トィル
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トィル | |
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Tyr ロシア語: Тыр | |
北緯52度56分 東経139度46分 / 北緯52.933度 東経139.767度 | |
国 | ロシア |
地方 | ハバロフスク地方 |
地区 | ウリチ地区 |
人口 (2012年) | |
• 合計 | 582人 |
等時帯 | UTC+10 (ウラジオストク時間) |
• 夏時間 | UTC0 |
トィル[1](ロシア語: Тыр)はロシア連邦東部のハバロフスク地方にあり、ウリチ地区に位置する町。人口は582人(2012年)[2]。アムール川の河口からおよそ140キロメートル上流にあり、ここで東からアムグン川が合流する。
歴史
[編集]女真人の金朝(13世紀初頭まで)、モンゴル人のモンゴル帝国(大元ウルス、13世紀半ばから14世紀半ば)、中国人の明朝(15世紀初頭)といった歴代の王朝は、アムール川下流域周辺に住む諸民族と外交関係を結び、ヌルガン城を拠点に冊封体制や羈縻政策の管轄をおこなった。トィルは前近代におけるこの一帯の交易の中心地であった。
トィルにヌルガン城の遺跡が存在することは早くからロシア人探検家に知られており、1675年~1678年に外交使節として中国に赴任したN.G.スパーファリー「アムール川の河口から二日遡った所」に石碑や鐘があることを報告している。また、間宮林蔵は樺太探検時に海上から永寧寺の塔のある断崖を見ている。
発掘調査
[編集]ソビエト時代にはすでに塔はなく、砲台が築かれた。ティル遺跡の発掘調査はロシア科学アカデミー極東支部歴史考古民族学研究所の研究者であったアレクサンドル・アルテミエフによって数度にわたって行われた。報告は邦訳でも出版されている。
脚注
[編集]- ^ あるいは「ティル」と日本語表記される。ロシア語としてはティルの方が音が近い。
- ^ Оценка численности населения по муниципальным образованиям на начало 2012 года
参考文献
[編集]- 塚瀬進『マンチュリアの社会変容と地域秩序 : 明代から中華人民共和国の成立まで』 中央大学〈博士(史学) 乙第440号〉、2014年。NAID 500000729342 。(日中双方の資料を元にまとめられた詳細資料)
- 『北東アジアの歴史と文化』(菊池俊彦編、北海道大学出版、2010年、ISBN 978-4832967342)
- 『北方世界の交流と変容 中世の北東アジアと日本列島』(臼杵勲・菊池俊彦・天野哲也編、山川出版社、2006年、ISBN 978-4634590618)
- 『ヌルガン永寧寺遺跡と碑文』(A.R.アルテーミエフ著・菊池俊彦/中村和之監修、北海道大学出版会、2008年、ISBN 978-4832966987)
- 『中世の北東アジアとアイヌ 奴児干永寧寺碑文とアイヌの北方世界』(菊池俊彦・中村和之編、高志書院、2008年、ISBN 978-4862150387)