トトメス2世の墓
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Wadi C-4 | |
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トトメス2世の埋葬地 | |
座標 | 北緯25度44分12秒 東経32度34分42秒 / 北緯25.73667度 東経32.57833度座標: 北緯25度44分12秒 東経32度34分42秒 / 北緯25.73667度 東経32.57833度 |
場所 | Wadi Gabbanat el-Qurud, Western Wadis, Egypt |
発見日 | 2022年10月 |
発掘者 | エジプトとイギリスの合同チーム (2025) |
装飾 | アムドゥアト |
レイアウト | Bent to the left |
トトメス2世の墓(トトメス2せいのはか)は、エジプトのルクソール西部にある古代エジプトの墓である[1] 。エジプトとイギリスの合同チームにより発見され、第18王朝のファラオトトメス2世と関連がある。トトメス2世のミイラは1881年にデイル・エル・バハリの隠し場所から発見された[2]。王墓の発見は1922年のツタンカーメンの墓の発見以来である[3]。
発見
[編集]2022年10月にルクソール西部のWadi Cで入口と通路が発見され、Wadi C-4と指定されたことで調査が開始された。この墓は第3中間期以来封印されたままだったと考えられている。度重なる洪水により通路がコンクリートのように固まった瓦礫で塞がれ、一部の天井が崩壊していた[4]。
調査チームはこの墓がトトメス3世の妻の墓やハトシェプストの埋葬予定地だった場所に近接していることから王妃の墓だと考えていた。王家の墓と確認されるまで、約3年間綿密な調査が続けられた[2]。
エジプト考古省は、1922年にツタンカーメンの墓が発見されて以来のファラオの墓の発見だとしている[5]。ツタンカーメン以降もプスセンネス1世の墓(1940年)、セネブカイの墓(2014年)など複数の王墓が発見されたが、新王国時代の王墓発見はツタンカーメン以来である[5]。
遺物
[編集]墓から王墓だと裏付けるいくつかの遺物が発見された。残存する装飾品としてトトメス2世とハトシェプストの名前が刻まれたアラバスターの容器のかけらがあり、幼少のトトメス3世の代わりにハトシェプストが葬儀を行ったことを示唆している[2][6]。これらは副葬品として初めて発見されたものであり、他のものは洪水により破壊されたと考えられている[6]。
脚注
[編集]- ^ Litherland (2023), pp. 28–31
- ^ a b c Shawkat, Ahmed (18 February 2025). “Egypt announces first discovery of a royal tomb since King Tutankhamun's was found over a century ago – CBS News” (英語). CBS News. 19 February 2025閲覧。
- ^ “古代エジプトの王墓発見、ツタンカーメン以来約100年ぶり”. BBCニュース (2025年2月20日). 2025年2月22日閲覧。
- ^ “Latest Discovery in Wadi C (2022) | Theban Mapping Project” (英語). Theban Mapping Project. 8 December 2024時点のオリジナルよりアーカイブ。19 February 2025閲覧。
- ^ a b Yuhas, Alan (February 21, 2025). “Archaeologists Find a Pharaoh’s Tomb, the First Since King Tut’s, Egypt Says”. New York Times February 21, 2025閲覧。
- ^ a b “Long-lost royal tomb of King Thutmose II finally discovered in Luxor”. State Information Service (18 February 2025). 18 February 2025閲覧。
参考文献
[編集]- Litherland, Piers (2023). “Has the Tomb of Thutmoses II been found?”. Egyptian Archaeology 63: 28-31.