トミスラヴ・ショコタ
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名前 | ||||||
愛称 | トモ | |||||
ラテン文字 | Tomislav Šokota | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | クロアチア | |||||
生年月日 | 1977年4月8日(47歳) | |||||
出身地 | ザグレブ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
?-1997 | サモボル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2001 | ディナモ・ザグレブ | 92 | (49) | |||
2001-2005 | ベンフィカ | 60 | (21) | |||
2005-2007 | ポルト | 3 | (0) | |||
2007-2009 | ディナモ・ザグレブ | 20 | (6) | |||
2009-2010 | ロケレン | 27 | (5) | |||
2010-2011 | オリンピア・リュブリャナ | 19 | (7) | |||
代表歴 | ||||||
1993 | クロアチア U-16 | 1 | (0) | |||
1994 | クロアチア U-18 | 11 | (0) | |||
1994 | クロアチア U-19 | 1 | (0) | |||
1995-1996 | クロアチア U-20 | 3 | (0) | |||
1997-2000 | クロアチア U-21 | 19 | (10) | |||
2001 | クロアチア B | 1 | (0) | |||
2003-2004 | クロアチア | 8 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
トミスラヴ・ショコタ(Tomislav Šokota, 1977年4月8日 - )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)・ザグレブ出身の元サッカー選手。元クロアチア代表。現役時代のポジションはフォワード。
ショコタは1度目のNKディナモ・ザグレブ時代では強力な点取り屋として知られていたが、SLベンフィカ移籍以降は度重なるな負傷に泣いた。クロアチア代表としては8試合2得点を記録し、UEFA EURO 2004の一員だった。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1997年に地元のNKディナモ・ザグレブとプロ契約を締結以降4シーズンに渡り在籍し、その間の1999-2000シーズンと2000-01シーズンにそれぞれ21得点と20得点を挙げ、2季連続で得点王に輝いた。また、クラブ史上初参加となったUEFAチャンピオンズリーグ 1998-99のグループステージに数試合出場した。プルヴァHNLでトップクラスの選手となったショコタは、2000-01シーズン終了後にスーペル・リーガのSLベンフィカと契約する[1] も、アキレス腱の負傷による長期離脱など、暫くの間は度々怪我に悩まされた。
2003-04シーズンになると定位置を掴み29試合11得点を記録し、タッサ・デ・ポルトガル優勝に貢献と成功を収め、クラブとしてもタイトルを獲得と良いシーズン送っていたが、自身も出場していた2004年1月25日のアウェイでのヴィトーリア・ギマランイス戦中に同僚のフェヘール・ミクローシュが逝去する出来事があった。クロアチア時代の輝きを取り戻したかに思われたが、2004年末にクラブからの契約延長の話を拒否したことでBチームに追いやられ[2]、さらに2005年1月12日に契約解除を言い渡された[3]。
自由移籍の身となったショコタは、2005年6月2日にベンフィカのライバルであるFCポルトと4年契約を締結[4]。しかし、加入して程なくしての2005年9月13日にUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06のグラスゴー・レンジャーズ戦で右膝の靭帯損傷[5] のため長期離脱すると、翌2006-07シーズンのプレシーズンで左アキレス腱の負傷により手術をする[6] 2度の大怪我により公式戦出場は僅か5試合にとどまり、2007年3月11日には契約解除が言い渡され、古巣のディナモ・ザグレブに復帰することとなった[7][8]。
ディナモ・ザグレブ退団後は2009年7月からベルギー1部のスポルティング・ロケレン、2010-11シーズンにスロベニア1部のオリンピア・リュブリャナに在籍した。
代表
[編集]2003年11月にスロベニアとのUEFA EURO 2004予選・プレイオフ第2戦でクロアチア代表初出場を飾ったショコタは、本大会の一員に選出され[9]、グループステージ敗退するまでの全3試合に出場した。その後のクラブでの負傷により2006 FIFAワールドカップの一員に選出されることはなかった[10]。
クロアチア代表としては8試合2得点を記録。親善試合のトルコ戦[11] とデンマーク戦[12] でのものだった。
タイトル
[編集]- クラブ
- NKディナモ・ザグレブ
- プルヴァHNL : 1997-98, 1998-99, 1999-00, 2007-08, 2008-09
- フルヴァツキ・ノゴメトニ・クプ : 1997-98, 2000-01, 2007-08, 2008-09
- スーペル・リーガ : 2004-05
- タッサ・デ・ポルトガル : 2003-04
- スーペル・リーガ : 2005-06, 2006-07
- タッサ・デ・ポルトガル : 2005-06
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ : 2006-07
- 個人
- プルヴァHNL得点王 : 1999-2000, 2000-01
脚注
[編集]- ^ "Dínamo confirma 250 mil contos por Sokota"
- ^ "Sokota confirmado"
- ^ "ベンフィカがソコタを放出"
- ^ "ソコタがポルトに移籍"
- ^ "Lengthy lay-off for unlucky Sokota"
- ^ "Sokota foi operado na Suíça"
- ^ "Sokota vai regressar ao Dínamo Zagreb"
- ^ "Sokota despediu-se"
- ^ "バビッチが最終登録選手入り"
- ^ "Sokota sem Mundial"
- ^ "クロアチアがトルコとドロー"
- ^ "Sokota marca na vitória da Croácia frente à Dinamarca (2-1)"