ノート:シンボリクリスエス
馬名について
[編集]2013-10-20T08:38:32 (UTC)版まで、馬名の由来について父の馬名であるクリスエスとは、S字形をしたマレー人の短剣との意味である。という一文がありましたが、これを取り除きました。Kris S.はマレー人の短剣である「クリス (短剣)」ではなく、クリスエスの馬主Kris S Robillardに由来するものだそうです。(参考)--Bellcricket(会話) 2013年10月20日 (日) 22:34 (UTC)
宝塚記念について
[編集]名馬を読む2の中で、「「秋の天皇賞の前に一度レースを使いたかった」という消極的な理由で臨んだ」とあります。 こちらに関してですが、 藤沢和雄調教師が自著で述べている「「仕上がりすぎている可能性はあっても仕上がっていなかったということはない!」と自信をもって送り出したのです。」という記述から消極的とは言えないこと、別の自著の中で「有馬記念に出るためには春のローテーションをよく考えなければならない」と書いている事、優駿2019年のゼンノロブロイの東京優駿の追い切りにて「早く仕上がりすぎそうなので、少し緩めます」と話していたという記述があること。 これらの3点から消極的な理由で臨んだという表現は不適当であり、調教師本人が語っている内容と矛盾するため消させて頂きました。--名無し0000519847(会話) 2021年12月27日 (月) 23:48 (UTC)
- 今回該当部分を加筆したOKfarmと申します。『名馬を読む2』ではそのように確かにそのように書いていました。秋3戦を使いたいから、春は多く走れない。ゆえに宝塚記念だけにしとこうということでしょう。あなた様のお手元に優駿の2019年がおありかと思いますが「早く仕上がりすぎそうなので、(以下略)」というのは、単に調整過程が順調だったと書かれているだけではございませんか。「宝塚記念を使う」ことは消極的でも、「宝塚記念出走」に対してはGIに出走させるのですから、出走にあたる過程は積極的なのは当然のことではありませんか。勝ちを目指したはずです。
あくまで目標を秋としていただけ。という結論から、春のレースに宝塚記念を使ったことは「消極的」という表現が正しくありませんか。
ちなみに、今回の加筆では割愛しましたが、当時の優駿に当たってみると宝塚記念の敗因は、やはり、休み明けだったという風にまとめられています。あくまでシンボリクリスエスを外から捉えたときそう表現されたわけですから、藤沢氏の著書での加筆をお待ちしています。--OKfarm(会話) 2021年12月28日 (火) 00:23 (UTC)- 返信ありがとうございます。名馬を読む2は私も所持しています。「「秋の天皇賞の前に一度レースを使いたかった」という消極的な理由で臨んだ」という文章に関してですが、こちらの記述が原因とは断言できないのですが最近シンボリクリスエスの話題に関して「宝塚記念を叩きに使った」と捉える人がなぜか多数見受けられたため、この記述はどうかな?と思った次第です。
- 宝塚から天皇賞秋までは数か月の休みが入り、藤沢氏も「休み明け」と言ってるのですから叩きに使うという考えはおかしいと思うのですが何故か叩きと思う人があとを絶たず…
- かといって本の中でこのように書かれてしまっている以上、勝手に改変を加えるわけにもいかず…「消極的な」という表現が誤解を招いているのではと考えて一文を消した次第です。
- こちら何か誤解を与えない表現アイデアなどありますでしょうか?--名無し0000519847(会話) 2021年12月28日 (火) 00:48 (UTC)
- 返信 もう事実をただ書き加えて、藤沢氏の著書による回想に頼るほかないように思えます。実は、今回構成する上で「菊花賞と天皇賞(秋)の二択」について、深く述べておりません。なぜ、そっちを選んだということについては、読み比べてみると、いろいろな証言が見えるのです。ぼやかすというと悪い感じですが、正しく、簡単に書くには、それらの記事を排除して、藤沢自身の著を優先した方が良いと思われます。ただ、注釈を利用して「このような証言もある」だとは、述べておきたい。まあ藤沢氏も完璧ではありませんから。
- したがって、名馬を読む2の記述を藤沢氏の著書に置き換えても良いでしょう。ただし、注釈にて説明を加えておきましょう。編集が競合すると悪いので、私は年内、特段の事情がない限り、この記事に介入しないことにします。加筆頼みます。--OKfarm(会話) 2021年12月28日 (火) 01:11 (UTC)
- 了解しました。私もこちらの記事を加筆して下さった先人の方々の苦労は非常によく分かるつもりですし、みだりに書き加えるつもりはありません。ただ何故か最近シンボリクリスエスに関しての誤解が飛び交っていることを何とかしたいと思う一心でした。年内いっぱいとのこと了承しました、可能な限り加筆しようと思います。注釈の件も了承しました、きちんと加えておきます。--名無し0000519847(会話) 2021年12月28日 (火) 01:16 (UTC)
有馬記念について
[編集]「藤沢は「ただ勝つだけではだめなんだ」と考え、シンボリクリスエスにこれまでにない量の調教を課したうえで参戦であった。」 という記述が存在しましたが、 こちらも藤沢和雄調教師が自著の中で述べていることと正反対の内容であり、調教師本人がこちらの噂の内容に対して否定しているために消させて頂きました。--名無し0000519847(会話) 2021年12月27日 (月) 23:48 (UTC)
- 返信 ありがとうございます。経歴について、冗長な説明や過剰な強調などは修正しておきました。よく調教師は、戦略のために「嘘」や「出まかせ」を話すことがありますね。そのため、その報道などを額面通り、受け取ってはならないことがここで理解できました。自著による証言は、その馬を浮かび上がらせるには必要でしょう。各種修正お願いします。--OKfarm(会話) 2021年12月28日 (火) 00:36 (UTC)
- 返信ありがとうございます。少なくとも調教師本人が否定している以上はそこは汲みとっておいた方がよくはないでしょうか?そうでなければ関係者たちが本当のこととして話している全ての事柄が信用できなくなり、世間の噂の方が正しいということになってしまうと思うのですが…
- すくなくとも著書の発行年は2008年であり、嘘をつく必要はないと思いますが…--名無し0000519847(会話) 2021年12月28日 (火) 00:54 (UTC)
- 返信 藤沢氏の証言が優越します。ましてや引退からしばらくたった2008年ならば。先ほどの返信は、あくまで私の反省と、教訓でした、申し訳ありません。--OKfarm(会話) 2021年12月28日 (火) 01:17 (UTC)