22:25 (UTC)
「男はつらいよ 寅次郎物語」(1987)はロード・ムービィか否か
[編集]- 「男はつらいよ」は、言うまで間なく喜劇である。批判を浴びながらも山田洋次は精力を傾けてこの喜劇を作りつづけた。主人公の寅次郎は「テキヤ」の旅人であり、常識という枠で世間がすり抜けていく矛盾に心を動かしてしまう社会不適格者である。かれが矛盾を指摘すればするだけ世間との間に溝がうまれていく二重構造こそが笑いを生み、見ている人間の共感を生む。
- 「男はつらいよ 寅次郎物語」は寅次郎が仲間の遺児との母親探しの同行である。山田監督はこの映画で、ひとつは昔と違い満足に旅をすることすら許さない現代(警察官に扮したイッセー尾形など)を風刺しながら、駄目な中年男が手間のかかる子供に文句を言いながら、自分を嫌い顔さえ思い出したくない父親の影を歩いていく(変化していく)姿を描こうとした。
- ロード・ムーヴィとは、子供時代の寅次郎が歩いた孤独の道と、大人となった現在の寅次郎がやはり不幸を背負った仲間の遺児の父親代わりとなるという「過去と現在」の二つの道に重ねあわされる、その余情が核心である。ロード・ムーヴィの道はひとつではない。その道から過去へ辿っていくものである。というより、旅以外にその効用を生むものはない。
- この意味では「歌舞伎の道行」と「ロード・ムーヴィ」は全くことなる。「おさんもへえ」は過去へも未来へもどこへも戻れない「死への道」なのである。
- 物語終わりに矢張り現実と向き合えない「意気地なし」の自分が身を引いて、辛抱の効いた船長(すまけい)にすべてを託していく。「船長が秀のテテオヤか。いいだろう。あいつならいいだろう」。やはり寅次郎と世間の溝は埋まれないのだが、観客は満足して帰っていく。
- これで男はつらいよ 寅次郎物語」(1987)はロード・ムービィでないとするならば、何がロード・ムーヴィなのか?まさか焼きなおしの「菊次郎の夏」か?無論、これをして本作が成功したか否かは問わない。またそれは「菊次郎」も同様なのだ。