トニー・ダンジー
Tony Dungy | |||||||||||||||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||||||||||||||
ポジション | セイフティ | ||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1955年10月6日(69歳) | ||||||||||||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州ジャクソン | ||||||||||||||||||||||||
身長: | 6' 0" =約182.9cm | ||||||||||||||||||||||||
体重: | 188 lb =約85.3kg | ||||||||||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||||||||||
大学 | ミネソタ大学 | ||||||||||||||||||||||||
ドラフト外 | 1977年 | ||||||||||||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||||||||||||
スーパーボウル制覇(1回) | |||||||||||||||||||||||||
1978(第13回) | |||||||||||||||||||||||||
スーパーボウル制覇(コーチとして) | |||||||||||||||||||||||||
2006(第41回) | |||||||||||||||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||||||||||||||
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ヘッドコーチとしての通算成績 | |||||||||||||||||||||||||
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Player stats at PFR | |||||||||||||||||||||||||
Coaching stats at PFR | |||||||||||||||||||||||||
トニー・ダンジー(Anthony Kevin Dungy, 1955年10月6日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州ジャクソン出身のアメリカンフットボールの元選手、元コーチ、解説者。現役時代はセイフティとしてプレーしたが、現役生活は短く、タンパベイ・バッカニアーズとインディアナポリス・コルツで計13シーズンの間、ヘッドコーチを務めた名将と知られている。
1996年、ダンジーは、当時長期低迷して弱小チームの代名詞となっていたタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチに就任した。ダンジーは、「タンパ2」と呼ばれるディフェンスの新システムを採用し、バッカニアーズをリーグ屈指の強力守備のチームへと育てた。バッカニアーズでの6シーズンの内、4シーズンでチームをプレーオフに導いたが、ダンジーがオフェンスについて保守的な姿勢を採ることをオーナーのマルコム・グレーザーに問題視され、2001年シーズンオフに解雇された。翌シーズン、オフェンスが得意なジョン・グルーデンヘッドコーチの下、バッカニアーズはスーパーボウル初制覇(第37回)を果たしたが、強力守備を構築したダンジーも評価され、2018年にはバッカニアーズの殿堂入りしている[1][2]。
バッカニアーズを解雇されたダンジーは、翌シーズンからインディアナポリス・コルツのヘッドコーチに就任した。コルツでの7シーズン全てで、ダンジーはチームをプレーオフに導き、2006年シーズンにはコーチとして、スーパーボウル初制覇(第41回)を果たした。スーパーボウル制覇後も2シーズン指揮を執り、2008年シーズンをもって、コーチ業から引退した。引退後は、NBCで解説者を務めている。
2010年にコルツの殿堂入りした後、2016年にプロフットボール殿堂入りした。
ヘッドコーチ成績
[編集]チーム | 年 | レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||
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勝 | 敗 | 分 | 率 | 結果 | 勝 | 敗 | 率 | 結果 | ||
バッカニアーズ | 1996 | 6 | 10 | 0 | .375 | NFC中地区4位 | – | – | – | – |
1997 | 10 | 6 | 0 | .625 | NFC中地区2位 | 1 | 1 | .500 | ディビジョナル敗退(対パッカーズ) | |
1998 | 8 | 8 | 0 | .500 | NFC中地区3位 | – | – | – | – | |
1999 | 11 | 5 | 0 | .688 | NFC中地区優勝 | 1 | 1 | .500 | NFC決勝敗退(対ラムズ) | |
2000 | 10 | 6 | 0 | .625 | NFC中地区2位 | 0 | 1 | .000 | ワイルドカード敗退(対イーグルス) | |
2001 | 9 | 7 | 0 | .562 | NFC中地区3位 | 0 | 1 | .000 | ワイルドカード敗退(対イーグルス) | |
バッカニアーズ計 | 54 | 42 | 0 | .556 | 2 | 4 | .333 | |||
コルツ | 2002 | 10 | 6 | 0 | .625 | AFC南地区2位 | 0 | 1 | .000 | ワイルドカード敗退(対ジェッツ) |
2003 | 12 | 4 | 0 | .750 | AFC南地区優勝 | 2 | 1 | .666 | AFC決勝敗退(対ペイトリオッツ) | |
2004 | 12 | 4 | 0 | .750 | AFC南地区優勝 | 1 | 1 | .500 | ディビジョナル敗退(対ペイトリオッツ) | |
2005 | 14 | 2 | 0 | .875 | AFC南地区優勝 | 0 | 1 | .000 | ディビジョナル敗退(対スティーラーズ) | |
2006 | 12 | 4 | 0 | .750 | AFC南地区優勝 | 4 | 0 | 1.000 | 第41回スーパーボウル制覇 | |
2007 | 13 | 3 | 0 | .813 | AFC南地区優勝 | 0 | 1 | .000 | ディビジョナル敗退(対チャージャーズ) | |
2008 | 12 | 4 | 0 | .750 | AFC南地区2位 | 0 | 1 | .000 | ワイルドカード敗退(対チャージャーズ) | |
コルツ計 | 85 | 27 | 0 | .759 | 7 | 6 | .538 | |||
通算[3] | 139 | 69 | 0 | .668 | 9 | 10 | .474 |
脚注
[編集]- ^ NC Nighthawk (January 13, 2009). “Tony Dungy Treated Players the Way He Wanted People to Treat Him”. Bleacher Report. 2021年1月29日閲覧。
- ^ Yasinskas, Pat (December 8, 2011). “One man could fix the Buccaneers”. ESPN.com. 2021年1月29日閲覧。
- ^ “Tony Dungy Record, Statistics, and Category Ranks”. Pro-Football-Reference.com (October 6, 1955). 2021年1月29日閲覧。