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トム・ハー

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トム・ハー
Tom Herr
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ランカスター
生年月日 (1956-04-04) 1956年4月4日(68歳)
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手(二塁手)
プロ入り 1974年 アマチュアFA
初出場 1979年8月13日
最終出場 1991年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

トム・ハー(Thomas Mitchell Herr、1956年4月4日 - )はアメリカペンシルベニア州ランカスター出身の元プロ野球選手内野手二塁手)。右投両打

来歴

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現役時代

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1974年ドラフト外でセントルイス・カージナルスと契約。

傘下マイナーでのプレーを経て1979年にメジャー昇格。1981年にはレギュラー二塁手となり、103試合で23盗塁を記録した。

1982年は135試合で打率.266、0本塁打と打撃は非力であったが、25盗塁を記録してチームのワールドシリーズ進出に貢献する。ミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)とのワールドシリーズ第4戦では、三塁にウィリー・マギー、二塁にオジー・スミスを置いた場面で打席に立ち、センターに犠牲フライを打ったが、二塁走者のスミスが一気にホームに還り、珍しい「二点犠飛」を記録した。このシリーズは第7戦までもつれ込んだが、最後はカージナルスがワールドチャンピオンに輝いた。

俊足を生かしてマギー、オジー・スミス、ロニー・スミスらとともに「ホワイティ・ボール」(監督ホワイティ・ハーゾグ好みの俊足)の一員として活躍。

ベストシーズンは1985年。打力も向上し主に三番を打ったが、一番でこの年新人で110盗塁したビンス・コールマン、二番で首位打者・MVPを獲得したマギーと前の打者の出塁・脚力に恵まれたこともあり、打率は.302、8本塁打(自己最多)ながら110打点をマーク。「本塁打10本未満で100打点」は、20世紀初の記録で、後年1996年ポール・モリター(当時ミネソタ・ツインズ、9本塁打で113打点)が2人目となったが、1901年以後現時点でこの2名のみである。また、ハー自身も31盗塁を記録、コールマン(110)、マギー(56)、オジー・スミス(34)、アンディ・バンスライク(31)と共に「30盗塁以上5人」とまさに「ガスハウス・ギャング[1]」の再来であった。ハーはこの年自身唯一のMLBオールスターゲーム出場を果たし、MVP投票でもナ・リーグ5位であった。チームはリーグ優勝し、ワールドシリーズ出場を果たしたが、3勝1敗の優位からカンザスシティ・ロイヤルズに敗れる。

1986年には打率.252と、元のレベルに低下。1987年4月18日にはニューヨーク・メッツとの試合でサヨナラ満塁本塁打を記録。この年はこれを含めてもわずか2本塁打であったが83打点と活躍し、自身三度目のワールドシリーズ出場を果たすが、ミネソタ・ツインズに敗れる。

1988年は開幕から精彩を欠き、強打者補強が急務になったチーム事情(前年オフに唯一の強打者ジャック・クラークフリーエージェント(FA)で失い、前年ヤクルトスワローズに所属していたボブ・ホーナーを獲得したが、開幕から不振。)もあり、4月22日に、トム・ブラナンスキーとの交換トレードで前年のワールドシリーズの対戦相手ツインズに移籍した。

1989年には故郷ランカスターに近いフィラデルフィアフィリーズにFA移籍。その年は151試合で打率.287とまずまず活躍するが、翌1990年途中でニューヨーク・メッツに移籍。1991年は打率1割台の不振で、8月5日にメッツを解雇された。8月15日サンフランシスコ・ジャイアンツと契約するが、シーズン終了後に解雇され、そのまま引退した。

現役引退後

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引退後は、2004年独立リーグアトランティックリーグランカスター・バーンストーマーズの監督に就任し、2006年にはリーグ優勝を果たす。これが認められ、2007年にはワシントン・ナショナルズ傘下の1Aハーガースタウン・サンズの監督に就任するが、1年限りで辞任。2009年にはかつてフィリーズでチームメイトであったボン・ヘイズ監督の下、ベンチコーチとしてバーンストーマーズに復帰した。2010年限りで退任した[2]

人物

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長男アーロン・ハー英語版2001年のドラフト会議でアトランタ・ブレーブスから1巡目に指名された。カージナルス、シンシナティ・レッズ等の傘下マイナーを転々としたがメジャー昇格できず、2009年には父と同じバーンストーマーズに在籍し、2011年に引退した。もう一人の息子ジョーダン・ハーは逆に、2008年はバーンストーマーズでプレーしていたが、2009年にはシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約した(試合出場はなし)。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1979 STL 14 12 10 4 2 0 0 0 2 1 1 0 0 0 2 0 0 2 0 .200 .333 .200 .533
1980 76 242 222 29 55 12 5 0 77 15 9 2 1 2 16 5 1 21 8 .248 .299 .347 .646
1981 103 463 411 50 110 14 9 0 142 46 23 7 6 5 39 3 1 30 9 .268 .329 .345 .674
1982 135 561 493 83 131 19 4 0 158 36 25 12 3 5 57 2 2 56 5 .266 .341 .320 .662
1983 89 368 313 43 101 14 4 2 129 31 6 8 8 3 43 2 1 27 7 .323 .403 .412 .815
1984 145 622 558 67 154 23 2 4 193 49 13 7 10 3 49 2 2 56 11 .276 .335 .346 .681
1985 159 696 596 97 180 38 3 8 248 110 31 3 5 13 80 5 2 55 6 .302 .379 .416 .795
1986 152 647 559 48 141 30 4 2 185 61 22 8 6 4 73 10 5 75 8 .252 .342 .331 .673
1987 141 598 510 73 134 29 0 2 169 83 19 4 4 12 68 3 3 62 12 .263 .346 .331 .677
1988 15 63 50 4 13 0 0 1 16 3 3 0 2 0 11 3 0 4 1 .260 .393 .320 .713
MIN 86 345 304 42 80 16 0 1 99 21 10 3 1 0 40 1 0 47 9 .263 .349 .326 .674
'88計 101 408 354 46 93 16 0 2 115 24 13 3 3 0 51 4 0 51 10 .263 .356 .325 .680
1989 PHI 151 627 561 65 161 25 6 2 204 37 10 7 6 2 54 2 3 63 9 .287 .352 .364 .715
1990 119 493 447 39 118 21 3 4 157 50 7 1 6 2 36 4 2 47 10 .264 .320 .351 .672
NYM 27 114 100 9 25 5 0 1 33 10 0 0 0 0 14 0 0 11 1 .250 .342 .330 .672
'90計 146 607 547 48 143 26 3 5 190 60 7 1 6 2 50 4 2 58 11 .261 .324 .347 .672
1991 70 192 155 17 30 7 0 1 40 14 7 2 2 2 32 4 0 21 1 .194 .328 .258 .586
SF 32 73 60 6 15 1 1 0 18 7 2 0 0 0 13 1 0 7 3 .250 .384 .300 .684
'91計 102 265 215 23 45 8 1 1 58 21 9 2 2 2 45 5 0 28 4 .209 .344 .270 .613
MLB:13年 1514 6116 5349 676 1450 254 41 28 1870 574 188 64 60 53 627 47 22 584 100 .271 .347 .350 .696

記録

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脚注

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  1. ^ 詳しくはセントルイス・カージナルス#1930年代を参照。
  2. ^ Rick Hummel (2020年4月22日). “Whitey calls him 'the glue' of the 1980s Cardinals, but Tom Herr is most famous for making seat cushions fly”. stltoday.com. 2021年12月5日閲覧。

外部リンク

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