ニコライ・グミリョフ
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(ニコライ・グミリョーフから転送)
ニコライ・ステファノヴィッチ・グミリョフ(ロシア語:Никола́й Степа́нович Гумилёв、英語:Nikolay Stepanovich Gumilev 、1886年4月15日(新暦) - 1921年8月25日)は、ロシア・クロンシュタット出身の詩人。アクメイズムの指導者として名高い[1]。妻は同国の詩人、アンナ・アフマートヴァで、子供は歴史家、民俗学者、人類学者のレフ・グミリョフ(en:Lev Gumilev)である。
略伝
[編集]1903年、グミリョフがツァールスコエ・セローへ通う中学生時代の頃に後に妻となるアンナ・アフマートヴァと知り合う。当初グミリョフは熱烈なプロポーズをするもののアフマートヴァはこれを無視し、絶望したグミリョフが自殺未遂まで起こした。最終的には1910年4月25日にアフマートヴァが渋々結婚に至った。
グミリョフが大学生の頃はペテルブルク大学、パリ大学で学び、新婚旅行で訪れたフランスパリに長く住む。しかし新婚旅行から戻ってグミリョフはアフマートヴァを残して一人アフリカへ旅立った。
1912年4月に息子レフ・グミリョフが生まれる。だがグミリョフは再び妻子を置いて一人でアフリカへと旅立ったため、家庭は事実上崩壊していた。
しかし1921年8月25日に反革命の陰謀に加わったとして銃殺された[2]。
作品
[編集]グミリョフの作品は男性的、具体的、明晰なイメージで異国風である[2][3]。詩を書き始めた頃は、ギムナジウムの校長であったアンネンスキーの影響が著しく、グミリョフ自身もそれを認め、いくつかの詩をアンネンスキーに捧げている[4]。
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脚注・参考文献
[編集]- ^ グミリョフとは - コトバンク、2012年10月30日閲覧。
- ^ a b c グミリョフ - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2012年10月30日閲覧。
- ^ 高津春繁・手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 『万有百科大事典 1 文学』 相賀徹夫、小学館〈日本大百科全書〉(原著1973年8月10日)、初版(日本語)、187ページ。
- ^ J・アンネンコフ『同時代人の肖像 上』現代思潮社、1971年、157頁。
- 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。
- “グミリョフとは”. コトバンク. 2012年10月30日閲覧。
- “グミリョフとは”. Yahoo!百科事典、日本大百科全書. 2012年10月30日閲覧。
関連項目
[編集]- グミリョフ (小惑星)(en:4556 Gumilyov) - グミリョフの名が残る小惑星。
- アクメイズム
- アンナ・アフマートヴァ
- レフ・グミリョフ(en:Lev Gumilev)