ナインドリーム甲子園
ナインドリーム甲子園 | |
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1992年夏の運転(8月10日、甲子園口駅) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 臨時列車 |
現況 | 廃止 |
地域 | 大阪府、兵庫県 |
運行開始 | 1991年 |
運行終了 | 1993年 |
運営者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
路線 | |
起点 | 新大阪駅 |
終点 | 甲子園口駅 |
使用路線 | 東海道本線(JR京都線・JR神戸線) |
技術 | |
車両 |
583系電車 (向日町運転所) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 直流1,500V 架空電車線方式 |
備考 | |
臨時列車扱い |
ナインドリーム甲子園(ナインドリームこうしえん)とは、かつて西日本旅客鉄道(JR西日本)が新大阪駅 - 甲子園口駅間の東海道本線(JR神戸線)で運行していた臨時寝台列車である。
概要
[編集]阪神甲子園球場で開催される選抜高等学校野球大会および、全国高等学校野球選手権大会への来場者に対するアクセス・宿泊施設提供の目的で、大会開催期に臨時列車として、1991年の夏[1]から1993年の夏にかけて運転されていた。
運行概況
[編集]1992年のダイヤでは新大阪駅を22時10分に出発、大阪駅4番のりばに22時15分に到着し、23時59分まで客扱いを行ったあとにドアを施錠してそのまま停車し、翌6時過ぎに同駅を発車して甲子園口駅2番のりばに6時45分に到着、8時30分まで停車していた[2][3]。甲子園口駅到着後も8時30分まではそのまま車内で休むことができた[3]。
一夜を明かす寝台列車でありながら、新大阪駅から甲子園口駅までのわずか5駅16.7kmしか走行しないという珍しい列車であった。このような列車が運転されたのは、選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会の各開催期に、列車を利用した宿泊施設を提供する「列車ホテル」としての色合いが強い[4]。1991年〜1992年当時は甲子園球場周辺に大きなホテルがなかったことから、宿泊施設不足を補う性格も持っていた。なお、甲子園球場近辺に「甲子園都ホテル」(現:ホテルヒューイット甲子園)が開業するのは1992年9月21日のことである[5]。
また、選抜高等学校野球大会開催中には、「球春!センバツ甲子園」(現在は毎日放送・GAORAが放送する「みんなの甲子園」)の放送中に、この「ナインドリーム甲子園」の列車ホテルを宣伝したこともあった。
使用車両
[編集]使用車両は583系寝台電車7両編成で、うち1両は女性専用車両であった。なお、運転された時期には、583系には野球場のグラウンドをあしらったナインドリーム甲子園専用のヘッドマーク(方向幕式)が用意されていた。
なお乗車には、乗車券・寝台券を含めた専用の「ナインドリーム甲子園きっぷ」(大人3,500円・小人3,200円)をJR東日本を除く主な駅のみどりの窓口および旅行センターで購入しなければならない[2][6]ため、ツアー的性格の強い列車であった。
出典
[編集]- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '92年版』ジェー・アール・アール、1992年7月1日、184頁。ISBN 4-88283-113-9。
- ^ a b 猪口, 信「〔コラムⅢ〕大阪駅で夜汽車がとまった!」『国鉄列車ダイヤ千一夜 - 語り継ぎたい鉄道輸送の史実』交通新聞社〈交通新聞社新書〉、2011年2月15日。ISBN 978-4330193113 。2022年5月29日閲覧。
- ^ a b 『JTB時刻表』1992年7月号, p.218, 株式会社日本交通公社
- ^ “【時刻表は読み物です】臨時特急運転も 万博輸送の奥の手だった「寝台列車ホテル」 (2/3ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)”. SankeiBiz. 産経デジタル (2018年12月24日). 2022年5月29日閲覧。
- ^ 「インタビュー ●日本酒新時代を語る● 清酒が好調なのは消費者の認識の深まりも一因 ●辰馬本家酒造営業本部 松山昌幸部長」『総合食品』(総合食品研究所)1992年10月号、49頁。NDLJP:3326409/27
- ^ スジ鉄 ルター (November 26, 2020). “【備忘】ナインドリーム甲子園号 時刻表に載った「寝台列車ホテル」(3) | スジ鉄marucchiの備忘録”. スジ鉄marucchiの備忘録. 2022年6月1日閲覧。
関連項目
[編集]- つくば科学万博の交通 - 本列車と同じように運転されていた「エキスポドリーム」について記述。
- エキスポトレインわしゅう