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ノート:アルベルト・シュヴァイツァー

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シュバイツァーのアフリカ観についての具体的記述が削除されたことについて

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Sukono2104氏は2007年3月30日12:14付の文章で

[[1]]

(一般にはキリスト教の伝道と医療活動およびその平和活動を通して、シュバイツァーの活動は高く評価されているが、日本の児童文学者寺村輝夫が伝記『アフリカのシュバイツァー』で記しているように、実はアフリカ現地での評判は決してよいものではない。)自らの神学思想を現地の文化より優先し、また同時代の知識人たちの大半と同様に白人優位主義者の側面を持っていたことも事実であり、彼については西洋からの視線だけではなくアフリカからの視線でも検証する必要もある。現在においてもアフリカの一部の保守階層を中心に、ヨーロッパの列強の帝国主義侵略戦争・植民地支配のシンボルとして扱われるケースがあることも言及しておく必要がある。

太字の部分を削除しましたが、その理由を明示していませんが、この部分は歪曲したものでは決してなく、英語版WikipediaにおいてもStance on racial relationsの節においても明示されております。皆様に明示するために、翻訳版(yahoo検索のもの)を用意しますが、そこにはガボン独立を時期尚早と判断していること、アフリカ人はヨーロッパ人の弟であるとして自分より下と見ていたことなども記されており、価値観としては現在の人権観やヒューマニズムの価値観とは異なる側面があることも明示されています。[2]

もちろん、こうした限界があったからといって、シュバイツァーの行いが軽視されるとは思いませんが、しかしシュバイツァーも時代の制約という点で限界もあったということはきちんと記しておくべきだと思います。それなのに、一方的に削除されたことには納得がいきません。むしろ削除をすることは必要以上にシュバイツァーを美化することとなり、かえってシュバイツァーに対する神格化という意味では、シュバイツァーにとっても名誉なことではないと思います。野口英世が自分について必要以上に美化されていたことについて、あれは自分ではないと話したというのをトリビアの泉で紹介されていましたが、そういうことは、シュバイツァーについても言えないでしょうか。--Tamachan21 2007年5月20日 (日) 14:02 (UTC)[返信]

随分前の議論ですが、上記削除された箇所は必要であると考えます。ノーベル平和賞を受賞するという光の部分を記載するのであれば、そうではない影の部分も問題視されていることを文献を持って記載することが「中立性」を保つことにつながるのではないのでしょうか。よかったよかった。すごいねぇ。、、、、これだけでは薄っぺらいと思うのです。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 04:19 (UTC)[返信]
この問題ですが、すでにSukono2104さんの編集の2ヶ月後の2007年5月20日にTamachan21さんがこの部分を復帰しており[3]、10年以上前に解決済みであります。現在の版の「評価」の節にも、ほぼ同じ内容の文言があります。--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 06:01 (UTC)[返信]

「シュヴァイツァーに対する評価」の項目についての問題提議。

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この該当記事は、百科事典として書くべき項目ではないと思う。あくまで、シュバイツァーの業績を正しく理解することが出来ればそれでよく、根拠となる出典があろうとなかろうと、事実であろうとなかろうと、この項目は不必要です。Wikipediaは審判の場ではないことに注意を向けていただきたい。 --TheGreatMilkyWayRailRoad会話2012年10月1日 (月) 14:49 (UTC)[返信]

シュヴァイツァーを敬愛するあまり、批判が気に食わないのかもしれませんが、後の時代からの客観的評価は百科事典に必要です。--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

「評価」節の中立性について

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上記2項目を統合して、は2007年3月30日に削除された部分を復帰していいものか、あるいは「シュヴァイツァーに対する評価」の項目自体不必要か、ご意見をお願いします。コメント依頼も提出しました。

ちなみに私は復帰を希望しています。理由は記事の中立性を保つのであれば、業績の光の部分のみを記載するのではなく、負の部分もある事実を記載するべきだと考えるからです。文献も寺村輝夫氏の『アフリカのシュバイツァー』が挙げられており、いちユーザーの思いつきという性格のものではないようです。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 04:39 (UTC)[返信]

その問題ですが、すでにSukono2104さんの編集の2ヶ月後の2007年5月20日にTamachan21さんがこの部分を復帰しており[4]、10年以上前に解決済みであります。現在の版の「評価」の節にも、ほぼ同じ内容の文言があります。--Gruppetto会話) 2017年8月26日 (土) 04:44 (UTC)一部加筆--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

そうでしたか。失礼いたしました。また、早速コメントをいただきありがとうございました。では、削除部分の復帰というよりは、2011年に問題視されたように、「シュヴァイツァーに対する評価」の項目自体が必要かどうかについて、コメントを引き続き頂きたいと思います。その結果により、現在本文の該当する節にはられているテンプレートを除去するかどうか考えたいと思います。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 04:57 (UTC)[返信]

2011年ではなくて、上の節の2012年の問題提起のことでしょうか?上記のTheGreatMilkyWayRailRoad氏の提案については、その後5年近く誰も返答せず(つまり相手にされず)、「評価」の節も残されてきました。これは、多くのwikipedia利用者にとって「評価」の節は必要であると言う暗黙の了解があったものと考えます。ちなみにTheGreatMilkyWayRailRoad氏はこのような[5][6]ことを書く方なので注意が必要です。なので、テンプレートも必要ないと思います。--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 05:15 (UTC)[返信]
テンプレート、でいいのでしょうか、それには「2011年3月」と記載されています。なるほど、コメントからTheGreatMilkyWayRailRoad氏の人柄やご性格がにじみ出ている感が大きいですが、やはりそれでも今回コメントを待ってみて判断しようと思いますがいかがでしょうか。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
2011年3月に貼られたテンプレートはあくまで「中立性」に対する疑問であり、「評価」節自体の必要性についての意見は2012年ですね?まあ、それはどちらでもいいのですが、現在のコメント依頼の文言を見ましたが、上に書いたように該当部分は10年前に復帰済みですから、このコメント依頼の内容はすぐに訂正すべきです。現在の状態では、何についてコメントを求めいているのか誤解を招きます。--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 05:54 (UTC)[返信]
了承いたしました。では、節の名前を変更し、コメント依頼の文面も変更します。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 06:20 (UTC)[返信]


議論仕切りなおしで、以下にコメントをお願いします。記事中の「評価」節の中立性について、コメントをよろしくお願いします。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 06:20 (UTC)[返信]

立案者ですが、現在の記事はプラスの評価でもマイナスの評価も説明されており、「中立性に欠けている」とは言えないと考えます。よって、「観点」タグを除去すべきであるとも判断します。--114.160.46.2 2017年8月26日 (土) 06:27 (UTC)[返信]
私も改めてこちらに書きますが、私も「観点」タグは除去して構わないと思います。そもそも、このタグ又はテンプレートは、貼付けると「議論中です」「議論はノートを参照してください」などと表示されるにもかかわらず、テンプレートを貼付けたIP編集者は何がどのように中立性を欠いているのかについてノートページで一切の説明をしておらず、些か無責任だという印象を受けます。--Gruppetto会話2017年8月26日 (土) 15:59 (UTC)[返信]
3週間を過ぎて異論が出なかったのでタグ(テンプレート)を取りました。--Gruppetto会話2017年9月18日 (月) 14:10 (UTC)[返信]