ノックグラフトンの伝説
「ノックグラフトンの伝説」(ノックグラフトンのでんせつ、The Legend of Knockgrafton)は、アイルランドの民話または昔話。 トマス・クロフトン・クローカーの話集『アイルランド南部の妖精伝説と伝承』(1825年)で発表された。内容は日本の昔話「瘤取り爺さん」に酷似する。
背中に瘤をもつラズモア[注 1](「ジギタリス」の意)が、妖精の墳丘で休憩したとき聞こえてきた歌唱にくわわり「月曜、火曜」の歌詞に「水曜」を足し、喜んだ妖精(フェアリー)たちに瘤を除去してもらい衣服も贈られる。隣国人ジャックも、ラズモアを真似て瘤を除いてもらおうとするが、欲をかき曜日を余計に付け足したため、逆に妖精たちの怒りを買い、元の瘤の上にラズモアの瘤をつけられてしまう。
この話は、AT 503の話型「小人の贈り物」タイプに分類されるが、「小人の贈り物」という分類名は、典型話であるグリム童話第182「こびとのおつかいもの」に由来する。
発表経歴
[編集]この説話は、 トマス・クロフトン・クローカー編『アイルランド南部の妖精伝説と伝承』第1部(Fairy Legends and Traditions of the South of Ireland、1825年)にて最初に発表された[2][4]。
のちウィリアム・バトラー・イェイツ『アイルランド農民の妖精物語と民話集』(Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry、1888年)に編まれ、井村君江訳「ノックグラフトンの伝説」としてイェイツ編『ケルト妖精物語』(1986年)に収載される[5][6][注 2]。
また、クローカーの原著のグリム兄弟訳 『Irische Elfenmärchen』(1826年)に、本篇のドイツ訳「Fingerhütchen」[注 3])が収載されるが[9]、これも藤川芳朗が「ジギタリスと呼ばれた男」として重訳している(2001年)[10]。
またジョセフ・ジェイコブスの話集の石井桃子訳「ノックグラフトンの昔話」がある[11]。
要約
[編集]アイルランド南部ティペラリー県のアハーロウ峡谷に[注 4]、綽名をラズモア(ルスモール)という[注 1]、背中に瘤のある男が住んでいた。ラズモアは、草花のキツネノテブクロ(ジギタリス)のこと[12][注 5]。男はこの草をよく帽子に指していたのでその綽名がついた。
男は麦藁やイグサで編んだ工芸品を売って生計を立てていたが、その藁編みもの商売で町に出た帰りに、ノックグラフトン[注 6]の古墳(モート)の近くで休憩した(このモートは正しくは城跡だが[16]、クローカーは「古墳」と解釈した[17] )。夕方になると、この墳丘のなかから、「
そのうち老婆が訪ねてきた。隣のウォーターフォード県、 デーシイの民の地から来たという[注 8]。この老婆は、自分の茶飲み友達(あるいは名付け親)の息子にせむしの男がいて、背瘤が治った話の詳細を聞きにきたのである[注 9]。
まもなくそのジャック・マッデンという名の背に瘤がある男がやってきて[注 10]、ラズモアの行動を真似てみたが、気持ちが急いたために、妖精たちの歌が途切れるのも待たずに合いの手を入れ、もっと曜日をつけ足せば褒美の衣服も倍増するだろうなどと欲をかいて水曜日だけでなく「
挿入歌
[編集]クローカーはまた、"Da Luan, Da Mort"という歌曲の楽譜も収載している[注 12]。これは、語り部たちが、この物語を吟じる際に、歌って聞かせるものだと説明されている[27]。
地理的考察
[編集]ノックグラフトンのモート(モット・アンド・ベーリー)は、クローカーの解釈では墳丘墓であった[17]。しかし、こうした丘はじっさいは円形土砦(ラース)の城址だと説明されている[14]。ノックグラフトンは実在するティペラリー県のノックグラフォンと比定されている[14][17][16][注 13]。
この丘は、作中でラズモアが商売を行った町ケア (アイルランド)[注 14]から以北3マイル (4.8 km)の距離にある[29] 。
物語の冒頭では、ラズモアの住む里はギャルティー山脈のふもとのアハーロウ峡谷とあるが[30]、これはノックグラフォン以西にある。だがラズモアが家路にむかったときや、老婆の訪問をうけたときは、キャップアー(Cappagh)の町村に住んでいたと語られている[31][注 15]。
P・W・ジョイスによれば、アイルランド南部では、妖精の音楽が聞こえるとされる丘は lissakeole (アイルランド語: lios a cheoil 「音楽の砦」)と呼ばれていた[14]。
作者
[編集]「ノックグラフトンの伝説」の真の執筆者はウィリアム・マギン(1794-1842年)であったという主張がある。
ただ、マギンの作とされる他の作品と比べると傍証が薄い。なぜならマギン所有本『妖精伝説』の書き込みから判明したとされるマギン作4篇のなかには含まれていないからである(これはマギンの年の離れた弟チャールズ・アーサー・マギン牧師から提供された情報で、ウィリアム・ベイツ(1821–1884年)が発表した)[注 16][35][36]。
一方、「ノックグラフトンの伝説」は、マギンの甥(同名のチャールズ・アーサー・マギン牧師)が撰して1933年に刊行されたマギン話集に編まれている[注 17][35][37]。そして"内部的証拠"から、「ノックグラフトンの伝説」がマギンの執筆であった可能性は高く、クローカーの作と断定できるなかで似た作風の作品はなにひとつないというのが、アイルランド文学者ビアトリス・G・マッカーシー (Beatrice G. MacCarthy) の結論である[35]。
イェイツ
[編集]W・B・イェイツも、1888年の話集に本篇を編んでいる(井村君江が邦訳)[38][6][25]。
本篇に触れて、イェイツが妖精(フェアリー)の存在を信じていたことを指摘しているくだりが、いくつかの民俗学者論文にみつかる。例えば、フランク・キナハン(Frank Kinahan)は、"[他のアイルランドの作家たち]は、フェアリーに惹きつけられる魅力を、幻想ゆえに危険だとみなしていた。イェイツは、現実だからこそ危険とみなしていた"と評しているが、これを別の学者ビョルン・スンドマーク(Björn Sundmark)が「ノックグラフトンの伝説」考察で引用している [注 18][40]。
イェイツはフェアリーに拉致された実体験を主張していたと、民俗学者リチャード・ドーソンも指摘している[41][注 19]。
また、ラズモアのように、つむじ風がまき起こり人間が妖精の丘に連れ去られるという迷信について、イエィツはアイルランドの農民たちがつむじ風を畏怖していた点を指摘している[42][43]。
異本や類話
[編集]この説話の土台となった伝説は少なくとも400年前の昔に成立したとみられ、その傍証として、トマス・パーネルがこの題材をもとに「妖精物語 」(原題:A Fairy Tale in the Ancient English Style、1722年刊行)を作詩したとされている[44][45]。
イェイツによれば、ダグラス・ハイドがコノートのどこかでこの伝説の異聞を聞いていたと述べており、そこでは、「1ペニー、1ペニー、2ペンス、1ペニーに、ヘイペニー(半ペニー)」という意味のアイルランド語の歌が挿入されていたという[注 20][46]。
欧州の類話
[編集]グリム兄弟は、この物語を『Fingerhütchen』の題名で、クローカーのアイルランド妖精物語集のドイツ訳本に収載している[注 21][47][9][10] 。そして『グリム童話集』の第182「こびとのおつかいもの」の解説で、このアイルランド民話を含め、ヨーロッパ各地の類話を挙げている[48]。一例として、フランスのブルターニュ地方の『Les korils de Plauden』(エミール・スーヴェストル話集に所収)が挙げられる[48][47]。題中のコリル(koril)は妖精の一種で、荒野(湿原まじりも含む)に住むコリガンの仲間と説明されているが、作中には多種のコリガンが登場している[49][注 22]。
他にも類話はヨハンネス・ボルテとゲオルク・ポリフカによるグリム童話注釈書に綿々と挙げられている[47]。
「ノックグラフトンの伝説」はAT 503の話型「小人の贈り物」タイプ(上述のグリム童話第182を典型話とする)に分類されている[41][51]。
アジアの類話
[編集]明治初期の頃、日本に赴任していた裁判官チャールズ・ウィクリフ・グッドウィンが、「ノックグラフトンの伝説」と日本の昔話「瘤取り」との相似に着目し、1875年のアジアティック・ソサイエティの会合でこれを発表した[注 23][3][52]。アイルランドの遺跡や地誌などの研究家であるトマス・J・ウェストロップも「瘤取り」との類似を(初名乗りと思って)指摘したが[16]、実際にはかなり以前から指摘者がいたことになる。
ジョセフ・ジェイコブスも「ノックグラフトンの伝説」を1894年のケルト話集続編に収めており、巻末注で「瘤取り」との類似を指摘している。ジェイコブスはまた(1891年の会合で)、この東西の民話の近似性を説話の世界的分布の模範例としてとりあげ、アイルランド語で語り継がれた民話の収集の必要性を訴えている[53][41]。
言及例
[編集]アイルランドの劇作家サミュエル・ベケットの小説『 ワット』で、この伝説のことがほのめかせられている[54]。
またケビン・クロスリー=ホランドも、「ノックグラフトンの伝説」を話集に撰しているが、幼少の頃、父親からこの話を聞かされたことを述懐している[55]。
注釈
[編集]- ^ a b 井村訳では「ラズモア」で、あだ名。英語だと Lusmore だが、アイルランド語式だと"s"は濁音にならず lus mór は"ルスモール"のような発音になる。しかしLismore(アイルランド語:Lios Mór)の例でもリズモアと表記されることから英語読みも「ラズモア」と想定できる。
- ^ 邦題表記は日下隆平の論文の『アイルランド農民の妖精物語と民話集』が逐語訳なので採用する[7]。井村の表記『アイルランド各地方の妖精譚と民話』[8]。
- ^ 「ジギタリスちゃん」の意。
- ^ 井村 & イエイツ 1986, p. 94では"アッハロウという..谷あい"と表記するが、地図名に準ずる。
- ^ アイルランド英語: Lusmore; アイルランド語: lus mór、直訳「大いなる野草」[13]。
- ^ ノックグラフトンの「ノック」 "knock"は、アイルランド語「クノック」 "cnoc"に由来し、「丘、山」の意[14][15]。
- ^ 曜日のルビは、原則として井村訳にしたがった。より正確なアイルランド語の発音は神村朋佳の論文に詳しいが、月・火・水曜日は「ヂェルーン*」・「ヂェモウルチ*」・「ディけーディン*」とカナ表記される(神村朋佳 2017)。
- ^ クローカーの原文は"Deici's country"であるが、"Déisi"人々の異綴りとして"Deici"があることが、例えばサミュエル・ルイスの地理参考書で確認できる[18]。井村の解釈は「ディシスの田舎」である。
- ^ クローカーの原文は老婆の"gossip"で、これは多義あり、井村は「茶飲み友達」と解した。しかしグリム兄弟の訳( ドイツ語: Gevatterin )を参考とするなら、ここは「名付け母親」である[19]。
- ^ クローカーの原文は"Jack Madden"で、井村の表記は「ジャック・マドン」だが、より一般的なカナ表記とする。
- ^ クローカーの原文は"Da Dardine, augus Da Hena"であったが、なぜか1834年の第3版で、"augus Da Cadine, augus Da Hena"に変んじており、しかもそれが「水曜日、木曜日」であるという脚注がついていた[23]。この脚注はカイトリーが指摘したように誤りで、ダヒナは金曜日である[20]。イエイツは初版のどおりの正しい曜日だが[24] 、井村訳ではなぜか誤った改変(ダヒナが木曜日)を踏襲していることは、神村の論文(神村朋佳 2017)に詳しい[25]。
- ^ Alexander D. Roche が音符に記したとされる。
- ^ これは"Knockgraffan"と呼ぶべきでないかとジョン・オドノヴァンやトーマス・ジョンソン・ウェストロップが提唱したが、これは『権利の書』(Book of Rights)に記されるアイルランド古来の"Graffan (Graffand)"の砦ではないかという仮説によるものである。しかし、それほど古いものではなく、おそらくノルマン王朝の建築物の可能性が高い、とその説は批判されている[28]。
- ^ 井村訳では「ケール」。
- ^ Cappagh はありふれた町名で、ティペラリー県内でもこの名や、派生的な名の街が複数ある。たとえば、クランウィリアム男爵領の Donohill 行政教区にはCappaghrattinという町があった[32]。ケアからアハーロウ峡谷までは西にむかって直線で10マイル程だが、ノックグラフォンを経由すると20マイルに近い旅程になる。もしかりに Cappaghrattin に帰るとするなら、ノックグラフォンを経由してもほぼ遠回りにはならず北西に20マイル程の道のりになる。
- ^ 作家ウィリアム・マギンの弟チャールズ・アーサー・マギン牧師は1887年没、72歳。よって20年以上年下。死んだときにはコーク市のキラナリー Killanully の教区牧師[33]。この名の人物がウィリアム・マギンの弟だったことはベイツも記すが、ウィリアムの別の兄弟ジョンがクロイン市のキャッスルタウンの教区牧師で1840年に死去したのち、後任に弟のチャールズが選ばれたことが教会の年間に記録されている[34]。
- ^ じつは、この甥の方のチャールズも、1887年にキラナリー教区牧師を後継したので[33]、マッカーシーの論文のように年長のチャールズを"キラナリー教区牧師のチャールズ・アーサー・マギン牧師"と称しても区別がつきにくくいのだが、チャールズ Jr. の方は、1933年の話集刊行時には、シェフィールドに移っていた[35]。
- ^ キナハンの原文:"[Other Irish writers] saw the attractions of faery as dangerous because illusory. Yeats saw them as dangerous because real"。
- ^ ドーソンは「ノックグラフトンの伝説」の解説と前後してこれを述べたに過ぎないが。原文は:"Yeats .. was himself supposed to have been transported by the fairies one night on a four-mile journey"
- ^ 原文のアイルランド語は"pighin, pighin, dá phighin, pighin go leith agus leith phighin" (誤植は訂正).
- ^ 藤川芳朗訳「ジギタリスと呼ばれた男」
- ^ 原著(フランス語)ではkorilは"lande"に棲むとあるが、この語は仏日事典では"荒野、荒れ地"としか掲載されない例があるが[50]、"lande tourbeuse"という場合は moor のように湿原っぽい地形をさし、文字通り泥炭採取できるような場所になる。英訳では「里山」のような意の"commons"(コモンズ)となっている[49]。
- ^ グッドウィンの発表があった1875年の議事録が刊行されたのは10年後の1885年だが、1878年にはグッドウィンによる考察とするジョルジュ・ブスケの論文が公刊されている。
出典
[編集]脚注
[編集]- ^ Jacobs 1894, p. 156.
- ^ a b Croker 1825. "The Legend of Knockgrafton". "Fairy Legends and Traditions of the South of Ireland", pp. 23–36.
- ^ a b Goodwin, Charles Wycliffe Goodwin (1885), “On Some Japanese Legends”, Transactions The Asiatic Society Of Japan 3 (Part 2): 46–52
- ^ 例えばグッドウィンが "1824 or 1825年あたり about the year 1824 or 1825"にに最初に発表されたと述べている[3]。
- ^ Yeats 1888, pp. 40–45, 320.
- ^ a b c 井村 & イエイツ 1986, pp. 94–103.
- ^ 日下隆平「イェイツとケルト文化復興」『桃山学院大学総合研究所紀要』第29巻第1号、桃山学院大学総合研究所、2003年7月、9頁、CRID 1050845762517959296、ISSN 1346-048X、NAID 110000036235。
- ^ 井村 & イエイツ 1986, p. 335.
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- ^ ジェイコブス & 石井 2002.
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- ^ アイルランド英語: Da Hena, アイルランド語: dia aoine; dé haoine "Friday".[20][21]
- ^ Croker (1834), p. 20.
- ^ Yeats 1888, p. 45.
- ^ a b 神村朋佳「アイルランドの昔話「ノックグラフトンの伝説1(The Legend of Nockgrafton)」の曜日の歌について : 石井桃子訳、井村君江訳、Yeats 版、Jacobs 版、Croker 版の 比較検討」『大阪樟蔭女子大学研究紀要』第7巻、大阪樟蔭女子大学学術研究会、51-62頁、2017年1月。ISSN 21860459。 NAID 120005972651 。
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- ^ ここでも「ノックグラフトンの伝説」と関連付けているのは、別の学者ダニエル・ジロードン(Daniel Giraudon)で、イェイツ自身ではない:Yeats (15 January 1889). "Irish Fairies, Ghosts, Witches..". Lucifer magazine. Reprinted in Collected Works IX, p. 78.
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- Jacobs, Joseph (1894). “The Legend of Knockgrafton”. More Celtic fairy tales. John D. Batten (illustr.). London: John Murray. pp. 156–163
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