ニコライ・グライエフ
ニコライ・ドミトリエヴィチ・ グライエフ Николай Дмитриевич Гулаев | |
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生誕 |
1918年2月26日 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ドン軍管州 |
死没 |
1985年9月27日 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
所属組織 |
赤色空軍 ソビエト連邦空軍 |
軍歴 | 1938年 - 1979年 |
最終階級 | 空軍上級大将 |
墓所 | クンツェヴォ墓地 |
ニコライ・ドミトリエヴィチ・グライエフ(ロシア語: Николай Дмитриевич Гулаев、1918年2月26日 - 1985年9月27日)は、ソビエト連邦の軍人、ソ連邦英雄(2回)。最終階級は空軍上級大将。第二次世界大戦では総撃墜数57機を記録したエース・パイロットである。
経歴
[編集]前半生
[編集]1918年2月26日、グライエフはドン軍管州アクサイの労働者階級の家に生まれた。工場訓練学校を卒業した彼は、日中ロストフの工場で働き、夜間は飛行クラブに通う生活を送っていた。
1938年に赤軍へ入隊。1940年にスターリングラード航空学校を卒業している。
第二次世界大戦
[編集]1942年8月、グライエフは大祖国戦争に上級中尉として参戦。1943年7月のプロホロフカの戦いではヴォロネジ戦線第2航空軍・第7戦闘機軍団・第205戦闘機師団・第27戦闘機連隊の飛行隊副司令官として赴き、奮戦した。プロホロフカでの戦闘が終わった時点で総撃墜数は13機を数えており、その戦功から9月28日にソ連邦英雄に列せられている。
1944年には飛行隊司令官に就任。右岸ウクライナ解放のためP-39を駆って敵爆撃機などの迎撃に当たった。
親衛大尉に昇進したグライエフは、第2ウクライナ戦線第5航空軍・第7戦闘機軍団・第205戦闘機師団・第129戦闘機連隊に転属。1944年7月1日、累計の撃墜数が42機(他共同撃墜3機)に達したことを受け、再びソ連邦英雄に列せられた。
最終的に、大戦を通して総出撃回数250回、総撃墜数57機を記録した。
戦後
[編集]第二次世界大戦後、グライエフは1950年にジューコフスキー空軍工学アカデミーを、次いで1960年にソビエト連邦軍参謀学校を卒業した。また、1955年からはヤロスラヴリに本部を置く第133戦闘機師団の司令官を務めている。1966年から1974年まで第10独立防空軍の司令官を務め、1979年に空軍上級大将の階級で退役した。
叙勲
[編集]- ソヴィエト連邦
- 外国
2等トゥドル・ウラジミレスク勲章 (ルーマニア社会主義共和国) | |
ブルガリア人民軍30周年記念記章 (ブルガリア人民共和国) | |
ファシスト・ドイツ戦勝30周年記念記章 (ブルガリア人民共和国) | |
1等腕の中の友情強化記章 (チェコスロバキア社会主義共和国) |
参考文献
[編集]- Герои Советского Союза: Краткий биографический словарь. Vol. 1 /Абаев — Любичев/ (100 000 экз ed.). М.: Воениздат. Пред. ред. коллегии И. Н. Шкадов. 1987. Рег. № в РКП 87-95382。
- Печорский В. Ас из первой десятки // Северный край. 2006. 18 февраля. N 30. С. 3: портр.
- Беляков С. В тройке с Кожедубом и Покрышкиным : в Ярославле открылась мемориальная доска в честь прославленного летчика, дважды Героя Советского Союза Николая Гулаева // Городские новости. 2007. 28 февраля. N 13. С. 2 . фот.
- Андрианов И. Дерзкий ас Гулаев // Золотое кольцо. 2007. 14 марта. N 44. С. 4: портр.