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ネルソン・フレイレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ネルソン・フレイレNelson Freire, 1944年10月18日 - 2021年11月1日)はブラジルピアニスト

略歴

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3歳でピアノを始め、姉が弾いたばかりの曲をそらで演奏して周囲を驚かせた。フランツ・リストの孫弟子にあたるルシア・ブランコの指導を受け、5歳で最初のリサイタルを行い、モーツァルトの《ピアノ・ソナタ イ長調KV.331を取り上げた。

1957年に12歳でリオ・デ・ジャネイロ国際ピアノコンクールに出演し、審査員のギオマール・ノヴァエスマルグリット・ロンリリー・クラウスらを前にベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」》を演奏し、7位に入賞した。翌1958年ウィーン音楽院留学して、フリードリヒ・グルダの恩師ブルーノ・ザイドルホーファーに師事した。1964年ヴィアンナ・ダ・モッタ国際音楽コンクールピアノ部門第1位を制覇するとともに、ロンドンリパッティ・メダルとハリエット・コーエン・メダルを獲得した。

1959年に国際的な演奏活動に着手し、ヨーロッパアメリカ合衆国カナダ南米日本イスラエルで演奏会を行った。

ヨッフムノイマングラーフプレヴィンロジェストヴェンスキー小澤征爾ブーレーズマズアマゼールヒュー・ウルフデュトワシャイージョン・ネルソンジンマン、ロベルト・カルネヴァーレら世界の主要な指揮者と共演してきた。また共演してきたオーケストラに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団バイエルン放送交響楽団アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団ウィーン交響楽団チェコ・フィルハーモニー管弦楽団スイス・ロマンド管弦楽団ロンドン交響楽団パリ管弦楽団フランス国立管弦楽団モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団ボルチモア交響楽団クリーヴランド管弦楽団ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団フィラデルフィア管弦楽団モントリオール交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団がある。

近年はニューヨークカーネギーホールや「プラハの春」音楽祭、ブリュッセルパリリスボンローマミュンヘンルクセンブルクチューリヒでリサイタルを開いているほか、ペテルブルク交響楽団フランス国立管弦楽団ユタ交響楽団ボストン交響楽団などとも共演し、フランスポルトガルイギリス室内管弦楽団とも共演した。

1999年ワルシャワにおいて、ショパンの没後150年を記念して《ピアノ協奏曲 第2番》を演奏し、華々しい成功をおさめる。2001年12月には、ロン=ティボー国際コンクールの審査員長を務めた。2002年から2003年にかけて、シャイー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と2度の演奏旅行を行い、また来日してNHK交響楽団とも共演した。この間、祖国ブラジルでも公演も行っている。

マルタ・アルゲリッチとの共演によるラヴェルの4手ピアノ版の《ラ・ヴァルス》がかつてはフレイレの代表的な音源であったが、近年はミシェル・プラッソン指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるリストのピアノ協奏曲集や、シューマンやショパンのピアノ曲集、ベートーヴェンソナタ集によって著しい円熟味を示すようになって高い評価を得ている。2007年には、ブラームスピアノ協奏曲全集を発表し、グラモフォン賞協奏曲部門で受賞した。

2021年11月1日 (現地時間)、死去[1][2][3]。77歳没。

外部リンク

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出典

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出典

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  1. ^ The pianist Nelson Freire has died” (英語). THE GRAMOPHONE NEWSLETTER (2021年11月1日). 2021年11月3日閲覧。
  2. ^ “訃報 〓 ネルソン・フレイレ, ブラジルのピアニスト”. 月刊音楽祭. (2021年11月1日). https://m-festival.biz/24379 2021年11月3日閲覧。 
  3. ^ “ピアニストのネルソン・フレイレさん死去 アルゲリッチさんと名演も”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. (2021年11月2日). https://www.asahi.com/articles/ASPC262NJPC2UCLV00K.html 2021年11月3日閲覧。