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ノート:モンゴル文字

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一つの疑問

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『元史』とか、『元朝秘史』とか、Rashīd al-Dīnの『集史』とか、どっちのほうにも鼠児年(1204年)春からナイマン攻略が始まるが、どうしてここには1203って書いているの? --以上の署名のないコメントは、61.230.81.165会話/Whois)さんが 2007-01-08 09:52:01 (UTC) に投稿したものです。

単純に年数を打ち間違ってそのままにしていました。とりあえず適正な年代に修正しました。申し訳ありません(汗 --Haydar 2007年1月8日 (月) 17:45 (UTC)[返信]

グユクの勅書の朱印について

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Pelliotの本からの? すばらしいですね! ちなみに、この画像を反時計回りで90度回したらもっと便利だとおもいますが、いかがでしょうか。--以上の署名のないコメントは、219.68.42.211会話/Whois)さんが 2007-06-08 12:30:45 (UTC) に投稿したものです。

返信が遅くなって申し訳有りません(汗 佐口透先生の訳されたC.M.ドーソンの『モンゴル帝国史』(第2巻)の朱印では一応左に90度倒立して掲載されていますが、ペリオの論文でもそうですがバチカンのホームページに出ているグユクの勅書の画像をご覧になると分る通り、勅書のペルシア語の文章の並びに揃えて朱印も横書きで捺されてありますから、一応出典のとおりに掲載しました。
たしかに大元朝以降の碑文などのウイグル文字は縦書きされる場合が多いようですが、これは漢字文化圏である中国方面の文書は殆どの場合縦書きされていた影響で、それに文章の方向を揃える意味でそのようにされていただけで、実際は当時のウイグル文字(式モンゴル文字)は縦書きも横書きもされていたようです。イルハン朝アルグンガザンオルジェイトゥなどが西欧の君主たちに発送した勅書の類いには漢字で書かれた朱印が捺されていますが、朱印は縦書きで、ウイグル文字で書かれたモンゴル語本文の書く方向にもそれに沿って捺されているようです。『クタドゥグ・ビリグ』(ウィーン本)や『ムイッズ・アル=アンサーブ』、『ミウラージュ・ナーマ』などのティムール朝以降に西方で書かれたアラビア語文書にウイグル文字が並記された文書類がいくつかありますが、基本的にウイグル文字も横書きされています。16、17世紀以降の東方のモンゴル文字は専ら縦書きされているようですが、モンゴル時代以前のウイグル文字やソグド文字にしても、縦書きも横書きもされていますので、「モンゴル文字(ウイグル文字)=縦書き」というよりも、「モンゴル時代(以前からの)のウイグル文字(いわゆるウイグル式モンゴル文字も含む)は併用される他言語の文字大系に従って縦書き横書き両方されている」という実態を優先したいと思います。
モンゴル文字やウイグル文字の文書の画像を掲載している論文で、画像が縦書きとして紹介されている場合はそれに従うべきかもしれませんが、ペリオの論文ではそのような説明はないみたいですので、朱印はこのまま論文に掲載されていた状態である横書きの通りにしたいと思います。--Haydar 2007年6月23日 (土) 20:38 (UTC)[返信]

China

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なぜか中国語が含まれているようなのですが…。--Hanakayu 2011年4月30日 (土) 03:59 (UTC)[返信]

中国語版を訳そうとしてそのまま残された部分がたくさんあるみたいですね。日本語にされている部分も意味がよくわからない部分があるので徐々に修正してみます。--拙者 2011年12月31日 (土) 04:13 (UTC)[返信]