ニッコールクラブ
創立者 | 長岡正男(日本光学工業株式会社<現、株式会社ニコン>取締役社長) |
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設立 | 1952年(昭和27年)9月 |
所在地 | 日本 東京都港区港南2-15-3 品川インターシティC棟 |
主眼 | ニコンカメラ、レンズ愛用者の相互親善 |
活動内容 | 会報誌発行、会報フォトコンテスト開催、フォトセミナー開催、撮影会開催、全国各地に約100支部ある支部活動など |
親団体 | 株式会社ニコンイメージングジャパン |
ウェブサイト | https://www.nikon-image.com/activity/nikkor/ |
ニッコールクラブ(Nikkor Club )は、ニコンのカメラ、レンズ愛用者の親善を目的とした写真団体である。
会員数は1983年10月31日時点で157,469人であった。
設立の経緯
[編集]1951年頃、当時の社長長岡正男から「ニッコール・レンズやニコン・カメラの愛用者は、今後もますます増えて行くだろう、こういった人たちに対して、どのような形でお礼をすればいいだろうか」と相談を受けた三木淳が設立を提案した。その際「会社は金は出すけれども口は出さない」「地道でもいいから細く長く続けていく」という方針も併せて提案し、受け入れられた。
ニコンクラブではなくニッコールクラブという名称になったのは、設立当初から日本光学工業にはライカマウント、コンタックスマウント、エクサクタマウント、アイレス写真機製作所のアイレスフレックス、ベル&ハウエルのシネカメラアイモに使用するレンズなど他社カメラに使用するレンズ製品が多数あり、ニコンクラブとするとそれらのユーザーを排除することになること、日本光学工業(現ニコン)の名前が世に知られるようになったのはニコンカメラより先にニッコールレンズであったことが理由である。特にアイレスフレックスのユーザーは会員数で一時一位を占めていた。その後ニッコールレンズは大判用レンズも発売され、ゼンザブロニカ、マーシャルプレス、プラウベルのプラウベルマキナなどにも使用され、これらのユーザーも入会可能である。
設立・第一回撮影会
[編集]1952年9月1日、株式会社ニコン(当時の日本光学工業株式会社)の取締役社長長岡正男を中心として、木村伊兵衛、土門拳、三木淳、亀倉雄策、高峰秀子、デビッド・ダグラス・ダンカン、マーガレット・バーク=ホワイトなどが発起人となって設立された。発足時の会員数は971名であった。当日は豊島園にて有馬稲子や岡田茉莉子をモデルに撮影会が行われた。
歴代の会長
[編集]- 創立者・初代会長 - 長岡正男
- 二代目 - 木村伊兵衛
- 三代目 - 三木淳(1974年5月木村伊兵衛死去により就任)
- 四代目 - 佐藤明
- 五代目 - 江成常夫
- 六代目 - 西岡隆男
- 七代目 - 五代厚司
- 八代目 - 北端秀行
- 九代目 - 上村公人[1]
ニッコールクラブ顧問
[編集]上記は2020年のメンバー。 2021年4月以降、ニッコールクラブ顧問はニッコールクラブアドバイザーとなる。
ニッコールクラブアドバイザー(2021年4月以降)
[編集]2021年度よりニッコールクラブ顧問は、ニッコールクラブアドバイザーと変更された。 それまでのニッコールクラブの運営は、顧問・会長・事務局の合議制によりなされてきたが体制を変更し、会長・副会長・事務局の合議による運営となった。「顧問」は運営に係わる合議からは離れ、従来より担当していたセミナーやフォトコンテスト審査、支部批評などの各種活動に「アドバイザー」として協力する立場となる。 なお、副会長には株式会社ニコンイメージングジャパンの役職者2名が就任[2]。
ニッコールクラブアドバイザー
ニッコールクラブ シニア・アドバイザー
脚注
[編集]- ^ “ニッコールクラブについて”. ニコン. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “ニッコールクラブからの大切なお知らせ・新しい運営体制について”. ニコン. 2024年2月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 三木淳、渡辺良一、渡辺澄晴『ニコン党入門』池田書店 ISBN 4-262-14455-0