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ノート:ウラジーミル1世

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事実関係を書く事がAlex K.さんには「正教会至上主義」なんですか?--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 15:05 (UTC)[返信]

オリガの方にて説明しました。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 15:57 (UTC)[返信]

なるほど、議論しても無駄な方だということはよくわかりました。歴史的事実についても記述する事を許さないという訳ですね。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:03 (UTC)[返信]

名前

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少し前の話になりますが、このページにそれまで書かれていた「古ルーシ語名」(の仮名表記)と「ウクライナ語名」を削除したのはなぜでしょうか?(そもそもの妥当性を確認しておりませんので何とも言えませんが、同様に「古ノルド語名」も削除されていますね。)

ロシア語名に沿った仮名表記だけ掲載するのは、どのような理由・目的からですか?

ほかのいくつかのページでも同様の編集がなされていますが、何のための情報削減ですか?--PRUSAKiN 2011年6月26日 (日) 06:44 (UTC)[返信]

こんにちは。当該部分の編集を行ったのは私ですが、出典が示されておりませんでしたのでコメントアウトさせていただきました。削除はしてません。あと「ロシア語名に沿った~」というより「出典に沿った~」表記ですので、お取り違えの無い様お願いします。出典お持ちの方いらっしゃいましたら追加されることを期待します。--ぽん吉 2011年6月27日 (月) 00:25 (UTC)[返信]

お取り違えの無い様 ……ところが、そうとしか見えませんでした。なぜなら、その部分と同様にロシア語名「ウラジーミル」についても出典が書かれておりませんでしたから。

出典が不明確というまったく同じ状況であったにもかかわらず、一方だけを「出典なし」として削除(コメントアウト、つまり閲覧者から見た場合の文面からの削除)し一方を残されましたので、出典云々というよりはたんに「一方を残してほかを削除した」のだ、というように見えました。

ちなみに、今でも「ウラジーミル」という表記には出典が付けられておりません。脚注等を用いてきちんと示す必要があります。でないと、数ある表記バリエーションの中から列挙された参考文献のどれに基づいてこの表記を選択したのか、あるいは書かれていない別の文献が用いられたのかすら、閲覧者は理解することができません。たとえば、そこに挙げてある除村吉太郎 『ロシヤ年代記』が「ウラジーミル」という表記を用いているんですか?

なお、 原初年代記によれば、〜〜 云々という説明は黒川祐次 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 中央公論新社〈中公新書; 1655〉。ISBN 4-121-01655-6。にあったと思います。一度ご確認下さい(この本に記述があるんじゃないかということはこの分野をやっている人なら容易に予想がつくことだと思うんですが、ほかの本を調べる際に同じ本棚にあったであろう本に目を通さずに、記述をコメントアウトされたことについては残念に思います)。私も時間が取れ次第、ページ数またほかの文献等調べて出典の明記には協力致します。あと、たしか歴史学者の中井和夫先生は「ヴォロディミル」という表記を用いていたと思いますが、出典が(汗)……忘れてしまった。

なお、出典の問題と別に、 発音はロシア語の「ウラジーミル」よりウクライナ語の「ヴォロディームィル」に近い については言語学的にも説明が可能です。まず、音節の数がロシア語の Владимиръ では三つしかありませんが、ウクライナ語の Володимир では四つあります。古ルーシ語の Володимеръ は最低でも四音節ありますから、ロシア語よりはウクライナ語名の方が近いでしょう。発音については、古ルーシ語の発音が今日では不明であるため(私が知らないんじゃなく、専門家のあいだでも不明)厳密なことはいえませんが、ロシア語の Вла- よりはウクライナ語の Воло- の方が古ルーシ語の Воло-近いでしょう。次の -ди- という部分は、古ルーシ語の発音が不明であるため比較できません(簡単に言えば、ドィかディかヂか不明)。 -меръ については、ウクライナ語の方が近いといえます。なぜなら、ウクライナ語のアクセントのない и は「エ」に近く発音されるためです(発音規則)。一方、ロシア語の и が「エ」ないし「イェ」のように発音されることはありません(研究社の露和辞典による)。以上からして、諸要素の比較の集積を見ると、比較上ロシア語名よりはウクライナ語名の方が古ルーシ語名に近いように見えます(あくまで比較であり、同じ、とは言っていません。古ルーシ語の音素が不明である以上、「比較的=あえて比べれば〜〜のように見える」という以上に厳密な結論は出せません)。

実際『物語ウクライナの歴史』に「ウクライナ語名の方が近い」と書かれているのでこのような説明はウィキペディアでは不要かもしれませんが、ついでなので触れてみました。この分野、ウィキペディアではあまり人気がなく執筆者がなく、以前いた数名の執筆者の方も残念ながらいなくなってしまいましたので、少ない人数で出せる知恵は出し惜しみせず、協力して発展させていけたら幸いです。--PRUSAKiN 2011年6月29日 (水) 06:35 (UTC)[返信]

まず、私がコメントアウトした部分を下記に引用します。
原初年代記によれば、彼の本名はヴォロディーメルヴォロジーメル)である。その発音はロシア語の「ウラジーミル」よりウクライナ語の「ヴォロディームィル」に近い。なお、ヴォロディーメルは、古ノルド語の史料では「ヴァルデマール」として登場する。
次に、12月30日の加筆時に参考文献としてあげたものからの表記を下記に箇条書きします
  1. 除村『年代記』p.56他 - 「ウラヂミル」
  2. 和田編『ロシア史』p.42他 - 「ウラジーミル」「ウラジーミル聖公」
『「ウラジーミル」という表記には出典が付けられておりません』とのことですが、出典となる参考文献を加えましたので(それまでは脚注も参考文献もない記事でした)、冒頭表記には出典をつけるのは可読性からも特に必要ないと思ってました。またコメントアウトした部分ですが、
  1. 原初年代記によれば、彼の本名はヴォロディーメルヴォロジーメル)である。 - 除村「年代記」では「ウラヂミル」なので説明不足。
  2. その発音はロシア語の「ウラジーミル」よりウクライナ語の「ヴォロディームィル」に近い。 - WP:NPOVから、出典なく「どちらが近い」は問題あり。PRUSAKiNさんのご説明は分かりますが、PRUSAKiNさんではなく、二次資料として示されていることが大事だと思います。
  3. 古ノルド語の史料では「ヴァルデマール」 - 出典なし。(私が確認してないだけですが、確か『北欧史』にあった?かもです。)
と判断したのでコメントアウトした次第です。表記そのものを記載することには別に反対ではないですが、そこに主張が加わるなら出典つけるべきだと思いました。ただ「もうちょっと調べてから編集しろ」という非難は甘んじて受けます。すみません。ちなみに、手元にすぐあるもの一点追加しますと
  1. 中井和夫他『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p.99 - 「ヴラジーミル(ヴォロディーミル)、p.99のみ」「ヴラジーミル、p.99以外」
となってます。なお『物語ウクライナの歴史』の著者黒川祐次氏は外交官で歴史の専門家ではないという認識でしたので、上記山川の『ロシア史』や『ポーランド・ウクライナ・バルト史』と同列に扱うのもどうかなあとは思います(いずれにせよ後で確認してみます)。あと、立ち読みの記憶でしかないのですが、山川の新しい世界史教科書か何かでは確か「ヴォロディミル」的な表記だったはずです。併せて調べ、表記については出典付けて新たな節でもつくり説明するような形にはしたいと思っております。古東スラヴ語の方も、時間つくってご返答するようにしますね。--ぽん吉 2011年6月29日 (水) 08:01 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。また、調べて下さってありがとうございました。

実のところ私もその除村『年代記』や和田編『ロシア史』の表記例は把握しておりましたが、現在のページでの示し方では「たまたま我々のように知っている人」以外にとっては「除村『年代記』にウラジーミルと書いてあるのかな?」的な誤解も呼ぶ曖昧な書き方でしたから、きちんと出典を脚注等で示した方がよいと思いました(ウィキペディアでは現在、脚注で出典を示すのが原則です)。 冒頭表記には出典をつけるのは可読性からも特に必要ない とのことですが、私は必要だと思います(なお、脚注等で構わないと思いますが、「ウラヂミル」の表記例は出しておいた方がよいでしょう。除村『年代記』は基本書ですから)。

ご説明いただいて、コメントアウトした判断はよくわかりました。

  1. 確かに書き方が曖昧ですが、原初年代記の原書を見れば日本語で「ヴォロディーメル」ないし「ヴォロジーメル」と書ける名前が記載されていることは明らかです(原書ご確認下さい)。ただ、私が「曖昧」といったのは、「原初年代記によれば」以下日本語表記を書くと、あたかも日本語の訳本でそう表記されているのかというような誤解を呼ぶ曖昧さがあるかな、と思ったからです。原語表記に括弧か脚注か何かで仮名表記を書く方が適切かもしれません。
  2. ですので、『物語ウクライナの歴史』に起債があったかと。私の話はついでなので、あまり気にしないで下さい。
  3. 古ノルド語の史料は、私も見た記憶がありません。

時間の都合で今すぐには取り組めませんが、名前については一節設けてもよいかもしれません。例えばこの人はキリスト教の聖人であり教会の名前(称号)を持っていたりもしますが、ほかに民話での出方(あれはモノマーフの方かもしれませんが)など、いくつか呼ばれ方があります(勿論、基本の「名・父称」の呼ばれ方だとか、「聖公」だとか、「大ウラジーミル(ウラジーミル・ヴェリーキイ)」だとか、いろいろ名前があります)。加えて、関連言語でのそれぞれの呼び方があります。なので、それについて一節設けて簡単に説明してもよいかもしれませんね。

『物語ウクライナの歴史』については私もちょっと微妙だと思うんですが、ウクライナに関して論じた学術論文を読むと必ずと言ってよいほどこの書籍が参考文献に掲載されておりますので、「論文における引用数」からいえば結構重要な書籍なんじゃないかと。筆者の経歴によってではなく、本そのものとして専門家からきちんと評価されている文献であるとみなしてよいのではないでしょうか。

古東スラヴ語については、要約欄が狭いのでぶっきらぼうな書き方になってしまいましたが、現時点で文句を付けるとかそんなに大した意味はなく、「古東スラヴ語(スラブも可)」と書いている出典が掲載されている「参考文献」の中にあるのかないのか、なければほかのほかのどの文献にあるのか、ざっと一通り記載しておくべきでは?というごく単純なお願いです。万が一出典がなければ話は別ですが、あると思いますので、それを単純に掲載して下されば「議論の余地なく」問題は解決です。--PRUSAKiN 2011年6月29日 (水) 08:25 (UTC)[返信]

調べ物の途中経過ですが、やはり『物語ウクライナの歴史』には「ヴォロディーミル(ロシア語名ウラジーミル)p.38」「大ヴォロディーミル」「聖公」などの表記はありましたが、原初年代記によれば、〜〜ウクライナ語に近い 云々という説明はありませんね。私が見落としたかもしれませんので、お手数ですが記載のあるページ教えていただけますか?なお『物語ウクライナの歴史』はまえがきviiで「固有名詞の表記については、原則としてウクライナ語の発音によった。」とありますので、上記「ヴォロディーミル」は黒川氏によるウクライナ語の発音のカナ転写です。なお表記の調べ物では山川の高校生用世界史教科書などで「ウラディミル1世」との表記がありました。まあ、もうちょっと時間出来たらまとめたいと思います。--ぽん吉 2011年6月30日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

まず、本当に冷や汗ものと言うか、申し訳なく思っているのですが、その件は私の誤りです。私は何年か前にウィキペディアに 〜〜ウクライナ語に近い 云々と書かれたのを見て「『物語ウクライナの歴史』に書いてあるのかな?」と思って見たところ、「載ってないや」と思ったんですね。それを先日頭が混乱してか、「『物語ウクライナの歴史』に書いてあるのかな?」と思ったのを「のかな?」の部分がどっかに行ってしまいました(汗)。

適当なことを書いてすみません。そのような文章はその本には書いてありません。なお、載っていないということについては私も改めて書籍で確認致しました。現在のところ、仮に各言語名を書くにしても 〜〜ウクライナ語に近い 云々の記述は削除相当だと思います。

きちんと調べもせずに勝手なことを書き、わざわざ調べてもらうという手間を掛けさせてしまったこと、申し訳なく思うとともによく反省致します。

ところで、それとは別の問題として、『物語ウクライナの歴史』についてですが、私がこの本を出典とすることについて指摘したのは、一般に中​央​公​論​新​社の『物語○○の歴史』シリーズは「一般向けの入門書」であり「厳密な専門書」や「厳密な学術論文」というわけではないので、その点がそうした情報源と比べればやや劣るかという意味だったのですが、それを言えば山川の世界史の本も「一般向けの概説書」の類ですから、『物語ウクライナの歴史』をして特に劣った情報源ということはないのではないでしょうか。

著者の黒川祐次氏についてですが、専門家じゃないとのご指摘ですが、それはなぜでしょうか?科学技術総合リンクセンターで公開されたページによれば、国際関係論で博士号を取得しており、なおかつ「日本大学 国際関係学部 国際関係学科」の「教授」であり、「学部次長」だそうですから、何の疑いもなく「学者(研究者)」であると断定できるのではないでしょうか(研究分野では、少なくとも修士以上の学位を持っていて実際研究活動をやっておれば、研究者と称して違和感はありません)。日本大学のページもあわせてご参照下さい。

なお、これは分野による事情ですが、ウクライナのようなマイナーな国を研究するのであれば、研究者の総数が少ないがために一人の学者があらゆる方面から対処できなければならないため、国際関係論の専門家が言語学や歴史学や文学等々について何か書いていても、特に違和感はなく、むしろ当然です。マイナーな国に取り組む研究者は、いちおう「○○学者」の肩書きは持っていても実際にはあらゆる分野をこなすことを求められますので(実際にマイナー分野に取り組んでいる諸先生方をご覧下さい。東大の中井和夫先生、東外大の中澤英彦先生、早稲田の伊東一郎先生など、みんな本来の肩書きの範囲を超えて何でもやっています)。歴史学は国際関係論と密接に関係していますから、黒川祐次氏を指してとりわけ「ウクライナ史の専門家じゃない」と指摘する必要はないと思います(まあ、本当の「ウクライナ史学者」がそう批判する場合は話が別ですが)。

『物語ウクライナの歴史』は本の薄さに比例して内容も薄くなっている面は否定できませんが、少なくとも書かれている分についてはほかの日本語文献やウクライナ語での研究と比較して別段問題があるものではなく、ウィキペディアで出典として用いることに問題はないように思います(自分の進退にかかわるような研究論文には、もう少し専門的な論文を使いたいが)。いかがでしょうか。--PRUSAKiN 2011年7月6日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

『物語ウクライナの歴史』の件は了解しました。もうちょっと調べ物して時間とれましたら表記の整理をしようと思います。あと山川世界史の表記につきまして、ご指摘のとおり専門書ではないのですが、大学受験で世界史の科目をとる方は大抵山川の教科書・参考書に目を通されると思いますので、「どれだけ多くの人が目にしたか(WP:NC認知度が高い)」という観点からは無視できないかなと思いました。『物語ウクライナの歴史』が山川世界史より劣った情報源とは申したつもりはないのですが、ただ、「その本を呼んだ人」の数では山川世界史の方が多いのではないでしょうか。
著者の黒川祐次氏につきまして、『物語ウクライナの歴史』を出版された2002年の時点ではまだ外交官で、外務省を退職された後日大の教授になられたのではないでしょうか。現時点では確かにウクライナの専門家であると思います。また『物語ウクライナの歴史』がwikipediaの出典として問題ないとの認識につきましては私も基本的には同じ考えですので、加筆の際には出典として使用したいと思います。--ぽん吉 2011年7月6日 (水) 07:30 (UTC)[返信]

山川の件については了解です。仰るとおり、ウィキペディアにおいてはその解釈でよいと思います。

黒川祐次氏ですが、日本の駐ウクライナ大使です(1996年11月〜1999年6月※プリント作動するので注意!)。詳しく知らないのですが、2002年の時点で少なくとも修士号は持っていたのではないでしょうか?(これによれば、大学の卒業年度からして2002年時点で修士号すらないとは考えがたい)。そうであれば、(その後の経歴と併せてになりますが)「研究者」と呼んで差し支えないでしょう。(博士号ですが、最近は必須条件のようになっていますがかつては必要とされておらず、取っていなかった研究者は大勢います。黒川教授は日大で取得と記載されていますが、もしかしたら比較的最近取得されたのかもしれません。ただ、修士号は取っていないといろいろ差し支えるので、これは持っていたと考えるのが自然でしょう。)

あと、私事ですが、時間の都合で今後しばらくウィキペディアに手が出せなくなると思います。書ければ書きますが、いずれにしてもすぐにお返事できなくなることについて、あらかじめお詫び申し上げます。遅くとも復帰後にはお返事致しますので、ご了承下さい。--PRUSAKiN 2011年7月6日 (水) 07:59 (UTC)[返信]

外交官(一種)の方は、全員とは申しませんが、入省後早い段階で研修として各国の大学にいき修士号とるのではないでしょうか?外交官の方に限っていうと、修士号をもっているイコール研究者とは言えないと思うんですが。まあ本記事とは直接関係ないですし、2002年の時点でも黒川氏が「ウクライナの専門家」であるのには同意しますのであまりつっこまないでおきます。--ぽん吉 2011年7月6日 (水) 09:59 (UTC)[返信]

ですので、「修士号持ってる=研究者」とは限らず、先に書きましたように、「少なくとも修士号を持っている」「少なくとも現在研究活動を行っている」の二点複合で「研究者と断定してよいのでは?」と述べました。ただ、やはり厳密に言えば2002年時点での状況は明らかにできていませんので、「断定してよい」は強すぎたかなと思います。

まあ、もう少し緩い感じで、「現在研究者だし、同著は『研究実績』にカウントされているようだから、いいんじゃない?」くらいに表現を抑えておきます。なんだか無責任な感じの結論になってすみません。--PRUSAKiN 2011年7月6日 (水) 10:50 (UTC)[返信]

対処後の続き

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対処ありがとうございます。よいと思います。ふたつ気になる点があるのですが、ひとつはやはり冒頭部分が日本語表記がロシア語名になっているにも拘らず原語表記が古代教会スラヴ語か何かになっている点でしょうか(ところで、これは古東スラヴ語ではなく古代教会スラヴ語ないし教会スラヴ語ではないでしょうか?)。

もうひとつは、その当時語っぽい表記の日本語表記を記載するのは不可か、という点です。たしかに出典が見つかりませんが、「日本語に訳されていないから記載してはならない」という規則はないはず。ほかのページでは、日本語出典のない○○を日本語で××と転写して書く編集は普通に行われています(ていうかそうしないとページが作れない)。いかがでしょうか。

冒頭部分を、「ウラジーミル1世(955年頃 - 1015年7月15日)は、キエフ大公国の大公(在位980年頃 - 1015年)。当時(の史料で)は○○○(Володимѣръ Свѧтославичь)と呼ばれた」というようにできたら、スマートだと思うのですが。ただ、読み(従って日本語表記)が断定しがたいので、当時(の史料で)は Володимѣръ Свѧтославичь と書かれており、これは今日○○○とか×××と読まれている。」のような結局あんましスマートじゃない感じにせざるを得ないかもしれませんが。--PRUSAKiN 2011年7月22日 (金) 08:04 (UTC)[返信]

今晩は。「古東スラヴ語ではなく古代教会スラヴ語ないし教会スラヴ語ではないでしょうか?」とのことですが、どういった根拠でしょうか?
あと、「日本語出典のない○○を日本語で××と転写して書く編集は普通に行われています」とのことですが、転写のルールが明確でない場合あまりそうした編集はすべきではないと思います。また、正直申し上げてPRUSAKiNさんはむしろ「日本語出典のある○○を日本語のない××に転写して書く編集」を普通に行ってらっしゃると見ておりました。主にウクライナ語表記に関連してのようですが。PRUSAKiNさんの編集をすべてチェックしたわけではないですが、こうした編集はjawp的に大丈夫なんでしょうか?
ご提案の記述に関しては、上に示した疑問点が解消されましたら改めて検討したいと思いますが、私としてはこうした部分より先に記事の本体部分にもうちょっと加筆するのが良いのではないかなと思っております。--ぽん吉 2011年7月24日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
  1. 「古東スラヴ語ではなく古代教会スラヴ語ないし教会スラヴ語ではないでしょうか?」については、特に異論を持っているわけではないのですが、当時の多くの書物(史料)は古東スラヴ語というよりは古代教会スラヴ語か(それが東スラヴ化した)教会スラヴ語のようなもので書かれておりますので、この名前もそういった史料から採られてきたものではないのかと、ふと思っただけです。まずその問題以前に Володимѣръ Свѧтославичь が古東スラヴ語であるという出典が記載されておりませんが、どのような文献に基づくものか、またその文献が使用している史料が(古代)教会スラヴ語ではなく古東スラヴ語で書かれたものであるということがわかるよう、出典明記していただけますか?
  2. 転写のルールが明確でない場合あまりそうした編集はすべきではない と仰られますと、日本語文献で紹介されたことのない事物は、他言語版にページがあっても日本語表記に直してページを作成したり、本文に記載したりしてはならない、ということになりますが、実際にはウィキペディアではそういう場合は何らかの翻訳なり仮名表記を用いて書いております。 Володимѣръ Свѧтославичь に限って仮名表記してはならない理由は何でしょうか?
  3. 正直申し上げてPRUSAKiNさんはむしろ「日本語出典のある○○を日本語のない××に転写して書く編集」を普通に行ってらっしゃると見ておりました。主にウクライナ語表記に関連してのようですが。 なるほど、そういう目で見ていたんですね。よくわかりました。さて、それではその指摘がどれを指して仰っているのか、具体的にどのページか、どの編集かをご指摘下さい。すべてチェックしたわけではなければ、チェックした分についてご指摘願います。(ただ、数年前とかの編集になるとこちらもどういうつもりであったか今となっては説明しかねる場合があるので、予めご了承下さい。)
  4. 先に記事の本体部分にもうちょっと加筆するのが良い 全然構いません。私は表記の問題が解決するまで本文を編集してはならないと申したことは一度もありません。--PRUSAKiN 2011年7月30日 (土) 13:32 (UTC)[返信]
こんにちは。ウィキブレイクされてるものと思ってましたが、活動時間とれたのでしょうか?
  1. 古代教会スラヴ語古東スラヴ語の関係でしたら、木村『古代教会スラヴ語入門』pp.23-25お読み頂いた方がよいかと思います。あと、ノート:ウラジオストク でも示しましたマックス・ファスマー『語源辞典』のウラジーミルの項なども、もうお忘れかもしれませんがご参考まであげておきます。
  2. あまりそうした編集はすべきではないとは書きましたが、いつのまにか日本語表記に直してページを作成したり、本文に記載したりしてはならないと全否定する文章になってますよ。発言変えないで下さいね。
  3. このページに関してですと、2007年5月の編集で転写の誤りとして「ヴォロディーメィル」を「ヴォロディームィル」に書き換えていらっしゃいます。この点につき、上の方で強い口調で推薦されていた『物語 ウクライナの歴史』では「ヴォロディーミル(ロシア語名ウラジーミル)」でしたね。(すでに指摘しましたが、同書まえがきで「固有名詞の表記については、原則としてウクライナ語の発音によった。」とあります。)つまり、PRUSAKiNさんは出典のある『物語ウクライナの歴史』の表記ではなく、出典不明の表記を記載されたものと理解しました。私がPRUSAKiNさんを「そういう目」で見たと言うより、事実そういう編集をなさっていませんか。他のページにつきましては、時間がとれましたらPRUSAKiNさんのノートページにでも書かせていただきたいと思います。なお「数年前の編集は説明しかねる~」とのことですが、それはPRUSAKiNさんの事情ですので、「予めご了承」はできません。(それを了承したら、何も聞けませんよね?)と言いますか、私が聞いてるのは「出典が何だったか」ではなくて「出典を基にして書いたかどうか」という編集方針についてですので、数年程度で忘れる類のものではないと思います。
  4. PRUSAKiNさんの許可を頂きたいのではないのですよ。ただノートページで色々質問されたのを私が無視して記事編集し、対話拒否といわれても困りますので回答申し上げてるのですが、労力さき過ぎの様な気がしましたので申し上げたまでです。--ぽん吉 2011年8月1日 (月) 04:01 (UTC)[返信]

基本的に、私は時間の取れるときにコメントしています。不定期で申し訳ないとは思いますが、私はウィキペディアで食っているわけではないので(笑)、やむをえません。コメント書くのが下手なので、時間が掛かるんですよ。先日から使用するソフトの不具合という不測の事態により、ここ数日やることなし状態に陥っているため、多少なりとも活動しています。問題が解決されればあちらをやらなければならないので、こっちには来ません。それがいつになるかわかりませんが(今日修正ファイルが送られてくるはずなのですが、まだ来てない、ってことはまだ出来てない)、その場合、作業の都合上予告なく抜けますので、ご了承下さい。

さて、本題です。

  1. 無論それは読んでいますが、そういうことではなく、 Володимѣръ Свѧтославичь の出典は何だろうか?というもっと素朴な疑問です。質問せずに機械的に「要出典」を貼り付けた方がよかったですか?現に出典が示されていないのだから。
  2. わかりました。では言い換えましょう。今回がその あまりそうした編集はすべきではない に該当するという理由をご説明下さい。
  3. 一般論としてウクライナ語の и を「イ」と表記しない場合、「エィ」と表記するか、「ウィ」と表記するかについては両方に例があり(つまり、この三種類の表記法が存在する)、その当時の私が「エィ」はよくないと考えていたため、その発言を行ったものと思います(今は必ずしもそう考えていない)。2007年当時、ウィキペディア全体として今ほど出典にがんじがらめな状況にはなっていなかったため、統一的な表記を導き出せない『物語 ウクライナの歴史』はそこでは考慮に入れていなかったのだろう、と思います。
    「こちらもどういうつもりであったか今となっては説明しかねる場合がある」という発言が「説明しない」かのごとき解釈を生んでしまったとしたら、こちらの発言がよくなかったと思うので言い換えますが、その当時のウィキペディア内の状況や、出版物の状況、当時の自分の考え、などを勘合して編集しているので、あとからその辺の複雑な状況を思い出して正確にフォローすることが難しい、という意味です。こちらとしては、そういう状況を見ながらやておりますので、あまり不正確に過去を復元しながらフォローしたくないし、第一過去について跡付け的に解釈を与え、第三者に解説するということ自体に反感があります。また、ウィキペディアの習慣で、記憶でどうだとか言ってもあまり説得力がないし言っても仕方ないかな、などと。で、記憶では、2007年から2008年にかけての時期というのは、2006年ごろまでのかなり緩い状況が徐々に瓦解し始めていた時期ではなかったかと思うので、こちらの考えや発言、対応もかなりぶれが生じていると思います。それを事細かに再現して、個別の意見表明や編集に関して正確にいま説明するのは簡単ではありません。
    「出典を基にして書いたかどうか」という編集方針についてですので、数年程度で忘れる類のものではないと思います。 とは仰られても、私が実際忘れていたら仕方がありませんよね?実際その辺あまり自信がないので、数年前の記憶には自信がないので出来る限りの説明しか出来ない、ということを正直に言っただけですよ。そちらがどのくらい細かく訊いてくるかもわからないし、「私のことなら何でも答えます」的態度は取れないじゃないですか。
    上でご指摘の箇所については出典を用いずに単に表記問題として捉えた、のであったろうと思いますが(はっきり言って記憶にないが、出典がない以上、そう考えたものと推定する以外にない)、もう一度言いますが、ほかの箇所についてもこれこれこうだと説明できるかは、言われてみてからでないとわかりません。私が一番心配するのは、その頃の編集だと、あまり深く考えていないだけという可能性がある、ということです。誰しもあまり文献調査をしていなかったし、ほんの軽い気持ちで「こっちのページ名の方がいいよ」的なスタンスで表記が決められたり改名されたりした例はいくつもあったと思います(私以外の人がやったそういう改名の実例を挙げる必要がありますか?)。私も2009年1月の「ポチョムキン」の改名提案までそこまで日本語での表記例に注意は払っていなかった気がします。あれだって、元はといえば出典への配慮と言うよりはただあとから難癖つけられないよう調べてみただけだったし。
  4. だから、あとから文句を言われないよう私の許可(言質)を求めているんでしょ? ただノートページで色々質問されたのを私が無視して記事編集し、対話拒否といわれても困りますので回答申し上げてるのですが はい、そういうことは言いませんし、「対話拒否」だなんて、そんな言いがかりは毛頭考えていませんでした。私はこれまでウィキペディアでそんなことはやってきていません。本当に私の過去のやってきたことを何も理解せずに、色んな誤解と偏見を抱くんですね。失望しました。--PRUSAKiN 2011年8月3日 (水) 07:34 (UTC)[返信]

ところで、あなたの仰る「日本語出典のある○○を日本語のない××に転写して書く編集」というのと、私の言う、仮名表記の出典のない Володимѣръ Свѧтославичь を片仮名化する件とは、そもそも何の関係あるんでしょうか?私はここで言っているのは、日本語での表記例がない外国語を仮名表記するのはウィキペディア的に好ましくないかのごとき意見はおかしいということであったのに(あなたの言葉を借りれば、そういうことについて あまりそうした編集はすべきではない というのは妥当ではなく、何らかの翻訳・日本語化は行うべきである、でないと、日本語版ウィキペディアは外国語表記だらけになるでしょう)、なんか全然関係ない方向に話が引っ張られている気がするんですが。突然その話(正直申し上げてPRUSAKiNさんはむしろ 以下の文章)が出てきたので何を仰りたいのか意図がよくわからないんですが、たんに私個人対する嫌味でしょうね。ここでの話にウクライナ語とかは全然関係ないのにわざと「PRUSAKINはウクライナ偏重なんでしょ」的な態度を臭わせる姿勢からは、強い敵意を感じざるを得ません。--PRUSAKiN 2011年8月3日 (水) 09:37 (UTC)[返信]

こんにちは。まず申し上げておきますが、PRUSAKiNさんのお時間がないことを責めているのではないですよ。ただ利用者ページに「7-10月までウィキブレイク」とあったので、あれ?こちらから質問等して回答もらえるのかな?と思っただけです。実生活等お忙しいのであればしばらく返信保留していただいてかまいません。
  1. 木村『古代教会スラヴ語入門』も読まれました?p.24から引用しますと、「古代教会スラヴ語のロシアにおける地方的変種は、オストロミール福音書の言語も含めて、ロシア教会スラヴ語よりはむしろ古代ロシア文語と呼ぶのが妥当である」と書いてます。古代ロシア文語は古東スラヴ語と同じものを指すと私は理解してます。ここを典拠とすると、失礼ながら「(原初年代記に書かれた)ウラジミールの表記は古代教会スラヴ語ではないか?」というご質問は、ちょっと的外れですね。なおВолодимѣръ Свѧтославичьは昨年12月の編集でテンプレート基礎情報 君主を付加する際参考にした英語版、ロシア語版、ウクライナ語版などで見かけましたので表記させていただきました。まずかったですか?Володимѣръの方はファスマーの『語源辞典』で示しましたので、これだけは残してよいと思いますが、どうでしょうか?
  2. PRUSAKiNさんご自身が「古ルーシ語の発音が不明」「古ルーシ語の音素が不明」とおっしゃってますよね?音素が不明でどうやって日本語に転写されるのですか?
  3. 個別に伺った上で「2007年5月当時は古すぎて記憶にない」はいいんですよ。ただこちらから伺う前に「予めご了承下さい」とこちらの行動に制限をかけるようなことをいわれても困る、と言いたかったのです。「日本語出典のある○○を日本語のない××に転写して書く編集」の点につきましてはPURSAKiNさんのノートページの方でお伺いしたいと思います。
  4. 言質も求めてませんよ。私としては、方向性も見えないまま「古東スラヴ語ではなく古代教会スラヴ語ないし教会スラヴ語ではないでしょうか?」と、上記1.でも示しましたようにちょっと?な質問を繰り出されて、「この先この調子で一語一語出典を求められるのかな?」と不安になりましたので「記事の本体部分にもうちょっと加筆するのが良い」と申し上げたまでです。あと「対話拒否~」はPRUSAKiNさんがどうというより、一般論で申し上げてます。お気にさわったようでしたらすみません。
なお私が「日本語出典のある○○を日本語のない××に転写して書く編集」と伺ったのはPURSAKiNさんの「ほかのページでは、日本語出典のない○○を日本語で××と転写して書く編集は普通に行われています(ていうかそうしないとページが作れない)。いかがでしょうか。」に呼応したものです。ちょっと私の理解と違ってたもので。繰り返しになりますが、こうした編集はjawp的に大丈夫なのか、こちらの方にご意見いただけますでしょうか?--ぽん吉 2011年8月4日 (木) 03:53 (UTC)[返信]

利用者:124.209.221.138さんへ

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こんにちは。利用者:124.209.221.138さんは12月9日のこちらの編集で、画像の差換えと、冒頭文表記「ウラジーミル」→「ヴォロディームィル」への変更を行っていらっしゃいます。同様の編集を11月22日と12月9日の2回行ってらっしゃいますが、疑問があります。

  • 画像「Vladimir by klodt.jpg」への差換えはどういった理由でしょうか。「1000 Vladimir 2.jpg」の方が銅像の細部・表情もよく見え、よいと思うのですが、如何でしょうか?
  • 「ヴォロディームィル」はどの日本語文献で使われておりましたか?出典を提示してください。

また、こちらで在位期間を「978年6月11日 - 1015年7月15日」とされてますが、同じく出典が示されておりません。根拠とされた資料のご提示をお願いします。--ぽん吉 2011年12月9日 (金) 07:10 (UTC)[返信]

  • rvロシアPOV 古スラヴ語の「Воло~」は「ヴォロ~」とよむ。「ウラ~」と読めない。中井 (1998), と 黒川 (2002) ご覧ください。」との要約でなされた編集についてですが、こういう行動パターン(ロシアPOV是正を主張して古スラヴ語の再建音やウクライナ語に近いとされる表記に全て置き換えようというパターン)の方は以前にもいらっしゃいましたね。まず根本的な認識の誤りだけ指摘しておきます。「ウラジーミル」というのはロシア語にも近くありません。おそらくはロシア語に由来するであろうとは思われますが、外国語を「v」音に至るまで転写しようという今の日本人からすれば、「ヴラディーミル」と書いた方が現代ロシア語に近いでしょう。単に各種文献で定着しているから使われているだけでしかありません。それに対し、執筆者達を批判するかのように「ロシアPOV」と言い続けるのは、事実に反する主張を以て関連執筆者達に対する中傷とも受け取れないこともありません(この指摘の後も納得いくお答え無く続けるようであれば、中傷の意図があると判断せざるを得ません)。それにぽん吉さんへの問い掛けにノートにおいてお答えになっていないのもいかがなものかと思います。--Kinno Angel 2011年12月13日 (火) 12:08 (UTC)[返信]
Kinno Angelさん、上記コメントありがとうございます。念の為補足しておきますと中井他『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(中井 (1998))および黒川『物語ウクライナの歴史』(黒川 (2002))にある表記「ヴォロディーミル」はいずれも前書きなどで「ウクライナ語にしたがった表記」とあり、利用者:124.209.221.138さんが両書を「古スラヴ語の「Воло~」は「ヴォロ~」とよむ」の根拠として提示されるのは完全に誤りです。Kinno Angelさんからの仲裁的編集もございましたので、すぐに差し戻しなどはせず、利用者:124.209.221.138さんがこちらのノートページにお越しくださり、ご自身の編集の説明と出典を提示されることを引き続きお待ちします。(なお要約欄にコメントを書くのは「対話」ではありません。)--ぽん吉 2011年12月15日 (木) 05:33 (UTC)[返信]

画像について

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画像変更編集について説明します。最近になってこの画像を巡って緩慢な編集のし合いになっていたようですが、第三の画像を選定したものです。

どうもIPさんはノヴゴロドにある銅像の画像が使われていたことが気に入らず、キーウにある銅像の画像に差し替えたかったようです。これに対しぽん吉さんは、場所に拘らず、表情まで判る鮮明な画像を使われたかったようです。

正直、ポン吉さんの言い分の方に説得力を感じます。IPさんが選んだ画像は遠景でしかありません。どうしても大公の根拠地であるキーウの画像を使いたいというのなら、より顔が判りやすい鮮明な画像が出て来てから差し替えれば良いのです。そして最近のウィキメディア・コモンズの画像の追加スピードを考えれば、その日は遅くない筈ですよ。IPさんは何を焦っているのでしょうか。落ち着いて頂きたいと思いますね。

かと言って、ウクライナに拘りのあるIPさんによって、画像如きでコミュニティが消耗させられるような事態が起きても何にもなりません。そこでウクライナ国内にある銅像で、顔もしっかり映っており、しかも大公だけが映っている良い画像がありましたので、これに差し替えました。これでIPさんが納得されることを期待しようと思います。--Kinno Angel 2011年12月13日 (火) 12:28 (UTC)[返信]

要出典について

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「ノルマン系のルーシ族の植民を奨励する一方で」の要出典に関して

要出典を外す根拠になるかわかりませんが、

  • 「(988年)デスナ、(中略)ストゥグナ等に沿って町を次々に建て(なお注釈には、町ではなく要塞とみなす説がある旨の指摘もあり。)、スロヴェネ、クリヴィチ、チュヂ、ヴァチチより貴族を集めて、これらの者を町々に住まわせた」(國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。134頁より引用)
  • 「(991年)ベルゴロドの町を建て(中略)他の町々から多くの人々を集め、そこに入れた」(國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。135頁より引用)

という記述がありました。「ノルマン系の」ルーシ族なのかはよくわかりません。スロヴェネ、クリヴィチ、ヴァチチはスラヴ民族、チュヂはフィン=ウゴル系のようです。記述修正(もしくは削除)の参考になればと思い報告いたしました。--ノフノフ会話2013年8月20日 (火) 14:20 (UTC)[返信]