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ノート:はだしのゲン/過去ログ1

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あらすじ

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「あらすじ」の部分がかなりいい加減になっていますが大丈夫なんでしょうか?--以上の署名のないコメントは、219.45.232.96会話/Whois)さんが 2005年10月15日 (土) 04:53 (UTC) に投稿したものです(212.202.233.2 2007年8月20日 (月) 23:44 (UTC)による付記)。

かなりの頻度でIP参加者が悪戯書きを残していますね。困ったことです。Day dream 2005年10月15日 (土) 19:14 (UTC)
悪戯を消すため、2005年10月9日 (日) 17:27の版に戻したが、今後も悪戯が続くようならどうしたものか。Day dream 2005年10月16日 (日) 16:14 (UTC)
やれやれ、また悪戯だ。この項目は野放し状態だな。Day dream 2005年10月16日 (日) 16:27 (UTC)
保護依頼を出しておきました。ゆきち 2005年10月16日 (日) 16:38 (UTC)
テンプレート 中立的な観点 を貼りました。--Alljal 2006年8月6日 (日) 08:26 (UTC)
そもそもここまで詳細にあらすじを書いていいものなんですかねぇ。ネタバレじゃないんですか?--210.196.186.28 2007年8月14日 (火) 07:27 (UTC)
 テンプレで隠しときました>あらすじ--219.112.198.200 2007年9月2日 (日) 03:31 (UTC)

アインシュタインの描写について

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 歴史的資料ではないという意見とパロディではないかという意見がありますが、作者自身がどういうスタンスなのかがわからない以上は論評は避けたほうがいいのではないでしょうか。  そこの部分を削除しようかとも思いましたが、議論をしてからにしたほうがいいと思われたので取り合えずノートに掲載します。--222.3.79.36 2006年1月7日 (土) 09:18 (UTC)

その後の書き込みや修正がなされた結果、説明としてはまとまった内容になったように思われます。今の所は削除の必要はないのではないでしょうか?--222.3.214.239 2008年5月1日 (木) 08:01 (UTC)

キャラクター

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キャラクター紹介を新設しました。ところどころ間違ってるところもあると思いますので、その際は、直して下さい。--以上の署名のないコメントは、124.85.216.57会話/Whois)さんが 2006年4月14日 (金) 10:54 (UTC) に投稿したものです(212.202.233.2 2007年8月20日 (月) 23:44 (UTC)による付記)。

そろそろ容量も重くなるそうなので、「はだしのゲンの登場人物」と分離したほうがいいと思います。--以上の署名のないコメントは、220.213.85.167会話/Whois)さんが 2007年8月8日 (水) 09:58の版 (UTC) に投稿したものです(212.202.233.2 2007年8月20日 (月) 23:44 (UTC)による付記)。
署名くらいはしっかりしましょう。登場人物として独立させるのであれば、アニメ、映画、TVドラマの各キャストの項からキャストを登場人物欄に付記して分離させた方がいいと思いますが。--219.112.198.200 2007年8月11日 (土) 14:22 (UTC)
(コメント)議論が半年近く止まっていたのでテンプレートを外しました。--ヘチコマ 2008年2月1日 (金) 13:10 (UTC)

登場人物の分割提案ふたたび

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以前見た時分割しようと思っていました。容量も80kでは可読性をこえていると考えられるので(33k即分割てのはもちろん間違いです)、このクラスは本文のスリム化をあわせて考えても、分割が必要であると考えます。一週間待って大きな反対が無ければ分割したいと思います。--こうやま 2008年3月26日 (水) 16:38 (UTC)

外部リンク

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1995 Gen Production - Home of KAK-Aが(アメリカに都合が悪いから)グーグル八分&ヤフー八分されたとあったので試しにサイトの名前で検索してみたらグーグルでもヤフーでも結果のトップに表示されたんだが?それ以前にこのサイトは本当に公式サイトなのか?--Sequitur 2007年9月6日 (木) 13:45 (UTC)

はだしのゲン - Google 検索

確かにgoogleで検索ヒットしないようですね。なお、公式サイトとはどこにも書いてないようですが?Petz 2007年9月9日 (日) 08:47 (UTC)

「はだしのゲン」でグーグル検索すると自分は10件目に表示されたんだが?そもそもサイト名でグーグル検索するとトップ表示なのでグーグル八分ではありません。このサイトへのリンクを履歴から調べてみると:
  • 2004年7月23日 記事が作成された次の日に公式ページとしてリンクが追加される。
  • 2004年7月24日 ゲンAA総合保管庫として同サイトの別ページが追加される。この不真面目で不適切なリンクは2007年4月29日まで残る。
  • 2007年2月18日 ここで表記が公式ページから関連ページに変更されます(編集内容に「公式サイトではありません(?)」とある)。
  • 2007年7月11日 投稿記録が1回だけのIPユーザーにより関連ページから公式サイトへ表記が戻されます。
  • 2007年8月18日 グーグル八分との記述が追加される。
グーグル八分云々の部分を削除して表記も「関連ページ」に戻して様子を見ることにします。--Sequitur 2007年9月10日 (月) 09:15 (UTC)

作品に対する評価における『要出展』の過剰貼り付けついて

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ノートのページで議論した方が良いとの意見ございましたので、此方の方に再度記述提議致します。

記述のなかで『要出展』が必要以上に貼り過ぎていると感じます。非常に読みにくいですし修正を求めます。記述には資料と出展元の記述は必要ですが、要出展を求める側も、記述に根拠が無い、証拠不明と認められるしっかりした証拠や根拠がが必要です。『要出展』部分はネット・あるいは原作者の著作・新聞の論評に紹介・記述されている内容が多くあります(新聞においては『朝日新聞』『毎日新聞』、学校での鑑賞に付いては『読売新聞』で記述されていました。ネットの方で確認頂ければと思います)。それらの部分を参考にした上ではっきり解らない、記述不明な部分が見られる場合のみ、『要出展』の部分を責任を持って貼って下さい。うがった考えで申し訳合いですが、自分が知らないから・聞いた事がないからという単純な理由だけで『要出展」を貼る行為行っていませんか?もしそうなら大変無責任な行為に感じます。--119.10.167.15 2008年9月8日 (月) 14:58 (UTC)

ちょっと待って下さいね、ここは少し迷惑にならない範囲で語らせて頂きます。もしかしたら貿易風の事ではないですかね?もしそうなら少し注意した方がと思われます。本人の名前をネット検索すればわかる事ですが、この方は要出典タグを常識外れなまでに貼り付けて記事編集をあちこちで混乱させているのです。本質的にはその要出典タグは自分のいいように編集しようとの削除目的です。 いきなり消すと文句が来るだろうからとひとまずタグを付けてそれから消すわけです。「要出典」がつけられたものは他人よっていじられても文句は言えないものとしているwikiのルールをここで利用しているのです。ご注意下さい。--60.254.226.39 2008年9月8日 (月) 15:50 (UTC)

119.10.167.15さんへのレス)
えっと最初に該当部分に要出典を貼った者ではありませんが、特に過剰に貼りつけられているとは思いません(ただしいくつかの{{要出典}}を{{誰}}に置換してもいいようには思います)。むしろそれだけの数のタグを貼らなければいけないほど、出典を明記せずに「~とも意見もある」「~との見方もある」といった表現が使われていたことが問題視されているのだと思います(Wikipedia:言葉を濁さないを参照)。
「ネット・あるいは原作者の著作・新聞の論評」に出典があるのなら、その出典情報をWikipedia:出典を明記するで説明されている方法を参考にして記事に書き加え、出典を付加した部分の要出典タグを剥がしてくださるようにお願いします。ネット上の文章や新聞を出典とする場合の書き方もWikipedia:出典を明記するに説明されているのでごらんください。--貿易風 2008年9月9日 (火) 04:33 (UTC)

ルールを提示して相手を黙らせようとするそのいつもの手口もwikiのルールのいい利用法の一つですからなあ。--119.72.75.220 2008年9月9日 (火) 14:37 (UTC)

最初の記述を行ったものです。個人攻撃はあくまでも避けたいと思いますが、当該の『要出展』過剰貼り付け行為は、以前より問題行動を行う問題人物による迷惑行為のように判断致します(当該人物の項目は参照致しました)。この結果から考えますと、現在の状況は特定の人物による著しく常識外れな『要出展』過剰貼り付けと判断せざるを得ません。もう暫く様子を見てから現在貼られている『要出展』部分を全削除し、以前の状態に戻したいと考えております(勿論、当該行為を行った人物による自主的な修正を求めますが・・・)。対応に対しての皆様方による御意見宜しくお願いいたします。--119.10.167.15 2008年9月10日 (水) 13:07 (UTC)

繰り返しますが、要出典タグを剥がす場合は必ず情報源を明記した上でお願いします。
単に要出典タグの数が多くて見苦しいという話であれば、いったん節ごと除去してノートに移した上で、出典が見つかったものから順に記事本文へ復帰させていくという方法もあります(あるいは、119.10.167.15さんがおっしゃる「『要出展』部分を全削除し」というのはそういう意味なのでしょうか?)。個別に{{要出典}}を貼らず、節の冒頭に{{出典の明記|section=1}}を貼ってそれですますという手もありますが、どこに出典が求められているのか明確にできないという難点があります。
もっとも、今回は119.10.167.15さんが出典をご存知であるとのことですので、それが信頼できる情報源であれば、単純にその出典情報を記事に明記した上でその箇所の要出典タグを外していただければ解決することだと思います。--貿易風 2008年9月11日 (木) 04:56 (UTC)

出典を偽っていたりしていた場合もあった張本人が信頼できる情報源であれば何とやらと全く何を言っているのか!要出典タグを逆につけられると2chへチクリに行くし、この男のやり方には全く呆れる。この男がルール提示するのは自己の言い分を通すための手口に過ぎません。ガイドラインの悪用も甚だしい。--Powersoap 2008年9月13日 (土) 12:58 (UTC)

(コメント)評価の項目を全部クリアして、1から合意形成の上作り直してはいかがでしょう? 肯定的評価、否定的評価、マンガとしての評価、込められたメッセージへの評価など、何に対するどういう立場からの評価なのかを明確にして、その上で出典を明らかにするという作業が必要だと思います。
文章としても冗長で、正直、現在の書きようでは何が言いたいのかわかりません。要出典タグ以前の問題では?--Yuhkan 2008年9月13日 (土) 13:31 (UTC)

個人攻撃は(一応オトナの行動として)止めておきましょう。只B氏のノートを見るとあちら此方で行動について批判やを疑問を投げかけられている人物の様ですので、当方としてもB氏の意見や提案をそのまま受け入れることは出来ませんし、皆様の御意見を聞くとそう判断せざるを得ません。 先述させて頂いた様に、当該項目の『要出展』の部分に付いて、証拠となる文章は説論を読んだことがありますが(新聞や原作者の自叙伝・評論家の記述等)、いつ発表されたものか、どのような資料や書物であるかであるか明確に記憶しておりません。ですから当該項目の記述に信憑性はあると確信していますが、実際に証拠となる出展元については記憶が曖昧です。これに関しては皆様方のご協力を得なければなりません。ただ、現在の記述のように、1行1行毎に『要出展』を貼り付けている実態は不自然です。ですから改善を求めたいと考えています。Yuhkan様のご指摘のように、一度当該項目を白紙に戻して再度記述しなおすのも1つの方法であるかもしれません。有り難いことに当方の提案について大変貴重な提案や書込みを頂き、嬉しい限りです。当該記述に付いて、一度『要出展』の部分を削除して、資料提供の要望文を貼り付けた形で出展資料の提供を求める形にするか、当該項目全てを一度白紙に戻して再度書き直すか?皆様方の御意見をお願いいたします。--119.10.167.15 2008年9月14日 (日) 07:54 (UTC)

追加書込みですが、、B氏に対してのお願いです。貴殿のノートページを拝見するに、書込み行為に対し他の皆様方から非常な反感をうけられているようですね。御意見があるのは解りますし主張の趣旨は重々理解出来ますが、今回の項目の議論からは退場して頂けませんでしょうか?そうでないと貴殿がこの論議に対して書込みされる度に個人バッシング化してしまいます。冷静な議論を進めるために、ここはご了解下さい。--119.10.167.15 2008年9月14日 (日) 08:09 (UTC)
出典が提示されない時点で{{要出典}}タグを剥がすのは適切でないので、特に反対の人がいないなら、先述したように該当部分はいったんコメントアウトするなりノートに転記するなりしてやりなおしたほうがいいかと思います。「出典付きで作品の評価の加筆をお願いします」ということでWikipedia:加筆依頼に出せば協力してくださる方が見つかるかもしれません。
なお、いまのところこれ以上述べることはありませんが、Wikipedia:合意形成にあるように全ての利用者にはノートページでの議論に参加する権利があるので、僕もこの議論で今後なにか発言したいと思えば発言できます(ブロックされない限り)。
また、他人のアカウントを勝手にイニシャルで呼ぶなどの行為はお控えください(WP:CIV)。--貿易風 2008年9月15日 (月) 08:53 (UTC)

あなたのアカウントをイニシャルで読んでいるのは、あなたの個人アカウントを記述する事でバッシングの誘発を避けるため。個人攻撃化を避けるための気遣いからですよ。それが解らないのですか?私もかなりあなたの記述に対して怒りを覚えながら辛抱してますが、心使い解らないのなら当方としても厳しく表現しなければなりません。貿易風よ、あなたはもう二度とこの論議には参加しないで下さい。というか来るな!!。腹が立つ上に不愉快です。他の人からの批判を無視する一方で1つ覚えの論ばかり記述して・・・あなたの言うことは言われなくても解っている。此方は1節・1文の度に『要出展』を貼り付けている現状に付いて、改善するか修正するかを提議している訳なんだ。同じ事と当たり前の事ばかり記述するような行為ばかりして・・・・今までの論議見てるとあなたの参加がどんな状況を招くか解るでしょ。常識あるなら遠慮しなさい。貿易風が記述する度に本題から外れる記述ばかりで議論が進まない。私だけでは無い。皆さんも不満を持っているのだから、オトナの反応は出来ないのか?--119.10.167.15 2008年9月16日 (火) 12:27 (UTC)

とりあえず、修正の必要有りというあたりの認識は一致されているとおもって大丈夫そうですね。何度か本文を読み直して見ましたが、「感想」と「個人的見解」と「あら探し&指摘」はばっさり切り落として良いと思います。一通り見直して、アニメ版に関する部分を除いたら、こんな感じになりそうです。

--ここから

作者自身の被爆体験を元にした作品であり、強烈なメッセージ性を有している。史実を描いた漫画としては、いくつかの重大な誤り(アインシュタインが~)もあり、そのまま鵜呑みにはできない部分もままある。作中の台詞や描写など、読む人の立場によって受け止め方が異なる部分も多く、漫画作品として客観的な評価がされづらい一因となっている。

しかしながら、原爆被害の悲惨さ、戦争の悲惨さ、平和の尊さといった、作品の根源にあるメッセージは誰もが認めるところであり、現代の子供たちが知り得る事が難しいが、語り継がねばならない歴史の事実に触れることが出来る貴重な作品といえる。

--ここまで

 だいぶ端折っている感はありますが、「作品の評価」外の内容が多いため、思い切っていかせてもらいました。よりよい項目に仕上げるためのたたき台になれば幸いです--Yuhkan 2008年9月16日 (火) 13:32 (UTC)

あと、飛び入りしてる私が言うのもなんですが、119.10.167.15さんも貿易風さんも、ヒートアップしすぎです。「どちらが悪い」を口にするより先に、自分の文章が、反面教師にするべき人物の文章と似通っていないか確認した方がよいと思います。
拙速に事を進める類の話でもありませんし、1週間ほど間を置いてみるのはいかがでしょう?私は急ぎませんし。--Yuhkan 2008年9月16日 (火) 13:42 (UTC)
了解です。Yuhkanさんのご提案通り、1週間ほど間をあけましょう。Yuhkanさんが提案してくださったたたき台に関してのコメントは7日程度経過したときにここに書こうと思います。--貿易風 2008年9月17日 (水) 04:06 (UTC)

普通常識持った人間ならちょくちょく顔出す辺りどうかとやはり考えるものなのだがね。こうして言われても遠慮せずなおも顔を出そうとする辺り何か挑発めいたものを感じませんか。貿易風ではそもそも議論にならないし、また全然なってません。まあ、これでは議論の妨害とも受け取れるし、みんな拒絶しているのに7日後また来て何を言うつもりなのか。ちょっとこれはブロックは出来ないものですかなあ--Powersoap 2008年9月17日 (水) 07:18 (UTC)

Yuhkanさん、客観的・冷静的なご指摘とご注意有難うございます。一寸熱くなりすぎました。文章も後半荒くなっている事は真摯に反省いたします。議論の提唱者ですが、貿易風氏の堂々巡りの論述と、それに対する批判の書込みの連なりで、当方としても疲れました。Yuhkanさんは比較的冷静に判断されているようですし、貴殿の修正草案に基本的に賛成いたします。先述の通り、当方議論に少々疲れましたので、暫く議論には参加しないことにします。

貿易風氏、当方も議論から離れますから、あなたも議論から離れなさい。あなたがここに書込む度に反発が多い。Powersoap氏が指摘されてるように、何らかの意図を持っていると疑われても仕方ない。本当にこの文章を正しい記述にしようと考えているのなら、当方も貴殿も参加しないようにしませんか? 当該文章の訂正は他の皆様にまかせましょう。--119.10.167.15 2008年9月17日 (水) 10:55 (UTC)

私自身は、お二人が議論から離れることについては、反対はできませんがそうする必要はないと考えています。なぜなら、現状ではよろしくないという1点において、お二人の意見は一致しているからです。方策や手続き、語気の違いはあるかと思いますが、そういった違い等を乗り越えて、より良い方向へ話し合いで解決することが大切なことであり、ここで議論から離れるというのは、よろしくない現状で固定されるという、もっとも深刻な話になるでしょう。
深呼吸をする時間は必要でも、議論を投げ出すのは無責任ではないでしょうか? 無理強いはできませんが、貿易風さんはクールダウンして建設的な議論を続ける意志がおありのようです。クールダウン後に議論に戻られることを、私は期待します。
Powersoapさん、あなたの茶々入れや挑発は、場を引っかき回すだけで議論に資するところが一つもありません。
建設的な議論への参加の意志がないようでしたら、いち閲覧者として今後の議論と成果を見守るにとどめていただけますでしょうか。--Yuhkan 2008年9月17日 (水) 12:29 (UTC)


いやまあ、仰る事は分かります。だけど、挑発の類は貿易風側の手口なのです。こちらの悪意のように曲解なさらないで下さい。こちらにして見れば貿易風がルール提示の茶々入れてまた挑発と撹乱を考えているのではと疑っていたわけです。Yuhkanさんの仰るように議論と成果を見守るにとどめるべきとそう言う言葉を受け入れる事にはまあやぶさかではありません。しかし、こちらが席を外すなり(良心的な返答を装いつつ)貿易風がまた強弁を張り出したならば、その時こそ貿易風本人の常識も責任も改めて問われる事になりますし、いい加減ブロックの必要性がさらに出て来る時なのだとそれだけははっきりと述べておきます。当方は貿易風のように記事の撹乱が目的ではありません。ともあれ、要請通りこちらはあえてひとまずここで席を外す事と致しましょう。納得はこれでして頂ける事と思います。--Powersoap 2008年9月18日 (木) 13:00 (UTC)

項目記載の方向性について整理

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お二人の深呼吸期間中に、議論の内容が放散しないように、記載の方向性について叩き台を用意したいところです。 私はアニメ版、ドラマ版については見たことがないので、そちらの方は識者にお任せしたいところですが……

  1. 最初から記載されておくべき内容
    • 先に用意したたたき台はたたき台として、何がどれだけ必要であるか。
  2. 追記されるべきではない内容
    • {{要出典}}タグを必要とする記述は追加しない。
      • 「~~という意見もある」は、適切な出典がないなら追加しない。
      • 「作者は何を考えていたか」は、適切な出典がないなら追加しない。
        • 利用者:NISYANさん、出典1件追加ありがとうございます。出典上の言葉とちょっと異なるっぽいので、修正が必要かも知れません。
    • 「漫画作品の評価」に関わらない記述は追加しない
      • 作中描写への感想は評価ではない
      • 派生議論の紹介は評価ではない
      • 個人的見解は評価ではない
      • 描写のあら探しは評価ではない
  3. 今後の追記を要する事項
    1. 適切な刊行物における、漫画評論家、研究者の視点による評価
      • 追記例:(戦後)漫画史における本作の位置付け
      • 追記例:本作が他の作品に与えた影響
      • 追記例:同様のテーマを持つ他作品との比較
    • 日本マンガ学会の機関誌「マンガ研究 vol.11」に、「はだしのゲン」をめぐる国内外の研究というのがあるようです。確認したいところですが、お持ちの方いませんか?
    • 「はだしのゲン」がいた風景という本があるようです。お持ちの方いませんか?
  4. 「評価」の項から分離すべき内容
    • アニメ版に対する評価(別項目として)
    • ドラマ版に対する評価(別項目として)
    • 単行本の刊行における紆余曲折、刊行形態 → 分離が適切
    • アニメの上映形態 → 分離が適切
整理と言いつつ私見混じりなので、整理内容そのものの意見も伺いたいところです。
ここで私も一旦深呼吸期間をおきたいと思います。--Yuhkan 2008年9月19日 (金) 13:56 (UTC)
1週間たったのでコメントをかいておきます。
現在の記事は、Wikipedia:言葉を濁さないに反している箇所の多さに付随して{{要出典}}がたくさんあり、すでに指摘されているように読みにくくなっているので、とりあえず現在の節の内容はYuhkanさんの草案の内容に完全に置き換えてしまった上で、さらに追加できそうな情報が見つかったり修正すべきところが指摘されれば編集するという感じでいいと思います(草案の執筆ありがとうございました)。
あと、現在は節の冒頭に{{独自研究|section=1}}が付加されている状態なのですが、書き換えを行うならばこれも{{出典の明記|section=1}}に貼り替えていいように思います。もともと独自研究のタグはこの編集でIPユーザの方によって付加されたものですが、独自研究色の強い部分はYuhkanさんの草案に書き換えればほとんど消えるので、単純に情報源を探していることを示すテンプレ(={{出典の明記|section=1}})を貼っておくほうが適切かと思います。
NISYANさんが出典を付加してくださった部分は、「「はだしのゲン」がいた風景」の23頁などによると、中沢啓治さんの自伝「はだしのゲン自伝」(ISBN 978-4876522637)で記事本文の文章と似たようなことを述べられているようです(ただし自伝自体のほうは僕は確認していません)。
「マンガ研究」のVol.11は国会図書館国立新美術館のアートライブラリーなんかで閲覧できるみたいです。--貿易風 2008年9月24日 (水) 09:41 (UTC)
貿易風さん、ご意見ありがとうございます。119.10.167.15さんの意見を待ちたいところですが、全体的な方向付けについては問題ないと思って大丈夫……なのかな?
NISYANさんに追加していただいた出典など、既存で出典が存在する部分や、ドラマ、アニメへの言及がたたき台で抜けているのが気になっています。追加か別項か、何らかの形での言及が必要だと思うのですが……--Yuhkan 2008年9月25日 (木) 13:34 (UTC)

「「はだしのゲン」がいた風景」に目を通し終わったので、この本に書かれていることで記事本文に載せられる余地があるものを参考程度にいくつか挙げておきます。ただしこの本を直接出典とした場合、孫引きになってしまうような箇所も多いです。

  1. もともとは、少年誌(週刊少年ジャンプ)に残酷な原爆マンガが連載されるのは異例のことだったが、やがて平和教育に利用され始めたり、健全な漫画という印象が強くなっていった(第1章)。
  2. 日本人の戦争観に影響を与えた作品として、(『火垂るの墓』とともに)よく名前が挙がる(12頁)。
  3. (漫画作品としては珍しく)学校の図書室にも多く所蔵されており、これがきっかけで読み始めたという人も読者の中には多い(第5章など)。
  4. 原爆投下直後の描写をはじめ、残酷・グロテスクな表現が多い。これは原爆や戦争の恐ろしさを知ってもらうために作者が意図したもの。ただし、連載しているのが少年誌だったこと考慮をして本人としてはかなり控えめにしていた(残酷すぎて読んでもらえなければ元も子もないので)。
  5. 表現の刺激の強さゆえに子供の情操にはよくないとの批判もあり、そういった批判は特にアニメ版で多い(20頁・199頁など)。また、ショッキングな描写の印象が強く、戦争・原爆といった作品の本来のテーマまで読者の意識が及んでいないケースも少なくない(199頁)。
  6. 映画版は、興行的にはさほど成功したわけではなかったが、広島では盛況だった。また、漫画であるというだけで毛嫌いするような世代の人にもこの作品を鑑賞する機会を与えたという点で意味があった。(30-31頁あたり)
  7. 漫画は韓国でも2000年から発行されているが、売り上げとしてはヒットしているとは言いがたい。(第7章)
  8. 学校の平和教育としては、アニメ版や映画がよく使われている(漫画を全部読ませようとすると時間がかかり現実的でないため)。(第6章、194-195頁など)

「夕凪の街 桜の国」との比較は、第8章で軽く触れられています。あと、5番に書いたように、ショッキングな描写の印象によってかえって作者の意図するメッセージまで読者の意識が及んでいない場合も多いとのことなので、Yuhkanさんの草案の中の「作品の根源にあるメッセージは誰もが認めるところ」ってのはちょっと違うのかもしれません。--貿易風 2008年9月26日 (金) 08:20 (UTC)

「「はだしのゲン」がいた風景」は近所の図書館で発見できなかったので非常に助かります。
挙げられた部分について、非常に興味深いものですが、「評価」の項として記述するのに向かないものも含んでいそうです。「評価」をどこから見るか(作品の評価か、思想、教育的評価か)によっても、書き方は変わってくるところでしょう。私自身は「漫画作品としての評価」であるべきではないか(平和教育への利用と経緯経過は別項の方が良い)と考えています。--Yuhkan 2008年9月28日 (日) 13:09 (UTC)

私はこの議論に参加することに対して疲れましたので、以後は議論に参加することは致しません。逃げの行為と批判されるのも覚悟しています。最後の記述として意見を書込みます。

まず。アメリカ・韓国・中国の一部で、『はだしのゲン』翻訳出版に対して反対意見がある事実について、産経新聞の1989年8月の記事に記述されている事を確認しました。但し右翼的思想が強い新聞であり、記事の大半も『原爆投下を反省しないアメリカ・反日教育を進める中韓に対する批判的な意見』を記述する一方、『そのバッシングを乗り越えながら翻訳に努力している韓国女性の活動』も紹介されています。思想的アピールが多い新聞であり、記事の内容が公正ではない部分あるかと思われますが、記事として公開されている物ですので、それなりに記述しても問題ないと思います(なお、同系列の雑誌である『潮』では、児童に与えるトラウマに対して問題視する記述もあるみたいです)。

『アニメ版鑑賞後の感想文について、米国に対し、報復を主張する意見や、日本核武装を主張する感想を記述する感想文を書く児童が見られるようになった』という記述は、2000年の朝日新聞で記述されています(すみません、発表月は解りません)この件について、戦争の記憶が薄れていくこと、『沈黙の艦隊』や『ジパング』等の戦争活劇漫画が人気がある傾向を批判する内容になっています。

最後に、貿易風氏が調べられた『はだしのゲンがいた風景』の書物の記述を参考文献とするならば、現在の本文記述を若干修正する事で充分でないでしょうか?(現在の記述でも、個人的な研究の記述部分ありますが、『はだしのゲンがいた風景』に記述されている内容に比較的似かよった記述になりってます。自己研究の部分を訂正・あるいは修正しながら本文の記述に基本的に即した形でそれなりの解説になるのではないかと考えます。

たとえば「泣き叫んでくれた子供達、ありがとう。君たちは原爆の本当の恐ろしさを知ってくれたのだ!」の発言は、かつてTBS系で放送されていた『朝のホットライン』の終戦企画の中で、中沢氏が会場に集まった子供達に発言した言葉だそうです(あくまでも私の調べた範囲で、その番組を観た人物の意見ですから、若干意味が違うかも知れませんが、それに近い発言をした可能性はあるみたいです)

一応当方が調査した部分を報告しました。記事変更の参考にして下さい。なお老婆心ながらですが、現在の所Yuhkan氏・貿易風氏の2名だけで論議が進んでいるような気がします。他の方の意見も期待します。

先述しましたが、当方としてはこれが最後の議論参加です。今後は此方には登場することは無いと思います。--119.10.167.15 2008年9月26日 (金) 14:36 (UTC)

ご意見ありがとうございます。確かに2人で進めて行くのは荷が重い作業かも知れません。
コメント依頼を出すのも良いかもしれませんね。--Yuhkan 2008年9月28日 (日) 13:09 (UTC)

『はだしのゲンがいた風景』と中公文庫版「ゲン」を参考に要出典タグを除去。ひとつだけ残ってくやしいのうwwwくやしいのうwww--121.94.190.131 2008年11月1日 (土) 21:28 (UTC)